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慎重かつ大胆な計画を立てるのは当然よ!

「よっこいしょ…っと」


 山下部長は長年自分の席の周りに溜め込んだ私物を整理していた。年齢とポジション的に欠損質量役に引っかかってしまったのだ。


 そもそも「業界1位を目指す」という大号令はあったものの、拙速か巧遅かと言う方法論にまで大内田は言及したわけではなかった。

 拙速を選択して市場の失望を買い、株価を下げたのはその取り巻きの連中に責任があったという大内田あたりから出た意見が買収後の人事体制案に影響を及ぼしたのだろう。


 山下部長はこれまでの経緯から取り巻きだと判断されたわけだ。


 もっとも、今や業界一位となった我が社では世間の目が厳しくそんな遺恨人事はそうそう通るものではない。だが、整理案を作る人間の主観が入ってしまうのはどうやっても避けられない話だ。特に、その整理案の作成者があの映画を見ていたならば。


「あ、山下部長、お疲れ様です。荷物の整理ですか?」


 知っていて聞く俺。白々しいことこの上ない。


「はは……もう部長じゃないさ」


 いつもなら部下から舐められないようにすぐに戦闘態勢に入る山下部長が今日は意外なほど穏やかだった。


「TOB直後の役員の再編成と部署統合でポストなくなっちゃったからな。もともとあっち側は役職定年制度があって俺は今のポストじゃ残れないんだよ」


 山下元部長…山下さんは芝浦埠頭にある倉庫会社に役員として出向するらしい。


「まあもともと経営企画部長なんてガラじゃなかったんだ。業界の急成長期には何やっても業績上がったしな。その余録を受け取る期限が切れたってことだよ」


「余録って、お姉ちゃんに踏まれたりすることですか?」


「忘れろと言ったはずだ」


 山下さんの顔が一瞬、戦闘態勢に入りかけた。ヤバイヤバイ。


「お前らが喜んで読んでる漫画、俺も読んでみた。驚いたよ。今は企画や戦略に関する部署は雑用と議事録作成だけじゃなく、きちんとセオリーやらツールを知ってないとやっていけないんだな」


 …その殊勝さがどうして在職時に持てなかったのか、残念なことこの上ない。


「僕も、半年くらい前から始まってた『ビジ達』の『仁義なき業界再編・買収統合編』読んでいたおかげで今回あまり混乱しませんでしたね。次に何が来るのか漫画読んだら全部書いてましたし」


 大場がフォローのつもりで入れた合いの手はフォローにはなってない様に俺には聞こえたのだが、山下さんが怒ってないので大丈夫だろう。


「お前らは良かったな。一般社員は全員雇用継続を約束されたらしいじゃないか。結果的には業界一位の大企業の社員ってわけだ。少し羨ましいよ」


「山下さん、一応系列会社に役員待遇で出向なんだから給料とか逆に上がるんでしょう?」


「まあ、一応はな…買収直後にあまり派手に首を切ると外聞が悪いから、役員にしてから出向先の業績不振の責任を取らせて何年か後に切るんだよ。そういうもんだろ」


 さすが社内政治に長けたお方だ。黒い部分はお見通しか。


「じゃ、元気でな」


 その日、山下さんは秘書さんから小さい花束を渡されてオフィスを去って行った。


◆◆◆◆◆


「へえ、じゃ、エビちゃん今日が最終退社日だったんだ?」


 帰りの駅で待ち合わせていた理沙と俺は、電車の中でいつもと変わらずお互いの今日の出来事の報告をしていた。今日はまっすぐ家に帰らず、二人でデートがてら少し寄り道をしようということになっているのだ。


「ああ、何か憑き物が落ちたようなスッキリした顔してたよ。山下さんって案外いい人だったのかもな」


「あの世代は『出世なんて運次第だ』って平気で言っちゃうからねぇ…今はホント実力がないと上に上がれないのに、そんな時代になる前にそこそこ上がっちゃった人は自分のポストを守るために必死になっちゃうんだねえ…」


「俺もああなってしまわないか心配だよ。それ以前に上に上がれるかどうかわかんないけどな」


 理沙と俺は腕を組んで、御徒町のジュエリーショップに入った。目のくらむような照明の下、目のくらむような輝きを放ち、目のくらむような数字の値札がついている指輪が所狭しと並んでいる。


「今回一番得したのは私だね」


 理沙が指輪を選ぶ手を止めて俺の方を向いた。理沙の顔はものすごいドヤ顔にも見えるし、何か勝利を確信した笑顔にも見えた。


「何で?」


「彼氏の嫌な上司が飛ばされて、彼氏は実は売れっ子漫画原作者で、なおかつ業界一位の会社のエリート社員。今年から給与所得だけでも二人合わせて300万近くも上がるんだよ?」


 ああ、そういえば理沙は以前からなんとなくセレブリティに憧れがあるようなことを言ってたな。今の状況は確かに理沙にとっては棚からぼたもち以上のフィーバータイムであることに間違いはない。


「で、実家にはいつ挨拶に来てくれるの?」


「次の連休でどうかな。その後お互いの両親を呼んで食事会を」


 理沙の顔が俄然明るくなった。これまで俺は自分の未来に自信が持てず、理沙のこの手の追求を躱し続けていたからだろう。でも、指輪選んでいる状況でまだ不安なのかな。


「それ、いつにする?」


「ゴールデンウィークに入るちょっと前でいいんじゃないかな」


「するする予定が出てくるねぇ…」


 俺としても、乗るしか無いビッグウェーブが来ているのは確かなのだ。だったら乗ってしまったほうが良い。


「ガントチャートはちゃんと引いてるよ。一直線だけどね」


「予算とリスクは?」


「予算は今期・来期とも計上済み。リスクは分析してオルタナを2つ」


「それ、後で提出してね!」


 理沙がいたずらっぽく笑った。それまで指輪をケースから取り出してくれていた宝飾店のお姉さんが俺達の会話に目を細めている。そうか、こういう会話はこういうお店ではよくあることなんだな。


「はは。なんだか仕事みたいだな」


「仕事よりも大事な人生の大事業なんだから、慎重かつ大胆な計画を立てるのは当然よ!」


「はいはい」


「あ、そうそう」


「うん?」


「新居には漫画の本棚を置いてもいいからね!」


 その年の秋、俺達二人のガントチャートに引かれた最後の線が皆に祝福されながら右端にたどり着き、俺達はめでたくゴールインしたのだった。



これでうだつの上がらないMBAとその彼女、そして絵だけは巧い漫画家が偶然出会った数奇な物語はおしまいです。「小説家になろう」への投稿は本作が二作目ですが、完結したのは本作がはじめてです。

短編で短い間ではありましたが、皆様、お付き合いいただいて本当にありがとうございました。


作者は本作意外にも「人類が増えすぎたので減らしてほしいと頼まれました」という作品を書いていますので、御用とお急ぎでない方はそちらの方もお手にとっていただけると嬉しいです。


それではまた、作品にてお会いしましょう。

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