1
セレスティーナが働いているのは、セラータ王国の騎士団本部だ。
騎士団で働いているといっても、騎士ではない。ただの洗濯婦である。騎士たちの服や、タオルや、シーツ(騎士団には寮がある)を毎日毎日、洗っている。地味な仕事のわりに、なかなかの重労働だ。
兄のエルナンが幸運にも騎士団に入団でき、その伝手でこの職を得た。重労働だが、報酬は悪くないし、労働時間も休日もきちんと定められている上に休みの申請も通りやすく、貴族のお屋敷で勤めるより良い職場だと思う。
さて、セレスティーナがエルナンと共に騎士団で働き始めて約一年半ほど経った頃だったろうか。
兄が突然、のどかな森や畑の広がる郊外に小さな家を買った。
まさか結婚?!とセレスティーナは驚いたが―――兄はニコニコと「一緒に住まないか」などと言いだす。
いい年をした兄妹が一緒に一軒家へ引っ越すというのはどうかと思ったものの(セレスティーナは十九歳、兄のエルナンは二十二歳である)。実のところ懐事情の関係で今までもずっと兄と二人で狭い借家暮らしだった。小さいながらも庭のある一軒家なんて、憧れるに決まっている。
騎士団に勤める兄はモテモテだから、今はまだ恋人がいないと言っていても、そのうち結婚をすることだろう。
それまで、少しだけ夢の一軒家暮らしを味わうのも悪くない。
セレスティーナは逡巡を一瞬で消し去って、兄の提案を了承した。
今日も一日たっぷり働き、郊外へ帰る荷馬車にちゃっかり同乗させてもらって、くたくたで帰宅した。
庭に小さな花の咲いている我が家を見ると、ホッとする。
職場に近い借家から、郊外に引っ越したことで通勤は大変になったけれど……街中の騒音や隣や上の階から聞こえる生活音を気にせずのんびり寛げるこの家は、その苦労を補って余りある。幼いときに両親が亡くなり、兄妹二人で肩身の狭い思いをしながら育った身には、夢のような環境だ。
「ただいま!」
誰もいない家に向かって元気よく挨拶して、セレスティーナはさっそく夕飯の準備に取り掛かった。お腹を減らした兄が帰ってくるまでに、たっぷり作っておかなければならない。
いつもより兄の帰宅が遅い。
何か事件のあったときは遅くなったり、帰ってこない場合がある。先に夕飯を食べようかと思い始めたときだった。
ガタン!と玄関で大きな音がした。
「おーい!セリーナ!扉、あけてくれ~」
兄だ。ちなみにセリーナはセレスティーナの愛称である。兄だけがそう呼んでくれる。
セレスティーナは慌てて玄関へ駆けつけた。扉が開けられないなんて……もしかして、大きな怪我でもしたのだろうか。
「いやぁ、もう。ヤローを運ぶのって重いな!」
扉を開けた先には。
大柄な男を抱きかかえている兄。思わぬ光景に目が丸くなる。
兄は、のしのしと男を抱えたまま室内に入ってきた。
「あ、セリーナ、悪いけど馬に水をやってくれるか?だいぶ、ムリをさせてしまった」
「え?え??ちょ、ちょっと、誰よ、それ?」
「ケガ人。しばらく、うちで世話することになったから」
「へ?」
「よろしくたのむな~、セリーナ!」
よろしく頼まれても困る。セレスティーナは混乱しながら、ひとまず外の馬を狭い庭に迎え入れた。いつもは少し離れたところの農家の厩に預けるのだが、怪我人を連れてきたため出来なかったようだ。
―――兄は怪我人を自身のベッドへ寝かせていた。
ベッドと小さな箪笥くらいしかない兄の部屋を覗いて、セレスティーナは怪我人がかなり老齢の男性であることを知った。真っ白な髪、深い皺の刻まれた顔。
いくつくらいなのだろう。
六十を超えているのは確実だが、兄よりやや劣るものの立派な体格をしている。
元騎士団の人かも知れない。
右肩から右腕にかけて、包帯でぐるぐる巻きにされている。皺深い顔は脂汗が滲んでいて、苦しそうだ。
「治癒魔法は掛けてあげなかったの?」
部屋から出てきた兄に問いかける。騎士団には、優れた治療師がいるはずだ。
兄は首を振った。
「ちょっと面倒な魔術に掛かってるんだ。治癒の魔法を掛けると、どうなるか分からない。骨は折れているけど命に別状はないからさ。とりあえず魔法無しで治すことになった」
「そうなんだ?……えーと、騎士団関係の人?」
「ああ。でもその前に、飯、食べながら話そうぜ!腹減った~」
「もう!ケガ人の方が先でしょ!」
思わず兄の背中を叩きつつも、セレスティーナは急いでスープを温め直しに行った。いつもより帰宅は遅いし、怪我人を運んできたのだ。大食漢の兄なら本当にお腹がペコペコだろう。
ということで、怪我人には申し訳ないが先に食事を始める。兄が言うには、怪我の手当は済んでいて、あとは寝て治すしか無いそうなので構わないだろう。
「で。うちで面倒を見るってどうして?あの人、貴族でしょう。ご家族の方は?」
着ている服の質が見るからに上質だ。兄がベッド横に立てかけていた剣もあの人の物だろう。かなりお高そうな剣なのは一目で分かった。洗濯婦として騎士団に出入りしていると、嫌でも貴族の持ち物と庶民の持ち物の違いは分かるようになる。基本的な装備は国から支給されるが、貴族は支給品とは違う質の良いものを使っている。
「伯爵家の三男らしいよ。でも長男が家を継いでて、実家の方には頼れないんだってさ」
「結婚してないの?」
「うん、独り身。騎士団の寮に入ってる。寮じゃ、誰も世話してくれないだろ。骨が折れてて大変だろうからってんで、団長から頼まれたんだ。うちならセレスティーナがいるし。セレスティーナなら任せられるって」
兄の言葉にぎょっとした。
「団長さま、私のこと知ってるの?」
「ん?よく働くいい子がいるって団員の中でもお前の評判、いいんだぜ?さすが俺の自慢の妹!でも、みんなには俺の妹に手ぇ出したら許さんってちゃんと言ってあるからな。安心しろ」
「……やだもう!」
あわよくば騎士の恋人を……と考えていた訳ではないが、兄の牽制で可能性がゼロになるのはちょっと納得いかない。つい、口を尖らせてほっぽを向いた。
しかしエルナンは気にした様子もなく「そうそう!」と手を打つ。
「という訳で二、三日、仕事は休んでいいから。団長から担当部署の方へ連絡しとくってさ。ひとまず二日ほど様子を見て、熱さえ下がればセリーナは仕事に復帰してくれていいよ。面倒かけるけど、よろしくな」
「はいぃ?」
「通常の倍の特別手当も出るし!」
「うっ」
この間、とっても可愛い夏のワンピースを見つけて欲しいと思っていたところだ。友人と観劇に行く約束もある。倍の特別手当は喉から手が出そうなほど欲しい。
「わかった。お世話するわ!」
どうせ兄の面倒を見ているのである。寝ているだけの人間の世話が増えたところで、大した手間でもないだろう。
セレスティーナはドンと自分の胸を叩いた。