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2/14

 居間の小さなソファで身をかがめて一晩過ごしたエルナンは、翌朝、「体がいたい~」と言いつつも馬に乗って出勤した。

 一方、セレスティーナは怪我人用の朝食を用意して兄の部屋に入る。

 夜中に何度か、冷たい水に浸した布を額に乗せたり、全身の汗を拭ったりして様子を見ていたが、浅く苦しそうな息をしつつも男は目覚める気配もなかった。まだ起きないかなー……と思いつつ、(そういえば、この人の名前を兄に聞き忘れたよ)と気付く。

 兄はかなりそそっかしいが、セレスティーナも人のことは言えない。

(ま、起きたら本人に聞けばいいか)

 ベッド横の小さなチェストに盆を置き、男の額に手を伸ばす。

「……!」

 その手を、力強い手が掴んだ。

「誰だ」

「……痛いんですけど」

「誰だと聞いている」

「セレスティーナといいます。一晩、看病した人間にこの仕打ちはないですよー。ご飯も持ってきたのに!」

「……」

 セレスティーナを睨む色の薄い瞳は、熱に潤んでいるが警戒心でいっぱいだ。なんとなく、人に慣れていない野生動物を想像させられた。

 セレスティーナは敵意がないことが分かるようにニッコリ笑って、もう一方の手で男の額からすっかり温くなった布を取った。

「とりあえず、熱、測っていいですか?で、そのあとはご飯食べましょう。まずは体が一番!」

「……」

 返事はないが、手は離してくれた。手首がちょっと赤くなっているが、気にせず男の額に手の平を当てる。

「ん~、まだちょっと熱がありますね。食欲はありますか?あ、そうそう、果物水を用意したので、先にこちらを飲んでみてください」

「……」

 盆の上のグラスをセレスティーナは取ろうとして―――「あ!」と男に向き直った。

「体、起こせます?起こしましょうか?」

「……自分で起きられる」

 今度は低い答えが返り、やや辛そうに男はゆっくりと身を起こした。

 手伝っても良いのだが、まだ警戒心が解けていないようなので不用意に触れない方が良いだろう。セレスティーナは男が完全に身を起こしたのを確認して、彼の背にクッションをあてがい、果物水の入ったグラスを手渡した。

「……ありがとう」

 男は素直に受け取って一気に飲み干す。喉は乾いていたようだ。

「おかわり、いります?」

「いや」

「じゃあ、ご飯食べてください。その間に水を持ってきますね~。汗をかいていたから、水分も多めにとった方がいいでしょう」

(名前を聞くのは、ご飯を食べてもらってからにしようかな。餌付けしたら、警戒心も解けそうだもん!)

 こっそりと失礼なことを考えながら、水を取ってくる。

 部屋に戻ると、男は左手でぎこちなく具沢山のスープと格闘していた。先ほどは警戒心いっぱいだったので、もしかするとセレスティーナが目の前で食べて「問題ないよ!」と示さないといけないかと思っていたが……大丈夫そうだ。さすがにそこまで野生動物ではないようである。

 恐らく利き腕ではない上に、右半身が包帯でぎっしり固められていて動きにくいせいだろう。匙で掬ったスープは、男の口へ入る前にほとんど椀に落ちている。

 セレスティーナは水をチェストの上に置いて、男の手から匙を取り上げた。見ていられない。スープをすくって男の前に差し出す。

「はい、あーん」

「なっ。じ、自分で食べられる!」

「時間かかるし、こぼしそうじゃないですか。洗濯の手間を増やさないでください」

 不遜かと思ったが。

 男に脅えたり遠慮したりしていては、看病するのが難しそうだ。男が起きてからの僅かな時間でも、彼の気難しそうな性格は充分把握できた。セレスティーナは(まずは熱を下げること優先!)と腹をくくり、男の圧に負けずぐいぐい押していくことを選択した。

 下町育ちのセレスティーナにとって、これくらいの圧ならまったく怖くない。

「……」

 男は一瞬、何か言いかけて……ぐっと唇を噛んだ。

 かなり長い時間、考え込んでいたが、やがて眉間に盛大な皺を寄せながら渋々と口を開ける。

(か、かわいい……!)

 年配の男性に対して思うようなことではないかも知れない。

 だが、不承不承といった顔が、セレスティーナには妙に可愛く見えた。


 食事を終え、器を下げる。それらを洗って、居間を簡単に掃除したあと、再び兄の寝室へ。

「上着、着替えましょうか。兄の服で申し訳ないですけど。ついでに、背中も拭きますね」

 少しうとうとしていた男は、仰天したようにセレスティーナを見た。

「は?君の手は不要だ、自分でやる」

「できないでしょ」

 さっきスープも上手く飲めなかった男が何を言っているやら。

 セレスティーナは吹き出しながら、箪笥から兄の服を取り出した。それを持って、男の元へ。

「はいはい、腕を上げてください~」

「止めろ!」

「あのですねー、汗、いっぱいかいたんですよ?さっさと洗わせてください。汗臭くなっちゃいます」

「!!」

 男の顔が赤くなった。

 慌ててセレスティーナは手を振る。

「あ!あなたが今、臭いっていうワケじゃないですから。そのまま着てると、汗臭くなっちゃうってことです。私、職場でそれはそれはもう、くっさい服を苦労して洗っているので。早く洗わなくちゃ!ってつい、気になってしまうんですよね~」

「……臭い服が多いのか」

「いえ……そんなに多くはない……です……」

 しまった。この男性も騎士団関係者で、寮に住んでいるという話だった。セレスティーナは顔を合わせた記憶はないが、もしかすると臭い服を出したことがあるのかも知れない。

 要らぬことを言ってしまった~と冷や汗をかきつつ、抵抗しなくなった男から上着を剥ぎ取る。

 そして、濡らして固く絞った布を手に取った。

 昨夜も思ったが、男は年寄りなのに素晴らしい身体だ。無駄な肉が全くない。

「はい、背中を拭きましょうか。そうそう、下半身はどうします?パンツは洗いますけど、さすがに脱ぐのをお手伝いするのはどうかと……。でもまあ、ムリそうなら手伝いましょうか?あ。パンツはですねー、新品の買い置きがありますから!安心してくださいね」

「き、君は!女性としての慎みはないのか?!」

 しゃべりつつ背中を拭こうとしたら、ぐいっと押し返された。また、男の顔は赤くなっている。さっきよりも赤い。

 なんて照れ屋なんだろうと思いながら、セレスティーナは首を傾げた。

「ケガ人の世話に慎みなんて必要ないでしょう?私、医療所の手伝い経験ありますよ。ベッドから椅子への移乗とか、わりと上手なんです」

「いや、しかしだな」

「乙女でもあるまいし!何を恥ずかしがっているんですか。すでに夜中に何度も拭いてます!」

 ごちゃごちゃと面倒な御仁である。

 いつまでも上半身裸のままで、さらに熱が上がったら困る。やや強引に背中や腹を拭いて、セレスティーナは立ち上がった。

「分かりました。じゃあ下は、あとで替えましょう。まだ完全に熱は下がってないですもんね。はい、じゃあ、もう一度腕を上げて!これ着たら、さっさと寝てください~」

 これなら小さい子供の方が世話は楽だなぁと思いつつ、セレスティーナは男に上着を着せた。


 洗濯物を干したあと、表の庭へ回る。

 思った通り、馬に踏み荒らされてぐちゃぐちゃになっていた。

「ちょうど植え替えしなくちゃって思っていたのよね。いい機会だわ!」

 端っこの雑草が消えているのは、馬が食べたからだろうか。もしそうなら手間が一つ、省けた。セレスティーナは笑顔になって、庭の片付けに取り掛かった。

 ―――それからかなりの時間が経ち。

 気付けば、太陽は真上を通り過ぎていた。

(あ~、お腹へったぁ)

 腰を叩きながら立ち上がり、大きく伸びをする。

 庭はほぼ片付いた。昼からは、前にご近所さんからもらった花の種を植えようと算段する。

 汗を拭いながら家に入りかけて、ハッと気付いた。

(そうそう、ケガ人!)

 洗濯物を干しているときにちらっと兄の部屋を覗いたら、寝ているようだったが……もう少し、頻繁に様子を見ておいた方が良かった。兄から面倒を任されていたのに。

 何かに集中すると、すぐ他のことは忘れてしまう。

 慌てて家に入ると、台所に人影があった。目が合い、お互いに硬直する。

「……その。すまない。喉が渇いて」

 男が少し身を縮めて頭を下げる。セレスティーナはブンブンと首を振った。

「ううん、こちらこそゴメンなさい!枕元に水差しを置いておけば良かったわ。つい、庭仕事に熱中しちゃって。……あ、すぐにお昼を作ります。体調はどう?」

「もう問題はない」

 セレスティーナは男のそばへ行き、顔を覗き込んだ。まだ、顔色は良くない。

「ちょっとかがんでもらえます?」

「?」

 怪訝な顔をしながら、男が身を屈める。セレスティーナは背伸びして、男の額に自身の額をくっつけた。

「!!」

「あ~、まだ熱ありますね。そういえば、熱冷まし効果のある薬草があったはずなので、それでお茶を淹れますね」

「き、君は……何を……!」

「だって手が汚れているんですもん」

 たかが熱を測っただけなのに、男は狼狽しすぎだ。子供の頃、こうやって家族に心配されたことがないのだろうか。お年なので、もう昔のことは忘れてしまったのかも知れない。

 狼狽する男を放っておいて手を洗い、昼食の準備に取り掛かる。

「さあさあ、ベッドへ戻ってください!寝てるのが疲れてきたなら、そこのソファに座っててもいいですよ。固形物は食べられます?まだスープの方がいい?」

「……要らん」

「何を言ってるんですか。ご飯は元気の元!食べなきゃダメです。……あれ、もしかして朝食まずかったですか?」

「いや、そういう訳では」

「じゃ、ワガママ言わないでください。はい、そこに座って!」

「……」

 ビシッとソファを指差せば、男はしぶしぶそちらへ移動した。

 座ったのを確認して、セレスティーナはさっそく昼食の支度を始める。野菜を切りながら、大事なことを思い出して男に視線を向けた。

「そういえば。名前、なんていうんですか?」

「……好きに呼べばいい」

「はいぃ?名前くらい、教えてくれてもいいんじゃありません?減るものでもないのに。ケチですねぇ。ま、いいや。じゃ、おじーちゃん!」

「は?!」

「だって、おじいちゃんですし。イヤなら名前、教えてください」

 他に男の呼び方が思い付かないのだから仕方がない。名無しさんの方が良かっただろうか。

 男は大きな溜め息をついて、低く答えた。

「……レオだ」

「レオさん。わかりました」

 これで疑問解決である。

 セレスティーナはフンフン鼻歌を歌いながら、手早く昼食の支度の続きを開始した。

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