13
仕事から帰ってきたエルナンは、家の明かりがついていないことに気付いて、すうっと血の気が引いた。
(セリーナ……?!)
今日はセレスティーナは仕事が休みだ。
家事をして、その後は街をぶらぶらしようかなと、朝、楽しそうに言っていた。
まさか街で何かあって、帰ってきていないのだろうか。
慌てて家の中に駆け込んだら、ソファに座っているセレスティーナがいた。暗い部屋で、ぼんやりしている。
「え?あれ……セリーナ?ど、どうした……?」
「お……兄ちゃん?」
セレスティーナはゆるゆると兄を見た。
そして、しばらくじっと見つめたのち……急に我に返ったように目を大きく見開いて立ち上がる。
「やだ、うそ、ごめん!もうそんな時間?!きゃあ、暗くなってるぅ~、ご飯の用意!!」
周囲を見渡し、おろおろしだしたセレスティーナは、いつものセレスティーナだ。
エルナンはホッとした。
「ぼーっとしてるからビックリしたよ。なんだ、買い物へ行って疲れたのか?じゃあ、今日は夕飯、村の飯屋へ行くか」
二人が住むのは小さな村だが、村人が集まる食堂兼居酒屋くらいはある。まだ一度も利用したことはないので、行ってみるのも悪くない。
兄の提案に、セレスティーナは情けない顔になった。
「ごめんなさい、お兄ちゃん……」
「何言ってんだよ。たまには息を抜く日も必要だよな。いつもありがとな、セリーナ」
「……」
セレスティーナの様子がやはりおかしい。
力無く俯く妹に、エルナンは不安を感じた。
「セリーナ、何かあったのか?」
そっと近寄り、セレスティーナの顔を覗き込む。
セレスティーナはひどく困惑した表情で兄を見た。
「あのね、お兄ちゃん……実は今日、副団長さまがうちにきたの」
「あ!そうか、そういや昨日、なんか聞いてきたっけ……」
「それでね……世話になった礼に、服を贈るって」
「はあっ?!俺、セリーナはたんぽぽ亭のケーキが好きだって言ったのに、どうしてそっちを……!?」
どうやら兄がリオネルにワンピースを勧めた訳ではなかったらしい。
それは少しホッとした。
慌てる兄の姿を見て、ようやくセレスティーナは表情を緩める。すると、エルナンは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あー、ごめんな?急に副団長が来てビックリしたよな?団長が秘密にするって言ったから、セリーナにも言わない方がいいかと思ってさ……」
「うん。まあ、事情は分かるし、怒ってないよ」
「良かった……。それにしても、礼に服はないよなぁ。何を考えてるんだ、あの人は!もちろん、断ったんだろ、セリーナ?」
「…………」
再び俯いた妹に、エルナンは内心でリオネルに悪態をついた。
優しい妹は、きっと断れなかったのだ。そして、困っている。
異性から服を贈られるなど、周囲からは特別な意味に思われかねない。ここは、兄の出番だろう。
エルナンは、優しくセレスティーナの肩に手を置いた。
「断れなかったんだな?じゃあ、兄ちゃんが副団長に言うから―――」
「違うの。断ったの……」
ふるふるとセレスティーナは首を振った。
エルナンは拍子抜けする。
「あ、そう……なんだ……」
では、何故、こんなに落ち込んでいるのか?
するとセレスティーナはバッと顔を上げ、突然、叫ぶように兄に訴えた。
「だって……だって、結婚を申し込んでくるんだもの!」
「……はああっ?!」
――食事に行くどころではなくなった。
ひとまず明かりをつけ、エルナンとセレスティーナは居間のソファに向かい合って座る。
「……副団長がセリーナに結婚申し込み?」
「うん」
エルナンは頭を抱え込んだ。
「昨日、そんな様子は全然なかったのに……なんでなんだよ、副団長」
元から分かりにくい人だったが、さらに分からなくなった。
……いや。
可愛いセレスティーナに惚れるのは、分かる。
分かる、が……
「いきなり結婚申し込みとか、極端すぎる!」
一体、どんな顔で申し込みをしたのか。
そもそもエルナンが騎士団の男たちに釘を刺してまわっているのを知っているくせに。
今から殴り込みに行こうかと思って、はたと我に返って妹を見た。
「でも、断った……んだよな?」
「うん」
セレスティーナは疲れた様子で頷いた。
リオネルを帰したあと、ずっと部屋でぐるぐると答えの出ない問いを考え続けていたからだ。
「だって、副団長さまだもの。私みたいな平民じゃ、釣り合わないじゃない」
「…………」
エルナンが神妙な顔になった。
しばらくじっとセレスティーナを見つめる。
そして……眉間に盛大に皺を寄せて、腕を組んだ。
「セリーナ」
真剣な口調の呼び掛けに、セレスティーナは少し驚く。
「なに?」
「俺が騎士団の騎士になれたのは……リオネル副団長のおかげだ」
「え?そう……なの?」
初めて聞く話に、セレスティーナは兄をまじまじと見た。
エルナンは大きく頷く。
「最初、俺は騎士団の雑用係だった。それを副団長が騎士に向いていると、自分の従騎士に指名してくれたんだ。あのときの俺は、言葉遣いもなってないし、剣技も自己流でめちゃくちゃだし、礼儀も作法も知らなかった。平民で孤児……他の騎士見習い仲間からは、ただのケンカが強いだけのバカだと笑われたよ。でも、副団長だけは、俺を差別することなくバカにすることもなく、俺に必要なことを淡々と教えてくれたんだ。あの人がいなかったら、俺は今でも騎士団の雑用係だろう」
騎士団へ入る前も、入ってからも……兄がとても努力している姿をセレスティーナは知っていた。
だから、兄一人の力でここまで来たのだと思っていた。
そうではなかったことを知り、セレスティーナは目を見開いた。
エルナンは腕を解き、身を乗り出してさらに言葉を続ける。
「リオネル様は、騎士団で一番、公平で優しくて立派な人だ。俺は尊敬している。……そんな人だからこそ。セレスティーナも結婚話を断るなら、貴族だからとか副団長だからという理由で断らないで欲しい。リオネル様の中身を見て、判断してくれないか」
そして、エルナンは優しくセレスティーナの頭を撫でた。
「まあでも、厳しいしぶっきらぼうだし、真面目すぎて面白みはないけどな。あの人、酔っ払った団員が抱きついてキスしても、顔色一つ変えず"君は俺のことが好きなのか"って言うんだぜ」
「ふふ」
でも、きっとほんの少し眉は寄っているに違いない、とセレスティーナは思った。
あまり顔に出ないだけで、意外と感受性は豊かな人だ。
(……きっと、私が副団長さまだからと壁を作ったことにすごく傷ついただろうな)
あの時はいっぱいいっぱいで、そんなことは考えられなかったけれど……今になって落ち着いてみると、そう考えることが出来た。
(悪いことしちゃった)
さっきまで霧の森を彷徨っている心地だったが、ようやく、その霧が晴れた気がした。
晴れてみると、幾つかある道はとてもはっきりと見えた。
「ありがとう、お兄ちゃん。私、ちゃんと考えてみる」
ようやく、しゃんと顔を上げて兄を見ることが出来た。
晴れ晴れとした顔になったセレスティーナに、エルナンはホッとする。
「ん。……まあ、本音を言えば、俺はまだセリーナは結婚しないで欲しいけどな。というか!いきなり結婚じゃなくて、最初は清く正しいお付き合いからだ!たとえ副団長でも、すっ飛ばしすぎ!正体も隠していたのに、明かすなり結婚してくれはおかしい!」
「あはは。お貴族さまだから、そういう発想はないんだよ、きっと」
「貴族でも、最初は婚約からだろ?副団長、俺が反対すると思って結論急いだんじゃねーか?」
今までは迫られるばかりで、自分から告白したことなんてないだろうしなぁ……とぶつぶつ言いつつ、エルナンは複雑な気分だった。
セレスティーナには幸せになって欲しい。
そしてリオネルも立派で尊敬出来る人で、セレスティーナを任せるに足る人だろう。
そのことに異論はない。
だけどエルナンとしては、今のセレスティーナとの生活をもう少しだけ続けたい。続けたいが……近いうちに離れることになるのを、覚悟しなければならないようだ。セレスティーナは、まだ結論は出していないけれども。
(でも、そうすると副団長が義理の弟になるんだよな?それは……うーん、イヤかも知れない……)
ちょっぴり早い未来の想像をして、苦い顔になるエルナンだった――。
ふふふ、やはりこれで終われませんでした……。
次も結構、長くなっているので分けるかも知れません。なるべく、明日、更新するつもりです。
21時頃の予定。