16 想うということ
「ふふふふふーん。ふーふふーん」
ご機嫌なさちを挟んで、三人で歩く。
蘇芳はさちから受けたダメージを癒す暇がないまま、迎えにきた腰の低いマネージャーとやらの車に押し込まれて運ばれて行った。仕事らしい。
田圃のあぜ道を歩く。
さちがぶんぶんと嬉しそうに手を引いてくれ、総は楽しそうに一緒に歌っている。
「いつもこうなの?」
鈴が聞くと、二人はそっくりなトーンで「そーだよー」と歌って返す。
「りんちゃん、そうくんはね、むしょくなの」
「えへへ。無職だよ」
「なるほど」
鈴は軽く頷いた。
ということは、相手は何かしらの仕事関係の人だったのだろう。総は別れるときはすっぱりきっぱり、酷なほど縁を絶つ。今までの人間関係や、積み上げた実績や、そんなものを容易く捨てて再スタートする。
無垢というか、執着心がないというか。
「そうくんはねー、そういうところはかわいいんだけどねー」
さちが言う。
思わず笑ってしまった鈴は、一緒に頷いた。
御津原総とはそういう人だ。
庇護欲をかき立てるのに、同時に一人で完結しているようなところがある総に対して、相手はもどかしさをいつも感じているんだろうな、と見知らぬ元カノに同情のようなものをする。
女二人の生ぬるい視線をものともせず、総は思い出したように「ん?」とさちに詰め寄った。
「……あれ、ちょっと待て、さち。いつきくんって誰だ」
「えー」
「言ったでしょ。総くん聞きましたよ。結婚するならいつきくんだって」
「ふふふー」
さちが繋いだ手をぶんぶんと振る。そのまま総を見上げてにこっと笑った。
かわし方がプロだ。五歳にしてすでに「翻弄する」のスキルを持っている。
「これ、さち。どんな男なのかいいなさい」
「総さん……男って」
「俺が納得できる男なんでしょうね?」
母親のような言い方でふざける総に、さちはくすくすといたずらっぽく笑う。
「んー、どうしよっかな。そうくん、いつきくんにやさしくできる? それならいうけどなあ」
「やさしくしてあげるわよっ」
「総さん……」
鈴が呆れると、さちは楽しそうにキャッキャと声を上げた。
さち曰く。
いつきくんは地味でおとなしいタイプで、走っても遅いし、何をしていても一番最後まで残っているんだそうだ。
けれど、そこがいい、と御津原さち(五歳)は言う。
誰かが喧嘩していると、その最中は近寄らないが、良い悪いに関係なく、泣いている方にあとでそっと寄って話しかけるところが彼の真の優しさなのだ、と。
何をしても最後まで残っているのは、それぞれに一生懸命に考えているから。
結婚するのはそういう人が良い、楽しく過ごすことより日々の精神の安定が大切だ、と彼女は言った。
「それにねー、いつきくんにできないことは、わたしがすればいいんだよ。なんでもしてあげたいっておもうんだ」
にこにこと屈託なく言うさちとは違い、鈴の心はほんの少しざわめく。
総はというと、納得したようにさちの頭を撫でた。
「なるほどなー、愛だなー」
総の言葉に、さちは嬉しそうに笑っている。
そういえばこのあぜ道は、小学生の夏休みに蘇芳と二人で走ったことがある。
二人で笑い転げるように、手を繋いで走った。
あれはどうして走っていたんだっけ。
思い出せないが、鈴には理由がわかるような気がした。
きっと、蘇芳がしたいことがあったのだ、と。
無事に園に引き渡し、来た道を引き返しながら、総はさちに貸していた麦わら帽子を鈴の頭にぽすんと置いた。
「帰りは日差しがきつくなるからな」
「ありがと」
「ん。蘇芳、ちゃんと仕事に戻ったかな。途中で車降りてこっちに走ってきたりして」
「仕事、頑張るって言ってたから大丈夫だと思うよ」
「それもそうか。車におとなしく乗ってたしな」
「うん」
「りんは?」
総に蘇芳とのことを聞かれた鈴は「大丈夫」と答える。
「総さんこそ、無職大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
「まだ身を固めないの?」
「おっと。こっちに飛び火」
「ただの暇つぶしよ」
「じゃあ、ただの暇つぶしに答えよう。りんにだけな」
ポケットに手を突っ込んだ総は、鈴に向かって穏やかに笑った。
蘇芳とは大丈夫か、と聞かれたことの仕返しだとはわかっているらしい。
「俺はねえ、探してんの。その人じゃなきゃダメだって相手を」
「……運命の人、的なやつ?」
「ははっ。違う違う。一緒に死ねるって思えるくらいの人。そういうの、憧れててな」
「……お、重くない?」
鈴が若干引くと、総は言葉とは全く違う明るい表情で「重いよなあ」と言う。
「前、同じ場所で働いてた男がさ、付き合っている相手が浮気したら、一緒に死ぬって言うくらい激しい奴で。羨ましかったんだ。存在感があって、誰も彼もどうでもよさそうにしてるのに、性別飛び越えて、そいつだけがいいんだって」
性別を飛び越える。
つまり同性なのかもしれないが、総が見ていて「羨ましい」と感じたのなら、きっと言葉通りではなく、それだけ深く思い合っている二人だったのだろう。
「だからまあ、死ぬ死なないは正直どうでもいいんだけど、それくらい思える相手がいいの。俺はね。そうして、相手のために尽くして尽くして、愛を注ぎたいわけ」
総が言う。
その声はからっとしていて、依存を口にしているのにどこまでも純粋な願いのように鈴には聞こえた。
少し先を歩く総は、振り返ると鈴を安心させるように目を細めた。
思い出す。
詰め襟の学生服を着た総が、そこに立っている。
背筋がピンと伸びて、泰然としている、あの万能感がそこにあった。
「久しぶりに、どう?」
手を差し出される。
なんのアドバイスもされなければ、説教もされないし、不安を正面から聞いてくることもない総の手を、鈴は取ろうとした。
が、その瞬間、けたたましい着信音が割って入る。
もちろん、蘇芳からだった。




