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15.想い人の存在

 ゆっくり落ち着いて話せるよう休憩用の空いているテーブル席に着いた二人は、給仕係からアルコール度数の少ない果実酒を差し出された。だが、それをフィリーナが断る。


「申し訳ないのだけれど、アルコールの入っていない果実水に替えて頂ける?」

「かしこまりました」


 ブローディアが、その給仕係が去っていく様子を何気なく見つめていると、フィリーナが困ったような笑みを返して来た。


「申し訳ございません……。わたくし、現在妊娠中でして……」

「まぁ! それはおめでとうございます!」

「ありがとうございます。ですが、もう三人目なので、大分慣れて来てはいるのですけれど。ブローディア様の場合、これからですわね!」


 そう言ってニッコリと微笑んできたフィリーナだが、どうもブローディアには目が笑っていないように見えた。

 何故そのように見えてしまったのか自分でもよく分からないが、ブローディアはそれを誤魔化す様に笑みを返すと、先程の給仕係がすぐに戻って来て、二人分の果実水を差し出してきた。


「ありがとう」


 その果実水を受け取るフィリーナの手は白く長い指をした美しい手だった。何故かその部分に目が行ってしまったブローディアがその美しい手を凝視していると、再度フィリーナが苦笑するような笑みを向けてくる。


「申し訳ございません。ブローディア様までも果実水になってしまいましたわね……」

「いえ、わたくしも成人したばかりでアルコールには、そこまで慣れておりませんので……。むしろ助かりました」

「まぁ! 成人したばかりなのですか? 凛とした立ち居振る舞いで堂々としていらしたので、もう少しお年が上なのかと」

「ええ、よく言われます」


 驚いているフィリーナに苦笑しながら答えたブローディアも先程受け取った果実水を口に含む。現状、フィリーナが、どういう目的で自分に声をかけて来たのか分からないが、少なくともブローディアを慕って声をかけて来たわけではない事だけは確かだ。そう思ったブローディアは、少し様子を見る事にした。


「そう言えば、夫のノティスとは会われましたか?」

「いいえ。実はまだなのです。ですが、先にブローディア様にお会いできて良かったと思いまして……」


 フィリーナのその言い分にブローディアが一瞬だけ身構える。

 実は先程からフィリーナより感じる謎の違和感の原因をブローディアは、何となく察し始めていたからだ。

 すると、フィリーナが予想通りの話題を振り始める。


「実は……少々ブローディア様のお耳に入れて頂いた方がよろしいお話がございまして……」

「それは……夫のノティスの事についてでしょうか?」

「ええ。ただその、あまり気持ちの良い話ではないので、お話ししても良いか少し判断に迷っているのですが……」

「構いませんわ。外交官の妻として、その部分は覚悟して嫁いでおりますので。恐らくフィリーナ様がお話ししたい内容は、夫の女性関係についてのお話ではございませんか?」


 すると、フィリーナが驚くようにゆっくりと目を見開く。


「は……い。ですが、何故そう思われたのでしょうか……」

「すでに夫本人からは過去に女性関係で、やんちゃな事をしていたという武勇伝を聞かされているのです。例えば西の隣国で高級娼婦にもてなされた等の話を」


 すると、何故かフィリーナが激しく動揺し始める。


「こ、高級娼婦!? お、お義兄様はそのような破廉恥な昔話を、成人されたばかりの新妻となったブローディア様にお話しされたのですか!?」

「ええ。しかも初夜の翌日に」

「まぁ……。お義兄様ったら何てデリカシーがないのかしら。しかも高級娼婦だなんて……」


 左手を頬に添えながら、かなりショックを受けているようなフィリーナの呟いた言葉からブローディアはある事を確信する。

 恐らくフィリーナは、過去にノティスに好意を抱いた事があると。

 そうでなければ、今の話で高級娼婦の部分に反応などしない……。

 普通であれば、もう少しブローディアに対して同情するような言葉が出てくるはずだ。だがフィリーナから出た言葉は……。


『しかも高級娼婦だなんて』


 これは明らかにフィリーナがノティス対して『潔癖な人間』というイメージを勝手に抱いているからだ。

 要するにフィリーナにとって、ノティスは娼館通いのようないかがわしい遊びは絶対にしない品行方正な紳士というイメージが強かったのだろう。

 そうなれば当然、現在妻の座におさまっているブローディアに対しても良い感情など抱いてはいないはずだ。


 その事に気付いてしまったブローディアは、心の中で小さくため息をつく。

 なかなか面倒そうな人間と関わってしまったと。

 だが、ノティスの過去の高級娼婦遊びのショックからすぐに立ち直ったフィリーナは、まだブローディアに対して何かを仕掛けたい事があるのか、先程の自分が振りかけた話題を再び戻して来た。


「もしや……ノティスお義兄様が、そのような娼館遊びをされていたのは5年程前の事ではありませんか?」

「さぁ……。流石に正確な時期までは聞いておりませんが、まだわたくしと顔合わせをする前の若い頃と伺いましたが」

「やはり……そうなのですね……」


 何がやはりそうなのかブローディアにはよく分からないが、とりあえずフィリーナが夫に関するろくでもない情報を頼んでもいないのに提供しようとしている事だけは、ブローディアにもよく分かった。

 ただそれが、ブローディアにとってダメージになるかどうかは微妙だが、わざわざ声を掛けてまで企んでくれたのだからと、ブローディアはそのフィリーナの微妙な嫌がらせを興味本位で受ける事にした。


「夫の過去に何か……? 娼館通いならば、ただの遊びなのでそこまで問題ではございませんが……」

「いえ、その……その高級娼婦で遊ばれていた時期が、ノティスお義兄様が思い悩んでいたと思われる時期と重なっているのです……」


 フィリーナのその言葉に釣られたふりをする為、ブローディアも深刻そうな表情を浮かべる。どうせその時期に付き合っている女性がいたとか、好きな人がいたとか、そんな話だろうと……。


「実はお義兄様は過去にとても想いを寄せられている女性がいらしたようで……。その時は、まだブローディア様とはお顔合わせをされていなかったようなのですが。わたくしは二年程前にその事を偶然知ってしまって……」

「偶然?」


 興味津々という雰囲気でオウム返しをしたブローディアだが、内心では「ほら、来た!」と自分の予想があたっていた事に心の中で、ほくそ笑んだ。

 しかし、この後フィリーナの話は思わぬ展開を見せ始める。


「はい。実は二年程前に夫と一緒にホースミント家に伺った事がありまして。その時は夫が任されていた隣国の外交官をもてなす立食パーティーのご相談をしに伺ったので、わたくし達はノティス様の執務室に通されました。ですが、途中でその立食パーティーで料理の手配をされていたサイドラ―伯爵がお見えになり、三人は客間に。そしてわたくしは、そのままノティス様の執務室にて待たせて頂く事になりました。その時、あまりにも暇だったので、執務室の書棚を眺めていたのです。わたくしは、幼少期によくホースミント家に遊びに来ていた為、恐らく懐かしくなってしまったのでしょうね……。ついその幼い頃の思い出が、わたくしに軽率な行動をさせてしまったのだと思います……」


 そこまで語ったフィリーナは、しゃべり過ぎた所為か果実水を口に含む。

 そしてブローディアの方は、随分と長い前置きだと思いながらも真剣な表情を作って食い入るように耳を傾けているふりをした。すると遂に本題に入るのか、フィリーナが真っ直ぐな視線をブローディアに向けてきた。


「ブローディア様、ノティス様の執務室にある奥から三番目の書棚の上から二段目の列に並んでいる背表紙部分いに黄色いガーベラの印が付いている本があるのをご存知でしょうか?」

「いいえ。執務室にある書棚は、あまりじっくり確認した事がないので……。そのような本が、あの執務室にあるのですか?」

「はい……。まぁ、そういう本が置いてあるというよりも、本に偽装した仕掛けの作動スイッチがあると言った方が正確でしょうか……」

「仕掛けの作動スイッチ!?」


 あまりにも予想外の話の展開にブローディアが演技ではなく、本心から驚く。

 つい先程までは『あなたの夫には以前、叶わぬ恋心を抱いていた女性がいたようです』という流れの話を聞かされていたはずだったのだが……。

 何故かその話は、現在ブローディアが住んでいるホースミント家の邸に謎の仕掛けがあるというような、かなり突飛な話に変化して行ったのだ。


「あ、あのー……。その書棚にある謎の仕掛け作動スイッチが、何故夫が想いを寄せていた女性がいたというお話になるのでしょうか……」


 あまりにも突飛過ぎる話の展開にブローディアは演技をする事も忘れ、話の続きを催促してしまう。するとフィリーナは、一度ゆっくりと目を閉じ、再度ブローディアに真剣な表情を向けてきた。


「ブローディア様……。今からわたくしがお話しする事は、ノティスお義兄様にはもちろん、他の人間にも他言無用でお願い出来ますでしょうか?」

「え、ええ。もちろん」


 するとフィリーナは、一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと語り出す。


「その黄色いガーベラの印が背表紙にある本を引き抜くように手前に倒しますと、カチリと音が鳴ります。すると同じ並びにある室内から一番手前の書棚が押し扉になるのです」

「押し扉……」

「そしてその扉の先は、いわゆる隠し部屋というものになっております」

「隠し部屋……」


 そこでフィリーナはワザとらしく、心を落ち着かせるふりをするように再度大きく深呼吸をする。


「ブローディア様、落ち着いて聞いて下さませ。実はその隠し部屋には……ある女性の肖像画が、大量に飾られていたのです……」

「ある女性? それは一体……」

「申し訳ございません……。流石にわたくしもそこまでは……。昔を懐かしみながらとは言え、勝手に執務室内を見て周り、偶然隠し部屋を見つけてしまった手前、ノティスお義兄様には、あからさまにその詳細を確認出来ませんでした……。ですが、肖像画は様々な表情と角度から描かれていて、恐らく腕のいい画家にわざわざ依頼し、描かせた物だと思われます」

「もしやその女性は、以前ノティス様が贔屓にされていた高級娼婦では?」

「いいえ。その女性は、美しい銀髪に透き通るような水色の瞳をしている大変気品溢れる女性の絵でした。描かれているドレスもかなり高級な生地のように感じましたので、恐らく身分の高いどこかのご令嬢、あるいはご婦人かと。そうなりますと、やはりお義兄様が密かに想いを寄せていた女性のようにわたくしは思いました……」


 そう言って、ノティスの想い人説を主張してくるフィリーナ。

 その話をブローディアは、半信半疑で聞いていた。

 そもそも執務室にそんな隠し部屋があるとは思えないし、あったとしてもそれがノティスの想い人と推測するには、あまりにも短絡的な思考だ。


「フィリーナ様は……何故その女性がノティス様の想い人だと思われたのですか?」

「何故って……。その、気を悪くなさらないでくださいね。これはあくまでもわたくしの推測なので……。理由としては、まずお義兄様が初めてブローディア様がご自分の婚約者だとお知りになったのは、15歳の頃です。しかもお相手はまだ当時5歳のブローディア様です。多感な年頃である時に自身の婚約者が、まだ5歳の少女と聞かされたお義兄様は、とても衝撃的だったと思います……」


そのフィリーナの言い分には、思わずブローディアも納得してしまう。

もし自分が15歳の少年で、婚約者はまだ5歳の少女だと聞かされたら、かなり複雑な心境になってしまうからだ。

だがそれを第三者から言われると、何故か10歳も年下である自分の事を非難されているように感じてしまう……。たとえその婚約が祖父達によって交わされた物だったとしても。


そんなブローディアの心境を読み取ったのか、再びフィリーナが持論をかざしてくる。


「そしてちょうどその頃にお義兄様は、本格的に外交官としてのお仕事を開始されておりますので、交渉相手のお宅にも招待される事が多かったのではないでしょうか。そうなりますと、自然とそのお宅のご令嬢とも交流を持たれる事があったかと……。そして先程、娼館通いをなさっていたようなお話をブローディア様から伺い、更にその考えは確信に近づきました。あの品行方正なお義兄様が、高級娼婦通いなどするなんて……。恐らく、それほど自暴自棄になってしまうほど、お義兄様はその女性を深く愛していたのではないかと……」


 そこまで語り切ったフィリーナは、今にも泣き出しそうな切なげな表情で俯いた。

 そのあまりにもフィリーナにとってのご都合主義な推測内容にブローディアは、心の中で呆れ始める。

 だが乗りかかった船なので、一応最後までフィリーナのバカげた推測に付き合う事にした。


「なるほど……。それで夫が外交時の訪問先で、その肖像画の女性に報われない恋心を抱いてしまったのでは、とフィリーナ様はお考えになられたのですね?」

「はい……。ちょうどその頃のお義兄様は、必死でお仕事をこなす事を優先されてましたし。お義兄様は自分に好意を抱いていそうな女性に近づかれると、やんわりとですが徹底的に遠ざけるような対応をなさっていたので……」


 そこまで話を聞いたブローディアは、フィリーナに気付かれないように小さく息を吐いた。その話はあまりに信憑性に欠けるものであり、何よりもフィリーナの勝手な推測と思い込みばかりで語られている部分が多すぎる。どう考えてもブローディアにノティスのその秘めた恋心を諦めさせた罪悪感を植え付けようとしているようにしか感じられなかったからだ。

 その為、無駄な時間を過ごしてしまったと後悔し始めていたブローディアだが……。

 次のフィリーナから放たれた言葉で動きを止めた。


「これは興味本位での確認になりますが……。そもそも何故ノティスお義兄様は、お式の直前までブローディア様との面会を先延ばしにしていらしたのでしょうか?」

「えっ……?」

「それはお義兄様が、ずっと心の中で一方的にお慕いしていた女性がいて、ブローディア様との婚約がなかなか受け入れられなかったからではないでしょうか?」

「それは……」

「その女性に恋に落ちてしまったタイミングで、自身にまだ5歳の婚約者がいる事を聞かされたお義兄様は、誰にも打ち明けられずに密かにその女性への恋心を募らせ、そしてその想いをあのような隠し部屋にこっそりと埋葬するしかなかったのではないかと、わたくしは思うのです……」


 そのフィリーナの考えはブローディアの中で、酷く引っかかりを見せた。

 確かにノティスが挙式直前までブローディアと顔合わせをしなかったのか、その詳しい理由をブローディアは聞かされていない……。

 挙式直前の隣国への外交出張から帰ってきたノティスは、ロイドとの会話で交渉先の外交担当者の入れ替わりが続き、ブローディアとの顔合わせ時間が得られなかった言っていたが……。それが顔合わせを先送りにしていた本当の理由ではない事をブローディアも薄々勘づいていたからだ。


 そもそもノティスほどの優秀な外交官であれば、婚約者との顔合わせ日程調整くらい簡単に出来たはずだ。だが、その機会をノティスは挙式ギリギリまで、敢えて捻出しなかった……。そしてそれは、ずっとブローディアの頭の片隅で小さく引っかかっていた事でもある。


「ブローディア様……。このようなお話、信じて頂けないかとは思いますし、わたくしも信じたくありません……」


 悲痛そうな表情を浮かべ、そう口にするフィリーナだが、今のブローディアには何故か彼女が心の中でほくそ笑んでいるようにしか見えない。


「ですが、その隠し部屋が存在している限り、お義兄様は未だにその女性に叶わぬ恋心を抱き続けている可能性がございます……。本当はこのようなブローディア様に不快を与えてしまうお話は、わたくしもしたくはございませんでした……。ですが、もしお義兄様がその叶わぬ恋心を抱えたまま、ブローディア様との結婚生活を続ける事は、お義兄様にとってもブローディア様にとっても、あまりにも残酷過ぎる状況だと思うのです」


 そう言ってブローディア達を憐れむような様子を見せるフィリーナだが……ブローディアにしてみれば、彼女が意地悪くその状況を心より楽しんでいるとしか思えない。


「もし信じられないというのであれば、執務室のその仕掛けを作動させ、隠し部屋の存在を確認されてみてください。恐らくその部屋は……まだ存在しているはずなので……」


 そう言ってフィリーナは、テーブルの上に小さなカードを差し出して来た。

 そこには、先程の執務室の隠し部屋を開く為の仕掛けの解除が書いてある。

 そのカードから視線をフィリーナに戻すと、彼女は何故か泣き出しそうな切ない笑みを浮かべていた。


「ブローディア様……お願いです。もうノティスお義兄様の事を解放してあげてください……」


 フィリーナのその言葉は、婚約者として長きに渡りノティスの報われない恋心を抑えつけていた事に対しての解放なのか……。

 それとも、その恋心をブローディアと幸せな結婚生活を築く事で忘れさせて欲しいと言う意味での解放なのか……。


 どちらの意味で放たれた言葉なのか、今のブローディアには判断がつかない。

 だが、ここまでフィリーナが言い切った事を考えると、本当にその隠し部屋はノティスの執務室に存在しているのだろう。


 そう考えたブローディアは、実際にその隠し部屋が存在しているのか、自身の目で確かめようと決意を固めた。

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