第六話・地下の天使
デコボコした土が剥き出の、天井には一定間隔で吊るされたランプが弱々しく光を放っている通路。
そこを俺は土埃の嫌な臭いに顔を顰めながら、腕を拘束されて紐を繋がれて歩かされていた。
浮浪者に殴られて気絶した後、気がつくとこの場所に連れて来られ。
どうやら扱いや言動から俺は自分が奴隷となってしまったと分かった
「そう人生を悲観するな、生きていればいい事ってのはあるってもんだぜぇ? ぶぇっへっへ!
ま、それもここから生きて出たらの話だけどなぁ~!」
嫌なほど派手に赤い制服を着た、はち切れそうなほどに太ったゴブリン族の男――この場所を管理している『監督官』が俺の前を歩き。
時折小刻みに俺へ繋がっている紐を引っ張りにやけ顔で見てくる。
(鬱陶しい……)
「……べつに。悲観なんてして――」
「――ふんッ!」
何度も行われるちょっかいに俺はつい苛立ちが募のり、少し言い返してやろうとしたらいきなり男の手に持っている鉄の棒で殴られた。
「好きだぜぇ~ワシはよぉ~。
お前みたいな来たくて来たんじゃないって現実の見えないスカした態度の奴は~」
拘束されて防御も何も出来なかった俺は無様に地面に倒れ、ひとしきりマウントポジションで殴られた後。
髪を乱雑に掴まれて無理やり顔を上げられ、男の不愉快な顔が視界一杯に映る。
「そんな馬鹿にも規則だから懇切丁寧に一度だけこの場所のルールを教えてやる。
一に、オレら監督官の指示は厳守し逆らう事は許されない
二に、喧嘩などの面倒ごとは起こすな。
三に、時間厳守で死ぬ気で働け。
分かったか? 簡単だろ?」
無駄に体力を消耗するのは得策じゃない。そんな事は分かっている。
……けれど。どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだという、ついさっきまで想像もしていなかった現在に対する拒否感と、いきなりの理不尽に対する怒りが男へ返事をすることを妨げた。
「返事はどうしたのかなぁ~」
「……分かりました」
しかし鉄の棒で頭を軽く小突かれ俺は、歯を食いしばって意味のない意地を捨ててやっと返事をすると顔を地面に叩きつけられた。
そして言う事を聞かないペットへそうするかの様に強く紐を引っ張るため、俺は急いで立ち上がり男の後をついて歩き出す。
その後は悪態に反応しないよう我慢して通路を進んでいると、鉄で出来ていると思われるとても頑丈そうな扉が見えてきて。
側にいた前の男と同じ赤い制服を着た監督官が俺達に気づくと扉を開いき、その先には多数の鉄格子が両側に並んだ監獄の様な場所が広がっていた。
「お前はタイミングが良い。今日はもう就寝時間、仕事は明日からだ。
それまでにご同僚からしっかり仕事の内容を聞いておけよぉ~」
一番手前の鉄格子の扉を開きながら男はそう言って、俺を中へ放り込んでしっかりと鍵をかけなおして去って行った。
そして残されたのは芋虫のように地面に転がる無様な自分だけだ。
(くそッ! こんな所に居るわけには……! 早く! 早く俺は父さんを助けに行かなきゃいけないのに!)
どれほどの時間、気絶していたのかは分からないけれど、少なくとも俺の感情は未だにあの戦いの後から追いついていない。
物心ついた事から一緒に生きてきた唯一の肉親との別れをすぐに受け入れるなんて事は出来ず。
気持ちを立て直し、現状を理解して行動に移す。
なんて理性的で建設的な行いをする事もする気も今の俺には無かった。
……ただただあり得たかもしれない希望を夢想し、つらく信じがたい現実から目を逸らして自分を慰める事しかできなかった。
「――早速この場所の洗礼を浴びたな。待っていろ拘束を解いてやる」
そうして地面に額を擦りつけ涙を流しそうになっていた所へ、いきなり声を掛けられた俺は驚きとともに声の方を見る。
そこには全身が黄金色の体毛に覆われ、首元には逆立った毛が生えている動物の様な耳を持つのが特徴の――獣人族の男が暗がりから現れて俺を縛っている紐を解いてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
今の俺は奴隷なのだから一人部屋が与えられるはずが無いのだが、今の俺はそんな事さえ考える余裕が無く、突然人が現れた人に目を白黒させ固まっていると。
目の前に手が差し伸べられた。
「私はバロ。これから長い付き合いになるだろう。よろしく頼む」
「お、俺はネオ。ネオ・ゼーゲンです」
厚い皮膚に筋肉質な固い手を取って立ち上がった俺は粗雑な服に付いた土を払う。
その間にバロさんは床に敷かれている藁に布が被されたベッドと思わしき物に座り、反対側にある同じ藁のベッドを指さした。
「聞きたい事があるだろうが今日のところは寝ろ」
「ここがどういった場所かだけでも……」
「心配するな、明日教えよう」
「でも! 俺には時間が――」
「――落ち着け。早く寝ろというのは君のためだ」
声を荒げ俺は食い下がったが、冷静で落ち着いた声音のバロさんに諭される。
「明日は早く起床する、そうしなければ君にとって面倒事が起きる羽目になる
心配するな私が君を起こそう。」
そう言ってバロさんは俺に背を向けてしまった。
これ以上話を聞いてはくれなさそうだと、俺は仕方なく気持ちを落ち着けてベッドに横になった。
納得はしていない。
不満もある。
けれど現状出来る事が無いため俺はゆっくりと目を瞑った。
肌触りの悪く荒い布にその下から肌を刺す藁。
そんな人生最悪のベッドで何とか眠ろうとするが、尽きない疑問が眠りを妨げる。
父さんはあの後がどうなったか?
母親の事が組織に捕まっているとは? その目的は?
それにここはいった何処なのか? この先自分はどうなってしまうのか?
――どうやればこの場所から脱出できるか?
そんな答えの出ない疑問を考えているうちに眠気がやって来て。
こんな時でも眠れるんだな、なんて思っていた俺はいつの間にか瞼を閉じていた…………。
――体を触られた。瞬時、俺は飛び起きた。
こんな場所で熟睡していた自分へ怒りが湧き起こる中、急いで犯人を捜そうと警戒すると。
少し驚いた様な、怪訝な表情をしたバロさんが俺を見ていた。
「……ずいぶん気持ちよさそうに寝ていたな?」
バロさんに呆れた様にそう言われ、俺は恥ずかしさから頬が熱くなるのを感じる。
「そんな事よりも早く此処を出るぞ」
俺は気づいていなかったが、いつの間にか鉄格子の前には昨日とは違う監督官が立っており。
金属音と共に牢の鍵が開錠され、すぐさまバロさんが扉を開いて外に出る。
……そんな時になって俺は昨日出会ったバロさんを信じていいのか今更ながら迷い、鉄格子の扉に手をかけて止まってしまった。
「どうした?」
「いえ、あの……」
「…………信じろとは言わない。いや、こんな場所で人を信用しろと言う方が無理だろう。
だが、今この場に居たとしても仕方が無い事は分かるだろ?」
「たしかに……そうですね。分かりました」
確かにバロさんの言うその通りだ。
少なくともここに居たところで脱出への情報が手に入るなんて事はあり得ないだろう。
そう俺は納得して扉をくぐって外に出て、それを見たバロさんが歩き出そうとした。
「――おいおい、俺っち達も新人に挨拶させてくれや」
その時に、ガラの悪そうな獣人族の男達がちょうど隣の鉄格子から俺と同じ様に出てきて。
その集団の先頭に居た一回り小柄な獣人族の男が俺達へいきなり話しかけてきた。
「ハイデか、後にしろ。
この子には今から仕事を教えなければいけない」
「そんな寂しい事いうなよ~新入りにちょっとしたお節介を焼きたいだけだって。なぁ?」
笑いを堪えている様な下卑た笑みを浮かべて背後の仲間へ問いかけるハイデと呼ばれた男は、今度は俺へ視線を向けてきた。
「悪いことは言わねぇ新入り。
そいつはお前の様なか弱~い子羊ちゃんを食い物にする極悪人だぜぇ~。
ギャハ! ギャハハ!」
悪意をにじませた明らかに馬鹿にするような態度に、俺は逆にバロさんの事が信用できるようになった。
「そいつらに関わるな。今は私に付いて来い」
「いい加減にしろやバロ? これで何度目だ?
オルストの兄貴――」
全く取り合わないバロさんに苛立ったのか、ハイデが低い声で睨みつけるようとした瞬間。
いきなりバロさんが振り返って急速にハイデへ近づいた。
「な、何だよ! やるってのかよ! あぁ!?」
さっきまでの威勢とは裏腹にビビり散らかしている相手にバロさんは何をするわけでもなく。
ただただ上からハイデを見下ろしていた。
「……忘れたのかと、あいつに伝えろ」
そして結局何事も起きず。
バロさんはただ一言そう言うと相手に背を向けて歩き出したため。
部外者の俺はまったく事態についていけなかったが急いでバロさんの後を追った。
「後悔する事になるぞ新入り! そいつに付いて行ったことを!
――何てたってそいつは自分の部族を滅ぼした尾無しなんだからなッ!!」
去り際の負け惜しみが背にしながら、俺は淡々と目の前のバロさんに付いて行く。
相手の柄が悪すぎて比べるまでも無いのだが、挑発されても手を出さないところに俺はさらにバロさんが信用できると思った。
そうして黙って扉を通って牢獄部屋を出て。
ちょっと歩いた所の扉を潜ってつるはしの置かれた場所に到着すると、二本のつるはしを担いだバロさんがつるはし部屋を出て再び通路を歩きだす。
通路には疎らに俺達と同じようにつるはしを担いだ奴隷らしき人達が同じ方向へ歩いており。
俺達はその流れの中をしばらく無言で歩き続けていた頃、歩みを止めずにバロさんがいきなり顔だけ俺の方に振り向いた。
「……何も聞かないのか?」
「はい。気になりますが聞きません。
俺はまだあなたの事を知らないため不用意に繊細そうな話題には踏み込まないようにしています。
そのため、今はただあなたの言葉を信じてついて行くだけです」
「……そうか」
短くそう言って前を向いたバロさんだが、その表情は少し笑っているように見えた。
「今は採掘場に向かっている。目的はわかるだろ?」
「採掘場と言うくらいですから、さすがに分かります。
何を採掘するのかまでは分かりませんが」
バロさんは担いでいるつるはしの一つを俺に渡してきた。
俺は意外に重いつるはしを一瞬落としそうになるが、しっかりと持ち直し肩に担ぐ。
「それは私も知らない。教えてももらえない。
ただただ毎日土に壁を掘り進めるだけで仕事自体は簡単だ。何も難しい事は無い。
しかし仕事以外の面倒ごとが存在する。
分かるだろ?」
「……一応聞くのですが。
監督官は「争いを起こすな」って言っていましたが?」
「関係ない。
どういった関係かは知らんが、奴らは監督官と繋がっている」
「まぁ、でしょうね。
でなければあんな場所で堂々と因縁づけるはずありませんよね」
思った以上の劣悪な環境に俺はため息が出そうになる。
――だが、そんなことは今の俺にとってはどうでもよく、今一番聞きたく俺のとってなによりも重要な質問をバロさんへする。
「一つダメ元で聞くのですが――この場所から抜け出す方法ってありますか?」
「ない」
分かりきっている答えが返ってきた。
脱出方法を知っていればとっくに目の前のバロさんは逃げ出しているだろう。
「私達の解放条件は存在せず脱獄も現実的ではない。
その理由は簡単だ。
君はいま能力を使えるか?」
「え、能力ですか?
……自分は特定の物がないと使えないので」
「なら説明するがこの場所では能力の発動が行えない」
バロさんはいきなり力こぶを作り肉体美を見せつけてきた。
「……なんですか?」
「俺の能力は常時発動する再生力の向上だ。
しかし今は発動しておらず、腕に傷跡が残ってしまっている」
そう言われて確認すると確かに腕に傷があった。
「けれど、どうやって能力を封じているんです?
そんな技術聞いたことが無いですが」
「わからん。私が知りたいぐらいだ」
すっぱりとそう言い切られると逆に清々しく、言った後に奴隷の自分達がそんな事知りえるはずがないと気づいた。
(あの監督官が自信満々に言っていた『生きて出た者が居な』ってのもかなり信憑性がありそうだ)
――能力を封じる。
もしも本当にそんな技術があるのなら、間違いなく戦争――いや、世界の在り方さえ変えてしまえるとんでもない技術だ。
だがそうなると別の疑問が浮かび上がる。
どうしてそんな技術がこんな奴隷施設如きにあるのだろうか?
「――全く脱出への希望が無い。と、いうわけでも無い」
バロさんは立ち止まって振り返り俺の耳元に顔を寄せ小声で話を続けた。
「この場所には有名な科学者が捕らえられているという話がある。
能力封じる技術と科学者。
もしその人物に合えれば何らかの糸口が見つかるかもしれんな。」
「科学者……ですか。
本当にこんな場所に?
どう見たって肉体労働の場所じゃないですかここ? とても研究をするような場所には見えませんが?」
「君も人の事を言えんぞ」
(…………確かに。
改めて考えるとどうして俺はここに連れて来られた?
獣人族や人族にドワーフ族などは分かるが、能力の使えないゴブリン族の俺の採掘効率なんてたかが知れている。
……誰でもいいから集めている……とかか?)
再び歩き出すバロさんの後に続きながら俺はこの疑問について考えるが、あまりにも情報が少なすぎる。
そして明確な脱出の糸口も見つからず僅かに焦りが募るが、今は何もできる事は無く落ち着いて情報を集める事に集中するしかない。
(今はバロさんの言っている事を信じて科学者を見つる事。
そしてここを脱出し父さんを探しに行く事。
これらが今の俺の目標だ)
気持ちを落ち着かせるためにとりあえずの方針を決めた頃。
やっと歩き続けた通路が終わり広い場所へ出た。
「着いたぞ。ここが採掘場だ」
目の前には広い円形の空間が広がっており、その空間の中心に向かうごとに地面が段々と窪み巨大な階段の様になっている。
辺りには多数の手押し車や袋などの道具が散乱し、あちこちの壁が削られてへこんでいる。
「場所はどこでも構わない。
そこらの壁を削ってその土を運搬する。それが仕事だ」
「そ、そこらへんの土を運ぶんですか? 何か特殊な土だったりしないんですか?
本当にただの土を?」
「そうだ」
(おかしな所が多くないか?)
連れて来られてから疑問ばかりが増えていく。
能力を封印する謎の技術。
科学者や俺みたいな子供を連れてくる無計画さ。
そして目的の分からない採掘。
(そもそも採掘場と言いながら土を掘るだけなら資源が目的じゃない可能性があるよな?)
この場所はおかしな点がいっぱいあり、そのどの要素も結びつかない。
俺は他にこの場所で何か情報は無いかと辺りを見渡すと赤い服を着た監督官の姿が見えた。
そして、その姿に俺は何処か見覚えがある気がして目を凝らしてよく見ると、案の定俺をここに連れてきた太った監督官が居た
……のだが、その隣には。
生まれてから初めて見る青いロングストレートの髪。
とても整った顔出しで華奢な印象を受けるスレンダーな体をした女の子。
そんなこの場にまったく似つかわしくない女の子がつるはしを持ち。
鼻の下を伸ばしたにやけ面の監督官に手取り足取り教えてもらいながら豪快に採掘を行っていた。
※この話に関して。
一度手違いによって投稿し、その後削除いたしましたことをお詫び申し上げます。
読者の皆様におかれましては、混乱を引き起こしてしまいそうな誤操作をしてしまった事、誠に申し訳ございませんでした。
今後はこのような事が起こらぬよう注意いたします。
改めて申し訳ございませんでした。






