7.婚約者からの課題
三日後、サイドラー伯爵夫人が日程調整をしてくれたお陰で、予定よりも早く花嫁修業を始められる事となったブローディアは、執事のアルファスと家令のロイド、そして侍女長のミランダと侍女エルマと共に夫人をノティスの執務室に案内し、挨拶を交わしていた。
ちなみに何故ノティスの執務室なのかというと……領地経営について学ぶ際、実践を交えて行った方が効率がよいと言う意見が、ロイドとアルファスから上がったからだ。その後、ロイド経由でイレーヌに執務室で指導を行って貰るかを打診したところ、二つ返事で承諾してくれた。
そんな経緯があって、現在主不在の執務室に皆で集合しているのだ。
するとサイドラー伯爵夫人ことイレーヌが、改めて挨拶をしてくれた。
「お初におめにかかります、ブローディア様。わたくしはイレーヌ・サイドラーと申します。本日より僭越ながらブローディア様へ、ホースミント家の歴史や心構え等をご案内させて頂きます。ですが、わたくしもまだまだ未熟な部分がある為、至らぬ点が多いかと思いますが……。精一杯務めさせて頂きますので、何卒よろしくお願い申し上げます」
そう言って、美しい礼を披露したイレーヌは、ミランダと同じ40代くらいの女性だ。編み上げた赤みの強いブロンドを頭頂部部分で丸めるように結い上げ、やや上がり気味な目元から気の強そうな印象を受ける。しかしハキハキと話す様子から、裏表のない人柄も感じさせた。
はっきりと自分の意見を言ってしまいがちなブローディアからすると、とても親しみやすい雰囲気をもっている。
「こちらこそお忙しい中、急遽予定を早めるご対応を頂き、誠に感謝申し上げます。事情は家令のロイドよりお話しさせて頂いたかと思いますが……」
ブローディアがやや言いにくそうに言葉を濁すと、イレーヌが苦笑した。
「ロイドより面白おかしく伺っております。全く……ノティス様は、本当に婚約者の扱いがなっておりませんわね……。ですが、あれでも外交官として接待中は、ご婦人方を骨抜きにする程の完璧なエスコートをなさるのですよ? それなのに……肝心の将来の伴侶にそれが出来ないだなんて。外交官としては、とんだモグリなのではないかしら?」
ノティスに対して明け透けな辛口評価をするイレーヌの様子にブローディアが唖然とするが、すぐに吹き出してしまった。この分なら彼女とは上手くやっていけそうだと確信したブローディアは、自分の中に安堵感が広がる事を実感する。
「お気遣い頂き、ありがとうございます。サイドラー伯爵夫人」
「そのように畏まらずともよろしいですよ? わたくしの事は、どうぞ気軽に『イレーヌ』とお呼びくださいませ」
「ありがとうございます、イレーヌ様。では、早速本題に……」
しかし何故かイレーヌが困った様な笑みを返して来た。その様子にブローディアが怪訝そうに首を傾げる。するとイレーヌは、自身の侍女に目配せをして一枚の封筒を受け取り、それをブローディアに手渡して来た。
「昨日、ノティス様から夫宛の手紙の中に何故かブローディア様宛のお手紙が同封されていたので、お渡し致します。ちなみにその同封された封筒には、宛名の記載や封蝋印がなく、内容確認の為、わたくし達夫婦は中身を確認してしまいました……。申し訳ございません」
「いえ、そのような状態でお手元に届いてしまっては不可抗力かと思いますので、お気になさらずに。それでは、わたくしも中身を確認致しますね?」
封筒を渡して来たイレーヌの表情から、ろくでもない事が書かれているのだろうと予想したブローディアが、苦笑しながら中身の便箋を取り出して開く。
すると後ろから、家令のロイドと侍女のエルマが覗き込んでくる気配を感じた。
「ロイド!」
「エルマ!」
そんな二人の行動を執事のアルファスと侍女長のミランダが叱責する。すると無意識でそのような行動をしてしまったエルマだけが、謝罪をしながら慌てて佇まいを直した。
だがロイドの方は、無遠慮にブローディアの手元の便箋を覗き込んだままだ。そんな家令の態度に使用人2トップの二人が、白い目を向ける。
「うわー……。これはまたかなり面倒な事をクソガキ様が言い出しましたね……。しかも何故、ブローディア様宛に? もしやこれは、ブローディア様の力量を測る為の課題でしょうか?」
苦笑しながらロイドがイレーヌに視線で問うと、イレーヌが盛大にため息をつく。そんな二人の様子を確認しながら、ブローディアはもう一度、渡された手紙の内容を確認した。
その手紙の前半は、ホースミント家に来たばかりのブローディアを労うような言葉が綴られていた。しかし後半部分には、今から三週間後に隣国の侯爵数名を招いて開かれる夜会の警備騎士の手配をして欲しいと言う内容が、何故かブローディア宛で書かれていたのだ。
しかもご丁寧に依頼先の騎士団名と予算金額まで記載してある……。
ならば、素直にその騎士団に警備の打診をすればいいだけの話なのだが……。
どうやら先程のロイドとイレーヌの反応を見ると、そう簡単に話がまとまる事ではない様子だ。
その事に気が付いたブローディアは、ロイドにその真相を確認してみる。
「この依頼指示が出ているカークス騎士団には、何か問題があるの?」
「ええ……。まぁ……」
頭をガシガシ掻きながら煮え切らない返事をして来たロイドの反応を見ると、かなり厄介な騎士団らしい。そんな疑問を抱いているブローディアに応えるようにイレーヌが口を開く。
「カークス騎士団は、ホースミント領内では一番規模が大きく結束力も高い騎士団です。ですがその反面、自信過剰な騎士が多いと言うか……。騎士団をまとめているグレイブ・カークス子爵は、豪快なお人柄でもあると同時にとても野心的な部分もお持ちで……。半年前にルミナエス王家から直々に王家主催の夜会警備を任された事で陞爵の可能性を感じているようで、警備の手配を担っている我がサイドラー家だけではなく、ホースミント家に対しても強気な姿勢をするようになってしまった騎士団なのです……」
どうやら接待会場の警備手配を采配しているサイドラー家にとっては、かなり厄介な騎士団らしい。先程までハキハキとしゃべっていたイレーヌが、今ではとても歯切れが悪い話し方をしている。
だが、いくら何でも格下の子爵家が仕えている伯爵家に強気なのは、どうもおかしいと感じたブローディアは、素直にその疑問を口にする。
「ホースミント家の傘下で、しかも格下の爵位であるのに……。カークス家は随分と身の程を弁えていない子爵家なのですね?」
「カークス子爵家は、元伯爵家でホースミント家と隣接する領地を治めていたのですが……。10年程前に騎士団内に違法薬物が出回った事があり、その責を問われて子爵位に降格処分になった経緯がございます。その際、領地の7割は没収され、今は別の伯爵家が治めておりますが……。そのまま新たに統治する事が決まった伯爵家の傘下に入れてしまうと、以前統治していた名残で元傘下の子爵家や男爵家に圧力をかけるのではないかと危惧され、10年前よりこのホースミント家の傘下に入る事になったのですが……」
そこで言葉を濁したイレーヌから、ブローディアがある事に気付く。10年前といえば、まだノティスが17歳の頃だ……。プライドが高そうな現カークス子爵は、当時元同じ爵位で対等な立場であったホースミント家の傘下に入るだけでも抵抗があったはずだ。
だが、それ以上に仕える伯爵がまだ17歳の若造だった事が、かなり子爵の自尊心を悪い方へと刺激した可能性がある。ましてや、ノティスのあの性格であれば、騎士団を使う際にかなり足元を見た交渉で依頼をしている可能性が高い……。
まぁ、早い話がホースミント家に対して従順さに欠ける反抗的な配下という事だ。
「ちなみにカークス騎士団の騎士達の質はどうなのかしら? 最大何名までの警備騎士を手配出来るの? あと過去の依頼する際の金額等も教えて頂ける?」
「少々お待ちを……っと。カークス騎士団については、こちらの資料で確認出来ますね」
そう言ってロイドが、執務室内にある資料を引っ張り出して来た。
「資料からだと最大100名前後は、警備騎士を用意出来るようね……。これは以前伯爵位だった頃のコネクションが可能にしているのかしら? あと費用に関しては、ノティス様がかなり足元を見ていらっしゃるわね……。まぁ、不祥事を起こし降格処分を受けた過去を思うと、妥当な依頼金額とも言えるけれど」
カークス騎士団の資料を確認しながら、ブローディアがブツブツ呟いていると、イレーヌがすまなそうな表情で声をかけて来た。
「ブローディア様……。今回の会場警備の件は、やや対応が難しいので夫の方で対応致しますが……」
「いいえ。わたくしが対応させて頂くわ」
「「「ええっ!?」」」
アルファスとミランダ以外の三人が、ブローディアのその返答に素っ頓狂な声をあげた。
「で、ですが、ブローディア様。カークス子爵は、かなり傲慢な方で……」
「そうでしょうね」
「ブローディア様のような若く可憐なご令嬢が交渉に出向けば、あの高圧傲慢子爵は、更に調子に乗って依頼金額を吹っ掛けてくる可能性がありますよ!?」
「そうね。だからわたくしは、子爵とは直接交渉は致しません」
「「え……?」」
ブローディアのその宣言にイレーヌとロイドが、またしても唖然としてしまう。
「ロイド、とりあえずノティス様の指示通り、まずはお手紙で三週間後の警備依頼を通常通りの金額で子爵にして貰えるかしら? その際はノティス様の代理という事で、わたくしの名前を出してね」
「ええっ!? ブローディア様のお名前を!? そ、そのような事をしたら、ますますこちらの足元を見るような金額をあの傲慢強欲子爵はしてこられますよ!?」
「そうね。もしそのような返事が来たら、すぐにこの話は白紙に戻してちょうだい」
「はい!?」
あまりにも滅茶苦茶過ぎるブローディアの指示に先程からロイドがパニックを起こし始めている。しかし、イレーヌの方はブローディアがしようとしている事を何となく察したらしい。
「ブローディア様、恐らく一度引いて相手の出方を見てから対策を考えようとされているようにお見受けいたしましたが……。その場合、カークス子爵は確実にこの話を蹴ってきます。そうなれば警備騎士の確保が、かなり難しくなりますが……そこまで先の事を考えらておられますか?」
「もちろん。そもそも格下の子爵という立場で仕えている伯爵家の足元を見るような忠義心の低い配下等必要ありません! ならばさっさと切ってしまえばいいと思うの!」
そのブローディアの意見を聞いたロイドが、まるで残念な子を見るような目を向けて来た。
「ブローディア様……。若さ故の強気なお考えかと思いますが、実際問題カークス騎士団に断られては、我が領内で多くの警備騎士を確保する事は難しいです。仮に外部から警備騎士を手配するとなると、今度は予算面で問題が出てきます……。ですから、簡単に切るという判断は、ちょっと頂けないかと……」
かなり言葉を選びながら説得を試みてきたロイドに対して、何故かブローディアは同じような白い目を向け返す。
「ロイド……。わたくし、これでも一応ガーデニア家の令嬢なのだけれど、お忘れかしら?」
「ガーデニア家……。あっ!」
何かに気が付いた様子のロイドにブローディアが、意地の悪そうな笑みを綺麗に浮かべる。
「おじい様は典型的な『脳筋』だけれど、その分ガーデニア領内の騎士爵を持つ家には顔が利くの。そのコネクションを使えば、警備騎士の質を落とさずに必要な人数を確保出来るわ。もちろん、依頼金額に関してもカークス騎士団と同じ条件でお父様に受けて頂くわ」
「なるほど。確かに可愛い娘のお願いであれば、ガーデニア伯爵も融通してくださいますものね……」
しかし、うんうんと頷くロイドをブローディアが、キッと睨みつけた。
「ロイド、あなた何を言っているの? お父様どころかお兄様でさえ、そんな甘ったれた理由では、この依頼金額で受けてはくださらないわよ?」
「へ?」
「お父様達にぶら下げる餌は、外交関係で名を馳せているホースミント家から、会場警備を任されたという実績よ! 一度受けてしまえば、次回も話が頂けるようになるわ。正直なところ、ガーデニア家の騎士団は王都では競争率が激しくて、なかなか使って貰える機会がないのよ……。でもまさか嫁ぎ先が、良い交渉相手になるとは思ってもみなかったわ!」
そのブローディアの言い分にロイドが、呆れた表情を浮かべる。
「いや……。普通は新規開拓の取り引き先として、まず嫁ぎ先を一番に検討するかと思いますが……」
「だって先々代ホースミント伯爵と親しいわたくしのおじい様は脳筋だから、そのような発想はまず思いつかないし。お父様に関しては、前伯爵ご夫妻に起こってしまったご不幸で、ホースミント家に対しては腫れ物でも扱うような対応になってしまっていたから、商談に関するお声がけが出来なかったと思うわ」
「その件に関しましては、我が主君の落ち度にもなりますかね……」
「どうかしら? そもそもノティス様は国外外交をメインで任されていたので、先方から招待されるお立場が多かったのでしょう? 会場関係の手配はサイドラー伯爵家に一任されていたのだから、こういう発想はなかなか出来なかったと思うわ。ましてや婚約を交わして17年間も放置していた相手よ? 取引先としての検討どころか、その存在すら忘れ去っていた可能性だってあるのではなくて?」
「うっ……」
ブローディアのその言い分に罪悪感からか、何故かロイドが苦しそうに胸に手を当て、うめき声を漏らす。そしてよく見ると、ずっと静かに傍観していたアルファスとミランダも同じような反応をしていた。
だが、ただ一人このブローディアの提案に瞳をキラキラさせている人物がいた。
サイドラー伯爵夫人ことイレーヌだ。
「ブローディア様! その素晴らしき戦略を今すぐに実行致しましょう! ロイド、すぐにカークス子爵に先程ブローディア様がご指示された内容で手紙をしたため、送りつけておやりなさい!」
「おやりなさいって……。そもそも若旦那様の許可なく、そのように勝手に動いてもよろしいのですか?」
「ノティス様は、わたくしがこの件を対応する事を希望されて、このようなお手紙をお寄越されたのよ? ならばわたくしの好きなように対応させて頂くわ!」
「いやー……でも一応、そのように動いても良いか確認だけでもされた方がいいと思うのですが……」
すると、ブローディアとイレーヌがカッと目を見開き、声を揃えて同時に叫ぶ。
「「丸投げしてきた人間にそのような確認など、する必要はありません!!」」
二人から同時に叫ばれたロイドは、その迫力からビクリと肩を震わせた。
そしてゆっくりと振り返りながら、傍観している三人に救いを求めるように視線を向ける。しかし、ミランダとエルマはサッと視線を逸らし、アルファスは静かに目を閉じた後、ゆっくりと首を左右に振った。
こうして二人の勢いにのまれたロイドは、ブローディアの指示通りカークス子爵に気が重くなるような内容の手紙を送ったのだった……。