校正者のざれごと――自費出版とZINEという文化
私は、フリーランスの校正者をしている。
先日テレビを見ていて、ある話題に思わず引き込まれた。それは、初めて耳にした「ZINE」の販売イベントについて。ZINEとは個人制作の小冊子のことで、それをフリーマーケットのように販売するイベントがあるらしい。
気になったので調べてみた。ZINEは雑誌(magazine)やファン雑誌(fanzine)を語源とするという説があり、出版社を通さず、おおむね非営利で作られる。テーマや形式に制約がないので、作者が自分の思いを自由に表現できる。写真やイラストなども自分で用意し、コピー機などを使って製本する。編集者を通さず、もちろん、校正も自分で行うそうだ。すでに出版社から本を出している作家が、あえて参加することもあるという。
起源には諸説あるようだが、1930年代のアメリカでSFファンが自主的に制作したものが始まり、というのを目にした。
「SF」という言葉を見るとどうしても思い出してしまうのが、新井素子さんの本。小学生の頃に夢中になって読んでいた。『星へ行く船』『通りすがりのレイディ』『カレンダー・ガール』。彼女のSFの世界に憧れて、自分でも書いてみたいと思い、初めて書いたのがSF小説だった。小学6年生の頃。金木犀の香りに誘発されて時間や空間を彷徨う、そんな話だったように思う。原稿用紙100枚ほど書いて、書き上げたときはとても心地よい達成感に包まれた。あの原稿は今もどこかにあるだろうか。読んでみたいような、恥ずかしいような。
私の所属する校正プロダクションでは、以前自費出版の会社の校正も受けていた。私も何本か担当したが、どれも非常に強い思いが込められていたように思う。
そのひとつが、現役の医師が書いた本だった。妻が肺がんを患い、亡くなるまでの話だ。医師でありながら、妻の体の異変に気づくことができなかった。病状が進んだ妻はがんの影響で呼吸がつらくなり、夫に「こんなに苦しい思いをするくらいならいっそのこと殺してください」と訴える。夫である医師はなすすべもなく、妻の最期を看取り、そしてその一部始終を本に残した。妻への感謝の思いと、後悔がつづられていた。胸を打つ話だった。
ほかにも、強烈に印象に残っている本がある。作家を志す息子を持つ母が書いたもので、全部で320ページほどもある大作だった。そして、その内容のほとんどが、息子の嫁に対する不満だった。作家を志す息子は定職につかず、昼間は実家の母のところへ行って小説を書いている。嫁は子どもを保育園に預けて仕事をし、家事もこなす。そんな嫁に対して、母はとにかく何もかもが不満らしく、その思いを書いたものが320ページにもなった。そして、この母の書いた文章は私の印象ではとてもしっかりしていて、きっと文才のある方なんだろうと思った。自費出版の原稿は、たいてい文章に直すべき部分が多く、校正に手間がかかる。そんななかでもこの母の文章はとても読みやすかった。それゆえに内容だけが悔やまれる。もう少しほかに書くことはなかったのだろうか。
自費出版ではこのようなエッセイだけでなく、もちろん小説もあった。戦争を題材にした上下巻の大作や、恋愛小説、サスペンスのようなものも。
自分自身が殺される未来を描いたSF小説というのもあった。自分を裏切った妻や子どもたちが計画し、最終的に主人公は殺されてしまう。この小説ではその殺される場所が住宅地の中の林という設定だったのだが、なぜかその林というのが私が通っていた中学校の裏の林だった。具体的な住所が記されていたので場所が全部わかってしまったのだ。こんな偶然もあるんだな、と思いながら校正したのを覚えている。
自費出版の会社からの仕事は、あるときからぴたりと来なくなった。不思議に思って校正プロダクションの社長に聞くと、
「ああ、あの会社、潰れちゃったみたいなんだよね」
いつの間にか会社は倒産してしまい、校正業務を受けていたこちら側にも多少の損失があったそうだ。この自費出版の会社の仕事はほかに比べても単価がよく(校正料は、ページ単価や一文字あたりの単価で決まる)、自費出版というのはきっとずいぶんお金がかかるんだろうなと思っていた。
今ではここのような投稿サイトなども複数あり、気軽に自分の書いたものを読んでもらえるようになった。何かを書きたい、そして人に読んでもらいたいという気持ちは昔も今も変わらないのだろう。
冒頭のZINEの話題のなかではいくつかの本が紹介されていたが、そのなかで気になる本があった。身長2メートルを超える男性が、日常生活で自分が見ている景色について書いたもの。彼の目線から撮られた写真と、その解説が書かれているそうだ。電車のなかでは、立っているとつり革が頰に当たるという。信じられない。身長の低い私は、あんな高い位置にあるつり革なんて届かないから使えないと思っていたし、あみ棚さえ使わない(というか届かない)。身長2メートルの男性が見ているのは、まさに未知の世界。
本も紙ではなくデジタルで読める時代に、こんなふうに紙の本を求めて人々、特に若者が集うというのはとても興味深い。とはいえ、以前からコミックマーケットのようなものも存在していたし、紙の文化というのはやはり今後も残っていくのだろう。嬉しいことだ。