17.鬼の鍛冶屋
狐と猫の妖怪を背に乗せた馬は、疾風が如く町中を駆け抜けた。
事情を知らない町の住民は、それが柳之宮の当主の馬だと気づくと、とにかく邪魔にならないようにと道の脇へと避け、何事だろうと思いながら見送った。
風穂の町は広い。歩けば端から端まで半刻ほどの広さがある。けれど遮るもののない馬は、十二分の能力を発揮でき、瞬く間に風穂の町の北側へと辿り着いた。
先ほどまでいた町並みとは打って変わり、風景は町というよりも発展が遅れているの村といった印象を受けるようになっていた。どうやらこの辺りで暮らす妖怪は、狩猟で生計を立てている者が多いようで、家の外には動物の毛皮や肉が干されている。この辺りで獲れた肉を、中枢となっている辺りの店が買っているのだろう。
大和と弥生は、北の町で暮らす住民達に行方不明者達に関する詳細を聞いて回った。消えた者の種族や日頃の動向など、捜索の手掛かりになりそうなことを聞いて回ったが、消えたと思しき場所はばらばらで、どう探すべきなのか当たりをつけられそうな情報は得られなかった。
2人はこれからどう動くかを考えながら馬を引き、町中を歩いていた。
「収穫なし、だね」
「だな」
「そういえば、昨日僕らを追いかけてきたみたいに、妖力を辿ることはできないのかい?」
よくよく考えれば、大和は妖力を感じ取り、その者の居場所まで特定することができたはずだ。わざわざ聞き込みをする必要などなかったのではないだろうか。
大和は眉間にしわを寄せ、ふてくされたような顔をした。
「奴らがこの北の町の周辺に巣食っているのは確認できてている。おそらくかなりの数の鬼が集まっているはずだ。だが、居場所を探ろうとすると、気配が霧散しているとでもいうのか、どうにもはっきりとした位置が掴めない」
「そんなことって。頭目だけならともかく、全員が全員妖力を隠す術を会得しているとは考えにくいよね。それに気配の霧散って……」
「奴らの中に結界術を得意とする鬼がいるのかもしれん」
「そう考えるのが妥当か」
結界術とは基本、結界と呼ばれる見えざる障壁で中と外の遮断することで、敵からの攻撃から身を守ったり、敵を結界内に閉じ込めたりといった効果を発揮する高度な術だ。けれどそれが基本というだけで、極めると遮るためだけではなく、結界を通過した者の存在を感知したり、中にいる者の動作を鈍らせたり、知覚を混乱させることも可能になってくる。
どうやら今回はその域に達した鬼が野盗化しているらしい。
(結界術か。ずっと一人旅だったし、身を守る必要性もあんまり考えていなかったから修得してなかったけど、これからは撫子さんを守らないといけないんだよね。そう考えると、面倒だけど修得すべきか? 唯一使える結界術はあるにはあるけど、あれは利点に対して、難点が大きすぎるし、僕一人の時は使えないからなぁ)
弥生が「うーん」と零し、難しい顔でそんな考え事をしていると、大和が口を開いた。
「だが、奴らがねぐらにしていそうな場所に、いくつか心当たりはある。その中で最も近いのが、この先の狐と猫の領土の境にある崖空いた、大きな洞穴だ。入り口はこちら側にあるのだが、空洞のほとんどが猫族の領土にできている」
どうやら大和は、弥生の悩む様子を見て、何か策を練っていると勘違いをしたのかもしれない。一応話は聞いていたし、わざわざ他の事を考えていたと明かす必要もないので、弥生は大和の勘違いにそのまま乗りかかった。
「それは格好の隠れ蓑になりそうな場所だ。まずはそこに向かってみるんだね」
「ああ」
じきに日も暮れる。暗闇の中の移動は危険が多く、火を焚けばよからぬ者たちに存在を知らせるようなものだ。
急いでその場所に向かうため、弥生はすぐさま鐙に足をかけた。
「待て。馬はここに置いていく。少し急げば、徒歩でも四半刻もせずに行ける距離だったはずだ。馬でうろつくのは目立ちすぎる」
「たしかに。そうだね」
大和の言う事はもっともだ。
馬なら移動は速いが、気配が消しにくい。馬の重量は重く、硬い蹄を持つ。不必要な音を立てる恐れが高まり、なにより大きさからしても、忍びながら洞穴に向かうには不向きだ。鬼の野盗に遭遇する可能性が高まる。そうなれば戦闘になり、音を聞きつけた他の鬼が集まり、数の不利に見舞われる可能性だってある。
弥生は地面に足を下ろした。
その時、ふと大和の視線が自身の腰辺りに向いているのに気が付いた。
「どうしたんだい? そんなにじっと」
「お前、刀を持ってきていないのか?」
「え? 刀?」
そこでようやく気が付いた。大和は帯刀している。弥生はというと、出かける前に用意してもらった着物の傍らに刀があったような気はしたが、元々持ち歩くような立場ではなかったため、完全に無視してしまっていた。
「着物と一緒に用意していただろう」
「あー……そういえば、用意してあったような? ごめん。今まで持ち歩いた事なかったから。それに撫子さんの実家に行くだけだから、気を張らなくても大丈夫かなって」
「大丈夫なわけがないだろう。治める者がいる地だからといって、安全なわけではない。刃物を持つ危険な者に出会ったらどうする」
「そうだね……」
「今後は屋敷から出る時は必ず帯刀しろ。刀の扱いが下手であろうと、持たないよりはましだろう」
「ああ、うん……刀ね……」
真剣に怒られ、弥生は苦笑いを浮かべた。
刀などなくとも追い払える自信はあるが、それは心の内に留めた。弥生が帯刀しても宝の持ち腐れになる未来しか見えてこない。戦いの場に至っては、腰に鞘が付いているのですら邪魔になるだろう。
そんな弥生の困り顔に、大和も気が付いた。
「どうした?」
「えっとさ、刀を持つと妖術が使いにくくてね。それに、そもそも僕は剣術がからっきしだから。それよりも体術の方が得意なんだよ」
「なるほど、体術か」
大和の視線がある小屋に向けられた。
その家の屋根には大きな煙突が付いていて、この町で唯一、現在進行形でもくもくと煙が立ち上っている。
「ちょうどいい。それなら、この際だ。ついてこい」
「え? うん」
小屋に連れてこられた。その周辺には、これまで嗅いだことのない臭いが立ち込めている。犬族だったなら逃げ出していただろう。
大和はずかずかとその家の中に入っていた。
「邪魔するぞ」
中に入ると急激に温度が上昇し、じわりと汗がにじみだした。すぐにでも着ている物を脱ぎ捨てたくなる。
厚さの原因であろう炉の前からは“かんっかんっ”と、金属同士をたたきつけるような音が聞こえている。音を出させていたのは、上半身裸で片手に槌を持った、白い1本角の人間に近しい姿をした鬼の老人だった。
小屋の壁には刀や包丁飾られている。この老人が打ったものなのだろう。
老人は大和の来訪に気がつくと、打つ手を止めて振り返った。
「おんや、大和様じゃねか。行方不明のやつらの捜索しに来てくれたんか? にしては、連れが少ねが」
「元々今日は、中心部の方に別の用があって来ていただけだったからな。昨日までいろいろあって、嘆願書に目を通せていなかったのだが、町長から直接簡単な事情を聞いて、そのまま急ぎ駆け付けた次第だ」
「そうなんけ。んで? なら、儂になんの用があるん?」
「この者に武器を作ってやってほしい」
「この者?」
大和が親指を弥生の方へ向けると、その動きに合わせて鬼の老人の視線も動く。
「ほぉ。大和様、この別嬪さん誰なんけ?」
思いもよらない別嬪という呼び方に、弥生はぎくりとした。男に向かって別嬪などという形容をする者など見たことがなかったからだ。
その心情を汲み取ったのか、大和が淡々と口を開いた。
「気にするな。この男は鉄斎というのだが、見目が好みで親しくない者に対しては、男だろうが女だろうが別嬪と呼ぶ。昭人も初対面の時はそう呼ばれていた」
「そ、そうなんだ。大和様は?」
「幸いにも、俺は好みではなかったらしい」
鉄斎という老人は、大和の言葉に「んだ、んだ」と頷いていた。弥生は苦笑する反面、内心ではほっとしていた。
(女だってばれたかと思った。けど、昭人君が別嬪って。少し意外な感覚だな)
続けざまに大和は弥生の紹介を始める。
「鉄斎。この男は、昨日から俺の側近になった。名は弥彦という。孝臣にしばらくの間暇を与えた故、その代わりに雇った」
「ほぉん。孝臣殿の代わりの。そんならよっぽど強い御仁なんじゃろな」
「ああ」
鉄斎は心底驚いた顔をしていた。そして弥生の事を、上から下まで「ほう、ほう」と漏らしながら、品定めするかのように見回す。
「どんなのがええんか? 体格はそこそこええみたいじゃし、大きめの刀か?」
「いや、本人は体術が得意だと言っている」
「体術な。なら、その別嬪さんは見たところ猫族じゃし、鉄製の爪か、あとは最近出まわっとる“とんふぁー”ってのもええかもな」
「とんふぁー?」
聞きなれない武具の名前に、大和は聞き返した。
弥生はなんとなくだが、あれかなという予想はついた。ずいぶんと昔に、人間界でちらりと見る機会があった。
「長い棒の片方の端付近にな、短い棒が垂直に付けられとるだけの武器なんよ。両手で2つのとんふぁーの短い方をそれぞれ握って、長い方を腕に沿わせ、そいで相手を殴る、みたいに戦う武器やけ。ちょうど1組試しに作っとるけ、使ってみ」
鉄斎は壁際にある木箱の中をごそごそといじると、1組のトンファーを取り出した。その武器の形はやはり弥生が思い出していた武器そのものだった。これなら、使い方も何となく覚えている。
「お借りします」
弥生は受け取ると、小屋の外に出て、昔見たこの武器を持った人間の動きを思い出しながら、トンファーを握り、自身の動きにはめ込んで数度両手を振り回してみた。初めて手にした武器ではあるけれど、刀を振り回すよりは戦いやすそうだ。
「どうだ?」
大和が問いかけてきた。
「慣れない重さに違和感はあるけど、動きの型にあんまり影響はでないし、悪くないよ。新鮮な感覚だ。けどなぁ、やっぱり、僕には、爪の方が、向いてる、かもっ!」
「そうか。ふむ……」
さらに数回振り回していると、弥生はなんとなくこつを掴めたような気がした。
大和も弥生の馴染んでいく動きを、じっと眺めていた。しばらくすると、大和が口角を上げた。
「鉄斎。こいつ用に、爪とこれを拵えてくれ。実用性に特化したものであれば、金額は気にしなくてもいい。上等なものを頼む」
驚いて、弥生のトンファーを振り回す手が止まった。鉄斎までも、「ほう」と言いながら、目を丸くしている。
「大和様⁉ 両方はさすがに貰いすぎだ。1つだけでも申し訳ないのに」
「これくらいの買い物などたいしたことではない。これから、それに見合う働きをすれば、それで」
「そんな。大和様の期待に応えるだけの事が、僕にできるかどうかもわからないのに」
過度な期待の言葉に困り果てていると、鉄斎に肩をとんとんと叩かれた。
「別嬪さん。くれるってもんは、貰っとけばええよ」
稼ぎになる良い依頼が入ったからか、鉄斎はやけに上機嫌だ。にやにやと大和の方にも視線を送っている。
鉄斎の視線に居心地悪そうな顔をしながら、大和は口を開いた。
「鉄斎、代金は後日持ってこさせる」
鉄斎が首を左右に振った。
「ええよ。大和様にはいつも世話になっとるし。金は余るほど貯め込んどるけ。子も後継者もおらんし、こんままだと、貯めた金も無駄金になってしまう。じゃけ、大和様のために使わせてけれ。代わりに、行方不明のを、早よ見つけ出してくれたら、それでええけ」
「……すまないな」
そこまで言われ、流石の大和も少し申し訳なさそうにしていたが、素直に好意を受け入れた。
そうとなると、鉄斎のあの顔はいったい何なのか。いまだ良いことでもあったかのように、にやにやしている。
「とりあえず、別嬪さん。今爪の在庫がないけ、作っとる間はそれ持って行き。見たところ、今の短い時間でだいぶ使い慣れたやろ?」
「はい。ありがとうございます。武器の作成、よろしくお願いします」
「ふふん。任せとき」
鉄斎はまだにやにやしたような顔で、大和に視線を送った。
大和は眉間にしわを寄せた。
「さっきから、なんだその顔は。言いたい事があるなら、言えばいいだろう」
「大和様はこの別嬪さんの事、ずいぶん気に入っとるんじゃなぁと思ってな」
「は?」
「なんというんかねぇ、説明するのは難しいんじゃけんど、昭人殿や孝臣殿に対してとは違う、気を許したような雰囲気しとうけ。この別嬪さんに対しては、そうやね、なんというんか、心酔しとうような雰囲気しとぉよ。さっき、このとんふぁー使いよった時、大和様えらい嬉しそうな感じで見よったけ。よっぽど気に入っとんじゃろなぁと思って、対嬉しくなったんよ」
大和の眉間がぴくりと動いた。そして鉄斎から視線をそらした。
「気のせいだろ」
「そう思うなら、それでもええけどね。けど、早よ気持ちには正直になったほうがええ。後々痛い目見るかもしれんよ」
大和本人は否定しているけれど、やはり撫子の勘は当たっているのだろうか。とはいっても、弥生自身が大和に恋愛的な好意を向けられているとは思えないし、思いたくもなかったので、弥生は知らない振りを通すことにした。自分が愛する夫はあの人だけだからと。
そんな否定的な2人をよそに、鉄斎は上機嫌に弥生を招く。
「そんじゃ、別嬪さん。仕事行く前に、ささっと手の大きさ測らせてけれ。ほれ、ここに座り」
「えっと、はい」
丸太の椅子に座らされ、あれやこれやという間に手を測られた。
その間、鉄斎は弥生に大和から受けた恩や、武勇伝を延々と話し続けた。どうやら弥生に大和の良さを漏れなく伝えたかったらしい。大和は止めるように言ったものの、鉄斎の口が閉じることはなかった。
結局作業が終わるまで弥生は興味のない話を延々と聞かされ、大和も小屋の端の方で壁に寄りかかりながら、居心地悪そうに待つ羽目になったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
そして、待ってくれていた方がいたのかはわかりませんが、お待たせいたしました。最近筆の進みが遅くて申し訳ないです。それにプラスして、鬼のお爺さんの口調でいろいろ悩んでました。最終的になんだかあらゆる方言が混ざりこんだような謎な口調に仕上がったように感じます。口調に関しては、ちょっともうあきらめ気味の仕上がりです。
また続きかけたら更新します。
でわ、また次回!