6.狐に下った猫
額に描かれた鉄臭い紋は消えても、生暖かいものをつけられた不快感はそう簡単には消えはしない。残った感触が気になり指でなぞっていると、大和が思い出したかのように口を開いた。
「ところでお前、猫又だったよな?」
「ん? そうだけど」
「尾の数は?」
弥生は首を傾げた。
大和は妖力を感じ取る能力に長けている。手を抜いていた事を見抜いた事も含めると、尾の数まではわからずとも今の手合わせで弥生がどの程度の妖力を扱える妖怪なのか既に把握できているのではないだろうか。ならば今さらわざわざ聞く必要などないはずだ。
「……尾の数? 僕のかい?」
「そう言っている。手合わせの時に探った感じだと3、いやその前の大規模な幻術での消費を考えると4尾か? そう思っていたのだが、今思うとどうにも何かが引っ掛かる。お前、幻術以前にどこかで大掛かりな術を使っていたんじゃないか? 正直に答えろ」
弥生は純粋に驚いた。頭だけでなく感覚も勘も鋭いとは。まさか妖力の残る尾の数を正確に言い当てられるとは思っていなかったのだ。しかも、たしかに元の性から男の体へと変貌を遂げる際にずいぶんと妖力を消費している。普通はわかるわけがない。
「そんな事までわかるんだ。すごいな」
「やはり、5尾以上だったか」
「うん」
「それは良い拾い物をした」
大和が悦に浸るのも無理はない。
妖怪の中には、同じ系統ごとの妖怪で集まって暮らす者達がいる。人間界で動物と言われる生き物に近いしい耳や尾を持つ獣妖怪と呼ばれる妖怪の多くにも、その習慣は根付いている。そしてその集団の上には、彼らを庇護している大妖を当主とする一族、もしくは同じ種族の妖怪が集まってできた家門がいくつも存在している。
各家門にはそれぞれ地位があり、その地位は当主の尾の数、またそこに属する5尾以上の妖怪の数が大きく影響する。そしてそこに御家の働きが影響して多少上下する。
ただ、5尾以上の大妖を配下に引き入れるのは、なかなかに困難を極める。
現状、5尾以上の妖怪が2人以上の御家は、弥生が知る限り3つで、どこも2人だ。そもそも尾を5尾まで増やすことができた獣妖怪の数自体が少なく、過酷な状況を潜り抜けてきた兵ばかりで各々自尊心が高く、己を当主とした家門を打ち立て、名を上げたがる。そんな自尊心の塊のような妖怪が他の妖怪の下に付くことはごく稀。故に隷属とはいえ、そんな兵が配下として名を連ねる事になれば御家の箔が付き、その御家の格は跳ね上がるのだ。
そして争いを起こさないよう家門同士で決めた規則が、大妖が大妖を従える事を余計に困難にさせている。名立たる家門に属する妖怪は隷属させてはならないという決まりだ。他家に大きな損害を与えた賠償のために隷属の契りを交わすといった例外も作られてはいるが、今までその例外が当てはまった事例はない。
故に自分の家門に5尾以上の力の者を引き入れるには、弥生のように己の家門を持たず、フラフラと放浪している変わり者を探すしかないのだ。
「それで? 何尾なんだ?」
「えーっと……」
大和の再びの問いに弥生は迷った。話を大きくしたくないため、できることならここはどうにか誤魔化したいところ。言いたくない雰囲気を醸し出してみた。
けれど大和は何があっても聞き出したいらしく、曇りなき眼でまっすぐ弥生の事を見ている。嘘は簡単に見破られるだろうと予感した。
(まあ、ここまでバレてるんだし、隠す必要もないのかな)
弥生は仕方ないと、諦めの溜め息をついた。
「僕は8尾だよ。主尾が2、妖隠尾6本のね」
正直に答えた途端、時間が止まったかのように場が凍り付く。
「……は?」
「えっ……?」
驚いたのは大和だけではない。撫子までもが自分の耳を疑うように呆気にとられた顔をしている。
8尾ともなれば御家の当主どころか、ほぼ確実に種族の長として名を轟かせる事ができる。そこまで上り詰めた妖怪は指で数えるほどしかいないのだ。
現9尾は今目の前にいる狐族の長の大和のみ。獣妖怪全体の長とも言ってもよい妖怪だ。そして8尾はそれに次ぐ妖力保持者。現状知られているのは狼族に2人、狸族に1人、犬族に1人の計4人。皆種族の長と長に次ぐかなり高い地位にある御家の当主の座についている。
狼族の8尾達は、後から8尾になった方が長の座を狙い、戦いを挑んだものの返り討ちにあったらしく、渋々今の地位に納まっている状態だ。おそらく今の長が隠居するまで、その狼妖怪が長となる事は叶わないだろう。
長の座を賭けた戦いに関しても、種の安寧のため獣妖怪間での決まり事が設けられている。
1つは尾が長と同じかそれ以上でなければ戦いを挑んではならない。もう1つは、負けた者が再選を挑むには尾の数を1つ以上増やさなければならない、というものだ。これらを守らなければ各種の長によって制裁が下される。
この決まりがなければおそらく負けた方は何度も戦いを挑み続け、狼族は統率を欠いていただろう。尾を多く持つ妖怪は皆野心家なのだ。
そんな血の気のより多い8尾の大妖がフラフラ旅をしていたとなれば、この表情になるのも必然だ。
「本当に8尾、なのか?」
「疑り深いなぁ、君も」
弥生の背後で大人しくしていた白い1本の尾が、引き裂かれるように分かれ始める。弥生は猫又。主尾は2本。弥生はそれを互いに巻き付け、1本の尾に見せていたのだ。
主尾が完全に2つに分かれると、尾を通すために開けていた着物の穴から複数の妖隠尾が姿を現し、花開くように広がった。弥生の背後には間違いなく8本の猫の尾が波打っている。
「これでわかっただろう?」
「……お前、本当にどこかの家の当主ではないんだよな?」
「しつこいなぁ。僕は正真正銘の旅妖怪だ。だから隷属されても何の問題もない」
「そうか……そういう事なら問題ない、のか?」
弥生の尾の数を知った大和は、先ほどまで悦に浸っていたとは思えないほどに大和は困惑していた。
おそらく困惑の原因は猫族の長が4尾であり、猫族自体が弱小勢力となってしまっている事。そんな現状で8尾の猫族である弥生を、自らの家門に引き入れていいものかと葛藤しているのだろう。
けれどそんな葛藤など端から不要なのだ。
弥生自身は御家の当主にも、猫族の長にもなる気は皆無。そんな妖怪を無理にその地位に就かせたところでろくな結果にはならない。そもそも弥生は大和からの提案を受け入れた上で戦いに敗れ、隷属される事も受け入れた。大和に下る事に何の問題も生じはしない。
大和もそう結論付けたらしく、顔から滲み出ていた迷いは消えた。そして何か考え込み始める。こうしてすぐさま状況に適応できるところは上に立つ者としては好ましい。羨ましいほどに。
「……お前、弥彦と言ったか」
「ああ、たしかにそう名乗ったよ」
「では、弥彦。初めの命令だ」
「うん、何かな? 大層な命令じゃなければいいんだけど」
「今日から俺の側近として動け」
「え?」
弥生はぽかんと口を開けたまま固まった。
側近といえば信頼できる者に任せるもののはず。8尾という理由だけで、何の考えもなく見ず知らずで身元の怪しい弥生に、そんな役割を与えるわけがない。
(彼の側近という立場を利用しなければならない危険な仕事を押し付けようとでも考えているのか? はたまた何か起きた時にすぐに責を肩代わりさせる事ができる駒が欲しいのか。もしくは、単に信用していないからこそ傍で見張ろうとしている?)
あれこれ考えても答えは出ない。大和という男の言は突飛すぎて、思考が読みにくい。
弥生はあからさまに喜んでいるように微笑んだ。
「隷属の契りを結べと言われた時はどうなるかと思ったけど、それはいきなりの大出世だ。けど、それって他の狐から恨まれない? どうやら君は人格者のようだし、もっと近くで仕えたいって思ってる子もいるんじゃないかな?」
「まあな」
「ははっ。否定はしないんだ」
「事実、そういう話が飛び交っているという話は、俺の右腕から聞いているんでな。だが、そんな恨みや妬みは俺が払いのけてやる。8尾という逸材をただの小間使いにするなど、妖怪材の無駄遣いだ。それにお前には隷属の契りが施してあって、裏切れはしない。だからこそ逆に信用できる。そうだろう?」
大和からは疑いの感情など読み取れない。顔を突き合わせていると、本当に言葉通り信用されているのではと思えてくる。
どうやらこの男への邪推など不要だったようだ。ただ欲しいものは欲しいと言って実力で手に入れ、使えるものは適材適所で使う。そんな主義の男だっただけのようだ。
あまりの清々しい物言いと表情に、いつの間にか弥生は完全に毒気を抜かれていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回のお話で、今まで御家と表現していたところをそのまま使うと文章上なんとなく違和感があって納得いかないという場面が多々あったため、家門という言葉を使ってみる事にしました。なんだかちょっとニュアンスが違う気もしたのですが、それ以外言葉が見つからなかったのです。なので御家=家門という感覚で読み進めていってもらえると助かります。
でわ、また次回!