20 兄という生き物は
「な」
なかじま、と言いたいのか、なにをしてるんだ、と言いたいのか。
蘇芳と太郎は声を揃えてそう言って、一瞬凍り付いた。
中島の上に乗る形になっていた鈴は、勝機だ、とそのまましがみつく。
「?! ちょっ、御津原」
「私と! 中島は! 晴れて交際することになりました!!」
「――は?」
太郎が地を這うよな声を出した。
聞いたことのないその声に、鈴はゆっくりと太郎を見上げる。
のっぺりとしている白い顔に、開きすぎている瞳孔。
ヤバすぎる奴にしか見えない兄は、鈴ではなく中島を虚無の瞳で見下ろしている。
「わーたーるーくーんー?」
太郎が歌う。
鈴と中島は同時に子犬のようにぴゃっと肩を跳ね上げた。
「……御津原すぐにどけ」
「いやです」
「いや、まじで、御津原がヤバい」
「どっちの」
「どっちもだよ!!」
「私も怖いからいやなんです!!」
太郎とは違い、蘇芳は穏やかに笑っている。
それが余計に怖くて中島に助けを求めるようにしがみつけば、今度はにっこりと口元が微笑んだ。
再び鈴と中島がひきつると、太郎が手を後ろから前へひらりと振った。
「スー」
「ん」
「え? なに……んぎゃっ」
剥がされる。
抱えるように容易く持ち上げたのは、太郎から「GO」の出た蘇芳だ。
「蘇芳、ちょっと」
「りん、おとなしくして」
「私は中島と付き合うから!」
「付き合うか馬鹿!!!」
「――馬鹿?」
中島がはっきり拒絶すると、太郎が反応した。
「うちの! かわいい鈴を! 馬鹿ですってええ?!」
若干聞き覚えのある、御津原本家長男と同じ口調で怒りだした太郎は、その勢いのまま中島の胸ぐらを掴んで起こす。
「鈴はいい子なんです! 確かに、テストの点も悪くて要領も悪くて、お人好しでもないし、困ってる人を助けたいわけでもない、ただ人の世話をすることに生きる意味を見いだしているところがちょっとイタい子だけど……でも、馬鹿じゃありませんっ!!」
褒めてない。
全く褒めてないどころか、中島の「馬鹿」よりも重い拳が鈴のハートを容赦なく殴った。ふらつきたいが、蘇芳が後ろから羽交い締めにするように抱きついているので無理だ。
「それに! 鈴を襲うとは何事ですか!!」
「どう見ても襲われてるのは俺だったろ!」
「御津原の女とつき合えるのは一度だけなのよ! 鈴とも付き合うなんて許しません!」
「いや、付き合わないって言ってるんですけど。断ってるんですけど」
「はあ?! こんなに可愛い鈴と付き合いたくない?! おまえの目は節穴か!!」
「……御津原の耳は穴が開いてないみたいだな」
「まあ! スーまで侮辱する気ね?!」
「お前のことだよ」
至極冷静になっていく中島の顔は、地味な顔でツッコミを入れる。すべて不発に終わって「はあー、面倒くさいわー」という顔で胸ぐらを掴まれて揺らされていた。
太郎がその中島をぐっと引き寄せる。
「――わたる」
それまでのテンションはどこに置いてきたのか、静かに名前を呼んだ。
「なあ、駄目だよ」
そうして視線を合わせる。
先に逸らした方が負けだと言わんばかりにじっとりと目を合わせて、至近距離でゆっくりと微笑んだ。
「わかった?」
「……わかってるって」
中島は呆れたように言う。
太郎は「だよねえ、わたるは賢いもん」と語尾にハートをつけて手をパッと離した。
「えへ、妹の虚言に付き合わせてごめんね」
「わかってたなら絡むな、シスコン」
「だってー、桂を落とした相手だからね? 一応警戒しないと、ね?」
「まだ根に持ってんのかよ」
「何か言った?」
「なにも。帰るわ」
「はい、さようならー」
中島は鈴達の母親にきちんと「ごちそうさまでした」と声をかけ、蘇芳に羽交い締めにされている鈴に「ま、頑張れよ」と言う。
相変わらず地味なのに優しい。
「……中島、ごめん」
「御津原には近づかねえわ。怖すぎる」
「? どっちの?」
「あなたですけど」
しらっとした顔で言って、中島は「酷い目にあった」と呟きながらさっさと出て行った。
「――で、鈴さん?」
中島を見送っていた太郎が、くるっと振り返る。
反射的に後ずさろうとした鈴は、蘇芳に止められた。動かない。どうしても動かない。逃走はできそうになかった。
能面のように笑みを顔に張り付けた太郎がずんずんと近づいてくる。
「合コンは?」
中島のことではなく、合コンのことを聞かれた鈴は「は?」と間抜けな声を出した。
「合コンだよ! 合コンはどうだったの?! 変な男と連絡先の交換なんてしていないでしょうね?!」
「……まだそのテンションで行くの」
「お兄ちゃんに醒めた目を向けるのはやめなさい」
「悪いけど自分を偽れない」
「それで?」
尋問を終える気はなさそうだが、鈴は「一人だけ居酒屋の前で置いて行かれたから帰ってきた」などと言いたくない。
にやつく太郎の顔が浮かぶからだ。
後ろの蘇芳がゆらゆらと横に揺れる。
「太郎、りんは誰とも連絡先なんて交換してないよ。世話焼きだけど、人に対する警戒心は誰よりも高いから無理」
蘇芳の言葉に「それもそうだな」と、太郎がにやつく。
「い、いい人がいなかっただけだし!」
「……ふ、妹よ、強がりはよしなさい。ええ、合コンで無事ならそれでいいのですよ……」
「胡散臭い顔するのやめて」
鈴の威嚇は届かなかったようで、太郎は腕を組んで首を傾げた。
「うーん、困ったねー。蘇芳と付き合うのは駄目だけど、このまま鈴が無謀に出会いを求めて、どこかで引っかかっちゃったらそれはそれで面倒なことになるよな……んー……よし、スーに任せた。二人で話しなさい」
突如投げやりになった兄は「じゃあね」とやはり語尾にハートを散らして、先に部屋に引っ込んでしまった。




