カリグラフィー
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人は、稀に、バグを起こす。
手を伸ばしても伸ばしても、ここをつくりだした誰かの願いは理解不能だった。
一縷の望みに思いを馳せて、進んだ。怖くなって声を振り絞ったら「…ァ」としか発声できなかった。
だけどちゃんと響いた。わたしが絞り出した母音一文字は、ほんと少し遅れてシンとした閉鎖空間に響きをもたらした。波のようだった。
コートのポケットに手を突っ込んでゴソゴソとまさぐると、さっきICカードにチャージした領収が一枚手に刺さった。たまらなくなって勢いよく破り割いたら、「ザァ、ザア」と細切れの砂嵐のような音がした。耳障りが良く、最後の一欠片まで無心でやぶった。
つい最近買ったスニーカーのせいで足音さえ響かないけれど、破った領収書のおかげで怖くはなかった。ここに波形は存在すると分かったからである。
暗闇の奥底めがけて只管に足を動かしていれば、ヌルりとした質感を足元に感じ、思わず下を向いたが黒が広がるだけだった。
だけどふいに頭の先に冷たさを感じた。同時に、土の濡れたような匂いがした。
どこかで香ったと思ったら雨だった。私はたしか、この匂いに危うんでここへと走ったのだった。同じように素早く足を動かせば、灰色が広がった。
涙のように滴る雫がポタポタと漆黒に波紋を浮かび立たせ、そして薄闇のように溶かしてゆく。刹那、ひろがる透明な黒にひとつ、月が睨んでいる。
指先に違和感を感じて見ると、
擦れたようなインクがこびりついていた。
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