第二話・反転の出会い
体の輪郭が分からないほどサイズの大きな、しかし手首や足首付近はキュッと締まって動きやすくされている黒い服に身に纏い。
腰ほどまで伸びた赤い髪を、ポニーテールに纏めた女性が俺の目の前に音を立てずに着地した。
「だ、誰だ!?」
俺は驚きながら明らかに怪しげなその女性から距離を取る。
「ちょっと、静かにしなさい! 後ろの奴らに気づかれるでしょ!」
そして、素早く財布から銀貨を数枚取り出した臨戦態勢を取り警戒をしたのだが。
意外な事に目の前の女性は脇道の先の人攫いに気づかれることを警戒しており、どうやら仲間ではない様子だった。
「まったく、いきなり取り乱さないでよね」
「……は? いや、誰だって上から人が降ってきたら警戒するだろ。
というか、結局誰なんだよ?」
子供でも叱るかの様に人差し指を突き付けられ理不尽に怒られた俺は、少し頭にきて語気を荒げて目の前の女性の正体を問い詰める。
「そんなことは今どうでもいいわ。
――あんたちょっと躊躇したでしょ? あの子達を助けるのを」
だが、帰って来た言葉に俺は自分の心臓が飛び跳ねたかと思うほど衝撃を受けた。
「お、おまえって、もしかして――」
きつく睨むかの様に見つめるてくる目の前の女に対して、俺は震える指を目の前の女性に突き付けた。
「俺の……ストーカー?」
「――違うわよッ!」
小声で怒鳴るという器用な怒り方をした女性は、ため息を吐いてすぐさま気を取り直した。
「昼間は車? ってのに轢かれそうになった方はすぐさま助けに動いたのに。
あの子供達が誘拐されているってわかった時には、すぐに動かず何を考えていたのって聞いているの」
「それは……まあ自業自得とはちょっとは考えたさ、でも俺は……。
ってどうしてそんな事を初対面のお前に――」
「言われなければいけないんだ」そう俺は言葉を続けようとした。
しかし、目の前の女性は髪色と同じ真っ赤な侮蔑の色を孕んでいる瞳が、俺を睨みつけているのに気づきそれ以上言葉が出なくなってしまった。
「そんなつまらない事を考えていたの……呆れた。
それってつまり自分が気持ちよく助けられるかって考えていたという事よね?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「じゃあさっきも言ったけれど、どうしてすぐに動かなかったの?
自業自得って考えるという事は、あの子達を助ける行為が正しいのか疑問に思ったって事でしょ?
それってはっきり言わせてもらうけど――偽善っていうのよ?」
「ぎ、偽善!?」
あんまりな言葉に俺は自分の頭に血が上るのが分かった。
……しかしどこか冷静な部分が。その言葉が全て間違っているわけでは無いと訴えてくる。
昼間のクロさんを助ける時には何も考えず体が先に動いたのに。
兄妹が袋から見えた時には自業自得とか考えてしまった事は、兄弟の安否より確かに自分の価値観を優先したと言われても仕方が無いと思った。
だが……。
「……たしかにおまえの言う事には一理ある。
心の片隅では助けるべきかどうかを自分の価値観に垂らし合わせて判断した、そう言われたら否定することは出来ない。
――けれど、どうしてそれを助けに行こうともしないお前に言われなきゃいけないんだ?」
俺は強く銀貨を握りしめながら逆に女を睨みつける。
そもそも目の前の相手にそんな事を指摘されて非難される言われはないはずだ。
「そ、そ、それは…………あたしには事情が……」
「事情? そうなのか。じゃあ俺と変わんないな。
おまえも双子より自分を優先しているじゃないか」
「うぐッ!?」
目の前の女は攻撃を受けたかのように、自らの体を抱いて一歩後ろへ後ずさりって顔を俯かせ。
そして、再び俺を睨みつけるために上げた顔はまるで真っ赤に熟した果実の様に色に染まっていた。
「は、恥ずかしくないの!? 図星を突かれて逆切れなんて!?」
「――あ、馬鹿! お前大声を!」
女はプルプルと震えながら俺を指差しながら発した大声は路地裏に大きく響いた。
「だ、誰だお前ら!?」
「くそ見られた! さっさと逃げるぞ!」
その結果、俺達の存在は誘拐犯に気づかれてしまい。
男達は兄妹の入った袋を急いで担ぎ、すぐさま走って逃げ出してしまった。
「ちッ! 待て!」
俺は舌打ちをし、道の真ん中に突っ立っている女を腕で押しのけながら急いで男たちの後を追った。
しかし、こんな事をしているだけあって男たちの足は思いのほか速く、必死に走っても追いつきそうになかった。
「ちょっと! 突き飛ばすなんて酷いじゃない!」
そうして男達との距離がだんだんと離れながらも必死に走っていると、いつの間にか女が楽々と俺と並走してきた。
「元はと言えばこんな事になったのはお前の所為だろ!
というかどうしてついて来たんだよ! 助ける気が無い癖に!」
「た、助ける気はあるわよ! ……気は……あるのよ」
溜まっていく疲労と必死に走っても追いつけない苛立ちから俺はぶっきらぼうに女へそう言う。
決して俺は責める気は無かったが、女は責められていると感じたのか顔を俯かせ、横顔しか見えないがその表情から複雑な感情が見えた気がした。
(この女の考えている事が全て正しいとは思わない。
が、少なくともかなり正義に対してかなりの潔癖症的な気持ちを持っている事は分かった。
それならばどうしてこいつは子供を助けに動かないんだ?)
息を切らせる事も無く、何やら思案する女の様子からはまだまだ体力に余裕があるように感じられ、間違いなく誘拐犯たちを捉える力を持っているはずだ。
「……さっき偽善とか俺に言っていたよな?」
「え? え、ええ言ったわ。な、何よ、反論でもあるのかしら?」
唐突な俺の言葉に女は少し驚いた様子で俺を見た。
「お前に言わせれば確かに俺の動悸は不純だったのかもしれない。
偽善だったのかもしれない。
――けど動かない正義より動く打算の方がこの場合は大事なんじゃないのか?」
「……」
俺の言葉を聞いて強く歯を食いしばって睨みつけてくる女を見て、改めて女の正義感の強さを感じた。
間違いなく俺なんかより高潔な志を持っているのだろう。
「いま動かなかったらお前の正義はなんになるんだ?」
「そ、それは……そうだけど……――ッ!?」
何かに耐える様に顔を顰めた女は、次の瞬間には勢いよく俺の方に明るい顔を向けてきた。
「そうよ!
あんた助けを求めなさい!」
「た、助け……? 助けって、言われても……」
俺は女の言葉に従って辺りを見渡すがそれらしき人影は見当たらなかった。
「どこ見てんのよ! あたしによあたし! そうすれば言い訳ができるわ!」
「い、言い訳? な、なんだよそれ……」
出そうになったため息を何とか堪える。
人にあんなに言っておきながら、目の前の女はその程度で解決するような事を悩んでいたと呆れた。
だが、俺を見つめる女の瞳を見てその考えが間違っていると気づいた。
あまりに真剣で燃える様な決意がその瞳には灯っていたのだ。
「分かった」
俺は深く頷いて真っすぐに女の瞳を見つめ返した。
「――どうか助けて欲しい。あの子達を救いたいんだ」
「アビリティエンハンスレッグ:アディションジャンプ!」
瞬間、隣で爆発したかのような砂煙が立ち昇った。
いきなりの出来事で思いっ切り砂を吸い込んでしまった俺は、咳をしながら女の姿を探すが見つからなかった。
しかし、誘拐犯達の足元に不自然な影が出来ていることに気づき、俺はまさかと思いながら上空を見上げると。
なんとさっきまで隣に居たはずの女が高く上空に飛び上がっている姿が見え。
そして、赤いポニーテールをたなびかせながら俺の前に現れたように無音で男たちの目の前に降り立った。
「追いかけっこは終わりよ。大人しくその子達を解放しなさい」
「こ、この女どこから!?」
「おい! 別の道を通るぞ!」
突然現れたように見えた女に驚いた誘拐犯は、逃走ルートを変えようと後ろを振り返った。
「アビリティエクスチャンジ:レイピア」
が、そこへ俺は能力を発動して狭い道でも使いやすい細剣を作り出して行く手を阻んだ。
「なんなんだよお前ら! 邪魔をすんじゃねぇ!」
誘拐犯たちは逃げられない事を悟りって双子の入った袋を下ろし、ナイフを構えて俺達を一人ずつ対処する事にしたらしい。
正直俺はこれが初めての実戦だったが、父との武術訓練の方がよっぽど威圧感があった。
「ど、どうした? ご、ご立派な剣を持っているくせにかかって来ないのか?」
(腰が引けている……)
相手も俺と同じで戦闘に慣れていないのかひどく緊張した表情で顔が引きつっており、それを隠すかのように無理やり歯を見せて笑いこちらを挑発してきている。
そんな見え透いた虚勢から出た挑発には応じず、俺はいっさい攻撃せずに刃を向けたまま相手の出方を伺う。
高まった緊張が人をどのような行動に走らせるかは、父との戦いでの自分の行いからよく知っている。
「ビ、ビビってんのかよ! おい!
く、くそ! ならこっちから行ってやるよ!!」
そうしていると案の定、緊張に耐えきれなくなった男がナイフを大きく上に振りかぶりながら突進してきた。
俺は内心ほくそ笑みながらも冷静にその攻撃を剣で攻撃を受け止める――フリをして力を後ろへ受け流して誘拐犯の体勢を崩そうとした。
けれど、意外な事に誘拐犯は何とか踏ん張って追い抜いて背後にいる俺へ振り返りながらナイフを振るってきた。
だがそれもまた俺は冷静に最小限の動作で受け流した。
(……すこし様子見をしすぎたな。けれどこれで相手の力量は大体分かった!)
「小賢しく戦いやがってッ!!」
おちょくられていると思ったのか、男は力を込めながら思いっ切りナイフを振り上げた。
――俺は明確な隙を見逃さずに一息で男の懐へ飛び込み、振り上げられて頂点に達しているナイフへ剣の切っ先添えて制した。
そして、振り下ろせなくなって伸びきった相手の腕を掴んで足を引っかけながら押し込めば、男は尻もちをついて転倒し。
落としたナイフを遠くへ蹴り飛ばした俺は誘拐犯の眼前に剣の先端を突き付けた。
「顔面に入れ墨でも彫ってやろうか?」
「ひ、ひぃ! こ、降参! 降参だ!」
男は怖れ慄き両手を上げて降伏の意志を示した。
しかし、俺は警戒を解かずに横目で女の方の戦況を確認すると。
「二人とも大丈夫? 怪我はしてないかしら?」
「うぇーん! お姉ちゃん!」
「あ、ありがとう。グスン、ございます!」
女はもうとっくに相手をしていた誘拐犯を民家の壁へ上半身を突き刺して気絶させ、すでに袋から兄妹を助け出して紐を解いてあげていた。
俺は戦闘が終わった事に無意識に一息つき。
助かった双子を見れば、女の子は女に抱き着いて泣いており、男の子のほうも目に涙をためて今にも泣きだしそうだった。
(よっぽど怖かったんだろうな――当たり前か)
荒く痛みを伴い縄の感触。
嫌な臭いを放つ布に閉ざされて何も見えない暗闇。
それらがどれだけの恐怖をもたらすのか、俺自身が過去に経験した事があるから分かっている。
だから、俺は双子が助かった事を心底安堵した。
……そしてルーナの言った通り、一瞬でもあの子達の自業自得とか考えた自分を今更ながら強烈に恥じた。
けれど今は双子が無事に助かった事を素直に喜ぶことにした。
――その後。
双子を住居まで護送した俺達は、気絶させて紐で縛った誘拐犯を警察に突き出すため表の道に戻ろうとしていた。
「……ここまでね。
それじゃあ、あたしはここで去らしてもうわ」
そう言って女は脇道が終わって表へ出る直前に屋根まで飛び上がった。
「はぁー後始末は俺って事ね」
「しょ、しょうがないでしょ!
……それと……ごめんなさい」
俺の言葉に勢いよく反論してきたためまた減らず口でも飛んでくるかと思ったら、意外な事に女はしおらし気に謝罪してきた。
「いいよ別に俺も思う所があったし、それに結果的には助かったんだから。
……あ、じゃあ最後に名前だけでも教えてくれない? 俺は――」
「――ネオ・ゼーゲン……でしょ? 知っているわ。
今回は特別に教えてあげる。
あたしはルーナ。月原のルーナよ」
「な、なんで俺の名前を……?」
「それは……言えないわ。けど遠からずまた会うかもね」
そう言い残してルーナはすぐに姿を眩ましてしまった。
どうして俺の名前を知っているのかとか、昼のクロさんとの事を知っている事とか、いろいろと聞きたい事はあったのだが。
(やっぱりストーカーなんじゃ……)
そう思いながらも、とりあえず俺は誘拐犯を警察へ突き出し事にした。
……そして、本日二度目の聞き取りを受ける羽目になった。
「――たっだいま~! ネオ~父ちゃんが居なくて寂しかったかにゃ~?」
「お帰り父さん」
二度も余計な時間を取られた俺はあの後急いで市場へ向かい、廃品かの様に荒された売り場から食材を買って夕飯を作り父さんの帰りを待っており。
作り終わったちょうどに玄関から父さんの声が聞こえてきたため、急いで根菜のスープと豆麦のバゲット。
そして丸豚のステーキを食卓へ並べた。
「おぉ~! 今日は豪華じゃないの~!」
「今日は父さんへの感謝を込めて俺の小遣いから買ったんだよ」
「えぇ~!?」
言うと決めていたのに気恥ずかしさを感じて俺は顔を背けた。
今日の出来事で思い出した過去に誘拐されて父さんに助けられた事。
その事件から俺が強請って武術を教えてくれた事。
……そして何よりも今日まで男手一つで俺を育ててくれた事に感謝したくなったのだ。
「ネオ~!」
顔を破顔させた父さんが勢いよく俺の肩に腕を回し、朝と同じように髪をくしゃくしゃに撫でまわしてきた。
(……止めとけばよかったかも)
俺は過剰なスキンシップに若干後悔し始めたが、されるがままに父さんの気持ちを受け止め続けた。
「もうやめて父さん! 料理冷めるからさっさとたべよう!」
だがいい加減鬱陶しく感じた俺は、父さんを引き剥がして食卓へ強制的に座らせた。
けれど父さんは未だに顔をニヤつかせていたため、いつまたダル絡みされるか分からないと感じた俺は急いで今日の出来事を話して気を逸らす事にした。
「今日はね父さん。
父さんと練習した武術が役に立ったんだよ」
スープにスプーンを沈ませながら軽い気持ちで俺は話し始めたのだが、次の瞬間バゲットを千切りスープへ浸そうとしていた父さんの表情が固まった。
「え? 武術? 武術が役に立った?
それって……誰かと戦ったって事? ――戦ったって事!?」
父さんは勢いよく席を立ちあがると、椅子に座る俺の体中を無造作にまさぐり傷が無いかを確認し始めた。
「大丈夫!? 玉のお肌に傷は!? 何もされなかった!?」
「お、落ち着いて父さん! スラムで攫われそうな子供がいたからルーナって人と一緒にチンピラと戦っただけだって!」
俺はそう言いながら再び父さんを引き剥がす。
余計な話をし出してしまったと思ったため話題を変えようとしたが、父さんが根掘り葉掘り詳細に聞いてくるため結局、今日の出来事を全て話すことになってしまい。
昼間の出来事から話し始めた。
……のだが。
「父さんが家を出た後に俺も買い物に行ったんだ。
その時にクロさんって言う灰色の肌をして、身長がとんでもなく大きな人と――」
「――灰色の肌?
それに身長が高い?
…………ごめんネオ。ちょっとその人の事を詳細に教えてくれない?」
クロさんの事を話そうとした瞬間、父さんの雰囲気がガラっと変わったのと感じた。
どことなく緊張感を漂わせ、いやに真剣な目で俺は見つめられた少し気圧される。
「え? う、うん。
えっと、服装や体つきとかはマントを羽織っていたからよくわかんないけど。
身長は……俺の二倍ぐらいだから二百六十センチぐらいかな?
それで肌はさっき言った通り灰色で。瞳が黄色かったよ」
「二百六十センチ……灰色の肌……黄色い瞳」
父さんは俺の話を聞くと顎に手を当てて考え込んでしまった。
「――ネオごめん! ご飯は後で食べるよ!
父ちゃん今からちょっとやる事が――」
そう言って唐突にスプーンをテーブルに置いて父さんが立ち上がろうとしていると、外からなにやら物音が聞こえた気がした。
――次の瞬間に俺はいきなり父さんに服を掴まれ、乗っている料理ごとひっくり返されたテーブルの陰に引きずり込まれ。
そしていきなり車でも突っ込んで来たのかと思うほどの轟音と共に、道路に面している自宅の壁が粉々に吹き飛んだ。
「な、なんだッ!?」
「――ネオ! 僕の傍を離れないで!」
突然の出来事に混乱していた俺に父さんは優しく、しかし厳し気にそう言い俺はただただ頷いた。
しかし、無意識のうちに状況がどうなっているのか知りたかった俺は、少しだけテーブルの陰から顔を出して壊された壁の方を見た。
壁には大きな穴が開いており、そこに立ち込めている砂煙の向こうには人影が浮かんでおり。
その人影はとても大柄で、月明かりを背後に壊された壁の穴を屈んで通ってくる。
そして、砂ぼこりを通過してしっかりと見える様になったその人物は、分厚くて黒い重厚な斧を担ぎ漆黒の鎧を身に纏っている。
――昼間に出会ったクロさんだった。