自我の確立
私が私を認識したのは、二年前の風呂上がり、髪の毛を乾かしている時だった。
ああ、これが私なんだ。これが「凪」と名前の付いた私の身体なんだ。
以前から感じていた、身体との違和感は、このせいだと気付いた。
何故私が自我だと気付いたかと言うと、その少し後に読んだ、ルドルフ・シュタイナーの本に、ニーチェが誰かが同じ体験をした事が書かれていた。
ある日、硝子に映った薪を持って立つ自分の姿に自我を確立したと。
ニーチェか誰かは確かそれが五歳くらいだった。
私は四十二歳…。
おつむの差、なのだろうと納得した。
前に私が、その人の後ろに居るその人が見える、聞えると言ったのは、この自我の事。
自我同士の会話だから痛い。
でも私は自分を理解してるから自我を出さない。
ただ聞くだけ。
生霊も自我の一つだから見えるし、聞こえる。
フロイトの心理学に、自我、超自我、エスってのがあるって書いてあった。
超自我は道徳心とかで、自我を見張る。
エスは原始的な欲動。
自我がこれを抑える。
この三つのバランスが保たれて、心は正常に機能するらしい。
超自我の域が広くなると心は萎縮し、エスの域が広くなると欲動に任せ暴走する。
心って凄く面白くて、凄く愛しい。
そして繊細。
だけど強くて壊れても自己再生出来る。
身体より時間は掛かるけど、必ず自己再生出来る。ゆっくりゆっくり凪さんと一緒に私は生きてく。