7.猫の昔話
裏表のない言葉をかけられ警戒が解けると、今度は会って間もない誘拐犯もどき相手に、よく「信用できる」という言葉を投げかけられるなと面白く思えてくる。きっと本人に伝えたところで受け流されるのだろう。
そう思った弥生の表情は柔らかく、口からはクスッと息が漏れていた。
「それもそうか。それじゃあ僕は、約束を守ろうとしてくれている間は君の命令には大人しく従ってあげようかな」
「守ろうが守るまいが、お前は俺に従うしかないだろう」
「最終的にはそうなるだろうけど、煩わしさが違うだろう?」
「まあ、たしかにそうだな。ならば、俺はその煩わしさから解放される手段をとろうと思うのだが」
「どういう意味?」
「命令だ。お前、俺の代わりに撫子を娶ってやれ」
「……は?」
側近になる事を命じられた以上の、雷が直撃したのではと思えるような衝撃が弥生を襲う。突拍子のなさに言葉も出てこない。
そんな無反応の弥生の姿に、大和の眉間に皺が寄った。
「おい、聞こえなかったのか? 撫子を娶れと……」
「いやいや、聞こえてはいたよ。聞こえてはいたけど、意味がわからないんだ。どこをどうしたら突然、僕が彼女を娶るって話になるのさ。そもそも君たちが良くたって、周りがどんな反応をするか。受け入れられるわけがないだろう。僕らが婚姻を結んだところで、君の家門にも、彼女の家門にも何の利にもならないんだから。それに君だって、婚姻は破棄できないって言っていたじゃないか!」
困惑を隠せない弥生は責めるようにまくし立てた。対する大和は何も感じていないように冷静だ。
「たしかに、はじめは周りの抵抗もあるかもしれない。だが、俺と撫子が話し合ったうえでの結論だとわかればそのうち収まるはずだ。それにお前は8尾の大妖で、俺の側近になるんだ。管桜家の方も婚約時に立てた援助の約束を反故にしない限り何も言ってこないだろう」
「いやでも、僕たちはついさっき互いの存在を知ったばかりなんだよ?」
「何を驚く必要がある。初めての顔合わせが婚姻を結ぶ時という事などざらだろう」
「君達みたいな高貴な妖怪にはざらなのかもしれないけど、僕みたいなのには普通じゃないんだよ、それは!」
弥生は自分の立場などそっちのけで大和に意見し続ける。
普通、隷属する妖怪がここまで反抗すれば、契約の力を使って強制的に従わせるだろう。けれど大和は面倒そうな表情をするだけで、その力を使おうとはしなかった。
諦めの溜め息をつくと、仕方ないと言いたげに口を開いた。
「わかった。それなら、まずは婚約者候補から。それなら文句ないだろう」
「いや、だから、こんな身元もはっきりしないような男なんて、彼女も」
「撫子は本心からお前のことを好いている。出しに使おうとするな。初対面にこだわって躊躇っているのはお前だけだ」
「それ、は……」
弥生が視線を逸らすと撫子と目が合った。彼女はピクリとからだをふるわせ視線を彷徨わせ、恥ずかしそうに頬を染める。そんな顔をされては、恋愛対象外などと言ってはっきりと断りにくい。
弥生は撫子の事が嫌いというわけではない。撫子は可愛らしく、身分も申し分ない。どちらかというと、好ましい感情を抱いている。ただそれは妖怪としてという話で、恋愛には直結した好ましさではない。ただ、もし弥生が本当の男、ないしは同性を愛せる者なら、「関わるうちに情が湧くかもしれない」と了承していたかもしれない。
けれど弥生の本当の姿は女で、恋愛対象は異性。言われるがまま、性質を偽った姿で婚約を了承したところで、いずれ弥生も撫子も不幸になるだけだろう。
弥生は崖っぷちに追い込まれたような気分だった。
「……だとしても、それだけは勘弁してくれないかな」
「撫子に何の不満がある」
「なんで君が父親みたいな事言ってるのさ」
「父ではない。身内で例えるなら兄だ。そもそもお前に拒否権はないはずだが」
脅しはするものの、やはり苦痛で強制しようとはしてこない。納得させたうえで選ばせようとしている。
撫子の思いを汲んでの事なのだろうけれど、なぜそこまでして素性のしれない弥生に宛がおうとするのか理解に苦しむ。
諦める気のない大和に、弥生は苛立ちを覚えた。
「いい加減に諦めてくれないかな。僕にだって事情があるんだ。それを知ったら、きっと彼女も僕の事を恋愛対象としては見られなく…………」
苛立ち過ぎて思考が鈍っていたらしい。今の発言は間違いなく、余計な詮索をされてしまうような失言だ。
そんな隙を大和が見逃すわけがなかった。
「なら、その事情とやらを話してもらおう」
得意げに笑っている大和が腹立たしい。
ただ口を滑らせてしまったのは弥生の落ち度。このまま隠し続けようとしたところで、この男が諦めるとは到底思えない。きっと思うままの結末に至るまで堂々巡りになるだろう。
己の愚かさを後悔した弥生はおもむろにしゃがみこんだ。
「はあぁぁぁぁ……こんなところで、せっかく隠してきた事を晒す事になるなんて……」
「そんなに重大な隠し事なのか。それは楽しみだ」
「君にとってはひとつも面白くなんてないと思うよ。8尾だって事も含めて、ただ僕が面倒事に巻き込まれたくないから隠し続けてただけだから」
観念した弥生は、のそりと立ち上がると体の性別を変え始めた。
「2人とも、どうか内密に頼むよ」
黒く短かった髪は、長く美しい白銀に、顔つきは妖艶な女性に。襟の間から見えていた硬い胸元からは、着物から溢れそうな柔らかな膨らみが現れる。
弥生の変化に撫子も大和も絶句した。この姿を他人にさらしたのはいったい何十年ぶりだろうか。もしかしたら百年超えているかもしれない。
しばらくしんとした空気が続いた後、大和の口から意外な言葉が漏れ出た。
「美しい……」
「兄様?」
大和は弥生の本来の姿に見惚れて、心ここにあらずといった様子。撫子の戸惑った声を聞いて我に返ったのか、ハッと目を大きく見開き、誤魔化すように咳払いをした。
「コホン……その姿……幻術か?」
「いいや。これが僕の本当の姿だよ。今までの姿は僕の元夫の姿。僕はこの力は幻術じゃないと思ってる……これもあれも正真正銘、今の僕……アタシの姿だよ」
もしこの術がただの幻術の類だというのなら、弥生が元々持つ能力以上の事はできない。しかし、男の姿になれば女の時には持ち上げられなかった重たい物を持ちあげられるし、不本意ながらも男のモノも機能するようだ。
そんな体がまやかしの体のはずがないと弥生は確信していた。きっとあの姿は、長年思い続けた夫からの贈り物なのだと。
大和と撫子にも姿だけでなく、共に変化した違和感のない女性らしい声の響きで幻術ではないと伝わったはずだ。ただ、そんな漠然とした説明でこの男が納得するわけがない。
大和はその術についての記憶を探っているのか、難しい顔をしていた。
「お前は猫又だ。性別を変え、いくつもの姿を自在に操れるような妖怪ではない。幻術でそう見せていただけというのならわかるが、違うというのならいったい何の術を使ったんだ?」
「それはアタシにもよくわかってないんだ。けど姿を変えられるようになった時の事なら教えられるよ」
「話せ」
「ふふっ、いいよ」
たった一瞬、夫の姿を考えただけで顔から笑みがこぼれ出した。彼がいなくなってしまって以来、記憶を思い起こす事だけが彼に笑いかけてもらえる手段だ。ただ、弥生の笑顔にはどこか陰りもあった。
弥生は共に暮らした彼との思い出を脳裏に描きながら、懐かしむように語り出した。
「昔、まだ妖怪になりたての2尾の猫又だった頃の話さ。アタシには人間の伴侶がいたんだ」
「人間?」
「そう、人間。あの人とは、アタシが人間に化けて人間界の村を転々としていた時に出会ったんだ。あの人、アタシの容姿にずいぶんと惚れ込んでねぇ。初めのうちは、人間と深く関わるのはろくなことにならないってわかってたから、嫌われるように邪険にしてたんだ。それでもずいぶんと熱心に口説いてきて、あまりにも鬱陶しくなって正体を見せたんだけど、全く怯えもせず、それでもいいって言ってくれたんだ。終いにはアタシも絆されちまってね、夫婦になったんだ。そして一緒に村を渡った。正体がばれる事はなかったよ。けど彼は人間だ。次第にあの人との容姿の差が親子に、祖父と孫に、そして終には彼の抜け殻だけが残った……それが受け入れられなくって、アタシは妖力を使ってあの人の体が朽ちないようにした。そしたらね、数十年経ったある日、あの人の体に変化が生じている事に気付いたのさ。どうにも若返ってるように見えた。それからまた数十年。あの人が出会った時の姿にまで戻った頃、突然彼の体が消えたんだ。必死に探し回ったよ。けど見つからなくて、それでも泣きながら探し続けた。何日もね。そして探すのに疲れて自死しようかと考えるまで思い詰めた。そして視界に入った池に身を投げようかと思って近づいた時に気がついた。自分の姿が探していたその人になってた。それが男の、夫の姿を得た経緯の話だよ」
話終わると、大和が何か考えている姿が視界に入った。さらにはその隣からはズズズという音が聞こえてくる。音の正体が目に入ると、弥生はぎょっとした。それは涙を流し、ひたすらに鼻をすすっている撫子だった。
「弥彦ざまは、ヒック、ぞの方の事を、心から、ヒック、愛じて、おられだのですね」
「えーっと、そこまで泣くほどの事じゃ……」
予定外の同情を買ってしまったものだと、弥生は苦笑いした。
するといつの間にか弥生に視線を向けていた大和と目が合った。
「撫子は恋物語を好んで、よくこうなっている。気にするな」
「感情移入できる恋物語のような話し方はしてなかったはずなんだけどねえ」
「想像力がたくまし過ぎるんだ、撫子は。あと、お前の話を聞いて思い出したのだが、おそらく術の正体は写身という儀式に近い術だろう。長い時間と膨大な妖力を使い、対象物を己に近しい物へと変貌させ、取り込む術だ。かかる手間暇に対して利点がほぼないため、今では術の存在自体覚えている者も少ない」
「それは、危険な術だったりするのかい? 使い続けたら命の危険があるとか」
「いや。妖力の消費が膨大なだけで、弊害はなかったはずだ」
「……そうかい」
これまで得体の知れなかった術に危険がない事を知り、安心したような、残念なような複雑な感覚に心が支配される。
(知らないままだった方が幸せだったかもしれないね)
この術が弥生の一方的な思いから起きた術だと知らされるより、夫からの贈り物だと思ったまま、彼の迎えを今か今かと待ち続ける日々の方が良かったように感じたのだった。
弥生が浮かない顔をしていると、それを見ていた大和が口を開いた。
「本来は知らず知らずのうちに使える術ではないんだが、おそらくそれで間違いないだろう。お前のその男への愛とやらがあった故に成せた術、といったところだな」
「そう、なのかね。それなら嬉しいよ」
大和は励まそうとしたのか、感心しているように弥生の事を見ていた。その視線にむず痒くなり、弥生ははにかんで笑った。
「まあ、とりえずお前の事情は分かった」
「それじゃあ!」
大和の切り出しに、弥生は顔をパッと輝かせる。
「が、俺は命を撤回するつもりもない」
「そ、れは……あんまりじゃないかな? 僕の正体が女だと分かった今、彼女が僕との婚姻を受け入れるとは思えないよ」
突然女の姿のまま言葉だけが男仕様に戻っても、大和も撫子も気にしている様子はない。
命令の撤回を期待して待っていると、大和がフッと笑った。
「なら本人に聞いてみればいいだけの話だ。撫子、お前はどうしたい? こいつが女だと知って己の言を全て撤回するか?」
大和が撫子に「どうだ?」と視線を送るが、彼女は迷いなく首を横に振った。
「いえ。私は弥彦様が本当は女性であろうとかまいません。たしかに私は弥彦様の姿に一目で恋に落ちました。けれど、今は弥彦様のお優しい妖怪柄もお慕いしている理由ですから」
凛とした声に、嘘を並べ立てているわけではない事はわかった。
好かれるのは悪い気はしない。けれど弥生にとってはこれが嘘だった方がありがたかった。
大和が得意げに弥生の方に視線を戻す。
「だそうだ。撫子は好きだと思えばのめり込んでいく性格だ。この話は終わり、異論は認めん」
何故ここまで弥生を撫子の婚約者にとこだわるのは謎だけれど、どうにも、何を言っても撤回する気はなさそうだ。従うしかなさそうだ。
「はあぁ……わかったよ。君の言う通り、彼女の婚約者候補になれば文句はないんだろう?」
「ああ、それでいい。覚悟が決まったなら、屋敷へ戻るぞ。さっそくだが、お前は俺と撫子の警護に専念しろ」
それくらいどうという事はないと思いはしたものの、弥生は問題が1つある事を思い出した。
「えーっと、それはかまわないんだけど、少し待ってくれないかな?」
「どうした?」
「あっちの姿に戻るための妖力が少しばかり足りてなくてさ。この姿だとやたら妖怪目につくから、少し妖力を回復させるための時間が欲しいんだ」
「どちらにしても目を引くと思うが……」
大和の視線が胸元に向いた。
「まあ男の姿の方がマシだろう」
「わるいね、恩に着るよ」
男でいる方が長いせいか、よほどいやらし目つきでなければ、はだけた胸元を見られても何とも思わなくなっていた。ただ、自分は良くとも妖怪の集まる、とくに身分の高い妖怪の集まる場にこの着崩れた姿をさらすのは心証が悪い。はだけた胸を隠すには男になるのが一番手っ取り早いのだ。
というのは建前で、ただ自分が夫の気配を身近に感じていたいが故に弥生は男の姿に戻りたかったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
きっと弥生は撫子が婚約破棄されて、自分が婚約者候補になるなんてことは微塵も思ってなくて油断していた事でしょう。だって大和が婚姻は破棄できないと言ってたから。そんな大和が撫子の婚姻を白紙に戻したのにも理由があったりします。大和と撫子の婚約していた理由もどこかで描きたいなと思っています。
次回書き上がったらまた更新します。
でわ、また次回!