9 とても大切なもの
「妹よ、その凶器を置きなさい」
「いや」
「桂、頼む」
太郎の言葉に、隣からスッとスリッパを奪われる。
恨めしく見れば、桂は澄ました顔で言い放った。
「私が太郎ちゃんの味方なのは知ってるでしょ」
「昔っから太郎贔屓だね」
「だって一番マトモなんだもん」
桂の言葉がぐさりと刺さる。
「はい、太郎ちゃん、話してどうぞ」
「うむ。ご苦労」
「どこがマトモなの?」
殿様のようにふんぞり返って仁王立ちをする兄を指させば「鈴と蘇芳に比べたら」と言われてしまった。いけない。圧迫止血をした傷口が開きそうだ。鈴は胸を押さえる。
「おお、ダメージを受けてるな」
「……で、何の話よ」
「スーとお前のことだよ」
太郎がにこにこと言う。
「かわいい妹でもあるりんりんには申し訳ないけど、付き合うのは我慢してね」
本当にごめんねー、と太郎は両手を合わせた。
「事務所の人には自分たちでどうにかしろって言われちゃってさ。だから隠し事なしでファンの人たちと話してみたんだけど……とりあえずは続けられそうだから、このまま行けるところまで行ってくるわ。スオウは元カノ一筋のハスキーの子犬キャラでいくし、本当に付き合ったらみんな醒めちゃうから、鈴は我慢ね」
「は?」
鈴が低く唸ると、太郎は「きゃっ」とか弱く驚くフリをした。
イラッとする。
「我慢なんか必要ないし」
「そっかー」
「好きにすればいいじゃない。蘇芳が自立して嬉しいし」
「……ん? あのう、怒ってらっしゃる?」
「なんで私が怒るの? 大好きなお兄ちゃんに怒る訳ないよ。感謝してるもん。いつもありがとお」
「ひぃっ、怖い!!!」
太郎がずさっとドアに隠れる。
「りりりり、鈴ちゃん? 本当ごめんね? 蘇芳のこと大好きなのに付き合えなくて、ごめんね」
「お兄ちゃん」
「はい?!」
「蘇芳のことは好きじゃない」
「……へ」
「蘇芳のことは好きじゃないし、付き合いたくもない」
「……桂?」
鈴がにっこり笑って太郎に宣言すると、太郎は桂を見て鈴を指さした。
「なにこれ。いつもと違って過剰な反応なんですけど?」
「反抗期。自分への」
「え、自覚した感じ?」
「やっと。だから試したら逆効果だよ」
「うわあ、そっか」
真剣な顔をしている太郎に、鈴はもう一度宣言した。
「私は、蘇芳とは、付き合いません」
「お、おお……うん、わかったわかった」
「私は! 蘇芳なんて! 好きじゃない!!」
「落ち着け、妹よ。おなか痛いの?」
「太郎ちゃん、あれ圧迫止血中」
桂が言う。
太郎は顔を弱々しいものにへにゃりと変えた。
「えーと……ご、ごめんなあ」
「謝ることなんてないけど?!」
「めっちゃ痛そうだよぉ……」
「痛くないし!!」
きゅっと眉を寄せて、太郎がおろおろと桂を頼る。
「桂、どうしよう?」
「大丈夫。そのままにしといて」
「わかった」
「太郎ちゃん仕事でしょ。いっといで」
「桂に鈴を頼んでもいい? 今日は荒れるだろうし」
「子守なら慣れてるから平気」
「ありがとう、桂。じゃ、じゃあね、りんちゃん。りんちゃーん」
こちらを伺う太郎に、鈴は尋ねる。
「なんで?」
「えっ?」
「なんで、アイドル目指したの」
太郎からアイドルを目指している片鱗など見たこともない。
むしろ、器用に何でもできすぎるからこそ何にも熱中しなかったし、夢を持つ情熱などなかった。
それがどうしてオーディションに。
太郎は鈴を見て優しく微笑んだ。
「お金だよ」
ものすごくいい笑顔で、太郎は言う。
「お金。それから、コネを作って、本当にしてみたいことが見つかったときの後ろ盾も欲しい。何より沢山の人に、ちやほやされたい。キャーキャー言われたい。それだけだよ」
にこ……と微笑まれても、言ってることは相当クズだ。
思わず何も言えない鈴を置いて、太郎は「じゃっ」と手を挙げて走るように逃げていった。
「さ……さいてい!!!! 聞いた?! 桂、聞いた?!」
「聞いた。あんたも世の中お金とコネと後ろ盾ってさっき言ってたじゃん。さすが双子だねー」
ブーメランが帰ってきた鈴は、再びベッドに倒れた。
呻く力も残っていない。
○
「そーなんですう、びっくりしましたよねえー。昨夜の生放送のライブ番組でDのスオウくんが彼女いるって発言をして……もう、番組はしーんとなっちゃって。そんな中、今日の午前中に今回の経緯について生配信をしたそうです。はい、こちら。ファンの方向けの、会員制のね、そういうやつで。中身を詳しくは言えませんが、まあ、そこで例の彼女が知らずに乱入しちゃって、辞めると言い出したスオウくんを説得したそうなんですよ。そうしたら、ファンのみんなが彼女をいい子だって賞賛して。スオウくんは、ファンのみんなが許してくれるならDを続けたいって、泣いたそうで。ねー、イケメンの涙、綺麗でしょうねー! あ、そうそう、それで、ファン公認の好きな人いますアイドルとなったそうなんですー。びっくりですよねえ、でも、素敵じゃないですかあ?」
指揮棒の先に丸いスポンジでもくっつけたような棒を振り回して、芸能リポーターとやらが豪快に笑いながらそう語った。
夕方のニュース、エンタメの情報の枠では「D・スオウ ファン公認!」の文字が各局で踊り、鈴は太郎の予言通り荒れたのだった。