プロローグ①
なにをもって幸せというかは、ひとそれぞれだと思います。
幸せにはいろんな形があって、ひとりひとりの答えがある。
どれが正しいとも言えないし、他人に否定される筋合いもありませんよね。
「この子の場合は、これが答えだった」、それを自覚するまでのお話です。
ふと目が覚めた私は、見知らぬ空間にいた。
あたり一面まっしろで、ただぽっかりとひらけた何もない空間。
上も下もわからない。重力さえも感じない。
暑くも寒くもないその場所で、私は漠然と思った。
(……死後の世界って、ほんとにあったんだなあ)
私が覚えている最後の記憶は、母親に刺されたこと。
いつものように夕食の支度をしていたら、背中に衝撃を感じて……振り返ったら、血まみれの包丁を持った母さんがいた。母さんは、髪を振り乱して、顔は涙や鼻水でどろどろで。
その表情がひどく歪んでいたのを、覚えている。
(……結局、私は母さんに何もしてあげられなかったんだな)
刺された背中から、血がたくさん流れた。うすれていく意識のなかで、母さんがなにかを告げていた。
声は聞こえなかったけど、唇は読めた。
ぼやけた視界でも、それは不思議なほどはっきりと、鮮明に写りこんだ。
「あなたが死ねばよかったのに」
母さんは、私の最期に、そう告げたのだ。
今、口に出してみて確信できた。母さんの唇は、たしかに私にそう告げていた。
母さんは、兄さんを溺愛していた。
生まれつき難病を抱えた、身体の弱い兄さん。
私と兄さんは、二歳差だった。兄さんの病気が分かってすぐ、母さんが弟か妹を作ることを決めたからだ。親はこどもよりも先に死ぬ。母さんが亡くなったあと、兄さんの面倒を見るための弟妹が必要だった。
けれど、兄さんは、三十歳の誕生日を迎えるまえに亡くなった。
誰よりも愛する息子を亡くした母親は、精神を病んでいった。
母さんは、私を憎んでいた。
兄さんが亡くなっても私が生きていることを、恨んでいた。
私が健康な身体に生まれてきたことを、呪っていた。
私を罵って、この世の理不尽を訴えて、毎日を泣き暮らしていくうちに、私への憎悪が溢れたのだろう。
そして私は、母親に刺し殺された。
(……私を刺して、母さんもすこしは気が済んだかな)
私の存在は、何の役にも立たなかった。
病気の息子のとなりに、健康な妹が存在していること自体、母さんは忌々しく思っていただろう。
だから、最期に私を殺したことで、母さんの気持ちがすこしでも晴れていてくれたらいい。
(……これから私は、どうなるんだろう)
この存在に意味もなく、ただ母さんに不快感だけを与えて生きてきた私は、きっと天国にはいけないだろう。
地獄いきでも仕方ないけど、できれば苦しい思いはしたくない。
(……いや、そうじゃないな)
楽しくなくていいから、苦しくも悲しくもない場所にいたい。
私はなにも望まないから、誰からもなにも望まれたくない。
今までの私は、一方的に役割を与えられて、不要にされて、疎まれる人生だった。
もう、そんなのはまっぴらだ。
……考えているうちに、なんだか疲れてきてしまった。
膝を抱いて顔を伏せて、ダンゴムシのようにうずくまる。
そうしていると、ふと、まっしろいだけの空間に変化があらわれた。