母はまだ生きてる
会社に行けました。
ぼーっとしてるとお父さんの事を考えて涙が出ちゃうから、10分も早めに出た。
珍しくお土産も買ったので配った。
本当に珍しくなので、夜になって雨?
私はお土産買うの大好き。
でも「ご馳走様」とか「ありがとう」って言われるのが恥ずかしいから、会社用にお土産を買った事がなかった。
案の定帰り際にご馳走様の津波が来たので逃げた。
実は私、7年前の母の死を、今だに受け入れられないでいる。
22歳でこっちに来た。
それからは実家に帰るのは、お盆と年末年始。
それと一日置きの母からの電話。
急に逝かれてもピンと来ない。
私は母が34歳の時の子供。
長男はヒロポン中毒の誤診で、生後10日で他界。
その後姉が産まれ、次の子は流産。
そして私は、へその緒を首に巻き付け、仮死状態で産まれ、お医者さんに逆さにされ、お尻をペンペン叩かれて蘇生した。
でも小さい頃からお葬式の出るお家を言い当てたり、地面と話しをしたりの奇妙な子で、学校以外の単独での外出はさせてもらえなかった。
いつも独りで空想の世界で遊んでた。
母は地方公務員でワクチンを作る会社に勤務してた。
定年して、姑を見送って、やっと楽になったと思ったら逝ってしまった。
それも急に…
何も言ってくれずに…
その日も母は普段と変わりなく昼食を済ませ、お昼寝をしていたらしい。
ふと父が母に目をやると、口からプクプクと泡を吹いていた。
救急車を呼び、救急車の中で心停止。
蘇生しながらの搬送。
心臓は動き出したけど、意識は戻らなかった。
私がお見舞いに駆け付けた時も、昏睡状態だった。
入院してから10日後、延命措置をするか否かを決める日に、一度も目覚める事なく、母は旅立ってしまった。
お葬式に参列して、骨を運んでも、母の死を信じられなかった。
今も信じられない。
実家は取り壊され、駐車場になっているのをこの目で見ても、こっちに帰れば、それは幻になった。
私の心にはまだ実家があった。
母の死を受け入れられないまま、父が逝ってしまったら、私はどうなるんだろう?
今日、工場長が父の塩梅を気にしてくれた。
「ダメかも」と言うと、工場長の友人のお父様が亡くなられて、それまで元気で習い事のお師匠さんだったお母様が、廃人同然の様になり、目を話せない状態で、姉弟だったかなぁ?二人で交代で看てるって話してくれた。
あながち他人事ではない。
父を失う恐怖に、今から脅かされている自分が情けない。




