11.妻としての役目
アルファスと共に食堂に向うと、すでにノティスが席に着いていた。
「ディア、待たせてすまなかったね」
「いえ。こちらこそ」
そう言ってアルファスが引いてくれた椅子に腰を下ろす。
すると給仕がグラスに水を注いだので、それを確認したブローディアがナプキンを膝に掛けると、前菜が運ばれて来た。
それをノティスのタイミングに合わせるように食べ始める。
「そういえば不在中にかなりの厄介事を頼んでしまって、本当に申し訳ない……。特にカークス騎士団の件は本当に助かったので、今度是非お礼をさせて貰ってもいいかな?」
先程、砕けた口調での会話を提案した事もあり、ノティスはすぐに話し方を切り替えて来た。二十代後半にしては、やや幼さを感じさせるその口調にブローディアは一瞬だけ目を見張るが、すぐに笑みで返す。
「お礼だなんて気になさらないでくださいませ。こちらも確認もせず、独断で実家のガーデニア騎士団に仕事を廻してしまったので……」
「いや、君なら絶対にそのように動くと思っていたから想定内だよ」
ノティスから、にっこりとそう告げられたブローディアは瞳をパチクリとさせた後、盛大に苦笑する。
「やはりガーデニア騎士団の介入を予め予想されて、わたくしにこの件を頼まれたのですね……。ただ、そうなりますと一つ疑問が」
「何かな?」
「カークス騎士団のあの威圧的態度と質の低さは、恐らく10年前からですよね? 何故、今まで放置されていたのですか?」
「うーん、その事に関しては少々耳が痛いのだけれど、一番の理由は改善策に動き出す暇が私になかったという部分かなー」
「ですが……父に一言ご相談頂ければノティス様の代行として、すぐに対処出来ましたのに……。ましてや婚約相手の家でもあるので、話を持っていきやすい状況ではありましたよね?」
ブローディアが結構踏み込んだ質問をすると、そのタイミングを見計らったようにスープが運ばれる。それを二口ほど口にしたノティスが、苦笑気味な表情を浮かべて会話を再開させる。
「流石に婚約者である君に一度も挨拶をしていない状態では、頼みにくかったんだ……。だからと言って、顔合わせをしてしまえば、それなりに関係醸成の機会を作らなくてはならないが、その時間が私には得られない状態だった。本当に申し訳ないのだけれど、ここ10年間の私は、かなり多忙でね。7年前は西側の隣国の外交のトップが急遽変わってしまい、落ち着くまで二年程かかってしまうし。5年前は東側の隣国の外交官が代替わりしたりして、落ち着くまでスムーズに対応出来る適任者が私のみだったんだ。その為、国内よりも国外にいる事の方が多くて……。その間、叔父が仕切っているサイドラー伯爵家に国内外交関連の対応を一任していたから、ホースミント家での仕事は王家に提出する報告書の作成くらいしか行っていなかったんだ。だからその間は、基本的な家業は代理の人間で対応していた感じかな。その後、やっと我が家が中心となって動けるようになったのは、去年くらいからだ」
ノティスのその話は、確かにブローディアにも覚えがあった。
特に西側については、当時その外交官がモラルに反するような不祥事を起こしていた事が発覚し、ルミナエス国内でもかなり話題になっていた。
その時まだ7歳であったブローディアだが、ガーデニア騎士団内でもかなり話題になっていたので、騎士達がその事を話していた記憶が何となく残っている
「ちなみにすぐに動かなかったのは、君が我が家に来る事になっていたからだ。本来は君との関係醸成も兼ねて、一緒に相談しながら取り組もうと思っていたのだけれど……。まさか二カ月近くも国外で行われるイベントの担当に自分が指名されるとは思ってもみなくてね……。このように挙式ギリギリからの関係醸成になってしまい、本当に申し訳ないと思っているよ」
ノティスがそこまで語ると、お互いの空になったスープ皿が下げられ、今度は魚料理が運ばれる。今回は何度か口にした事がある上品にお皿に盛られた白身魚のソテーだ。ソースが絶品で、早々にナイフとフォークにブローディアの手が伸びる。
「ちなみにカークス騎士団の件以外でも対応して貰って凄く助かった。特に予約二年待ちの焼き菓子はね。実はあの焼き菓子、隣国の侯爵婦人方の間で、ひそかに流行っているのだけれど、国内ではその事があまり知られていないから、ユーフォルビア妃殿下にも話を持って行きづらくて……」
「それであの焼き菓子店があるロベレニー侯爵領の令嬢セレティーナ様と親しいわたくしに頼まれたと?」
「ご明察! でもまさかあんなにも早く希望個数を用意してくれるとは思わなかったから、驚いたよ。君は未来の王太子妃殿下と、かなり深い友人関係を築き上げているのだね」
そう言って目を細めて微笑むノティスの表情は、見る人間によって全く違うように見える笑みだ。素敵な貴公子だと感じている女性が見れば、甘くとろけるような微笑みと感じるだろう。だが、やり手外交官として彼を見る人間からすると、何か企んでいるような笑みに見える。ちなみにブローディアの場合は後者だ。
「彼女は、幼い頃からのわたくしの友人でして。ユリオプス殿下の婚約者に決まってからは王妃教育の為、王都中心の生活になってしまい、なかなか顔を会わす機会が少なくなってしまいましたけれど……」
「でもこの邸からは王都が近いので、今はセレティーナ嬢と会う機会は得やすいのではないかな?」
いつの間にか魚料理を食べ終わって皿を下げられていたノティスは、行儀悪く左肘で頬杖を突きながら、不敵な笑みをブローディアに向けて来た。
その様子から『未来の王太子妃とのコネクションを大事に』と暗に言われているような気がしたブローディアは、その笑みに対抗するかのように同じく微笑み返す。
「ええ。もちろん今後は、そのつもりです。その際は、彼女との親睦を更に深める為、王城に宿泊する機会もあるかと思いますので、ご承諾頂けますと助かります。何分、女性という生き物は、他愛もない話で一日中おしゃべりに興じる事が出来ますので。一晩中語り明かしたとしても、まだ足りないくらいですわ」
未来の王太子妃との交流には力を注ぐが、今後気に食わない事があれば簡単に王城に立て籠れる事をブローディアは敢えて仄めかす。
「それは困るな……。新婚の一人寝ほど寂しいものはないから。もしセレティーナ嬢より、そのようなお誘いがあったのであれば、せめて挙式から一年間はお誘いを辞退して欲しいな」
「一年後であれば……よろしいのですか?」
「その時の状況にもよるね。もし一年後、君が僕の子を身籠ってくれていたら、セレティーナ嬢とのお泊り会を許可してもいいかな」
その瞬間、ブローディアは全身をビクリと強張らせた後、固まった。
その反応をどこか楽しむようにノティスは、出された食後のお茶を口にする。
対してブローディアには、デザートとして色鮮やかなフルーツが盛られたタルトが振る舞われた。
だが、今はそれを堪能している余裕はブローディアにはない。
そんなブローディアの反応にノティスが、申し訳無さそうな笑みを浮かべる。
「あ、あの……」
「まだ日が高い時間帯で、しかも食事中にこういう話をするべきではないとは重々承知しているけれど……。大事な話だから先に伝えておくよ。現状、このホースミント家の正当な跡取りは、前伯爵の一人息子である私のみだ。しかし、その私も気が付けば、すでに30前の中年期に差し掛かる年齢になっている。その為、早急に跡継ぎが必要な状態なんだ……。二週間後にやっと成人する若い君には、酷な話だと思うけれど……この部分だけは、歴史の長いホースミント家の現当主として絶対に譲れない。私が年を重ねれば、それだけ子供が出来る可能性も確実に下がってくる……。情緒も品もない言い方をさせて貰うと、出来るだけ私が元気なうちに、なるべく早く子供を儲けたい」
テーブルに肘を付いて組んだ両手の上に顎を乗せ、真っ直ぐな目を向けてきたノティスの視線に一瞬、ブローディアが呑み込まれそうになる。
確かにノティスのその言い分はもっともなもので、世間的に27歳ともなれば、子供の一人や二人はいてもおかしくもない年齢である。
しかもノティスの叔父が婿入りした現サイドラー家は、イレーヌの話では男の子が一人しかいないと聞いているので、万が一ブローディア達に子供が出来なかった場合、養子として貰い受ける事も出来ない状況なのだ。
その為、ノティスは可能な限り早く子を儲ける必要がある。
ブローディアとて、この家に嫁げばそういう役割を担わなくてならない事は、念頭に置いていたつもりだ。
しかし今のノティスの話では、その状況が二週間後に行われる挙式後、すぐにブローディアに訪れる事をはっきりと宣言している。
大抵の事には動じない自信があったブローディアだが……。
流石に男女間の微妙なやり取りに関しては、知識もなければ、早々に心の準備が出来る程の覚悟もまだ出来てはいない。
そんな状態でもあった為、動揺を隠しきる事が出来なかったようだ。
しかし、そのブローディアの反応を見たノティスは、不意に顔を背けたかと思うと口元に手を当て、苦笑するような表情で笑いを噛み殺し始めた。
「あの、ノティス様?」
「も、申し訳ない。とても悪趣味だと自分でも思ってはいるのだけれど。まさか年頃の若いお嬢さんの初々しい反応がこんなにも可愛らしいものだとは思わず、つい微笑ましくなってしまって……」
「……ノティス様は、わたくしの事をバカにしていらっしゃるのですか?」
「まさか! だけどロイドが手紙で君の事を『年齢にそぐわない肝の据わったご令嬢』と報告して来たから……。そうではない部分を垣間見る事が出来て、何だか貴重だと思ってしまって……」
「この後、少々ロイドと主従関係について話がしたいので、一瞬だけ彼をお借りしても?」
「彼はそこまでメンタルが強くないから、それはやめてあげて欲しいかな?」
そう言ってククッと小さく笑いを堪えたノティスにブローディアが、白い目を向ける。すると、その視線に気付いたノティスが、今度は困ったような表情をしながら笑みを浮かべ直した。
「冗談はさておき。まだ初々しい君には、先程の話はとても酷なものだとは思うけれど、現状はそういう方向で私は君との夫婦関係を進めたいと思っている……。この件については、挙式後の初夜の時に深く話し合いをするつもりだし、事に及ぶ際は無駄に年を重ねてしまっている分、可能な限り君には負担をかけないように配慮するつもりだ。それでも……出会って間もない男性と、そういう行為に及ぶ事は、まだ18にも満たない君にとっては、恐ろしさを感じてしまうと思う。だから、覚悟を決める時間も必要かと思って、予め伝えておこうと思ったんだ……」
「お気遣い……大変痛み入ります。ですが、わたくしも一伯爵令嬢として、嫁ぐ事の意味と最も重要な役割ぐらいは理解しているつもりです」
まだ17である自分が何においても知識や経験不足なのは、ブローディア自身も自覚している。だが、年齢が若いと言うだけで、自分がノティスに見くびられる事には納得出来なかった。そんなブローディアの主張を聞いたノティスは、やや困ったような笑みを浮かべる。
「そうだね……。聡明な君であれば、その部分はしっかりと理解はしてくれていると思う。それでも……君のような若い女性がその覚悟を決めるには、そう簡単な事ではないはずだよ? だから私としてもこの残り少ない二週間中に、出来るだけ君が私に恐怖を感じずに済むような関係醸成に尽力するつもりだ。だから君の方でも――――」
そこでノティスが一度、言葉を切る。
「挙式後までには、ある程度の覚悟を決めて欲しい」
まるで心の中を見透かされるような真っ直ぐな視線を向けられたブローディアが、驚くようにゆっくりと瞳を見開く。
17年間、婚約者としては放置気味だったブローディアだが、それはノティス側でも同じ事で……。ブローディアが若いと言う事で、ノティスもずっと婚期を先送りにされていた立場なのだ。
たとえ大分前から二人の婚約が決まっていたとしても、婚約相手であるブローディアの成長が結婚可能な状態にならなければ、跡継ぎを得るなど夢のまた夢だ。
だがノティスには、格式が高く歴史の長いホースミント家を存続させなければならないという強い想いがある。
だからこそ、ブローディアにはノティスという人間が分からなくなってしまっている。
物腰が柔らかく、10も年下の生意気な婚約者を子供扱い等せずに対等な立場で接しつつも、こうやって細やかな部分は気遣ってくれるノティス。だが、先程のように政略的な意味合いの結婚を仄めかすような事も口にしてくる。
恋愛結婚など特に期待していなかったブローディアだが、自分を高く評価してくれている様子のノティスが、実際はどういう感情を自分に抱いているのかが、全く見えないのだ。
この状態で、挙式後に夫婦的な行為に自分は及ぶ事が出来るのだろうか……。
当初、祖父同士によって決められた婚約だと割り切れていた婚約が、今のブローディアには違ったものへと変化しつつある。
それがこの『ノティスがどういう人間なのか全くつかめない』という部分が、かなり影響している……。知ろうとして探りを入れようとしても、何故かやんわりと躱されているような感覚。
それはノティスと初めて顔を会わせた時から、何度もブローディアは感じていた事だ。
同時に相手を知りたいと思ってしまう考えが、どういう思いから生まれて来るのかもブローディアは何となく気付き始めている。
だが、それを簡単に認めてしまっていいのだろうか……と。
挙式日まで、あと二週間――――。
ブローディアは、ノティスと夫婦になる事への覚悟だけでなく、自分自身の心の整理も必要だと感じ始めていた。




