「楽しみにしていますが、程々にしてくださいよ」
会社が動き出した。
経営会議の翌週、うちの会社はIRで「3位脱却を目指す」と発表。こっそりやればいいのに、こういう時だけ株主へのリップサービスを怠らないのは会長直伝の劇場型経営というやつだ。TVCMでも自嘲気味に「今後は上を目指します」と言い出したものだから、世間の大半は映画に便乗した自虐ギャグだと思ったらしい。
まあ、真面目に青筋立ててアピールされても困るよな。
それから産学連携プロジェクト、オープンイノベーション構想、社内アイデアコンペの事業化、学生向け起業支援——次々と新企画の発表が続いた。外から見れば「本気だったのか」と思わせるほど充実した内容だ。
内側から見れば、全部空っぽだった。中身は何も考えていないのだから当然だ。
「部長! 産学連携先の大学が『成果物は論文だ』とか言ってます! どうしましょう!」
「このサービスのゴールはこういう世界の実現ですが、まずフェーズ1としてこの範囲に取り組むということでいいですよね?」
経営企画部はいつも阿鼻叫喚になった。
IRで大言壮語を並べておいて、実現できなくなると「フェーズ1」「PoC」「ステージング」という言葉が幅を利かせる。半年もすると業界内で「フェーズ1を語らせたら日本最強」と陰口を叩かれるようになっていた。
号令をかけるのは役員だが、なんとかするのは現場だ。具体的な指示は小指ほども飛んでこない。「カネはないがなんとかしろ」が日常になり、中間管理職は軒並み胃をやられていった。
当然だと思う。長いこと隣の模倣しかしてこなかった連中に、いきなりアイデアマンになれと言っても無理な話だ。
◆
「へえ、じゃあ全社号令で3位脱却の動きになったんですか。めでたいじゃないですか」
電話の向こうで沢渡さんが言った。
「まあ、めでたいのはめでたいんですが、頭の中のめでたさも相変わらずでして」
「……どういう意味ですか?」
俺は少し考えてから言った。
「沢渡さん、私があの夜に漫画の欠点を三時間しゃべり続けたの、覚えてますよね」
「忘れるわけないですよ」
「でも本当に大事だったのは、それを聞いてちゃんと直せる実力が沢渡さんにあったからです。俺がどれだけ正確な指摘をしても、描けなければ意味がない」
「……なんだかこそばゆいですね」
「うちの会社は今、『3位を抜けるぞ』と叫んでいる。でも叫ぶことと、実際に抜けることの間には天と地ほどの差がある。市場分析も戦略立案もできたとしても、それを実行する力がないんです。経営陣はそれを分かっていたから、今まで隣の模倣を続けてきたんですよ」
「会社としてやれる準備が整ったから発表したんじゃなかったんですか?」
「そんな会社なら今ごろもう少しマシになってますよ」
電話の向こうで沢渡さんが苦笑した。
「笑えない話ですね」
「笑えないんですが、傍から見ると笑えるらしくて。会長が映画を見たから動き出したって噂ですよ」
「まさか……本当ですか?」
「噂ですけどね。あははは……はあ」
笑い終わった後に深い溜息が出た。
俺は、ずっとこの会社で分析をしてきた――つもりだ。
市場のデータを引っ張り、競合を調べ、戦略オプションを並べてきたけれど、誰も俺の話を聞かなかった。馬の耳に念仏状態。
でも俺と同じことを漫画で発信したら後輩が単行本を全巻買い、映画になったら会長が動いた。
俺が直接語っても届かなかったものが、別の器に入ると届く。
それが悔しいのか、面白いのか、自分でもよく分からない。
「まあ、これからしばらくは面白いことになりそうですよ。原作者としても興味は尽きません」
「ははは、楽しみにしていますが、程々にしてくださいよ」
電話を切って、静かな部屋に一人いると急に冷静になった。
(俺は正しかったのか? 周りを利用して、ただうまく立ち回っただけではないのか……?)
自省と自己嫌悪が、静かにせめぎ合った。
(それでも……やるしか、ないんだ……。潰されたままでは終われない)




