棋士
「あの、博士。言われた物を持ってきたんですけど、あ、ここに置きますね。それで、その方は……」
「ああ、ご苦労。彼はプロ囲碁棋士の田中くんだ」
「はあ、囲碁の……それで、その、どうして」
「ん、彼はだな、対局中、難しい局面になると度々トイレに立ってはAI囲碁ソフトで対戦相手の打った手に対する最善手を分析していたのだ」
「え、それ不正では?」
「そうだ、それで囲碁界を追放された、いやされかかっているのだったかな。
だからAIに対して強い恨みを持っている」
「それ、逆恨み……」
「ははっ、まあ、それはいいんだ。
それで彼に声を掛け実験に協力してもらったわけだ。
良い指標になるし、彼は強くなりとやかく言う連中を実力で黙らせないとならないからな」
「実験? じゃあ、それ、あの、私が気になっている、その、その方って元々坊主じゃ、いや血管がすごいピクピクして……いや、頭のその切れ込みは……」
「ああ、頭部を切って脳を弄ったのだよ」
「え、切って、は、は、は?」
「ほら、よく例え話であるだろう。人間の脳とコンピューターは同じだと。
大規模な記憶容量に高度な処理能力。
しかし、残念ながらこの私でさえ、その能力をフルに活用できているとは言い難い」
「ああ、確かに何パーセントしか使えていないという説がありますね。ホントなんだかどうかわかりませんけど」
「ま、未知の領域、活用できていないことは間違いない。
なので、彼にある手術を施したのだ。そう、脳をフル活用するためのな。
薬とあとはちょいちょいとふふふふ。まあ私の手にかかればこんなものだ」
「いや、うえぇ、汁が垂れて……それにしても彼、目をひん剥いたまま、全然まばたきしませんね。」
「ああ、薬の作用でこうなってしまったのだ。
まあ、もう眠る必要はないし、構わないんじゃないかな。
さあ、それより囲碁対決だ。頼んでいたパソコンをほら、起動するんだ。
……よしと、さあ田中くん。にっくきAIを打ち負かしてやれ。君が囲碁界の希望となるのだ」
博士はそう言うと助手が持ってきたパソコン、囲碁ソフトを起動した。対戦相手は当然AI。強さはもちろん、最強設定である。
「いや、本当に大丈夫なんですか? そもそも、ちゃんと、あ、打ち出した」
「…………どうだ。どっちが勝ってるんだ」
「まだ始まったばかりですよ。それに私も囲碁はよくわかりません」
「ふむ、しかしテンポが良いな」
「そうですね」
「……お、AIの方が悩み始めたぞ。ははははっ」
「確かに。田中さんはノータイムで打ち返してますね」
「このソフト、強いと評判なんだろう?」
「ええ、最新の物を買ってインストールしておきましたから、あ」
「投了! 降参だと、はははは勝った! 勝ったじゃないか! しかも一度も手を休めることなくだ!」
「はい! ええと、お、説明書によるとプロの方でもそう易々と勝てるレベルじゃないですって!」
「そうかそうか、まあ、プロも不正に使うくらいだものなぁ。やったな田中くん! はははは! 彼も嬉しそうだ!」
「嬉しそう、はい、まあ、いや、彼、喋らないんですか?」
「ああ、まあ囲碁ができればそれでいいからな」
「いや、でもさすがにそれは困るんじゃ……」
「修羅だよ修羅。どうせ最強の棋士になるわけだ。
喋らなくてカッコいいとかミステリアスとか周りは良い風にとらえてくれるだろう」
その後、プロ囲碁棋士の田中は破竹の勢いでタイトルを連覇。文句なしの史上最強と称された。
だが、月日が経つと……
「……田中さん、また負けたそうですね。かわいそうに」
――パチッ
「仕方ないさコンピューターが進歩し新しいものが出てくるように人もまた進歩するのだから」
――パチッ
「人……ですか。彼ら、囲碁界は……」
――パチ、パチリ
「うん? ああ、進歩と言えばそうだ、今度、AIの将棋ソフトを買って来てくれ。強いやつをな。ちょっと頼まれててな」
助手は苦虫を噛み潰したような顔をし、口の隙間から小さく、はいと漏らすように言った。視線はテレビに映る、対局中の二人の棋士から逸らせずにいた。
パチパチパチ、碁盤が鳴る。
バチバチバチ、脳の電気信号が走る。
彼らは未来を碁盤の上で雄弁に語り合っていた。