6
翌日。
レオの熱は上がることもなく、食欲も増したのか、朝食をたくさん食べた。
そして、それまでときどき放っていた野生動物のような鋭い警戒感がなくなり、セレスティーナはちょっとホッとする。知らず知らず、緊張はしていたらしい。
「レオさん。調子がいいようなら……庭で、ちょっとだけ土を掘り返してもらってもいいですか。小さい庭ですけど」
朝食の片付けをしながら、セレスティーナは提案した。何もせずにじっとしていることが苦痛のようなので、外で少し気分転換をしてもらおうと考えたのだ。先日、植えようと思っていたのに植えそびれた花の種がある。これを、植えたい。
レオは小さな台にでも座って片手で作業してもらえれば、そんなに怪我には響かないはずである。こまめに熱を測って、無理のないようにしなければならないが。
レオは嬉しそうな顔になった。やはり、何か仕事がある方が良いらしい。
「ありがとう。……何か、植えるのか?」
「ええ。花の種を近所の方からもらっているんです。本当は、野菜を植えたいんですけどね。食費が浮くし。兄、大食漢ですから」
ふふっとセレスティーナが笑うと、レオも声を上げて笑った。思いがけないレオの笑い声に、つい目が丸くなる。そんなセレスティーナの様子に気付いたレオは、ハッとしたあと、じんわりと頬を赤らめ横を向いた。
(あ、しまった)
せっかく心を開きかけているのに、失敗だ。
セレスティーナは素知らぬ顔で外への扉に向かい、開けた。
「じゃあ、お願いしてもいいですか!すぐに道具を持ってきますね」
赤い顔のまま、レオはさっと立って庭へと出て行った。
そのうち、お互いに気兼ねなく笑い合えるようになるといいな……と、セレスティーナはこっそり思った。
狭い庭にレオの協力のもと花の種をまいて、ついでにガタついていた柵なども直し、午後はまたレオと一緒に本を読むこととなった。
レオは言葉は少ないが、良い教師だ。何度間違えても嫌な顔一つせずに、毎回、丁寧に教えてくれる。
まだしばらくレオが滞在してくれるなら、セレスティーナが本をスラスラと読めるようになる日は近いかも知れない。
「レオさんのおかげで、もう少しでこの本も読み終えられそうです。次は何を読もうかなぁ」
つい嬉しくなって、セレスティーナは読みながらそんなことを口にした。
レオは本に向けていた目をセレスティーナに移し、それから考えるように窓の向こうを見る。
「そういえば、昔に読んだ本だが……いたずら好きの風の精霊の話で、面白いものがあった」
「あ、読んでみたいです。なんという題ですか?」
特に答えを期待して言った言葉ではなかったのに、レオは律儀にお勧め本を教えてくれた。セレスティーナはパッと顔を輝かせてレオを見上げる。
途端にレオは困ったように眉尻を下げた。
「すまない……題は覚えていないんだ」
「そうですか。まあ、読んだのって子供のころでしょうし、覚えてなくて当たり前ですよね。今度、本屋さんで聞いてみます」
セレスティーナとて記憶力がいい訳ではない。それにレオの子供の頃など、何十年も前のことだ。覚えている方が驚きである。なので、がっかりすることもなくそう答えたら、レオが生真面目な顔で首を振った。
「いや、恐らく実家に本が残っていると思う。怪我が治り次第、見に行ってくる」
「ええ!別にそこまでしなくていいですよ?」
兄から聞いた話の感じでは、レオは実家とは距離を置いていそうだった。セレスティーナのために、わざわざ実家へ行って本の題名を調べてもらうのは申し訳ない。
だが、レオは「世話になった礼だ」と気にした風もない。
「そうだな。……題が分かったら、その本を君に贈ろう」
「そこまでしてもらうことは……」
「俺の自己満足だ。気にせず、受け取って欲しい」
「……はい」
レオの世話をすることで特別手当が出る。だから、礼などは不要だ。しかしレオが気になるというのなら、ここは大人しく受け取った方が良いのだろう。真面目なレオは、ずっと気に病みそうだ。
何より、レオのお勧め本ならば読んでみたい気持ちも大きかった。おじいちゃんになっても覚えている本なんて、面白いに決まっている。
セレスティーナは笑顔になって、再び手元の本に目を落とした。頑張って、もっともっと読めるようにならなければならない。
「えーと?村のはずれに……一人の……一人の……」
「旅人」
「あ!旅人がいた、かぁ」
張り切って続きを読み始めたものの……すぐに詰まってしまい、顔を赤くする。
と、文字を追っていたセレスティーナの指が、そのすぐ隣に置かれたレオの手に当たった。途端に、ハッとしたようにレオが慌てて手をどける。
「す、すまない!」
さらに、いつの間にか密着しそうになっていた身体も遠ざける。レオもまた、顔が赤くなっていた。
セレスティーナはふふふと笑い、レオの手をツンとつつく。セレスティーナの中で、レオはいつの間にかとても気安い存在になっていた。
「手が当たったくらいで、謝るなんて変ですよーう。それに、そんな離れなくても。私が近いと不快ですか?」
「そういう訳では……」
赤い顔のまま、視線を左右に揺らして気まずそうにレオが答える。
が、ふいに真剣な表情に変わった。
「いや……そもそも君は、警戒感が薄すぎる。少し問題だ」
硬い口調で言われ、セレスティーナは首を傾げる。
「警戒感……?」
「たとえば、昨夜だな。濡れ髪のまま俺の前に出てくるなど、正気じゃない」
「えええっ?!髪が濡れてるくらいで、そこまで言われることですか?」
「そういう姿を見せていいのは、夫くらいだろう」
「……兄なんて、よく見ています」
「兄は身内だから、別」
たかが濡れ髪で、それは大袈裟だと思う。それとも、貴族はそういう決まりなのだろうか。
セレスティーナが不本意そうな顔をしているのに気付き、レオは眉を寄せた。
「それに君は騎士団本部で、誰にでも笑顔で挨拶して回るだろう。あれも良くない」
「何を言ってるんですか。挨拶は、社会の基本なのに」
「挨拶は構わない。が、笑顔は不要だ」
「意味が分かりません!」
つい、セレスティーナは大きな声を出してしまった。
笑顔で挨拶することを駄目と言われるなんて、さすがに理解出来ない。笑顔は、社会生活の潤滑油である。たとえどんな苦手な相手でも、笑顔で挨拶。それがセレスティーナの信条だというのに。
レオはますますしかめっ面になった。
「若い騎士の連中が……勘違いをする」
「……勘違い?なんの?」
「だからその……つまり、君は、自分が魅力的な女性だという自覚が無いのか?!」
「は?」
呆れたようなレオの台詞に、セレスティーナの目が点になった。
しばらく、頭の中でレオの言った言葉を反芻する。
「……私、全然モテていないですけど?」
「それは、君の兄が牽制しているからだ。これ以上、兄を心配させるな」
「……えーと。それから、なんだかレオさんも、私のことを魅力的と思っているように聞こえるんですけど」
「思うに決まっている」
「…………」
「…………」
見つめ合ったまま……二人して固まる。
やがて、じわじわと頬を赤く染めたセレスティーナが、ばん!とレオの肩を叩いた。
「やだ、もう!ありがとうございます!そんなこと言われたことがないので、すごく嬉しいです。というか、レオさんの方こそ、もっと笑顔を見せてくださいよ。笑った顔のレオさんの方がいいです」
早口でまくしたてながら、さっと立ち上がる。
「じゃ、じゃあ、お茶でも淹れますね!」
(恥ずかしい~!絶対、顔が赤くなってる!もう!もう!!レオさん、おじいちゃんなのに~~~。あんな真面目な顔で言われたら、ドキッてするじゃない)
これは、絶対に恋愛に免疫がないせいだ。早く恋人を作った方がいいかも知れない……。
セレスティーナはドキドキする胸を押さえて、こっそり思った。