なろうエッセイ界隈を賑わせたトピック「アダルト広告」と「★1評価」の間には、実は密接な関係性があった! 〜エッセイストも読者になろう!〜
皆様こんにちは! シサマという者です。
今日はクリスマスイブ!
更に日曜日という事で、今日ばかりは流石になろうも過疎化すると思われているでしょうが、そんな事はないと信じております。
独身中年の孤独を舐めてはいかんのデスよ。
私の事なのかとか、拷問されてもよう言いまへんけどね(笑)。
……さて、私シサマはこの師走の前半からなろうを離れて仕事に忙殺されていたので、最近エッセイ界隈で「アダルト広告」が再び議論の的になっている事を、12月22日の夜に初めて知りました。
このトピックに関しては私も意見があり、当初はエッセイの感想欄にお邪魔しようと思っていましたが、複数のエッセイ作者それぞれの立場に共感出来たため、個別にエッセイを書く事を決意。
ただ、今さら薄味の後追いエッセイでは意味がないので、今年のなろうエッセイ界隈を賑わせていたもうひとつの話題である、「★1評価」とも絡めて年末まとめ感のある内容に仕上げた次第です。
まず、なろうのアダルト広告に関してですが、これは特にスマホで出やすいと感じますね。
私はなろう以外のサイトでアダルトコミックの前半試し読みをクリックした経験があるので、その後なろうに押し寄せたアダルトコミック広告を消すため、昔お世話になった痔の治療薬で有名な『ヒサヤ大黒堂』の広告を鬼クリック。
その結果、一時期はなろう全体が『ヒサヤ大黒堂』の広告で染まりました(笑)。
ある意味アダルト広告まみれよりやべーやつだと思います。
ところがその後、特に広告をクリックしなくなると、またアダルトコミック広告が出てきました。
これはつまり、なろうの同系列サイトである『ノクターン』や『ミッドナイト』がアダルト作品を主力にしている限り、なろうがいくら性描写を規制していても、当該サイトを行き来するユーザーの存在もあって広告選別は難しいのでしょう。
広告主から見れば、明確な需要があるからです。
私は普段から、某大手通販サイトのイタリアンローストコーヒー情報や音楽CD情報、サッカーサイトの試合情報などはちょ〜頻繁にクリックしています。
しかしながら、それらの嗜好がなろうの広告に反映された事は一度もないため、アダルト広告が出るのはお前がアダルト広告ばっかり見ているからだという意見だけは否定していいと思いますね。
対策としては、やはり出来るだけ自衛するしかないという結論になるでしょう。
なろうユーザーが一致団結して『ヒサヤ大黒堂』の広告を鬼クリックし、「やはりWeb作家は座りっぱなしで尻にクルのか……!?」と、『ヒサヤ大黒堂』様がビジネスチャンスを嗅ぎつけて大口スポンサーになってくれるかも知れません!
今回の問題の焦点は、ユーザー自身が身を切る代替案を出さないのに、なろうの運営批判をしていいのか?
或いはそれがなろうを維持する費用だと割り切って、未成年の目にアダルトコンテンツが触れる事をやむを得ないと結論づけていいのか?
という点に絞られると思われますが、これは結局の所、両方認めなければいけないでしょう。
社会経験の浅い若い人が主張出来なくなるという事態は、例えその主張が無責任に思えたとしても回避しなければなりません。
子どもの声がうるさいと言われて公園や保育園が行き場を失う日本に、少子化を止める手立てがなくなった現実と同じになりますからね。
しかしながら一方で、嫌われ者になる覚悟で大人の理論を用いる人がいなければ世の中は回りません。
なろうにアダルト広告を出さないで欲しいと考える人は多いと思われますが、運営に解決策を頼りがちになる背景には、自分の力のなさを痛感しているからこそという現実があると思います。
また、サイレントマジョリティーとして「アダルト広告はない方がいいな」と考える消極的反対派の方々も、「〇〇だから仕方がない」という、自分が子どもの頃に嫌いだった大人みたいな事を言いたくないという気持ちがあるはずですよね。
ただ、今回のエッセイ合戦で感心したのは、お互いの感想欄で意見をぶつけていても、人の目を離れた活動報告などで意見の合わない人を侮辱したり、主語を大きくして騒いだりするユーザーがいなかった事です。
議論に取り組む人達が行き過ぎたフェミニストとか、ポルノ中毒みたいな人の集まりでない限り、広告の印象だけでサイトやユーザーの評価は下がらないですし、この人ちょっと苦手……と思っていたユーザーの印象が変わった人もいたのではないでしょうか。
それが収穫です。
ちなみに私は、ユーザーが会費を払って執筆や閲覧に快適な環境が得られるなら、会費を払ってもいいと考えます。
ただ、無料という旨味がなくなると大多数の読者は離れるでしょうし、作者の多くも会費を払わずインセンティブもついている他のサイトへ移る事になるでしょう。
つまり、広告主を選ぼうとすれば、なろうは作品が書ければ会費を払っても幸せという、「完全趣味型のアマチュアサイト」に原点回帰する事になるのです。
正直私はそれでいいですし、なろうの運営側が最終的に考えているゴールは実はそこなんだろうな……と思っています。
今の日本とラノベ業界でインセンティブ競争になると、創作サイトは同時多発的に破滅すると私は危惧しているんですよね。
……ん? ちょっと待て。
お前はアダルトコミックを試し読みした事があると言っていたのに、なろうのアダルト広告を気にするのか?
そう思われた方もおられるでしょう。
それは私が読者ではなく「作者」であり、なろうには作品を書きに来ているから。
他のサイトでアダルトコミックを試し読みした時の私は、そのコミックサイトを「読者」として訪問していたから。
この「作者」と「読者」というスタンスの違いは、アダルト広告の問題だけではなく、エッセイ界隈を賑わせたもうひとつのトピックである「★1評価」にも深く関係しているのです。
★1評価について、まずは私の基準を述べさせていただきますね。
4年前になろうを初めて訪れてから今日まで、★1を高評価だと思った事は一度もありません。
なろうに於ける私のスタンスは、90%以上「作者」ですので、★1は無評価よりはいい「下から2番目の評価」という認識です。
ただ、それが目を通した単体作品に対するものであれば、★1評価に怒ったり、創作意欲が削がれたりする事はありません。
個人の評価基準はそれぞれに異なりますし、そもそも純粋に「クソつまらなかったけど、一応最後まで読んだからな……」という温情の可能性もありますからね。
一方、作品を書く事のない純粋な「読者」スタンスのユーザーにとっては、自身の読者遍歴の中で燦然と輝く名著が★5に値するのだろう……と想像がつきます。
ですから作者は、アマチュアの作品、もしくはプロでもライトノベルジャンルの作品に★1評価がつくのはよくある事だと割り切り、むしろ★5評価なんて奇跡みたいなものである、という認識が必要でしょう。
つまりは何が言いたいのか?
★1評価に極端に凹んだり、怒りが収まらない人は恐らく、平均すれば★4以上の高評価をもらっている作者なのだと考えられます。
ただ、その評価を入れてくれるユーザーの絶対数が少なく、その少ないユーザーが相互のお気に入りユーザー……或いは「作者」スタンスの人が大半なのだろうという事なのです。
私を含めた作者スタンスのユーザーは、まずは自分の作品の執筆を第一に考えます。
別格にお気に入りの作品や作者でない限り、身近な相互ユーザーの作品を気分転換レベルで読む程度ではないでしょうか?
自分の作品に入れられたら残念な気持ちになる評価を、相互のお気に入りユーザーに入れたくはないですよね。
いや、相互ユーザーなのに★2とか平気でお入れになりやがる人もいましたけど(笑)、それは私がそんな事で付き合い方を変えたり姑息な復讐とかしない漢だと認めてくれているのだと、どうにか納得しますねハアハア。
エッセイ界隈から得られる情報としては、結構な数のユーザーが「評価は★5か★4、それ以下になりそうな作品は評価しない」という基準を持っている様です。
こういう基準を持つ人は、たいてい作者スタンスのユーザーだと思います。
そして、そんなユーザーが自身の小説の息抜きや宣伝に利用するジャンルとしてエッセイを選び、自身に身近な評価や、作業場の壁に貼り付いている虫みたいに気になる広告(笑)というトピックに、スポットライトを当てるのですね。
一方で読者スタンスのユーザーは、評価の数字を「1から5まで全てが加点」という事実に則して判断します。
更に加えて、男性ユーザーであれば、アダルトコミックやセクシー系ソシャゲの広告も「好き嫌いは別にして、これもクリック出来る作品」と考えているのだと思います。
両者のスタンスの違いがエッセイや感想に表れていると考えれば、互いに論破など不可能で、むしろ興味深くなりますよね。
ここでタイトルにもある提案。
作者スタンスのユーザーに、読者スタンスを身につけて欲しいのです。
「エッセイストも時には作者を捨てよ、読者になろう」。
短編が多く、いわゆる「なろうテンプレ」とは無縁のエッセイジャンルは読みやすく、相互ユーザーとは無関係に新着から目を通す事が多い私。
その中でタイトルにピンときた作品があれば目を通し、自分と近い価値観が展開されていたり、文体に惹かれるものを感じた作品にはその場で評価を入れています。
現在のエッセイジャンルであれば、★5の10ポイントが入れば日間ランキング入りは濃厚。
私の評価した作品が他のユーザーの目にも触れ、そこから更にポイントを積み重ね、ランキングと作者の知名度を上げられるか……という、読者の醍醐味を堪能する。
その結果私の「評価を入れた作品」欄には、結構な割合で当時無名のユーザー、或いは新人ユーザーの短編が入っているのです。
しかしながら、私の評価以降にポイントが入らなければ、読者としての私の力はここまで。
ポジティブな感想で励ましを入れても、いい作品を残しながら数作でなろうから消えてしまう作者が無数にいるんですよね。
そんな時に2人目の読者からのポイントが入れば、それが例え★1であっても、のっけから低評価を喰らう衝撃に比べれば有りがたみを感じるはず。
読者スタンスを身につける事で作者スタンスの弱点を修繕し、より強靭な作者に、ある意味頑固で厄介な作者(笑)になりましょう。
私にとって「アダルト広告」や「★1評価」というものは、大雨や大雪みたいなものです。
当該者として直面すると、どうあがいても避ける事が出来ませんし、正直一般人の立場では大雨や大雪にポジティブな感情を抱く事は出来ません。
しかしながら、農林水産といった第1次産業に携わる人にとって雨雪不足は死活問題であり、実際私達も野菜や海産物がなければ命を繋げなくなりますよね。
地球という惑星が死滅するのですから。
なろうで作品を読んだ後に、サイトを移動する事なくアダルトコミックを読みたい、セクシー系ソシャゲをプレイしたい。
作品に心を動かす何かがあり、低評価の意味も含めて★1評価をしたい……そんなユーザーの気持ちを汲み取る事は、大量の人口を抱えるなろうという惑星が、現在の繁栄を維持するためのセーフティーネットであると考えます。
自分の足元に払い除けた雨雪が溜まり続ける現実は、この景色自体が新鮮な小さなお子様でもない限り、快適とは感じないでしょう。
とは言え、★1評価を気にしなくなれば、少しずつ積み重なったポイントの上によっこいしょと乗って、新しい景色が見えます。
そしてアダルトコミックやセクシー系ソシャゲのユーザーにも葛藤はあり、作品の主張や感想で恥ずかしくない自分を模索しているのです。