それが愛と、
ただの化け物殺しと、恋のお話。
俺の元には、沢山の依頼が舞い込む。
化け物退治。それが俺の仕事だ。
今までだって、何度も殺してきた。
血で汚れた俺。
それでも人々はそんな俺に手を伸ばし求め縋る。
だからこそ、俺はここに立っている。
そんなある日だ。
俺の元に、また新たな依頼が一つ舞い込んできた。
「"近付くだけで人を傷付ける殺人鬼"を殺してくれ」
さして変わらない。
結局はどんな化け物だろうと、淡々と殺すだけだ。
それが俺に与えられた役割であり、定められた道だ。
今回も報酬の契約と引き換えに、依頼を受諾した。
俺のやり方は、ターゲットによって変える。
今回の殺人鬼は、近付くだけで切り裂かれるらしい。
まるで、"かまいたち"のようだ。
だからこそ、遠くから狙うべく、今回は猟銃を使うことに決めた。
仕事の前に立ち寄った、いつもの森。
そこでとある女と出会った。
木々の隙間から見える美しい髪、長いまつ毛。
美しくも静かな佇まいの彼女を象徴するような絹のワンピース。
血で汚れてしまった俺には、手を伸ばすことすら許されない。
もう、帰ろう。俺のいるべき場所へ。
そう思い、引き返そうとしたその時。
足元の枝葉が、かさり。悪戯っぽく笑う。
そんな微かな音でさえも、鳥のさえずりと木々の声だけのこの場所では、十分な雑音だった。
「──ッ!!」
声にもならないような悲鳴。
女は腰が抜けたように後ずさり、恐怖におののいた目を向けてくる。
それもそうだ。
俺は、本来陽のあたる場所に生きられるような、
お天道様に顔向け出来るような、できた人間じゃない。
だが、彼女の反応は、俺の予想を遥かに凌駕した。
「来ないでっ!お願い……」
俺の顔の横を、風が裂く。
ゆっくりとそちらに目を向けると、無残にも切りつけられた木の幹が見えた。
もしかして、この女、こいつが……
俺は手ぶらであったことを思い出し、冷や汗が頬を伝う。
そうだ、この女こそが"近付くだけで人を傷付ける殺人鬼"だ。
どうすれば、今この場所を切り抜けられる?
焦りと緊張で働かない思考。
それでも、女の発した一言を聞き逃すことはなかった。
「私は……私は、誰も傷付けたくないのに……」
なに?
俺は改めて女を見返した。
耳を塞ぎ、うつむいた髪に隠され表情が伺えないながらも、
彼女は震えていた。
「……落ち着け」
気が付けば俺は、そう声をかけていた。
温情や、命乞いのためではなく、ただただ単純に哀れだと思った。
涙を浮かべ、俺を見上げるこの女……。
ただの、一目惚れだった。
「わたし、私……ダメなんです、人を沢山、殺してしまうから……」
うつむき涙する女は、一瞬、俺をたぶらかす悪魔にも思える。
しかし、肩を震わせ何もかもに怯える姿には、嘘はないように思えた。
だから……俺は、彼女と偽りの時間を過ごすことにした。
それから俺は彼女を立たせ、ともに、森の中を進んでいく。
彼女から聞いた話をまとめると、こういうことだった。
自分は、意図せず人を傷付けてしまうこと。
その事が怖くて、いつも森の中で暮らしていること。
こんな風に、落ち着いて誰かと話したことなど、久しぶりだということ。
そんなもの、俺だって初めてだ。
仕事として会話をすることはあれど、化け物と対峙することばかりで。
目の前の女は、緊張した面持ちながら、道中の全てを会話に費やした。
彼女を家まで送り届ける頃には、すっかり殺す気など失せていた。
何度も頭を下げる女を扉が閉まるまで見送り、俺は帰路に着く。
しかし、何故だ?
近付けば傷付けるというのなら、俺は何故、傷付けられなかったのだろう。
あの女の、少し笑った顔が思い浮かぶ。
……ああ、ダメだ。化け物の幻術にでもかかったようだった。
それから俺は、あししげく女のもとに通った。
そして、いくつかわかったことがあった。
彼女は不安定になると、"かまいたち"を起こしてしまうこと。
それでも、安定しているときは、普通の女性と同じこと。
俺とともにいる時は、笑ってくれることも多かった。
だが、恐怖が、孤独が。
彼女を苦しめている事実は変わらなかった。
そのうちに、俺は彼女を救いたいと思った。
どうにかして、この力を制御できないか?
それが難しいなら、どこか人のいない場所へ二人で行こうか。
そんな事を考えていても、今日も変わらぬ日々を過ごすだけだった。
いつか奇跡が起きて、彼女の能力がなくなれば──
俺は、人生で初めて神頼みをした。
いつものように女の元へと行く。
彼女は俺の名前を呼び、嬉しそうに顔をほころばせる。
俺は彼女に名を告げたが、彼女の名前は、聞けずじまいだった。
何度か名前を聞こうとした。
だが、どうしてもそれを躊躇してしまっていた。
汚れた俺が、綺麗な彼女の名前を呼んで良いのだろうか。
きっと、この躊躇いは彼女にも伝わっていたのだろう。
彼女の方から、名前を名乗ることもなかった。
「ねぇ、このお茶は、私のお気に入りなんですよ」
彼女の淹れてくれるお茶は、いつも良い香りがした。
"殺人鬼"と呼ばれていながら、恐怖に怯えていながら。
彼女は美しく儚い輝きを放っていた。
だからこそ、好きになったのかもしれない。
だからこそ、この笑顔をずっと守りたいと思った。
依頼を受けてからちょうど1週間。
そろそろ依頼者がしびれを切らしたのだろう。
俺に電話を掛けてきた。
彼女に仕事の電話だと告げ、俺は歩きながら電話に出る。
案の定、不安と怒りを俺にぶつけながら依頼者はまくし立てる。
適当に受け流しながら、俺はもう少し待ってくれと嘘を吐いた。
電話を切り、ため息を吐く。
その時だった。
近くの落ち葉が、かさり。悪戯っぽく笑う。
そちらを向くと、焦りと緊張の面持ちをした彼女が見えた。
ああ、まるで、あの時の俺たちじゃないか。
立場は逆転しているが、彼女が俺で、俺が彼女だ。
きっと俺も、さぞかし酷い顔をしているのだろう。
「私を……殺すために、来たんですね」
彼女は、悲しそうに問う。
それでも逃げようとはせず、俺の返答を待っているようだった。
「……ああ」
それしか、言えなかった。
殺しに来たのは事実だった。
でも、そうする気もなくなるほど、俺は彼女が好きだった。
呆気ないほど短い返答を聞き終えて、彼女は歩み寄る。
意外だった。
きっと、逃げ出すものと思っていた。
きっと、俺は殺されると思っていた。
でも、彼女はただ静かに歩み寄り、俺の手を優しく取る。
細くて柔い指先が、俺の指と絡まり交差する。
優しくも強く握られた手は、"恋人繋ぎ"と形容される結びだった。
俺が何かを発する前に、その手はほどかれる。
もう少し、と無意識に伸ばした手を取り、彼女は自分の首にあてがった。
「違う、俺は、もう」
「もう、終わりにしましょう。貴方になら、私は」
そういって彼女はいつも通り笑って見せた。
ああ、そうか。
遅すぎた。
もう少し早く、1日早く、数時間早く。
俺が全てを捨てていたら、彼女も付いてきてくれただろうか。
今さらだ。
今さら、連れ出そうとしてももう遅い。
生きる希望を与えてくれたのは彼女で。
生きる絶望を与えてしまったのは俺だ。
思い描いていた遠き日の理想は、今この瞬間に叶わぬ夢となった。
俺の手には、彼女の細い首が収まっている。
二人の間には静寂と、見守る木々の声が通り過ぎていく。
せめて、最期くらいは苦しまないように。
最期くらい、人間らしく、美しい彼女のままで。
俺は、目を閉じその時を待つ彼女に、狡いキスをした。
溢れ出す涙を手で受けながら、徐々にその力を強めていく。
ザアザアと揺れる木々は、俺を傷つけることなく落ち葉を巻き上げた。
──愛している。
言葉にならない想いを、くちづけに、手のひらに。
俺を抱き締めるため伸ばした手が、強く強く握られる。
それでも、彼女は俺を傷つけなかった。
こうして俺は、化け物殺しを辞めた。
彼女の勧めてくれたお茶の良い香りで、今日も彼女を想う。
"近付くだけで人を傷付ける殺人鬼"。
今日も彼女は俺の心に棲み着き、心を傷付けていく。
取り返しのつかない、過去という、重くて深い傷を。
でも、俺はこの想いを抱えて生きていこう。
──それが愛と、云うのなら。
I think of you.