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第十二話・斯くあるべきプライド

 どろりとした鉄の味をした液体が口内にある舌へ垂れる。

 熱と鈍痛のする頬を抑えながら、俺は険しい顔をした監督官にベッドの上で呆けていた。


「なに……が……?」


 不貞寝する前には、まさかこんな事態になっているとは思っておらず。

 俺は寝起きの特有の霞がかった頭では、しっかりと状況を理解しきれなかった。


「まだ寝ぼけているのか! さっさとベッドから下りろ!」


 そうしているとベッドを囲っている監督官の一人が、苛立ちの声と共に俺の髪を鷲掴みにしてベッドから引きずり降ろし、そのまま牢の外まで引きずって行く。


「酷い事はおやめください! ネオ! 大丈夫ですかネ――もご!?」


「こら、暴れるなって! 君もああなりたいのか――て!? な、何だこの馬鹿力は!? お、おい! 誰でもいい手伝ってくれ!」


「んん! んんーーー!!」


「止めろ! リエルに手を出すな!」


 ずっと俺の事を呼び続けていたリエルの声がくぐもり。

 俺は何とか監督官の手を振りほどこうと暴れるが、ただただ髪の毛が抜ける結果にしかならなかった。


 そして、抵抗むなしく牢の外まで連れて来られた俺は無造作に手を離され、誰かの足元に四つん這いに倒れ込んだ。


(何が起きているんだ!? もしかして女装がバレ――)


「――貴様が当職の手を煩わせる異分者か?」


「だ、誰だ……?」


 頭の中で渦巻く混乱がいつまでも収まらずにいると、頭上から渋く低い声で話しかけられた。

 その声の人物を見上げようとした時。 


「貴様! 何だその言葉遣いは!」


 すぐ傍に居た監督官に頭を踏みつけられ、顔面を地面と靴裏にサンドイッチされた。


「貴様ごときゴミ鼠が! 許可なく所長の顔を見ようなどと――!」


「……余計な事はするな。これでは話が進まん」


「は、はッ! 失礼いたしました!」


 呆れたような、疲れたような声が頭上の人物から発せられると、俺の頭を踏みつけていた足は速やかに退かされた。


(今、所長って言ったか? 

 ……それが本当なら、足元しか見えないこの目の前の人物がこの地下奴隷採掘場で一番偉い人物……)


 暴力的な監督官を従えて強靭な肉体を持つ獣人族のオルストらを収監し、この悪辣な施設を運営している所長。

 その人物が一体どんな姿をしているのか俺は気になり、懲りずに再び顔を上げる。


 ――するとその姿は俺の想像とはかなり異なっていた。


 監督官達と同じ赤い色の制服ながら、かなりの高級感を感じさせる意匠が施され、皺なども一つもなく折り目正しく、かといって新品ではなく。

 その服から垣間見える首元や手首などで、かなりの筋肉質な肉体をしている事が分かる。


 パッと見、やり手の商人の様な、規律正しい軍人の様にも見える人物は、とてもこんなアングラな施設を運営している様な人物には見えず。

 加えて、とても目を引く特徴があった。


 ――それは身長だ。


(こんな小柄な人物が、荒くれの様な監督官共を仕切っているのか?)


 その身長は周りのゴブリン族の監督官達よりもかなり低く、子供かと見間違うほどにとても小柄だった。


「では早速話を始めさせてもらう。これ以上当職は貴様に時間を割きたくないのでな」


 この場所にはまったく似つかわしくない清潔感を纏った小柄な人物が、此処の所長だという事が俺にはとても理解しがたく目を丸くして驚いた。


「これから行うのは貴様の問題行動の結果行われるイレギュラーな尋問だ。

 当然、当職のスケジュールには組み込まれていなかった。

 そのため手短にかつ素早く質問に答え、これ以上当職に手間をかけさせてくれるな。

 ……わかったな?」


 そんな固まった俺に対して膝を折りって視線に合わせ、引きずれる時に付いた体の土を落としてくれる気遣いをかけてくれる。

 が、そんな優しい姿勢とはうらはらに、所長の瞳はとても冷たく。

 口調もどこか機械的で、俺はその不気味なギャップに気おされて素直にうなずいてしまった。


「よろしい、では最初の質問だ。

 どうやって牢の鍵を壊した?」


(は? か、鍵?)


 一体どんな質問をされるのか?

 それは女装の事だろう、と思っていた所に、全く考えてもいなかった事を聞かれ、想定していた答えが全て吹っ飛び。

 俺は頭の中が真っ白に染まって思考が止まってしまった。


(鍵って、何だ……ん? 鍵……?)


 どう考えてもこんな事態になる要因など、女装して忍び歩いた事しかないと思っていたのだが。

 俺はそこで現状は大丈夫だと判断して、頭の片隅にへと追いやっていたある事を思い出した。


(鍵ってリエルの壊した――だから、だからか! 監督官達がこんなにも集まったのは!

 能力を使えない地下で俺達があんな鍵を壊したとすれば、こいつらにすればかなりの非常事態に違いない!)


 俺は舌打ちが出そうになるのを何とか堪えた。

 それと同時に新たな疑問が生まれる。


(……しかし、そうなると一体どうやって気付かれたんだ?

 どうして今頃なんだ?

 そのリスクには最初から気づいていたけれど、朝食を持ってきた監督官や見回りに来る監督官も誰もが鍵の事には気づかなかった。

 だから露見するにはまだ時間があると思っていたのに)


「――どうやら何か知っている様だな?」


「ッ!」


 いつの間にか俺の瞳を覗き込む様に顔を近づけ放たれた所長の言葉に、俺は心臓が飛び跳ねた。

 深く考え込んで黙ってしまった事で、所長へ『原因を知っている』と言外に伝えてしまった。


「し、知らない! 何も知ら――」


「――危機感が足りていないな?」


 自らの迂闊さを呪いながらも何とか事態を挽回できないかと急いで否定の言葉を発した。


 ――その瞬間にいきなりアッパーが顎へ向かって放たれた。


 俺は唐突な攻撃に驚いたけれど何とか右手を動かしてガードする事が出来た。


 が、思いのほか強い力によってそのガードの上から顎を殴られ、俺は勢いよく吹き飛び(壁際に居た監督官が急いで捌けて)そのままの壁へ激突した。


「当職は『手間をかけさせるな』そう言ったはずだ。

 どうやらしっかりと聞こえていなかったようだ」


 腕の骨が折れたかと思うほどの腕の痛みを感じる。と、共に揺れる視界で所長がゆっくりと近づいてくのが見えた。


「もう一度チャンスをやろう」


 所長は再び俺の前に片膝をついてしゃがみ、俺の髪を掴んで無理やりその無機質な瞳と視線を合わせてきた。


「牢の鍵はどうして壊れ。そして貴様の目的は何だ?」



「……」


 俺は唾を呑み込み冷や汗を流す。抵抗は限りなく無意味だ。

 目の前の所長を倒せたとしても、周囲には多数の監督官達が居り間違いなく負けるだろう。


 ……冷静にそう分析していた時。

 俺はふと自分の手が、いや――体が震えている事に気がついた。


 今まで自分の持つ力として、戦う時には常に意識していた『能力』が使えないと言う事実。

 その意味。その実感。その絶望を今やっと理解した。


(こ、こんな所で。お、俺には地上に戻って父さんを助けると言う使命が……!)


 俺と言うお荷物を背負ってクロと戦い捕まった父さんを助け出す、その思いで何とか自分を奮い立たせようとするが。


 多対一と言う絶対に勝てない状況。

 今まで当たり前に使い、戦闘方法へ組み込んでいる自分の力が封じられている事。

 リエルも捕まり。バロさんや、それこそ協力者リライアンなども頼れず。

 ――そして、俺が死んで父さんが一生囚われのままになってしまうと言う想像。


(そ、そうだ! 一言リエルがやった――一体何を考えているんだ俺はッ!?)


 それらが俺の心の仄暗い部分を刺激し、こんな状況を切り抜けられる方法はこれしかないと囁いた。

 結局の所俺かリエル、または二人とも助からないのならば。

 俺が優先するべきは、一番父さんを助けられる可能性が高い『地下から無事に脱出できる』選択肢。


「…………俺は」


 ――そんな己の薄汚い心に途轍もない羞恥と怒りの感情が爆発した。


(俺は俺は俺は――俺はッ!!! 何って情けない事を考えてッ!

 仲間を己の目的のために犠牲にする? それが最善? どうせ助からないのなら?

 そんな屑みたいな言い訳を一瞬でも考えた自分をぶん殴りたい!

 たとえその選択肢で父さんを助けられなかったとしても! 俺が死んだとしても!

 大きな後悔をしたとしてもッ!

 ――父さんに顔向けできない情けない生き方だけは絶対にしないッ!!!)


「――俺は何も知らないッ!!!」


「ぐッ!?」


 俺はいきなり立ち上がりながら髪を掴んでいる所長の腕ごと頭突きを放ち、所長の顔面に命中させた。


「おまえらの様な下種下劣な者達に話す事なんて何もないッ!」


 頭突きを受けよろめいた所長へ俺は追撃の右手ストレートを放ったが、その攻撃はあっさりと所長に掴まれてしまい。

 仕切り直しをしようと俺は拳を引っ込めようとするが、掴まれた拳がビクともしなかった。


「……なるほど。高潔で好い心持だ」


 しっかりと立ち直して俺へ視線を合わせた所長の瞳は、さっきの無機質さとは異なり歓喜の色が見える。


「しかし、それを蛮勇と言うのだ!」


 そして、必死に拳を引っ込めようとしている俺に向かって、初頭の衝撃波を生みそうなほどに迫力のある右ストレートが放たれ。

 回避する事もできなかった俺の顔面に命中する。


 ――その直前。


「――させませんわ!」


 青が俺の視界一杯に広がって地下に似つかわしくないフローラルな匂いが香り。


「なに……?」


 自身を拘束していた数人の監督官が投げ飛ばして俺の前に来たリエルが、所長の攻撃を両手であっさりと受け止めた。


「これ以上ネオが傷つく事を見過ごすわけにはいきません!」


 そしてすぐさま投げ技と思われる動きに移行しようとした瞬間。

 所長は俺の拳を離し、リエル手を振り払って離脱した。


「リ、リエル!」


「大丈夫ですかネオ? ここは私にお任せください」


 そう言って俺の方を振り返り優しく微笑んだリエルに俺は罪悪感を覚えた。

 こんな女性を自分の都合のために生贄にしようとしたのかと、情けなさに涙が出そうになる。


 そして、所長の方を向き対峙するリエルの背中からは「二人でこの場を切り抜けましょう」と言う意志が感じられた。


 ……けれどそのリエルの行為は、この場において悪手以外の何物でもなかった。


「じゃ、邪魔んなッ!!」


「――え?」


 突然の俺の怒号に振り返ったリエルは酷く驚いた顔をしており、その表情を見た俺は心に痛みが走ったように感じられ口元が震える。

 けれど、覚悟を決めて言葉を吐き続ける事は止めなかった。


「余計なお世話なんだよ!

 同じ牢になってからずっといい子ちゃんな行動ばっかりしてさ!

 はっきりいうけど――ウ、ウザいんだよ!」


 言ってしまった。どうか分かって欲しいと思いながら。

 

 この場において間違いなく最悪なのは、俺達二人共が行動出来なくなってしまう事。

 そうしたらどうあがいてもリライアンへ情報を伝える事が不可能になってしまう。


 だから、リエルとの関係を悪く見せて何とか俺の単独犯に思わせてリエルを守ることを決意した。


「ネオ……」


 俺は返事が怖く、リエルの事を水に腕で押しのけて強引に前に出る。


「フン……なるほどな。やはり貴様の事を当職は嫌いではない

 本当か否かは分からないがその心意気を買おう。

 ――諸君らは命令あるまでその場で待機しろ!」


 俺とリエルの行動に殺気立ち、今すぐにでも俺達へ飛びかかってきそうな監督官達は、その所長の命令に困惑して騒めき出した。


 けれど、しっかりと命令は守られて監督官達は一歩後ろへと下がる。



「チャレンジだ

 もしも当職に勝てたのなら貴様を地上へ返してやろう」


「……なに?」


 脈絡のない突然の提案に俺はとてもじゃないが信用できなかった。

 けれどみすみす地上への切符を見過ごすわけにもいかず、挑戦に心を惹かれてしまっている。


「……負けたら?」


「何もない。

 強いて言えば当初の予定通り拷問室へ連れて行く、洗いざらい情報を吐いて貰う事か」


 所長はそう答えながら上着を脱ぎ、付近にいた監督官へ渡した。

 渡された監督官はすぐにキチンと制服を折り畳む。


「心意気を買ったといっただろう?

 久々に出会った骨のある若人への餞別だ」


 服の下から現れた肉体はとても均整の取れており。

 猛獣が長年使い続けて戦いへと最適化されたかの様な筋肉が付いていた。


「当職は能力を使わず、戦いの先手も貴様へ譲ろう。

 さあ、どこからでもかかって来い!」


 そう言い左手の手の平を俺に向け、右手を引き絞った構えを取った所長は初めて表情を変え笑った。


(体格は俺の方が有利だが間違いなく力は負けている)


 俺はもうすでにチャレンジを断ると言う考えは無く、結局戦うのなら誘いに乗ってみると決めた。


 そして、俺も拳を構えてじりじりと相手の周りをまわって隙を探るが、所長はスムーズな足さばきで体の向きを変えその動作に一切の淀みが無かった。


「ハァッ!」


 一周周り終えて隙が見つからない以上、これ以上睨み合いを続けても意味が無いと思い。

 俺は軽く左のパンチで軽く牽制を放つ事にした。


「小手調べか」


 それをつまらなそうに所長は弾き。


 ――その瞬間に俺は思いっ切り相手に踏み込み素早い右のパンチを放つ


「ほう、フェイントか。一発目から仕掛けるとは豪胆な

 しかし所詮は小技にすぎぬ!」


 一瞬驚いた表情をした所長だったが、あっさりと俺のパンチを回避され伸びきった腕を掴まれた。


「く! 外れない……!」


「残念だがもう決着だ。一撃に賭けた代償を払ってもらうぞ?」


 掴まれた腕は簡単には振り解けず、そのまま捻り上げられて腕を固められそうになった。


(なんてな!)


 だが、それこそが俺の狙い。正攻法で勝てないから行った二重のフェイク。


(この、腕を捻られる状況こそが俺の望んだ展開!)


 速攻で戦いを決める事には変わりないが、そのためにいきなりフェイントを行ったわけでは無い。

 相手に失敗させたと思わせる罠。

 ――本命は、別だ。


(父さんが言っていた。戦いの基本はどれだけ相手を騙せるかだと……!)


 背中側に回って関節を極めようとする相手の動きに逆らわずに、俺は体を左へ半回転させて。


「なんだと!?」


 そのまま右手で相手の肩を掴んで宙返りを行った所為で、相手は自身の腕を背中側まで上げる事になり。

 そのせいで相手の握力が下がり、あっさりと腕の拘束を外して俺は万全の状態で無防備な所長の背中へと着地した。


「――ここだぁーー!」


 そして、その背中に向かって俺は渾身の右ストレートを叩き込んだ。


 ……叩き込んだ……はずなのに。


「な、なんて肉体なんだ!?」


 全力の一撃を無防備なところへ打ち込んだのに所長の体は小動もせず。

 パンチの感触もまるで鉄板でも殴っているかのように固かった。


「戦い方は当職よりもうまい。見事に意表を突かれた。

 しかし圧倒的に肉体の鍛錬が足りんッ!」


「まず――ぐぁ!」


 俺は渾身の力を込めたせいで動き出しが遅れてしまい。

 所為で所長の裏拳が身長差から脇腹に直撃した。


「ゲホ! オゲ!」


 抉り込むような裏拳に胃と肺が圧迫されて空気と共に内容物を吐き出しそうになったが、何とか耐え。

 何とか耐えて、すぐさま一旦離脱しようとしたが、足が震えて言う事を聞かず。

 既にもう、所長が俺の方を向いて次の攻撃を放とうとしており、逃げられないのならばと俺はすぐに破れかぶれのパンチを撃つ。


「弱い!」


 けれど、そんな痛みで力の入っていない俺の拳が所長のパンチに勝てるわけが無く。

 ぶつかった拳は簡単に負けてそのまま俺の顔面に思いっきり突き刺さった。


「アガッ!」


 そして勢いよく吹き飛ばされ、地面を何度もバウンドしながら壁にぶつかって陥没させ。

 ずるずると背中で壁を削りながら地面へ座り込んだ。


(なんて、力だ……一撃で……意識が……)


 俺は何とか気力を振り絞り立ち上がろうとしたが、意志と反して体は全く動かず。

 次第に視界が狭まって行く。


 嘘かほんとかは分からないけれど、目の前にぶら下げられた俺地上へ出られるチャンスを逃してしまい。

 かつ、父さんの教え通りに作戦が嵌ったのに負けた情けなさに涙が出てきた。


 けれど俺の行動が全くの無駄にはならず、霞ゆく視界の端でリエルが牢に戻されるのが見え。

 俺はひとまず最悪の事態は回避する事が出来た事に安堵し、意識を手放した。


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