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幸せになるまで死ねません  作者: 睦月ひより
乳児期
5/6

お世話かけます②

私に心を砕いてくれる両親を安心させるため、私は決心した。

私が正常な発達をしていることをアピールし、両親を安心させなくてはならない、と。


私が目指すのは、『ほどほどに手のかかる、かわいいこども』だ。


今の私の年齢は、一歳半くらい。

前世の私は、ちいさなこどもに触れる機会はあんまりなかった。

なぜなら、前世の両親は、親戚づきあいをまともにしていなかったからだ。障害を持った兄が生まれて、そのことについていろいろ言われたりしたらしい。母親が、被害的で攻撃的な性格だったせいもあるだろう。そんな母親に溺愛された兄はわがまま放題で、扱いにくいことこの上なかった。私のコミュニケーションスキルも、お世辞にも高くはなかったし。

おまけに、私の前世での仕事は、介護福祉関係。障害者や高齢者に関わる機会はあったけれど、健康なこどもと関わりあうことは、ほどんどなかった。


こどもについての一般的な知識のない私は、目指すこどもの理想像を考えた。

一歳半くらいのこどもって、どんななんだろう?


とりあえず、自分の身体能力を確認するべく、いろいろ動いてみる。

ひとりでも安全な範囲から、検証だ。


首をふるふると振ってみる。

簡単にできた。首はしっかり坐ってる。生まれたばっかりの頃は、頭の向きも自由に変えられなかったからなあ。赤ん坊って脆い。


腕や足を上げたり下げたりしてみる。ついでに、手をにぎにぎしたり、膝を曲げ伸ばししたりしてみる。

これも、簡単。

ついでに、寝返りも打てたし、這って移動することもできた。

というか、両親が見ていないところでは、寝たままできる運動はちょっとしてたしね。


次は、ちょっと難易度を上げてみる。

ずりずりと這って、ローテーブルの近くまで移動する。テーブルの足につかまりながら、膝をたてて、ゆっくりと立ち上がる。

いままでずっと寝て過ごしていたから、重力の抵抗がすごい。身体が重い。けど、立てないわけじゃない。

よいしょ、よいしょ、うんとこしょ。

……立てた!


テーブルのふちに手をかけて、私は両足で立ち上がっていた。

いままで地面とおなじ高さだった視界が、一気に高くなって、視野が広がる。

十畳くらいの広さの、リビングルーム。淡いグリーンのカーテンがかかった、おおきな窓。クリーム色のソファ。床はフローリングではなく、こげ茶とアイボリーのパネルカーペットが、市松模様に敷き詰められている。ちょっと離れた場所に、いままで私が寝ていた、お昼寝用のミニ布団がある。


その景色に、私はちょっと感動していた。

自分の足で立ち上がって、部屋を見まわす。これだけのことなのに、すごい達成感だ。


と。

ふと、後ろからゴトッバサバサッと音がした。

ふりむけば、母親である結城美也子が、呆然とした表情で立ち尽くしている。その足元には、ランドリーバスケットと、ちらばった洗濯物が散乱していた。

ふるふると震える母親は、信じられないようなものを見る目で私を見つめていた。


尋常でない様子の母親に、私は思わず歩き出し、そばに寄ろうとした。

そんな私を見て、母親はさらに目を見開いている。

そこで、私は気がついた。


(……失敗した)


私は内心、青ざめた。

いままで、できるだけ動かず、泣かず、ただひたすら布団の上で寝ている生活をしてきた私だ。おむつの交換も、お風呂も、ただ脱力してされるがままに受け入れていた。たくさんの手間をかけさせて、お世話をしてもらい、生活してきた。


そんな私が、今、両足で立って歩いているのだ。

いままで散々、心配をかけ、不安にさせ、こどもの障害についての勉強など無駄な時間を費やさせてしまったのだ。

できるはずのことを、なぜ今までなぜやらなかったのかと、責められても仕方ない。


このあとは、きっと怒声が飛んでくるはずだ。

怒られることを覚悟して、私はぎゅっと目を閉じて首をすくめた。


だけど、降ってきたのは、なんとも嬉しげな母親の声だった。


「陽菜が立ったー!!」


いつもより一オクターブ高い声とともに、ふわりと浮き上がる感触がする。

彼女は私を抱き上げて、きゃっきゃと弾むように飛び跳ねていた。


「陽菜が立った! 歩いた! すごいね、陽菜! えらいね、陽菜!」


あれ? 怒られない。

怒られないどころか、とても喜ばれている。

がちがちに緊張していた私は、思わず脱力してしまった。


……そんなに喜んでくれて、私もうれしいです……。


◇ ◇ ◇


その日の夜は、ちょっとした騒ぎだった。


仕事から帰った父親は、興奮した面持ちで玄関にしゃがみこんでいた。

廊下の突き当たりにある玄関で待機する父親と、廊下の反対側で母親と一緒に立つ私。期待されていることは、わかっている。

「陽菜、陽菜。こっちだよ」と声をかけてくれる父親にむかって、私は歩き出した。


「陽菜が歩いたぁぁぁああ!」


伸ばされた父親の手に到着した私を、彼は掲げ持つようにして抱き上げた。

高い。怖い。けど、我慢する。

だって、私が立って歩いたそれだけのことを、この人は泣くほど喜んでくれているから。


正直、ただ歩いただけで、なんでこんなに喜んでくれるのかわからなかった。

だって、中身はともかく、身体は正真正銘の一歳半のこどもなんだもん。私はその身体でできることをしただけだ。できて当然なことを、当たり前にやってみせただけだよ。

いままでできなかったことを叱責される可能性はあっても、褒められる要素なんてなにもないはずなのに。


私はそう思っていたけれど……その疑問は、すぐに解けた。


「ね? 陽菜、ほんとうに歩いたでしょう!? お座りもハイハイも見せてくれなかったのに!」

「いつも寝てばかりで、お風呂に入れてもぐんにゃりしてたのにな! まさかいきなり歩くなんて!」


……はい。ごめんなさい。


そうだよね。

私は、ここまでの段階を、正しく踏んでいなかった。

一歳半のこどもができて当たり前のことでも、いきなりやってみせるようになったらびっくりするよね。


思わず遠い目をする私はともかく、両親はとても嬉しそうだった。

こうなったら、私もちょっと頑張りたくなる。


私は、これまでほとんど喋っていない。

私には、たびたび発熱やケイレンを起こしていた前科がある。そのせいで、ちょっと声を出すだけでも、両親は過敏に反応してくれていたのだ。だから、ことばを喋るどころか、声もあんまり出さないように控えていた。


だけど、本当は、両親の望みを知っている。

身体発達と言語発達、両方をクリアしなくては、両親は安心できない。


私が歩いたことで大喜びする両親を見て、私はごくりとつばを飲み込んだ。

この両親が、私にどんなことばを望んでいるのか、私は知っている。

でも、そのひとことを絞り出すには、勇気が必要だった。


「すごい、すごいぞ、陽菜!」

「……ぱ」


大喜びする父親の声にかき消されそうな小声が、第一声。

そのかすかな一声だけで、両親はぴたりと静かになった。私が声を発したことに気づいたのだろう。信じられないような、でも真剣な眼差しで、私を見つめている。


四つの目が私に集中するなかで、私はがちがちに緊張しながら口を開いた。


「……ぱぱ」


この両親は、パパ・ママ呼びを私に教えていた。だから、そのまま口にする。

初めてのことばが「ぱぱ」だったのは、父親に抱き上げられているからだ。

それから首を傾けて母親のほうを見て、ちいさく呟く。


「まま」


私が声に出したその瞬間。

時が止まったかのように、その場を静寂が支配した。


玄関で、乳児を抱きあげたまま、見つめ合う夫婦。

互いの顔を見て、それから私を見て、また互いに顔を見合わせて。

それから、一瞬の沈黙のあと。


両親は、大げさなほどの歓声をあげて、喜んでくれた。

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