18.問う猫に惑う狐
鉄斎は話し続けながらでも、手際よく作業を進めてくれた。手を測る以外にも、既製品を握らされ、動きを見られと、いろいろさせられはしたけれど、全ての指示をこなすまで、さほどの時間はかからなかった。
弥生は鉄斎以外に武器職人の仕事の様子を見た事はない。故に比べる指標は持ち合わせていない。けれど、それでもさすがは大和が認める熟練の職人だと、不思議と納得できる仕事ぶりだった。
鉄斎から終わりを告げられると、大和と弥生はすぐに作業場を後にした。鉄斎から改めて行方不明者の事を頼まれ、弥生の気が引き締められる。
そうして弥生は大和と共に風穂の町の北側から猫族の領土に向けて広がる、広大な森の奥へと足を進めた。
(嫌な空気だ)
大和ほどでなくともこの森には不快な空気が漂っているのがわかった。むしろ、妖気に疎い者でも、この不快感を抱かないものはいないだろうと思えるほどに酷い。
結界のせいか、近くに誰もいないというのに、周りに何十人もの妖怪がいるかのように思える濃い妖力が漂っているのだ。しかもそれが、個々から生じているようなはっきりとした妖力ではなく、無理やりかき混ぜられたかのような気色の悪い気配で、気分が悪くなってくる。妖力に敏感な大和は、弥生以上にこの不快感を抱いているに違いない。
さらにはうっすらとした血生臭さまでもがそこら中を漂っていて、本格的に胃の中身がこみ上げてきそだ。
そんな薄気味の悪い森の中を、2人は辺りを警戒しながら、目的地である、猫の領土との境にあるという洞穴へと向かって進んでいった。
けれどいくら歩けど、いっこうにその洞穴は見えてはこない。周囲に妖怪がいる気配すらしない。
鬼のねぐらに近づけば、活動している鬼の気配や捕まっている妖怪たちの気配を薄っすらとでも感じるはずだ。いくら妖力の発生源を惑わせているからと言って、近場にいる妖怪の声や物音までも聞こえてこないという事はないだろう。
ただ単に目指している洞穴には鬼が住み着いていないのか。
けれどそれ以前に、森に踏み込んでから優に四半刻は経っているというのに、洞穴が見えてこないというのが引っかかる。
(もしかして……)
弥生の頭にふと嫌な考えがよぎった。
「ねえ、大和様。森に入ってから、もう四半刻は経っていると思うんだけど、まだ辿り着かないのかな?」
「……」
弥生が声を潜めて尋ねるが、大和は前を向いたまま黙々と足を進める。
さすがに聞こえていないという事はないだろうと訝しみつつも、ほんの少し声を大きくしてさらに尋ねる。
「ねえ、大和様ってば。方角、こっちで合ってるんだよね?」
「……」
やはり返事をしない。嫌な考えは当たっているのだ。大和は認める言葉を口にしたくないのだろう。
そうわかっていても、こうも頑なに無視を決め込まれては、いくら主人とは言え腹が立つ。
弥生は声を強め、問いただすように尋ねた。
「あのさ、ちゃんと場所わかって歩いてるんだよね? まさかとは思うけど、ここまで来て、迷ったとか言わないでくれよ? こんな所で遭難しましたとか嫌だからね、僕は」
「……」
それでも返事をしない。腹立たしいがもうこの無言を、大和からの肯定としてとらえるしかないのだろう。
弥生は大きく呆れと苛立ちの混ざる溜息をついた。
「昭人君達が来るのを待つべきだった」
弥生がそうぼやくと、ようやく大和は足を止め、不機嫌そうに振り返った。
反論があるのなら聞いてやろうと、弥生も仁王立ちになって受けて立つ。
「結界のせいで、感覚が麻痺してるんだ。仕方がないだろう。普段ならこんな失態などしない」
「ってことは、迷ったことは認めるんだね?」
「……」
大和は眉間をぴくりと動かし、気まずそうに黒い耳をしなだれさせながらそっぽを向く。
迷ってしまったという事の肯定の言葉だけは、ここまで言われても、どうしても口にしたくはないらしい。まるで大きな子供を相手にしているようだ。
(大和様って、しっかりしてるように見えて、たまに子供っぽいとこあるよね)
我を通そうとするところも、その子供っぽさから来ているのだろう。幼いころに両親を亡くし、大衆の前で御家の、種の当主として振舞ってきているのだ。気を許している相手にくらい、そんな本性が出てしまうのは仕方ないのだろう。
そう考えると悪い気はせず、くすりと笑いがこぼれた。
「まあ、迷ったことに関しては仕方ないとは思うよ。僕もこの森に入ってから嫌な感覚がぬぐえないし。君が一人でも多く住民を助けようと、一刻も早く動きたかったって事もわかってる。けどさ、君の事だ。迷う可能性があった事も考えてたはずだよね? こうなってしまったら、助けられるものも助けられなくなる。それこそ、君の望まぬ結果だ。違うかい?」
弥生が優しく諭すように告げると、大和は不貞腐れたように、くるりと向きを変える。
「……ふん」
不服そうに鼻を鳴らすと、再びすたすたと森の奥へと歩き始めてしまった。
弥生はその後を慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ちなよ。今は下手に動き回らない方が……!」
呼びかけるとすぐに大和の足が止まった。けれど弥生の言葉に従ったからではない。それに関しては、弥生もすぐに気が付いた。
何者かが急いで草むらをかきわけて走ってくるような音が、遠くからかすかに聞こえてくる。
「……大和様。誰かがいる」
「ああ。おそらく下っ端の鬼だろうな。2本角といったところか」
音が届くような距離まで近づいてしまえば、大和の妖力を感じ取る能力は、十分に力を発揮できるらしい。
2人はさっと木の陰に隠れ様子を窺った。
近づいてくる鬼は、弥生達の気配に全く気が付いていないのか、変わらぬ速度で距離を詰めているようだ。音が近い。
警戒しながら覗き見ると、音の正体は大和の言った通りの容姿の鬼だった。
付け加えると、遠目で見るなら、一見上半身裸の瘦せ細った人間のように見えなくはない姿。だがよく見ると、頭には髪の間から突き出る小さな黒い角が2本生えていて、口からは牙が覗き、肌の色は泥のような色をしている。
小鬼の肩には、ぐったりとした子供の狐妖怪が担がれていた。どうやら捕らえた獲物を運んでいるところのようだ。
弥生がそんな状況把握をしている僅かな間に、大和は木の陰から飛び出していた。ずいぶんな怒りを纏っている。怒りのせいでぴりぴりとした妖力が流れ出ているのだ。
主人1人を矢面に立たせるわけにもいかず、弥生は仕方なく大和の後を追う。
「待て」
背後から大和に呼びかけられた小鬼は、びくりと飛び上がり、2人の方を向いた。
「なっ、なんだ、お前らぁ‼ こっこんなとこで何してんだよぉ‼」
小鬼は精一杯の強気な姿を見せようとしているようだが、ずいぶんと腰が引けている。妖力の大きさなど関係なく、この様子ならば殺そうと思えば楽に殺せてしまうだろう。
大和が腰の刀に手を伸ばした。すぐにでも切り捨て、子供を助け出したい様子だ。けれども弥生は、その動きを刀の柄を抑えて静止した。
「待って。ここで切るべきじゃない。この結界、距離の近い者同士には効果が薄くなるみたいだし、他の鬼に感づかれたら面倒だ。冷静に」
鬼は血のにおいに敏感だ。もしこの辺りに他の鬼がいれば、何事だと一斉に集まってくるだろう。
弥生の囁きに、大和は柄から手を放し、纏っていた怒気も鳴りを潜めた。
「そうだな。すまない。頭に血が上っていたようだ」
「それでこそ、僕のご主人様だ」
いつも通りのすました態度。これなら冷静な判断を下せるだろう。弥生も大和の刀の柄から手を放す。
そんなことなど知らない小鬼は、さっさと逃げればよかったのに、何故か急に得意気になって、元の場所に立っていた。
「何だぁ、お前らこそこそと! さては、おいらに恐れをなして……」
弥生は小鬼が言い切る前に、右手の人差し指を顔の前に出し、瞬時に妖術を放った。
「幻術・偽之陽炎」
「⁉ あっ、あわわわ……??」
その指を見た小鬼の頭は、混乱したようにぐらぐらと揺れ動く。
「弥彦……お前、言ったそばから……」
「大丈夫だよ。鬼は血の匂いには敏感だけど、妖力に反応できる鬼はそうそういないはずだよ。そもそも、そんな鬼は下っ端に働かせて、自分たちはどこかで獲物が来るのを、胡坐をかいて待っているさ。そんなことより、大和様。この術の効力、知ってたりするかな?」
“偽之陽炎”は対象者1名に幻覚を見せる術だ。正気に戻った直後のやり取りで、対象者に見せたい幻覚を印象付ける。
基本の成功率が2,3割と低い術ではあるが、術者の妖力量が対象者より多ければ多いほど成功率は上がる。小鬼の様子からして術自体は成功しているはずだ。
大和はこくりと頷いた。
「じゃあ、僕がやろうとしている事は?」
「この鬼に案内させればいいのだろう?」
「さすがは、察しの良い大和様だ。それじゃあ、僕を有効活用しておくれよ」
大和はそれすらも察していたようで、首を縦に振る。
こんな時間のない場面で、言葉がなくとも意思疎通ができているのはありがたい。これで弥生も安心して自身に術をかけることができるというものだ。
「じゃあ、後は頼んだからね。幻術・霞之舞」
弥生が手に息を吹きかけると、自身の顔の周りに白い煙が舞い始める。弥生はその煙を大きく吸い込むと膝から崩れ落ちるようにして、気を失った。
大和は弥生が崩れ落ちる前に受け止めると、一瞬苦い顔をし、そのまま軽々と肩に担ぎ上げた。
その直後、小鬼の意識は戻ったらしい。
「あれ? おいら、なにをしてたんだ?」
「いきなりどうかしたのか?」
大和は白々しく、心配している風を装った。
小鬼は視界が霞んで見えにくいというかのように目をこすり、目を細めて大和の事を見た。姿がはっきりと見えていないかのようだ。
「だれだ? お前?」
「……本当にどうしたんだ? こいつを捕まえて戻る途中、道に迷った俺に道案内してやるといったのはそっちだろう」
「?? そうだったか?」
「ああ」
この偽之陽炎という術は、術がかかっている間は、その直前の記憶をあやふやにする効果も秘めていたはずだ。
小鬼は空いた記憶を思い出そうと、うんうんと唸っている。そしてもう一度大和の方を見て、首をかしげた。
「……お前新人か?」
「2日前に合流したばかりだ」
「そ、そっかそっか! なら、おいらは先輩だ! 新人の面倒を見るのは当然だな!」
どうやら無事に仲間の鬼だと認識されたようだ。
小鬼は鼻高々に、胸まで張ってよく喋る。憎さと鬱陶しさとで、思わず大和は切りかかりたくなった。
けれど、弥彦が繋げた手がかりだ。
殺意をぐっと押し殺し、代わりに心にもない言葉を吐き出す。
「ああ、頼りにしているぞ。先輩」
小鬼は“先輩”と呼ばれたことで気分が高揚したようだ。
「ふっふっふっ……よーっし! この先輩がちゃんと連れて帰ってやるからな。そんじゃ、いっくぞー!」
小鬼は片手を突き上げると、1人意気揚々と駆け出した。いくら他の妖怪を食らい続けたところで、この鬼が脅威になる日は絶対にないだろうと、大和は思った。
小鬼が振り向き、大きな声を上げる。
「早く来ないと、追いてっちまうぞぉ!」
「こっちの獲物は大物なんだ。もう少しゆっくり歩いてくれ」
「お? そうだな。ゆっくり行ってやらないとな。なんたって、おいらは先輩なんだからな!」
小鬼は走るのを止めはしなかったものの、途中途中で振り返り、大和が追いつくのを待つようになった。
何の疑いも持たれなかったのは良いのだが、会って間もない、親しくもない小鬼に無礼を働かれ続け、大和が無理やり押し込めていた腹立たしさが、腹の奥で沸騰しそうになっていた。
しばらくの間大和は腸を沸々とさせていたけれど、ふとある事に思い当たり、その熱が一気に冷めた。
(そういえば、こいつとも会って間もないというのに、馴れ馴れしくされても不快に思わなかった。むしろ心地良さすら……ふん……不思議な奴だな、この男は。いや、女というべきか)
そんなことを考えていると、不思議と口角が上がっていた。
それを見た小鬼が、興味津々といった様子で近づいてくる。
「どうかしたのか? 何か面白いことでもあったか?」
「……いや、たいしたことではない。気にするな」
「なんだよぉ、おいらにも教えろよぉ」
小鬼の鬱陶しい絡みに、せっかく冷めた腹立たしさが、再び沸騰を始める。何度刀に手を持っていきそうになったことか。
大和は適当に話を躱しながら、小鬼と共に、この森のどこかにある、鬼達が居つく場所へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
そしてお久しぶりです。なろうのデザインが変わってから初めての更新になりますが、慣れないので非常に使いにくいです。まあ、使ってるうちに慣れることを祈ります。
今回ようやく事件に足を突っ込むことができました。解決までに3話くらいを予定していたのですが、どうやらいつも通り伸びそうです。
また出来たら更新します。
でわ、また次回!