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1. ぽっぽっぽ

最悪だ。雨水が跳ねて靴か汚れた。


こんな雨の中、事務所に呼び出されて徒歩で向かっている。タクシーで向かえたら良かったのに、あいにく俺にはそんな金がない。赤信号の前で待ちながらスマホを確認する。集合時間から15分が経過している。何度か着信した履歴が残っている。だがそんなのは雨の中の惨めさと比べたら些細なことだ。


顔を上げて信号を見る。反対側の歩行者信号が点滅している。こちらも、もうじき変わるだろう…………と思っていたら、左折してきたトラックに思いっきり泥水を跳ねられた! 死ねばいいのに!


もう何もかも嫌になってきた。俺は差してた傘を閉じて、雨滴に打たれ歩いた。いっそ街灯に掴まって踊りたい気分だ。そんなことを考えていたら事務所の前に着いた。窓から外を見ていたマネージャーが慌てて玄関に向かうのが見えた。


「ちょっと、✕✕さん! ずぶ濡れじゃないですか!」


俺をこんな状態にしたのは、元はと言えばお前らのせいじゃないか。どう責任をとってくれるんだ。


「とりあえず、中に入ってください! 今、タオル持ってきますから! …………はい、使ってください!」


ずいぶん、くたびれたタオルだな。雑巾と間違えてるんじゃないのか。それともあれか、泥水に汚れた俺には雑巾で十分ってか。


「そんなことより✕✕さん、今日は✕✕さんに話があって呼んだんです!」


大した話もないのに呼ばれてたまるか。こっちは夕方から入ってたバイトを欠勤して来たんだぞ。今までの流れからして、大した話ではない可能性の方が大いにあり得るのだが。


「まあまあ、そう嫌な顔をしないで聞いてくださいよ! 実はですね✕✕さん、✕✕さんに映画のオファーが入ったんです! しかも主役ですよ、しゅ・や・く!」


はぁ? 冗談だろ? 冗談じゃないとしても、無名監督の短編映画か何かだろ? 低予算もいいところの。それか予算はあるけど、怪しい宗教団体の広報映画か何かだ。嫌な予感しかしない。


「脚本・監督は、茨城が生んだ期待の新鋭、セトカザミ監督! デビュー作の『愛と哀しみのランタノイド』は斬新な切り口のラブコメディで大きな反響を呼んだんです! 今回作は予算を抑えた短編映画ですが、期待値は高いですよ!」


ほら、やっぱりそうじゃないか。誰だ、セトカザミって監督。そんなの、断った断った。考える間もない、お断りだよ。あー、シフト代わってもらったCさんに、なんて謝ろう…………


「え、え、断ってしまうんですか…………そんな、せっかくのオファーなのに、もったいないですよ…………本当に断ってしまうんですか?」


何度も言わせるな、俺はやだよ、そんな案件。


「う、う…………ひっく…………」


下手な泣き真似するな。全然、同情できないぞ。あー、やだやだ、俺は帰る。


「待ってください! あの、あの…………実はこのオファー、受けてしまったんです…………」


はあ!? 何勝手に受けてんだテメー!? どんだけ俺に迷惑かければ気が済むんだテメー!? そんなんテメーが責任もって断ってこい当たり前だろ、何被害者ぶってんだ俺の方が被害者だろ言わせんな!


「そんなこと言わないで…………この台本、読んでみてください。とても魅力的な主人公なんです、✕✕さんが演じたら、それはもう映えると思うんです、どうか…………」


俺はかなり不本意だったが、いいかげん、この糞野郎に泣きつかれるのも、うざったいので、台本をぶんどる。なんだ『ディスコライト啓一のショートストーリー』? よくそんなタイトルの企画が通ったな。ぱらぱらと台本めくる。登場人物の最初に並べられているのが「ディスコライト啓一」、俺の役だ…………なんだこれ? 変人にも程があるだろ、絶対に客は感情移入できない。こんな役を俺にやらせるのか? まったく、ふざけやがって! これを演じられる俳優は俺しかいないな。


☆☆☆


「まもなく、エターナル六本木、エターナル六本木…………」


車内アナウンスが次の停車駅を伝える。彼はそれを聞いて、ゆっくりと座席を立った。


平日夜の駅に降り立つ。仕事帰りのくたびれたサラリーマンが多い中、彼は軽い足取りでホームを闊歩する。一際、目立つ明るい金髪、キラキラと揺れるアクセサリーが華やかでありつつも、一瞬の隙もない洗練された動作が、近寄りがたい雰囲気を放っていた。


地下の駅から地上に出ると、迷いなく目的の場所へ向かう。夜の六本木。街を彩る灯りは彼に負けないくらいキラキラしている。


…………目的の建物に着いて、足を止める。平日だからか、待ちはなさそうだ。扉の奥からリズムの良い重低音が漏れ出して、微かに振動している。彼はふっと短く息を吐くと、扉を開けてフロアに足を踏み入れた。


鼓膜を破壊するような大音量のミュージック。薄暗い空間に舞う色とりどりのライトの明滅。ダンスを踊り、酒を飲み、あるいは下心ありきの会話をして、人々は享楽に浸っている。


彼はそれを一瞥して、まっすぐバーカウンターへと向かう。伸びた背筋、しなやかに動く脚はモデルウォークを思わせる。彼の歩くランウェイの後には、甘い香水の薫りが漂った。


「えっ、あのイケメン、誰…………」


すれ違ったスーツ姿の女が振り返る。視線は彼に釘付けだ。それを聞いて、遊び馴れてそうな男が答える。


「あいつ、また来てるのか…………ディスコライト啓一。このクラブでは有名だよ」


「ディスコライト啓一?」


「ああ、かっこいいだろ? だが、あいつは…………」


そんな会話はフロアを揺らす音楽の中に消え、啓一の耳に入ることもなかった。彼はバーカウンターの前に立つと、ポケットの中から紙幣を差し出す。その手、その仕草さえも、ため息が出るほど洗練されていた。


「ご注文は」


バーテンダーが尋ねる。彼は答えた。


「みそスープ…………」



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