第14話 遠矢樹
小学六年生の秋。
小学校生活の集大成として、クラス対抗で〝モノ作り〟に挑戦する学習発表会という行事があった。
元々は小規模な会だったが、年々規模が拡大し、いつの間にか重要な学校行事となったものだ。
そんな大舞台で、僕はクラスのリーダーに選ばれた。
びっくりするかもしれないが、当時の僕はクラスで誰よりも絵が上手かったんだ。
雨の日の休み時間はちょっとした人気者だったし、図工の授業では僕を頼りにする奴が多かったと思う。
だから自分でも納得感があったし、同時に大きな責任感も芽生えた。
僕がクラスを引っ張って、絶対に一位に導こう。そう強く決意した。
やがてクラスの目標が決まった。
段ボールを使って、クラス全員で巨大な船を作ること。
休み時間や放課後を使いながら作業は順調に進み、順風満帆だった。
ところが、ある班だけ進捗が著しく遅れてしまった。
いつまで経っても作業が進まず、このままでは船の完成に間に合わない。
だからリーダーである僕が乗り出し、彼らにこう言った。
ちゃんとマジメにやってくれよ、と。
――「明日こそやる。マジ、絶対だから」
それでも彼らは、結局なにも変わらなかった。
初めはその言葉を信じていた僕も、いつまでも真剣に取り組まない彼らを見れば、態度を改めざるを得なかった。
僕がなんとかしなきゃと思った。
だって約束したんだ。リーダーになった僕がクラスを一位に導くと。
思えば、当時のこの小さな胸には、分不相応に大きなプレッシャーを抱え込んでいたのかもしれない。
そいつに向けて発した声は、僕が思っている以上に強いものだったと思う。
――「なんでマジメにやらないんだ。いい加減、マジメにやれよ」
途中までは冷静に話していたつもりだった。
でも感情の方が勝ってしまい、いつまでもふざけている彼らに我慢できず、かっとなってしまったんだ。
それから激しい口論になった。だけど僕の方が圧倒的に強かった。正論をぶつけるための材料が山ほどあったのだから。
相手の言い返す言葉がなくなり、相手が泣き出したのはあっという間だった。
それを見て、内心ほっとした。これで反省してまたがんばってもらえばいい。
ああ、やっとこれでクラスがまとまる。どのクラスよりも凄いものを作って、このクラスが一位だ。
しかし、そんなはずがなかった。
クラスの空気は、白と黒を入れ替えたようにひっくり返っていた。
――「かわいそう」、「イツキくん怖い」、「せっかくみんな楽しくやってたのに」
男子も女子も泣いた相手の周りに集まり、気付けば、マジメにやっていたはずの僕が責められる立場になっていた。
それを見ていた先生でさえ、こんなことを言っていた。
――「イツキくん。泣かせちゃったんなら、あなたが悪いよ。謝らなきゃ」
納得……できなかった。
一位をとるって、みんな頷いてたろ。いつからその目標が変わった? いつからみんな、楽しむことが目標になっていた?
いや、一位なんて目標をいつまでも追いかけていたのはきっと僕だけで……それで周囲に鞭を叩くなんて、僕の方がおかしかっただけなんだろう。
それからの僕は、こう呼ばれるようになった。
〝バグ〟、と。
周りを壊してしまうガン細胞のような僕のあだ名は、なかなかに酷だったかもしれない。
「僕は勝手に自分を追い込んで、空回りどころか逆回転なんか始めて、周りに迷惑をかけちゃうんだ。いつからこうなったかなんて分からない。ただ、きっと根っこの部分がもう、そういう……性格なんだろうな」
ミミさんと夜の街でトラブルになりかけた一件だって、危なかった。
ここまで黙って聞いてくれていたミミさんは、リュックの肩紐をぎゅっと握りしめている。
「……イツキくんは誰よりも責任感が強いってことだよ」
「だとしても、責任の果たし方がヘタすぎる」
ミミさんが僕のことを〝心配〟だと言っていた理由も分かる。
両親だって親戚だって、僕に似たようなことを言っていた。
もう少し周りを見なさい。暴走するな。何事もほどほどに、と。
だから。
「だから……僕は、絵を描き続けようと思ったんだ」
画材さえあれば、絵は一人で描ける。誰にも迷惑をかけることがない。
僕がどれだけガムシャラになって、たとえ暴走しようと、誰かを巻き込むことはない。
そして誰にも、なんにも、期待しないで済む。
すべての責任が自分にあり、すべてが自分の中で完結する世界。
それが本当に自分に合っていたんだ。
そんなことを考えているうちに、やがて〝一生ひとりで絵を描き続ける自分の姿〟がはっきりと目に浮かぶようになった。
それからだった。孤高に憧れるようになったのは。
「『自分のことは自分でなんとかする』なんて、笑っちゃうだろ。自分ルールっていうただの意地みたいなもんでさ。そんなもんに縛られないで、カナタさんみたいに自由に生きられる人が……本物なんだと思う」
僕は〝孤高〟とはほど遠い、ただ〝孤立〟を選んだだけの人間だ。
あの時、バグだなんて言われてしまった僕だ。そんな人間が孤高を目指そうとする姿はきっと滑稽で、そんな自分が苦手だった。
「……ごめん。急に変な話、した」
これ以上は声が震えて何度も噛んでしまいそうだから、もう終わりだ。
その時、ミミさんがどんな表情をしていたのか僕はよく見ていない。
「ううん。話してくれて、ありがとう」
ただ彼女はそっと僕に近付き、手を差し伸べてくれたのが分かった。
僕がこんなタイミングでわざわざこんな話をしたのには、理由がある。
ミミさんが握ろうとしてくれた手を、僕は避けるように身を引いた。
胃の奥がきゅうっと痛んだ。
それでも。
逃げないで、今ここで決着をつけるべきだと思った。
「よかったら、ミミさんのことも教えてくれないか」「私? ……うん、なんでもいいよ」
僕はチャック付きのポケットに手を伸ばし、ゆっくりと――【黒い筆】を取り出した。
いつでも使えるようにと、ミミさんから預けられたものだ。
「この筆は、人の渇望を叶える筆だ。間違いないよな?」
「う、うん? そうだけど……?」
「だけどもう一つ。大事な説明が抜けている」
「え……?」
「【黒い筆】は人の願いを叶える代わりに、そいつから〝最も大切なもの〟を奪い取る」
ただでさえ大きなミミさんの目が、丸く見開かれた。
「そんな重要なことを隠して……なんで僕に筆を使わせようとするんだ……?」
僕は自分でも驚くほど冷静で、淡々としていたように思う。




