13.婚約する狐の親に
管桜の屋敷は、柳之宮の屋敷からも見える山の向こう、馬を走らせて半刻ほどの場所にあるらしい。弥生達は濃い緑が茂る森の中に作られた道を真っすぐ、管桜の屋敷に向かって馬を走らせ続けた。
四半刻ほど走らせた頃、森の左半分が開け、崖沿いの道に出た。崖下に大きな街が広がっているのが見える。そこは弥生がこれまで行った村や町よりも圧倒的な広さがある。遠くのこの場所からでも賑わっているのがわかる。
弥生の口からは高揚の息が漏れた。
「はぁ。すごいな」
蹄が地面を叩く音が響く中でも、そんな小さな声が届いたのか、前を走っていた大和を乗せた馬が、じわじわと速度を落とした。弥生と従者の男も合わせて馬の歩調を遅めていく。
「あれが俺の領土の中で、最も広く栄える町だ。どうだ?」
大和は弥生に誇らしげな様子で尋ねた。この町は大和の自慢の町なのだろう。
弥生は馬を止めて町の様子よく眺めた。獣妖怪以外にも小柄な鬼や、人間の死の念から生まれる死念妖怪など、様々な妖怪達が行き交っている。
これまで弥生が見てきた町や村は、獣妖怪同士で集まって生活している所ばかりで、その他の妖怪が交わって暮らしていた事などなかった。場所によっては同じ獣妖怪であっても、種が違うからと村や町の輪からはじき出されている妖怪もいた。
これほどに他種族が交わりながらも、衝突らしき衝突が起きていない町は見た事がない。
「いい町だね。いろんな妖怪達で賑わっていて、物流も盛んみたいだし」
「だろう? だがな、ここも100年程前までは、狐族ばかりが暮らす、ただ土地の広いだけの村だったんだ。それをようやくここまで」
「100年って、もしかして、この町は大和様がここまで?」
「ああ、そうだ」
町を見下ろしながらそう答えた大和の声は穏やかだった。この町の発展に尽力し、こうして実った努力を目にした嬉しさがあるのだろう。
「すごいな、大和様は。元の村の事は知らないけど、たった100年で種族の壁を取り払って、こんなにいろんな妖怪が行き来できる町を作り上げるなんて。尊敬するよ」
「そ、うか」
率直な思いをぶつけると、大和は驚いた表情をした後、照れたように視線を彷徨わせる。その珍しい表情には、従者の男が密かに驚いているようだ。
常に威厳を保っている男のそんな可愛らしい顔に、弥生はくすりと笑った。昨日、大和と出会ってから、これほど感情が揺さぶられる。こんな日が続くのは久々だ。
弥生はもう一度賑わう町へと視線を落とす。すると夫を失って枯れてしまったと思っていた心に、高揚感の芽のようなものが顔を出しているような気がした。
「僕もあの町に行ってみたいな。行く機会出来るかな?」
「あるぞ」
「ほんとかい?」
高揚感に引きずられ、弥生は嬉しそうに大和の方へと顔をくるりと向けた。それにつられているのか、大和の表情も柔らかだ。
「管桜の家からの帰り、下の道に回ってあの町を通る。お前の着物を買ってやる」
そう言われて思い出した。
みすぼらしいと言われ軽くショックを受けてうやむやな状態になってしまっていたが、たしかにそんな話をしていた。すっかりと忘れていた。
「え? あれ本気で言っていたのかい? ほんとに僕の着物を?」
「当たり前だ」
きっと遠慮をしたところで、大和は自分のためだと言って引かないはずだ。
弥生は甘んじてその申し出を受け入れることにした。
「そっか、じゃあ、お言葉に甘えて買ってもらおうかな。ありがとうございます、大和様」
弥生が微笑むと、大和の動きが停止した。そして気まずそうに、ぷいと顔を背ける。
「……行くぞ」
進行方向へと馬の頭を向けると、再び走らせ始めた。弥生と従者の男も後に続いて馬を走らせる。
すぐに従者の男が弥生に馬を寄せてきた。
「大和様は弥彦様の事を信頼されているのですね」
羨ましそうな声。この従者も大和に憧れを抱いているのだろう。
たしかに多少の信頼に似たものは向けられているのだろう。けれどそれは、彼が思い描いているような良好な信頼関係ではない。
「そう、見えるかい?」
「はい。あのような穏やかな表情を見せるのは、側近のお二方と撫子様にだけですから」
従者は憐れむような視線で、前を走る大和の事を見ながら続ける。
「大和様は幼い頃から御家騒動に巻き込まれていたせいで、他人をあまり信用されない方になられたそうで。前当主、大和様のお父上とお母上は、大和様が100にもならない、まだ尾も3尾ほどしかない頃に、当主の座を狙ったお父上の弟君に暗殺されています。ご自身の命も危うかったそうですが、前当主様の側近である、昭人様のお父上のおかげで難を逃れたそうなのです」
「……そっか」
弥生は風になびく馬の鬣へと視線を落とした。
大和も家門の当主として、種の長として苦労はしてきたのだろうとは思っていた。しかし、大和が当主の座を継ぐことになった100という年齢は、本来なら妖怪にとってはまだまだ若すぎる年齢だ。しかも尾が3本しかないとなれば、ずいぶんと周りから軽んじられてきたに違いない。そんな環境下に置かれ、他人を簡単には信用できなくなってしまったからこそ、大和の相手の考えを読み取っているかのような洞察力は身に付いてしまったのかもしれない。
「ねえ、そんな話、勝手に僕なんかに話しちゃっても大丈夫なの?」
弥生に言われ、従者はたしかにとはっとした表情をしていたが、すぐに苦笑を浮かべた。
「大丈夫でしょう。私も女中の方から教えていただいた事ですし、屋敷に住まう使用人は皆知っている事ですから」
「そうなんだ。ちなみにさ、大和様って当主になってどれくらいになるか知ってる?」
「えーっと、たしか400年くらいだったかと」
それらの情報から計算すると、大和の年齢は500歳前後という事になる。
妖怪の寿命は妖力の多さ、つまりは獣妖怪ならば尾の数が増えるごとに伸びていく。5尾以上の妖怪ともなると、その寿命は1000年以上といわれている。
現在の最高齢が8尾の狼の1800歳。まだまだ現役だ。9尾の大和は悠久の生命力を持っていると言っても過言ではないかもしれない。
弥生は常にどっしりと構え、見た目こそ若いが、あの貫禄のある雰囲気の大和の年齢は、1000は優に超えていると勝手に思い込んでいた。
「僕より100も年下だったのか……」
8尾にもなろう自分が、それほど年下の者にいいようにされていたのかという事実に直面し、虚しくなった弥生は空を仰ぎ見た。
従者は弥生の呟きに目を丸くした。
「という事は、弥彦様は4尾以上の方、なのですか?」
「あー……うん、まあ、そういうことになるかな」
獣妖怪で3尾までしか持たない妖怪の寿命は500前後。600年生きているとほのめかすような事を言ってしまえば、それは必然的に4尾以上の妖怪であると宣言したようなものだ。
何も考えず呟いてしまったが、まだ弥生の情報は隠している状態。うかつな発言をした弥生は誤魔化すように笑いかける。
そんな事になど従者は気に留める様子はなく、にっこりと笑った。
「そうなんですね。あ、そう言えば自己紹介してませんでしたね。俺裕次郎って言います。大和様と同じ黒狐です」
「僕は弥彦。猫又だよ」
裕次郎は物腰が柔らかで、馬に乗っている間も気さくに話し続けてくる。弥生は馬を走らせる間、裕次郎と親睦を深めた。
さらに四半刻が過ぎた頃ある町中に大きな屋敷が見えてきた。柳之宮ほどの大きさはないけれど、地を治める者に相応しい大きさを誇っている。これが管桜の屋敷だ。
屋敷の前で馬から降りると、裕次郎が到着を知らせる声を上げる。
「失礼つかまつる。柳之宮の者だ」
屋敷内から慌ただしく足音が聞こえてきたかと思うと、がらりと玄関のドアが開かれ、女中が現れた。
「お待たせいたしました。お部屋にご案内いたしますので、どうぞおあがりくださいませ」
女中に招かれ、大和と弥生は屋敷の中に足を踏み入れた。裕次郎は馬の世話があるらしく、女中に断りを入れると、厩のあるらしい方へと馬3頭を連れて行った。裕次郎もよく管桜の屋敷について来ているようだ。
大和と弥生は屋敷に入ると、女中に続き、ある和室へと通される。そこには座布団が奥に2枚、向かい合う位置に1枚用意されていた。
大和は奥に用意された座布団の上にどっしりと腰を据えた。弥生はその横に置かれた座布団の上に腰を下ろす。
厳かに見える部屋だ。ただ入った瞬間、何か違和感があるような気がした。その正体が気になり、弥生は失礼だとわかりつつも、視線を彷徨わせずにはいられなかった。
「緊張しているのか」
「あ、ああうん。それもあるんだけど、なんだかよくわからないけど、何か違和感? みたいなものがあって」
大和もぐるりと部屋を見回した。
「違和感、か。おそらく美術品の類が一切ないのが原因じゃないか? 襖や欄間は華やかなのにもかかわらず、床の間には壺や掛け軸などの芸術物が一切飾られていない」
「言われみれば、そうかもしれない」
「管桜は今金がない。金になりそうな物を質に入れて、財政を立て直そうと奔走いているところだからな」
「ああ、そういえば」
弥生はすんなりと納得できた。たしかに撫子の婚約が急がれたのはそれが原因だった。
廊下から急ぐような、重い足取りの音が響いてきた。
足音の主は管桜の当主。その妖怪がずいぶんと長い間管桜の当主の座についていた事を弥生は知っていたため、貫禄のある中年の姿を勝手に想像していたが、さすがは大妖。弥生の前に現れた当主の容姿は、大和とさほど変わらない若さを保ち、赤みの強い黄色の毛色を持つ狐妖怪だった。
彼は座るや否や、両手をついて大和に向かい頭を下げた。
「大和様! この度は我が娘が大変失礼いたしました。まさか道中に逃げ出すなどという愚行を……!」
今にも首をくくってお詫びをと言い出しそうな勢いで謝り倒していた。
大和は落ち着いた声で管桜の当主に命じる。
「頭を上げてくれ、伯父上」
柳之宮と管桜が親しい家柄だという事はこれまで聞いていた話から察してはいたが、まさか伯父と甥という関係だったことに弥生は驚いた。
大和は淡々とした態度で話を続ける。
「別に俺は今回の事を咎めようと思って伺ったわけではない」
「しかし、先に届いた手紙には婚姻の見直しをしたいと……」
大和は静かに頷くと、部屋には張り詰めた空気が行き渡る。
「どうやら撫子は俺との結婚をどうしても受け入れられないらしい。話を聞いているうちに俺も、無理に婚姻を結ばせるのは可愛そうに思えてきてな」
「しっしかし、そうなりますと……」
管桜の当主は膝の上で握っていた拳に、ぎゅっと力を込め、俯いた。おそらく鼠族との婚約話は完全に切れてはいないのだろう。そして、親としてはそちらに撫子を嫁がせたくはないが、領土の再興の事があるため、提案に乗るしかないのかと悔しく思っているのかもしれない。
弥生は撫子がちゃんと親に愛されている事を知り、少しだけ安心した。
「それでだ。今日は代替案を持ってきた」
「と、いいますと?」
大和の切り出しに、管桜の当主は勢いよく顔を上げる。
大和が弥生の方に向けると、管桜当主も弥生の存在に目を向けた。
「撫子との婚約に、この者を推そうと思う」
突然の紹介に管桜の当主は不審な目を向ける。会ったこともない男を自分の娘の婚約者に通されたのだから当然の反応だ。
「そちらの方は?」
大和が弥生の方にちらりと視線を送る。挨拶をしろという事なのだろう。弥生は両手を畳の上についた。
「猫又の弥彦と申します。以後お見知りおきを」
深々と頭を下げる。地を治める大妖2人を前にし、弥生の心臓は弾け飛びそうになっていた。
頭を上げると、大和が再び口を開く。
「この者は昨日から俺の側近になった。撫子が泣きついて、嫁入り行列の大半を眠らせた男だ」
「なっ、この者が……⁉」
管桜の当主が立ち上がり、今にも殴り掛かってきそうになると、大和の手が弥生を守ろうとするように横に伸ばされた。
「気を静めてやってくれ。悪意があってやったわけではない。本人も十分に反省していている。それに、撫子もこの男を好いているようでな。出来ればあいつの好きなようにさせてやりたい。承諾していただけるのなら、こちらからの援助の話はそのまま継続させてもらう」
「それは、ありがたいお話なのですが……」
「不満か?」
「正直に言わせていただくと、不満ですね」
「この者が5尾以上の大妖でもか?」
管桜の当主の驚いたような顔が、勢いよく弥生の方へと向く。
「本当に?」
「ああ」
「そんな者が、無名で?」
「そうだ」
撫子を嫁入り行列から連れ出したという汚点はあるが、これから狐の長の側近になり、その長の大和が婚約者にどうかと推す男。さらには大妖という好条件で、愛娘が婚姻を望んでいる男。即座に首を縦に振られてもおかしくない条件が揃ってしまっている。弥生は断ってくれればと、緊張の糸を張り詰めさせていた。
管桜の当主はそんな好条件の中でも、どうすればよいか決めかねているようだった。
「やはりすぐにの承認は出来かねます。娘から願い出た事とは言え、誘拐まがいな事をしたというのも事実。大和様の側近になられた方とはいえ、それは昨日からの事で、何の功績もないとなりますと、そう簡単にお返事は……昭人殿と、という事でしたらすぐにでも了承いたしますが……あの御仁は撫子の事をずっと思ってくださっていますから」
どうやら昭人の思いに気がついていないのは、その思いを向けられている撫子本人くらいなのかもしれない。この場にいる3人はそれぞれで頭を抱えた。
そんな中、大和がしかたないと溜め息をついた。
「ならば、時間を設けるのはどうだろう。婚約者候補として弥彦と昭人を指名し、より撫子に相応しい方と婚姻を結ばせる」
「しかし、昭人殿が承諾されないのでは?」
「……こうなったら俺も腹をくくろう。もし、昭人の方が撫子に相応しいとなれば、俺も真面目に婚姻相手を探す。そうなれば、昭人も多少は撫子に気に入られるよう努力するだろうからな」
ずいぶんと婚姻を渋っていたらしい大和の重かった腰がついにあげられ、弥生に密かな期待が沸き上がる。
(これって、僕が名を上げないように気をつければ、婚姻を結ばずに済むんじゃあ)
悟られないように喜んでいると、大和がじとっとした視線を向けてくる。
「弥彦」
「へ?」
「だからと言って、わざと手柄を立てないようにするのはなしだ。最有力の候補はお前なんだからな」
「……わっわかってるよ」
弥生は笑顔のまま、内心がっくりと肩を落とした。やはり大和を出し抜くのは無理そうだ。
お読みいただきありがとうございます。
2,3日前からようやく頭が回転し始め、燻っていた創作衝動が一昨日爆発して一気に書き上げました。書き上げて力尽きたのでゆっくり続き書くことにします。
また書き上がったら更新します。
でわ、また次回!