目を覚ますと…… (改稿9/22)
目を覚ますと、知らない天井が見えた。
視界の端で蛍光灯がちらりと瞬く。白い天井の冷たい光に、瞼の裏までじんわりと焼かれるようだった。点滴の管が腕を伝う感触が、妙に生々しくて……ああ、まだ生きているんだと嫌でも実感させられる。
おそらく、ここは病院だろう。薬品の臭いが鼻をかすめる。
「……はぁ」と重い息をついたその時、すぐ近くで気配が動いた。
「お、ようやく起きたか」
筋肉の塊のような低い声に、顔を向ける。
声の主は、獅子神竜也――本部の総隊長。
がっしりとした体躯に、軍人のような短髪。180センチを超える巨体は病室にはやや不釣り合いで、まるで壁が歩いているかのようだった。
「……総隊長何でここにいるんですか?アメリカに出張してたはずでは?」
必要のない出張をアメリカに行って、仕事をサボって全てを僕に押し付けた最低上官。
「おい!話聞いてたか?」
獅子神総隊長が怒っているようだが、何で怒っているのか分からない。
「あ、聞いて無かったです」
総隊長は僕をジトッと見て「はぁ」と一つ溜息を吐きまた説明し始めた。
「たまたま一時帰国してた時に、緊急応援要請が入った。木田と一緒にここへ来たんだ」
「でも、多摩支部の誰も要請は出してないはずです。正隊員が妨害していたんですから」
そう、正隊員が邪魔をしていたわけだから、緊急応援要請なんか出来る訳がないのだ。誰が緊急応援要請をしたのだろう?
ふと窓の外を見てみると鳥が飛んでいて、雲もゆっくりと流れ平和の日常に戻ったような感じがする。
「クロとシロがお前の危機を察知したのか緊急応援要請をしたんだ。まあ、ずっとお前の危機を連呼していただけだから要請でもないけどな」と獅子神総隊長が呆れつつ僕に教えてくれた。
「クロとシロが……」
三年一緒にいるが二匹の全ての能力を知っているわけではない。危機察知を持っているなんてな……。だから、クロはあの時あともう少しなんて言っていたのか。
「んで、お前の危機なんてヤバい以外無いから、視察先を調べたわけだ。あの二匹はお前の場所を知ると勝手に飛び出して行った……。で、多摩支部を調べていると市民からの通報が尋常じゃないってことで、俺達がここに来た訳だ」
胸の奥がじわりと熱くなった。あの二匹は、僕よりも僕を信じているのかもしれない。そう思った瞬間、息を吐くのも苦しくなるくらい、何かが胸に詰まった。
市民からの通報で異常事態に気付いたわけか。逃げられていた市民が騎士の本部に通報してくれたおかげで、沢山の命が救われた。
「……物語は封印出来たんですか?」と質問しながら上体を起こそうとしたら、獅子神総隊長が起こすのを手伝ってくれた。
「ああ。お前が倒れたあと、本部の奴とゾンビ共を身動きを出来ないようにして地道に探した結果見つけた。だが……」
ゾンビを身動き出来ないよう拘束したということは、大勢の隊員達が駆け付けてくれたのか。
獅子神総隊長はなんで暗い表情をしているのだろうか?
「だが?」
「……廃工場に、一冊だけ、未完の物語が置かれていた。まるで、誰かが“次の舞台”を用意したかのように、な」
病室は寒くないのに、背筋にじわりと冷たいものが這い上がる。
「次の舞台……?」
口の中で呟いたその言葉に、自分でも気付かぬほど、声が震えていた。僕は知らず知らずの内に、眉を寄せ顔を顰めていた。
「まあ、そんなことはいい」
この総隊長はこんな大事件をそんなことで済ますのは普通にあり得ないだろう。スタンピードが人の手で起こせるなんてあり得たら、全国の物語騎士団内は大騒ぎになるだろう。いや、全国で騒ぎになるだろう……。
スタンピードが起こった土地は、物語を速やかに封印しなければ焦土と化し人が住めなくなってしまう。まだ未確定の事だが、焦土と化した土地でモンスターを見たという人がいる。
「弦。何度言った? 無茶をするな、と」
獅子神総隊長の声のトーンが変わり、声には怒気を帯びている。
「……」
視線を窓の外に向けた。これが逃げなのは分かっているが、今は聞きたくない。
「弦、話をちゃんと聞け」
「……聞いてます」と窓の外の景色を見て返事をした。
渋々答えた僕の頭に、ゴン、と鈍い衝撃が走る。
「……っ、怪我人に何するんですか……」
そう呟きかけた瞬間、総隊長の顔が視界に入り、息を飲んだ。
怖かったわけじゃない。ただ、あの眼差しに……。
「俺はな、お前が死ぬのを見たくないだけだ」
獅子神総隊長の声は低く、重たかった。
不意に胸の奥を鷲掴みにされたようで、言葉が喉に貼りついた。怒鳴られるよりも、その静かな声の方がよほど怖い。ずっと避けてきた“守られる自分”を、突きつけられた気がした。
「……僕は、ただ……助けたかっただけなのに」
視線を下げ小さく呟いた声は、誰にも届かないまま空気に紛れた。
「俺がなぜ、お前を副総隊長に任命したかわかるか?」
「……さあ?」
「お前は一人で突っ走る癖がある。誰かが傍にいれば、自分の命も少しは大事にすると思った。だが、現実はこれだ」
総隊長は僕の家族のことを知っているから心配してくれるのは分かる。でも、僕は無茶なんてしていない。ただ、目の前に救える命を救っただけ。
僕みたいな想いはもう誰にもさせたくない。
「まあ……お前のことだから、また無茶するだろうけどな。次は……お前一人じゃ済まないぞ?」と予言のように、獅子神総隊長は僕に忠告してくる。
「……」
分かっている……いつまでもこのままでいいわけがないのは……。
「それで、俺は考えた。お前のお目付け役の補佐官をもう一人増やす」
「へー」と棒読みで僕は返した。
「松本さらだ」
「はっ?!あの僕の同期の松本さらですか?!」
僕は驚き過ぎて声が裏返ってしまった。あの……あいつが……。
頭の中に何時も書類を誤字脱字ばかりで埋め、あまつさえその書類を飲み物をこぼしたりして駄目にする姿を思い出した。
「そうだ。これは決定事項だ」
「はあああああ?!いやいやいや、絶対無理ですって!あの人、戦闘はできても書類仕事はマジでゴミですからね!?僕、絶対面倒見るのイヤですよ!?」
点滴をしているのを忘れて、両手でベットの手すりを「ガタッ」と鳴るくらいの勢いで掴んだ。
総隊長は「あっはっは!」と笑って話を聞いていない。なんで、この総隊長は次から次へと問題を持ち込んでくるんだ。
コンコンと病室のドアがノックされた。
「どうぞ」と総隊長が言うと、ドアが静かに開いた。
先に入ってきたのは木田。そして――
その後ろから、見覚えのある長身の女性が現れた。