「お前のアイデアより隣の模倣」
一九九九年。世紀末だなんだと騒がれていたが、俺の職場はそんな終末感よりずっと地味にクソだった。
エピソード1「お前のアイデアより隣の模倣だ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かがぷつりと切れた。
「次の会議、議題がないからこのプレゼンの3ページ目から7ページまでと11ページ目を削って俺の案として出しといてくれ。頼んだぞ」
山下部長はそう言いながら、すでに俺の方を見ていなかった。
◆
話を整理しよう。
俺の名前は溝口基、三十一歳。会社の経営企画部に所属している。MBAも持っている。自分で言うのもなんだが、仕事はできる方だと思う。
四日前、社内イントラのバナーに「改善アイデア募集」という文字を見つけた。
俺は本気で考えた。市場データを引っ張り、競合他社の動向を分析して、三つのプランを組み立てた。パワポは十八ページ。図表に手を抜かず、数字の根拠もきちんとつけた。
応募フォームに送信した時には、珍しく達成感というものを感じていた。
そして今日、山下部長に呼ばれて説教を三十分食らった挙げ句の、冒頭のセリフだ。
要するに、「社内改善アイデア募集」は不満分子を炙り出すための罠で、引っかかった俺は叱責を受け、ついでに俺が作ったパワポは部長の手柄として会議で使われる。
そういうことらしい。
「山下部長……一つだけ聞かせてもらえますか」
「なんだ」
「このアイデア、どこが気に入らなかったんですか。内容の話です」
部長の眉が一瞬だけ動いた。
「お前のアイデアより隣の模倣だ。その方がリスクが少ない」
いつもの山下部長の口癖だ。
他社がやっていないことはやらない。他社がやり始めたらすぐ追う。それが彼の経営哲学の全てだ。
彼は社内では「エビ」と呼ばれている。後ろ向きにしか動かないからだ。
「わかりました」
俺はいつもより少々乱暴に扉を締めて会議室を出た。
◆
「また エビちゃんとやりあったんだって?」
帰りの電車の中、隣に座った理沙が声をひそめて言った。
水上理沙、二十八歳、うちの会社の役員秘書。ショートボブで、俺より三つ年下で、三ヶ月前から同棲している。
「やりあったっていうほどのもんじゃない。一方的に踏みにじられただけだ」
「……凹んでるじゃない」
「凹んでない」
「顔に出てるよ」
俺は黙って膝の上のモーヤングを開いた。週に一度の楽しみだ。家には理沙との取り決めで漫画を持ち込めないので、電車の中だけが読む時間になっている。
しばらくページをめくっていると、視線を感じた。
右隣。さっきから俺のモーヤングをじっと見ている男がいる。
四十代くらいだろうか。ポロシャツに綿パン、少し場違いな帽子。勤め人ではなさそうだ。
読みたそうにしているが声はかけてこない。
最寄り駅に着く直前、俺は読み終わった雑誌を閉じてその男に差し出した。
「よかったらどうぞ。どうせ捨てるんで」
男は驚いた顔をして、それでも受け取った。
理沙と一緒に電車を降りる。
改札を抜けて、駅前の飲み屋の看板が途切れかけたところで、後ろから声がかかった。
「あの、すいません」
さっきの男だった。完全な不審人物だ。ポケットの中のスマホを探す。
男は鞄をごそごそやって名刺入れを取り出し、一枚ずつ俺と理沙に渡した。
漫画家 沢渡しげや
「!」
俺が今まで読んでいた雑誌に連載している人じゃないか。
「えーと……何か俺に話があるんですか?」
沢渡さんはぺこりと頭を下げた。
「実は、お願いがありまして」




