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5.猫と狐の手合わせ

 突然、撫子は婚約者が見ているのもお構いなしに、弥生の正面に立つとそのまま固い胸に抱き付き、細い両腕でギュッと抱きしめた。


「弥彦様、ダメです! 絶対にダメです‼ そんな約束、あなたの得になどならないじゃないですか! そんな事のために、あなたの自由を賭けるような事はしないで。もっと自分のためになる事をお願いしてください……」


 女性にこんな風に抱き付かれると、弥生の内側には決まって「この体を邪な思いを持つ者に触られたくない」という苛立ちに近い感情が湧いてくる。今のこの状況もいつもと同じ心情だったなら、すぐに優しさを装って撫子を引き剥がしにかかっていただろう。

 けれどそうはしなかった。

 撫子はいつもの周りに群がる女性達のように、見目の麗しい男性だから弥生の体を抱きしめているわけではない。自身の言動への後悔に苛まれ、弥生、もとい弥彦にこの場から逃げ出して欲しいと、自由でいて欲しいと心から願い、自ら不幸の道へ進もうとしているのを止めようとしているだけだ。そうわかっていたから引き剥がしたいという思いは沸いてはこなかった。むしろ愛しささえ感じてくる。

 弥生は穏やかな笑みを浮かべ、腕の中で小さく震える撫子の目元に溜まる後悔の雫を、指でそっと掬い取った。


「弥彦様?」

「君が気にする必要なんて何もないんだよ。今彼にお願いした事は、僕の欲から願い出た事なんだから」

「欲? どこが欲なのですか? 弥彦様の得になる事なんてないじゃないですか」

「あのね、僕にはもう失いたくないモノも、手にしたいモノも何もないんだ。自由に生きる事すら持て余してる。今まで旅をしていたのだって、最期に骨を埋めたいと思える場所を探すためにしていたようなものだから。それに、今ここで逃げ出したところで、今の僕じゃあ彼から逃れる事はできないと思うんだ。逃げても負けても同じ結末を辿るなら、気まぐれにでも手を差し伸べた君が、一生懸命に恋愛がしたいと思っている君が幸せになれるように、手助け出来たらなって思ったんだ。ね? これは僕がそうしたいと思っているだけで、君が望んでいる事ではないだろう?」

「弥彦様……その……ありがとう、ございます」


 照れてしまったのか、撫子は弥生の着物をキュッと握りしめ、その胸で顔を隠してしまった。弥生も気にせず受け入れ、赤子をあやす様に背中を軽く叩いた。そうしているうちに、腕の中の撫子の体からスッと力が抜けた。


「おい……愛してやれと言った舌の根が乾かないうちにそれはないんじゃないのか? いい加減離れろ。撫子は俺の嫁だぞ」


 大和が不満そうに眉を寄せていた。

 言葉では嫁だと言って牽制しているように見せてはいるものの、それはどうも嫉妬からきているようではなかった。どちらかというと保護者の顔をしている。これまで見守ってきた妹分が訳の分からない男にすり寄っているのが気にくわないというところだろう。

 とはいえここで彼の忠告を無視するのは火に油を注ぐ行為。意に従うのが得策だろう。


「ああ、すまない。君の婚約者を奪おうなんて考えは持っていないから、見逃してくれないかな。ねえ君、離れてくれるかな?」

「あっ、はい……」


 撫子は離れがたそうに、弥生から離れていった。

 少し撫子の感情に引っ張られていた節はあった。大和の忠告がそれに気がつかせてくれる形になり、弥生はほっと息をついた。

 気を持たせ続けるわけにはいかないため、このまま突き離すのが最善だ。下手に声をかけては離れかけている撫子の気持ちを余計に引き寄せてしまうかもしれないとわかっていた。けれど弥生はどうしても、男の姿(このすがた)で女の子にあんな顔をさせたまま放置することはできなかった。

 弥生は寂しそうな撫子の頭にポンと手を置くと、優しく微笑みかけて彼女の側を離れた。

 結果心配していた通り、いやそれ以上の効果を奏し、撫子の頬を桜色に染め上げてしまった。反対に大和の機嫌はさらに悪くなる。

 けれど大和も年を重ね、感情のコントロールを得た大人だ。その不満は身の内にしまい込み、戦いを挑む者のきりりとした表情を浮かべた。


「時間が惜しい。勝敗条件はどちらかが戦闘不能になる、もしくは降参の宣言をするでいいな?」

「わかった」


 大和は腰に差していた刀の柄に手を置いた。


「先手はお前に譲ってやる」

「そう? それじゃあ、遠慮なく。幻術・影分身」


 今目の前にいるのは種族の長の地位を与えられるような妖怪だ。戦いの経験は弥生と比べ物にならないくらい遥かに上だろう。先手を譲ってもらえるというのであれば、遠慮などする理由はない。むしろそんな余裕などない。

 弥生はふうっと息を吐き出した。吐息と共に吐き出され霧散した大量の煙の中から、弥生とそっくりな分身体が複数体現れた。本体が爪を鋭く伸ばすと、分身体も同じように戦闘の構えをとる。そして同時に大和へと飛びかかった。

 大和がわずかに刀を鞘から引き出した次の瞬間、先陣を切り、大和の体に手の届きそうな距離まで詰めていた分身数体が一瞬にして霧散した。


(早すぎる! 近づきすぎたら瞬殺だ。さすがにそれは……となれば妖術で攻めるしかないけど、狭い空間にたくさんの木々。それにあの子もいるし……やれるだけの力でやるしかないか)


 数人の弥生が大和との距離を保ち、その他は近距離戦へ繰り出した。けれど接近した弥生の影は初めと同様、大和の刀により次々と霧散していく。

 そんな中、距離を取っていた弥生と分身達が両手首を合わせ、手の平を大和に向けると、術名を唱えた。


水術(すいじゅつ)・水柱」


 両手の中心から、高い崖上から流れ落ちてくる水のような勢いの水柱が放たれた。

 大和は水に襲われる直前に刀を自身の前で横に構え、守りの姿勢をとる。すると太い水の柱は上下左右に分散されていった。ズルズルと僅かずつ後退させることはできても、彼の顔を歪ませることすらもできやしない。

 弥生は広げていた手を、球体を包み込むように閉じた。


「水術・雫之大牢(しずくのたいろう)


 大和の周りを、球体の水が囲い込んだ。口元からぷくぷくと気泡が漏れ出している。


(しゅく)


 閉じていた手をギュッと締め付けるように力を入れると、水の牢が圧縮されるように、少しずつ小さくなっていく。

 そこらの妖怪ならば、身動き一つとれもしない圧の苦しさに、音を上げるか気を失っていただろう。

 けれど目の前にいる男は9の尾を持つ大妖怪。その上に、種の長ときた。この程度で負けを認めるような器ではない。

 大和は圧をものともせず、水の牢をいとも簡単に斬り割き、残っていた弥生の分身までも真っ二つにしてしまった。そして余裕の笑みを浮かべる。


「妖力が良く練られた良い妖術だ。俺でなければ今の術で勝てていたかもしれんな」

「君のような妖怪に褒めてもらえるのは光栄なんだけど、今の状況だとそのセリフ、普通に考えて嫌味にしか聞こえないと思うよ?」

「だろうな。もっと本気でこい」

「ほんと、嫌な奴……風術(ふうじゅつ)暴風之鎌(ぼうふうのかま)


 弥生が腕を大降りに横に振ると、透明な三日月状の何かが飛ばされる。それは術名通り風の鎌。何度も作り出される鎌が空気を切り裂きながら大和に向かって襲い掛かる。


「本当に良い術だ。だが、戦闘に特化した頭をしていないのが残念だ」


 大和はぼそりと呟き目を瞑ると、そのまま刀を振るう。いくつもあった風の鎌は全て大和を避け、後方の木々を吹き飛ばした。


(やっぱりこんな程度じゃダメか。尾1本分の妖力を)


 そう考えたのはほんの一瞬だった。

 その一瞬の間に、気がつけば頭一つ分の距離のところに大和の顔があった。その手で弥生は首を掴まれ、加減もない勢いで地面に叩きつけられる。


「かはっ……!」


 一瞬痛みで真っ白になった頭に色が戻ると、首元に刀が添えられていた。これがただの手合わせでなければ、頭は胴体から離れていただろう。

 端から勝てるとは思ってはいなかったし、勝つつもりもなかった。けれど、弥生は8尾で妖術にも自信がある。多少なりとも消耗させてから負けるつもりだっただけに、息切れも起こさせることができなかったどころか、ほんの数手で詰まされたのはさすがに悔しかった。けれどそれを見せて優越感に浸らせる方がもっと悔しいため、全ての感情を押し殺した。


「っく……はぁ……僕の負けだ。君の好きにするといいよ」

「お前、ずいぶんと手を抜いていただろう」


 首から刀が離され、弥生は起き上がった。

 どうにか平静を装ったが、気を抜いていたら目を丸くしていただろう。まさか感づかれているとは思っていなかった。表面上怒りの色は見えない。けれど、侮辱するような戦いだったと内心では怒りの炎を滾らせているかもしれない。


「ははっ、自分の自由がかかっているのに、そんな事……」

「自由は持て余していると自分で言っていたではないか。別に侮られていただとかは思ってはいないし、お前に対して苛立っているわけでもない。正直に答えろ」


 心の内を全て見透かされているような気分だ。このまま誤魔化そうとした方が怒りを買うのではないかと思い直した弥生は正直になる事にした。


「……はあ。まさか、バレてたとはね」

「やはりそうか」


 参ったとばかりに下に向けていた視線を上に戻すと、大和は満足げに笑っていた。使い勝手のいい駒が手に入ったとでも思っているのだろう。こうなる事も承知で加減をしていたのだから、悔しくはあっても文句はない。

 ただ、何故本気の術を使っていないとバレたのかだけは腑に落ちなかった。加減をしていたとはいえ、並みの妖怪が使う術以上の力は出していたつもりだ。それは大和も認めていたはずだ。


「逆に聞くけどさ、どうして君はそう思ったんだい? 僕が本気じゃないって」

「たしかに先のお前の妖術は他とは一線を画すほどの仕上がりだった。だが、お前が本当に撫子の嫁入りの行列にいた全員に幻術をかけたというのなら、そんな奴の本気がこの程度だとは到底思えなかったからだ」

「先の幻術で妖力があまり残っていなかっただけかもしれないよ?」

「それはない。今お前から漏れている妖力は、底を突きかけている奴から漏れ出るような量ではないからな」


 大和は当然のように、弥生の疑問の答えを淡々と述べていく。そしてふいに首を傾げた。


「俺からも聞きたいのだが、お前のこれまでの言動からは勝つ気がなかったと判断できる。見た感じだと、武術ならば本気を出したところで足元にも及ばないはずなのに、なぜわざわざ加減してまで妖術戦に切り替えたんだ?」


 その疑問を聞いて、この男は武術だけではなく、頭も切れるという事がよくわかった。さりげなく言った言葉や現状から瞬時に答えを導き出せる洞察力は舌を巻くほどだ。嘘で答えたところで、点と点が繋がらず、余計な疑問が返ってくるだけだろう。


「はあ、まったく。君には完敗だ。僕はさ、勝ちたいとは思っていなかったけど、あっさり負ける気も無かったんだよ。だから呆気なく負けてしまう武術ではなく、せめて苦戦させてやろうと思って妖術に切り替えた。けどさ、こんな場所で本気で妖術を振り撒いたら周りが大惨事になりそうだったから。火術なんて使った日には大火事だ。自然は大事だからね、加減する事にしたのさ。それに我を忘れて本気を出していたら彼女を巻き込んでしまうかもしれないだろう?」

「なるほど。では、場所が良ければ、俺を苦戦させることができたと思うか?」

「そうだね。もう少し君を楽しませてあげることはできたかもしれないね」

「なるほどな」


 弥生が迷いなく答えると、大和の口元が楽しそうに弧を描いていた。向こうは弥生の考えを読めていても、弥生からしたら大和の考えは読めず、ただ不気味にしか映らなかった。もうこれ以上一方的に腹を探られたくはない。


「理由はともあれ僕は君に負けた。君が望むように契りの内容を揃えてくれ。まあできることなら、彼女が気に病む事のない範囲のだと、僕としても嬉しいんだけど」

「……わかった。では俺がお前に望むことは5つ。俺の許しなく柳之宮本邸の屋敷を出ない事。俺の命を狙わない事。俺が任に当たる時、必ず俺の(めい)に従う事。俺に危険が迫った時は守護する、そして、もし俺と撫子に同時に危機が迫った時は撫子を必ず守る事。誓いを破ればお前の心の臓に杭を刺す痛みを。期限はお前、もしくは俺の死、もしくは俺がお前を不要と判断した時。いいな」

「僕はかまわないけど、逆にいいの? 彼女を優先させるような条件を入れて」

「問題ない。お前で対応できる危機に、俺が対応できないわけがない。それならば、撫子を盾に取られないように守らせた方が都合がいい」

「なるほど、そうきたか」

「納得したのなら、お前の妖力を渡せ」

「はいはい、わかってるよ」


 差し出された手を握ると、弥生は妖隠尾丸々1本分の妖力を、手を伝わせて大和へ差し出した。

 妖力をすべて受け取った大和は手を放し、目を閉じると顔の前で右手に自身の妖力と弥生の妖力を集め始めた。そしてそのまま親指の皮膚を噛み破り、赤い液を弥生の額に押し付け、自分の所有の紋を刻みつける。


「これでお前は俺の配下だ。いいな」

「わかってるって」


 特に体感に変化はない。契約の術の過程を見ていたところ、手順に間違いはない。額を触っても紋を描いたはずの血は手につかない。体に溶け込んだことで表面的には見えなくなり、魂へと刻まれたのだろう。どこかで読んだ妖術の書物にもそう書いてあった。故に大和の意に反する事はできない体へと作り変えられているのは間違いない。

 体に変化は感じられなくとも、支配される立場になった事は忘れてはならないのだ。

 お読みいただきありがとうございます。

 前からちょっと期間開いてしまいましたが、ちゃんと続きを更新できてよかったです。手合わせの場面を書くのにてこずって、商業コミックに逃げ込んでしまっていたので……

 というわけでまた書けたら更新します!

 でわ、また次回!

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