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どう?ちょっと上むいて頑張ってみる気ない?

【読み方】

◆◆◆◆…主人公「俺」溝口の視点で書かれています。「山下部長」など、人物呼称も溝口視点になります

★★★★…第三者視点になります。敬称や役職は最初以外は省略されます

 今日も都心に向かう通勤列車は満員以上の混雑だ。足が床につかないほどの混雑の中、山下部長は悠々と座りながらの通勤時間を満喫していた。彼は遠く郊外にマイホームを購入したため、通勤時間こそ長いものの、座って通勤できるこの生活を気に入っていた。


 目の前では若いサラリーマンが二人、吊り革に捕まって踏ん張っている。中途半端に都心に近いところに家を構えるからそうなるのだ。山下は優越感と劣等感をごちゃまぜにした論評を脳内で展開していた。


「なあ、お前『ビジ達』の映画観た?」


「観た観た。面白かったよ。アレ」


「傑作なのがあの部長の口癖な。『お前のアイデアより隣の模倣だ』」


 ん……?


 山下は眼前の二人の若いサラリーマンが始めた暇つぶしの会話に引っかかりを感じた。「お前のアイデアより隣の模倣だ」――それは自分がいつも生意気な若手社員に言い続けているセリフだ。

 当たるかどうかもわからないアイデアマン気取りの若造の提案より、十分にリスクが検討され他社の経営会議をくぐり抜けた施策・アイデアのほうがより失敗が少ない筈だ。そう思ってここ数年、内部からのアイデアをひたすら弾圧し、他社の模倣に徹してきた。その時の決め台詞をどうして目の前の二人が話しているのか……?


「あとアレな。スポンサーしているレーシングチームの……」


「ああ、ホテルに呼び出したレースクィーンに頼み込んで、頭を踏んでもらうってやつだろ?」


 え……?


 その話は身に覚えがある。自分がマーケティング部の課長だった時の話だ。競技車両に下敷きほどの大きさの会社のロゴステッカーを貼ってもらうのに目が飛び出るようなカネがかかるレーシングチームが、成績不振の癖に当たり前のように次年度契約を要求して来たのだ。「ふざけんな」と一喝してやったら、態度を急変させて「何でもする覚悟がある」とか言い出したものだから本気かどうか確かめるためにレースクィーンをホテルに呼んだことがあったのだ。

 実際に物理的な大人のコミュニケーションを取ると後が怖いので、前々から興味があった「美女に頭を踏んでないがしろにしてもらう」というプレイをお願いしたら聞いてもらえちゃったのだ。各方面には内緒で。


 だが何故、そのことをこの若者達は知っているのだ……?


「大手企業の部長にもなるとレースクィーンをホテルに呼べちゃったりするのか……いいなあ」


「でも、頭踏んでもらうとか、あんな話が流れちゃうと哀れでもあるな」


「後ろ向きに全力で逃げるから『エビ』って渾名あだなも気が利いてるよな」


「ははは。エビサイコー」


 エビ……部下が自分のことをエビと呼んでいるのは知っている。しかしこいつらは眼の前の席に座る自分のことではなく、流行りの映画の登場人物の話をしているようだ。


 山下は少々戸惑ったが、その週末、意を決してロングラン上映されている「ビジネスの達人」の映画を錦糸町のTOHOシネマズで観ることにした。


 視聴後、山下の血圧が上がったのは言うまでもない。


◆◆◆◆◆


「あの映画はいったいどうなっとるんだ? 社内の情報が筒抜けになっているじゃないか!」


 次の月曜日、山下部長のご機嫌は斜めだった。30度とか、そんな生易しい斜め具合ではなく、75度くらいはあろうかという勢いの斜めっぷりだ。

 で、その山下部長は手近にいた俺に怒鳴りちらした。おそらくは照れ隠しと怒りと、他の何かをぐちゃぐちゃに混ぜた感情が抑えきれず爆発したのだろう。この歳くらいのオッサンは前頭前野のブレーキが効かず感情が暴走しやすいとか教育番組で言ってたような気がする。そうと分かっていれば可愛いものだ。


「どうしたんです? 情報が筒抜けって、具体的にどのような情報が?」


「ワシの個人的な出来事が映画になっとるんだ!」


「そんなこと言われてもわかりませんよ。具体的にどの映画のどの部分ですか?」


「『ビジネスの達人』とかいう映画だ! 業界の構造とか企画のパクリあいとか役員のシモの話とか俺のスキャンダルとかが面白おかしくっぅぅううううううううあああああっ! もぉぉ!」


 わはは。多少は日々人格を否定されている俺の悔しさを思い知ったか。あとは実物と映画を結びつけるリークを掲示板に書き込んで終了だ。脇が甘いんだ、脇が。ばーか。


 しかし、弱ってる部長の味方のフリをするのは、これはこれで面白そうだし、しばらく付き合ってやろう。


「落ち着いてください山下さん。業界構造や企画のパクリあいの醜さは毎週毎月どこかの経済誌に書かれていますよ?」


「レースクィーンの話だ! あれはどうなんだ!」


「ああ……あれ、山下さんの話でしたか……」


「へぷっ! みみみ観たのかっ?」


「我社だけでなく、他社さんも映画では同じようなただれたエピソードに溢れていたように思いましたが……当社ウチだけがことさら酷く描写されていたというわけでもなかったですよ?」


「う……? そ……そうだったか?」


「話そのものはどこにでもあるありふれた話ですよ。ネットかどこかで拾った噂をシナリオライターが映画向けに面白おかしく仕立てたんでしょう」


 俺は手持ちのスマホでネットのそれ系の掲示板を検索した結果を山下部長に見せた。画面に表示されているのは俺が掲示板に書き込んだネタだ。人、これをマッチポンプと呼ぶ。


「ほらね、こんなに検索でひっかかります。スキャンダルはともかく、業績やサービスなんかの描写は実にリアリティがあっていい映画だったって評判ですよ」


「そ、そうか? そうだよな。そんな正確な噂がネットで流れてるのはそれはそれで問題だと思うが……」


「気にすることありません。わざわざ自分から言わない限り『そんなこともあるんだなあ』で済まされる話ですよ。これは」


 俺の説明を聞いて山下部長はすこしばかり考え込み、ブツブツと独り言を言った後、真顔に戻って立ち直ってみせた。おおう。さすが役員候補と言われた上級管理職は違う。


「とりあえず、レースクィーンの話は忘れろ。業務命令だ。今回は経営企画部からはこの映画に関して問題にはしない」


「了解です」


 今回のレースクィーンの情報や役員の下半身系の情報は理沙を通じて秘書ネットワークから引き出したものだ。

 秘書ネットワークは広大無辺で会社の枠に収まらない。偉い人同士で会合を行う時などはまず秘書同士の連絡網で時間や場所、接待ならば料理等の調整までもが行われる。そのため会社を越えた連帯と綿密な情報網が秘書の間には存在するのだ。

 そして秘書の皆さんも人間だ。会社を超えた憂さ晴らしの悪口大会を開催したりもするらしい。


「A社は凄いよ。うちの専務が香港まで出張で行った時、ヘリで迎えに来てマカオまで連れて行って接待したんだよ」


「B社の部長は自分の愛人を課長にするために前からいた課長を罠にはめてクビにしちゃおうとして、バレて居場所を無くしたんだって」


「山下さんはレースクィーンのブーツに踏まれて大喜び」


「C社の本部長は八景島シーパラダイスでキャバ嬢と腕くんで歩いてたってさー」


 出てくる出てくる。理沙の口から語られる驚愕のゴシップの数々は、映画があと4,5本作れそうなくらいの量と濃密さを持っていたのだ。


★★★★★


 同日午前十一時。役員会議室では役員、各本部長、経営企画部長、財務部長が一堂に会する経営会議が開催されようとしていた。


「えー、時間となりました。それでは定例の経営会議を開催します。アジェンダと資料はあらかじめメールで展開しております。お手元にあることをご確認下さい」


 経営戦略本部長の司会でいつものように経営会議が行われると皆が思っていたが、その日は違っていた。


「議題に入る前に会長からお話があります」


 会長―― 大内田京太郎はこの業界のレジェンドだ。業界の泡沫に過ぎなかったこの会社を奇跡的な財務技術とアイデアで成長させ、時には自社より大きな会社を買収までして、今では業界の一翼を担う存在にのし上げた実績を持つ。そのカリスマ性は天下に轟き「大内田会長と仕事ができるなら」と優秀な学生が毎年何人も集まってくるほどだ。


「あー、楽にしてくれ。いや、今日はちょっとみんなと話したくてね。いや、こないださ、飛行機乗ってる時に映画で『ビジネスの達人』てのを観たんだよ。これがまた良く出来ててさ。知ってる?業界3位の会社が最後に劣勢をひっくり返して1位になっちゃうんだよ」


 何人かは「ビジ達」をすでに観ていたのか、うんうんと頷いていた。観ていなかった者は話について行けずに青い顔をするか、持ち込んだノートパソコンでメールの処理をしながら聞き流すかのどちらかだった。


「でさぁ、考えたわけよ。映画みたいに大逆転!ってわけには行かなくてもさ、うちもね、このまま他社の企画パクってずっと3位ってのもどうかって話なんだよ。『お前のアイデアより隣の模倣だ』とか悲しいこと言ってないでさ」


 会議室に笑いが起こった。映画で有名なそのセリフが、今日会議に出席している山下の口癖であることは皆知っていたからだ。山下は真っ赤になって俯くしかなかった。


「は、はあ……すいません。どうも……」


 蚊の鳴くような声で山下は応えたが、誰も聞くものは居なかった。


「どう?ちょっと上むいて頑張ってみる気ない?お姉ちゃんに踏まれるのは何も言わないからさ」


 会議室はさらなる笑い ――半分は嘲笑だったが―― に包まれた。山下は生きた心地がしない。生き恥を晒すとはまさにこのこと。自分が職権を濫用してレースクィーンをホテルに呼び出し、ブーツのかかとで踏まれて悦んでいたことがこともあろうに経営会議の場で会長の口から明かされたのだ。


「ぜ……善処したいと……」


 山下はその日、血圧が170まで上がったとかで午後3時に退社した。



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