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3.狐の追手

 森の中は草が鬱蒼としていてとても歩きづらい。

 普段ならこんなに足場が悪い道ならば、木の枝を伝って先へ進む。けれど今は花嫁装束を着た狐の少女がいる。狐も身軽な方の妖怪ではあるけれど、猫の弥生とは比べものにならない。まして彼女は家格の高いお家柄の少女。木々の間を跳んで移動するなどというはしたない事はできないだろう。

 弥生は後を追ってくる狐少女にちらりと目をやった。

 ゆっくりと歩いていたつもりだったけれど、どうやら彼女には早すぎたようだ。

 少女は息を荒らしながら懸命について来ている。白い着物の裾を汚しながら。


「……」


 弥生は足を止めた。


「どうかしたのですか?」

「ちょっとごめんね」


 弥生は狐の少女の側まで行くと、ひょいと自分の前に抱え上げた。


「あっ、あの⁉」

「気が利かなくて悪かったね。歩きづらかっただろう?」

「い、いいえ。そんなことないです。だってあなた様は、私のためにゆっくり歩いてくれていたでしょう?」

「そうだね。でも、君に負担がかかるような速さで歩いていたんじゃ意味がない。ここからは一息つける場所を見つけるまで、僕がこうして運んであげるから」

「そんな! こんな、お姫様抱っこでだなんて!」


 恥じらってはいるようだけれど、まんざらでもない様子だ。

 弥生は少女のうっとりとした顔を見て、またやらかしてしまったのだと後悔した。


(君の真似をしていると、いつもこういう事になってしまう。高貴な彼女までがこんなに頬を染めて……やっぱり君のそれは天然だったんだろうね)


 自分の言動から生じた事とは言え、男姿の主の筋金入りのたらし具合に内心苦々しく思う弥生だった。


「さあ、行くよ」


 弥生は少女を抱え、再び歩きだした。



 休めそうな場所にはすぐに辿り着いた。

 歩いていると水が流れる音が聞こえてきたため、2人は音がしている場所を目指した。そこには澄んだ水の流れる大きな川があった。弥生は少女を川のほとりにある、ほど良い大きさの岩に座らせた。


「ねえ君、川の水は飲んだことある?」

「えっ……? いえ、ないです」

「飲むのにはやっぱり抵抗があるかな?」

「それは……」


 少女の表情が硬くなった。

 ここにくるまでに何重にも着つけた重たい着物姿のまま、ずいぶんと無理をして歩かせてしまっている。弥生がお姫様抱っこで抱えて歩いている間も、体から出た熱を服が閉じ込めているようで、汗が引いた様子はない。

 水分補給をさせておきたかったのだけれど、この分ではそう簡単に川の水に口はつけてくれないだろう。


「君、ずいぶんと汗をかいているだろう? 水を飲んだ方がいいと思うんだけど……」


 少女は俯き、迷っているようだった。この分では首を立てに振らないだろう。


(この水の透明感ならそのまま飲んでも大丈夫なはずだけど、心理的に、ね。濾過する道具を作れば飲んでくれるだろうか)


 弥生はあれこれ策を巡らせながら、少女からの答えを待った。

 そしてそうかからないうちに、少女は俯いたまま口を開いた。


「……飲めます」

「ほんとに? それならよかった。それじゃあ」


 弥生が愛用している竹筒を取り出そうとする間に、少女は腰を上げ、川の方へと歩いて行ってしまった。


「えっ、ちょっと。どうしたの?」

「この水を飲めばいいんですよね?」


 川の側で膝をついた少女は、両手で川の水を救い上げると、躊躇わずにその水を煽った。

 その思い切った行動に、弥生が目を丸くしていると、少女が弥生の顔を見上げた。


「こっ、これでよろしいですか?」


 少女の表情は硬いまま。ずいぶんな覚悟を決めて川の水を飲んだようだ。弥生には、自分よりずいぶんと年下であろう少女のその頑張り顔がとても可愛らしく見え、そして彼女の本質を見誤ってあれこれと考えていた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


「…………あっはっはっはっは! すごいや、君。僕はどうやって君に水を飲ませようかと悩んでたんだけど、取り越し苦労だったみたいだ」


 弥生は笑い涙を拭うと、目の前でオロオロとしている少女に向き合った。


「君の嫁ぎ先の相手は悪い妖怪(ひと)なの?」


 突然の本題に少女はさらにオロオロし始める。


「い、いえ。悪い方ではないのですが、ただ、その方とは、私がもっと小さい頃からの知り合いで、私にとっては年の離れた兄のような方なのです」

「政略結婚?」

「はい。ある日突然親から言い渡されて……」

「そっか。けど、悪い妖怪(ひと)じゃないって言うなら、見知らぬ男に嫁がされるよりいいんじゃない? 嫌いってわけでもないんでしょ?」

「それはそうなのですが……」


 途端に少女の表情が曇った。


「私、お慕いした殿方と結婚するのが小さい頃からの夢で。その方も私の事を妹のようにかまってはくださいましたけど、婚約の話が出ても、態度は変わらなくて。それに聞いてしまったのです。私との婚姻は、私がお兄様の事を異性として好いているわけではないからだと……」


 恋を夢見るまだ妖怪生(じんせい)経験の浅い少女にとってはたしかに残酷な話だ。弥生もこの少女の事を不憫だとは思った。

 だが彼女が生まれた家にとって、婚姻を結ぶというのは御家同士をつなぐ重要な意味合いがある。この少女の好き嫌いでどうにかなるものではないのだ。


「そっか。けどさ、そんな妖怪ひとでも一緒に過ごしてれば、そういう情も湧いてくるかもしれないよ? 実際、僕がそんな感じだったし」


 弥生にとっては何気ない言葉だったのだが、少女には衝撃だったらしく、勢いよく弥生の顔を見上げた。


「結婚、されてるんですか?」

「うーん、されてるというか、されてた? 僕の伴侶はもうあの世に逝ってしまったから」

「あっ……ごめんなさい」

「ははっ。気にしなくていいよ。その辺気持ちの整理はもうついてるし、それに完全にいなくなったわけじゃないからね」

「? それはどういう?」

「……誰にでも秘密にしときたい事はある。もちろん僕にも、ね?」


 言ってしまった余計な話を、これ以上探られたくなかった弥生は笑った。少女は知りたそうに口を開けたけれど、弥生の圧のあるその笑顔に臆して口を閉じてしまった。

 顔には「知りたい」「教えて欲しい」と書かれているけれど、もう口では追及してきそうにはなかったため、弥生は圧を解いた。


「ところでさ、君はこれからどうするの? この結婚から逃げ出したとなると、帰る場所、ないんじゃないかな?」

「それは……」

「君が暮していけそうな集落まで送って行くくらいならできるけど」

「……」

「聞いてる?」


 何も言わずもじもじしている少女を見て、弥生は溜め息をついた。

 この光景は旅をしてきた中で、幾度か見た事がある。そしてそのうちの数人は、弥生が留まっていた集落から旅立つ直前にその思いを告げてきた。

 下手に懐かれ、この少女の実家に関わって自由を手放す羽目になるような事態は避けたいところだ。


「よわったな……」


 ぼそりと呟くと、少女が意を決したように口を開いた。


「あの、あなた様のお名前は?」

「名前? えーっと……弥彦?」

「弥彦様? ふふっ。なんで疑問形なんですか?」

「僕にもいろいろあるんだよ」

「いろいろが気になりますが、きっとそれは弥彦様の触れられたくない事なのでしょうね」

「ははっ。鋭いお察しな事で」


 儚く笑う少女の姿に心苦しく感じるけれど、この体質について世に知れ渡ると弥生の旅に支障が出るだろう。

 珍しい体質である事も要因ではあるのだが、元の自分の姿は1人旅にはずいぶんと不向きなのだ。

 男性の姿が見目麗しいのはわかっているけれど、これまでの経験上、自分の元の姿の方が男性体よりかなり上等である事を知っていた。何度か拐かされた事がある。

 男の身を手にした今となっては、隙を突かれて花街に売られないようにという意味でも、男性体でいる方が都合がいいのだ。

 そんな事情など知る由のない少女は、身分の高い女性らしい美しい姿勢で自己紹介を始めた。


「私は撫子と申します。もうお気づきだとは思いますが、種は管狐。管桜家の3女です」


 思った以上の身分の高さに、弥生は愕然とした。その一家は狐の一族でなくとも名を知られている名家だ。


「管桜って。たしか当主が7尾の名門一家じゃないか。そんなところのお嬢さんを連れ去って大丈夫なのだろうか、僕は……」

「そこはおそらく大丈夫だと思いますよ」


 そう答えた撫子はどことなく悲しそうにしていた。

 大丈夫だと思う理由を聞きたかったけれど、こんな表情をされては聞いていいのか躊躇われる。

 弥生が理由を聞けずにいると、撫子は感情を押し殺して問いを投げかけてきた。


「それで、弥彦様は?」

「えーっと、僕かい? 僕は猫又。ただの旅妖怪(たびびと)さ。それで? 君は本当にこれからどうするつもりなのかな? 連れ出した手前、できる限りの事はするけど」


 弥生が尋ねると、撫子は自分の望みを口に出すことを一瞬躊躇したようだったけれど、再び意を決したようにして口を開いた。


「あの、弥彦様。私、弥彦様にお願いがあるんです」


 弥生は嫌な気配を察した。なんとなく彼女が望んでいる事がわかってしまったからだ。


「聞くだけなら聞いてあげるよ」

「あの、私を弥彦様の旅に連れて行ってください! お願いします!」


 予想通りだった。

 撫子は深々と頭を下げ、体をビクビクと震わせてる。ずいぶんと勇気を奮った事だろう。

 けれど弥生の返答は最初から決まっていた。


「ダメ」

「なんでですか‼」

「僕がこれ以上君という危険を背負いこむ理由がない」

「私にはあります! ついて行きたい理由! 弥彦様、私、連れ出していただいたあの瞬間から、あなた様の事をお、お、お慕いいたしております‼」


 撫子は頬を染め、真剣な目で弥生の事を見つめていた。どうやら心は決まっているようだ。


「うーん、気持ちは嬉しいけど、僕は訳ありだから、恋愛とかそういうのはちょっと……」

「もう奥さんはいらっしゃらないんでしょう?」

「いや、いたのは奥さんではないんだけど……」


 撫子に圧され、ごにょごにょと答えたのが火に油を注いでしまったらしい。ここぞとばかりに、撫子は身を乗り出してきた。


「なんですか‼ はっきり言ってください!」

「えーっと……」


 その時、近くに何者かの気配を感じた。

 気をつけてはいたけれど、今の一瞬を突き接近されたようだ。それにしても、この数秒でここまで近づかれた事には驚きだった。


(手練れか)


 弥生は気配の主から撫子を自分の背で庇うように立ちはだかった。


「弥彦様?」

「追手かもしれない」

「え? もうですか?」


 気配の主は気取られた事など気にする様子もなく、着実に2人の元へ近づいていている。

 待ち構える2人に緊張が走った。

 そしてその妖怪は堂々と弥生と撫子の前に現れた。


「撫子、迎えに来たぞ」

「大和……兄様……」


 兄様。

 つまり今弥生たちの目の前にいるのは、撫子の婚約者本人だ。

 お読みいただきありがとうございます。

 気が向いたので、今日の休みを利用し一気に書き上げました。このごたごた感、書いててほんと楽しいです♪ そしてこれで三角関係の役者が全員で揃いました。さらにごたつく予定なので、書いてる私自身が楽しみにしています!

 また気が向いたら更新します。

 でわ、また次回!

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