あきれた教師
それは、突然やってきた。心臓がすごい勢いで動いている。
その原因は、暗い教室で外を眺めながらタバコを吸っている人物。
明かりもつけず、窓をあけ、夜風で髪が揺れている。
月明かりに照らされる横顔があまりにも綺麗で……思わず見とれてしまった。
女子高になぜ男? という疑問も浮かばす。ただ見とれていた。
世間で言われる、一目惚れというやつ、かもしれない。
――男の癖に、そんなにきれいなのって反則だ。
「何?」
彼はこちらを鬱陶しそうに見た。
「いえ……」
「――さっさとそこの扉しめてくれる?」
ぶっきらぼうに言ってくる。
「あっ、はい」
教室の扉を閉めた。
すると彼は手で犬を扱うように、手でシッシッとしている。
「何ですか?」
「あんたも出たら?」
なに、この人。
ここは学校だ。タバコを当たり前に吸っている人の態度ではないと思う。
「あなた、何者ですか!」
彼はジロリとこちらを見てきた。
「――女子高に、男がいるんだから、身分はわかるでしょう」
「先生?」
「そう呼ばれることになろうだろうね」
軽い調子でタバコをくわえながら、またもシッシッと払う。
「学校の教室で、タバコを吸ってもいいんですか?」
「良くはないんじゃない。でも、禁断症状でたら、目の前の人を襲っちゃうかもね」
ニコヤカな笑みを浮かべ近づいてきた。からかってるのだ。
「大声上げますよ」
「どうぞ」
余裕の笑みでこちらに踏み寄ってくる。
後ろに下がったがそこは壁だ。
「冗談だよ。冗談」彼は右手をヒラヒラと振りながら元いた窓際に戻った。そして振り返って、「ところで、君は卒業生? それとも実習生? うーん、それは時期じゃないか。そっか保健室の先生」
そうでしょっといわんばかりにポンと手を打って、ニカリと笑う。
しかし、その台詞と笑顔で私の百年の恋も冷めたと言ってもいいだろう。
「私は、ここの生徒です!」
「えっ?」
咥えていたタバコを落としそうになっている。
失礼なやつだ。
「生徒です!」
女子大生とかOLとか……。
よく言われるけど……保健室の先生? それはないでしょう。
それによく老けているとか言われるが、ものすごく傷つくのだ。
先生とも思えない態度をしていた奴が一瞬固まったように見えた。
「――さて」
そうつぶやき、吸いかけのタバコを携帯の灰皿に入れてつぶしている。
何が? さて?
胸ポケットから眼鏡を出し、もう一度こちらを確認してくる。
本当に失礼な奴だ。
「――ごめんな。この時間に生徒がいると思わなくて、悪ふざけが過ぎたな。それに制服」
頭を下げてきた。
確かに制服を着ていない。だって、忘れた辞書を取りに来ただけだからだ。
服装について言う男を、もう一度確認する。
一応スーツだ。まぁノーネクタイではある。
しかし、なんでこうも態度が変わる。生徒だと知ったら態度が変わるのか……ろくな大人じゃない。
「もう遅いですよ」
「そうだな」
そう言って頭をかく。そして眼鏡をはずした。
そのしぐさにドキッとする。
眼鏡をかけている時とはずしている時、雰囲気が違うのだ。
「初日でこうなるとはなぁ。――まぁいいか」
そうつぶやきながら、教室の窓を閉めこちらを振り返った。
「で、何しにきたの?」と。
「えっ?」
「まさか、この時間に襲われに来たわけじゃあるまいし」
また元の態度に戻り、ケラケラと笑っている。
「当たり前です! じっ辞書です。――ということで、さようなら」
自分の机から辞書を取り出して見せて、逃げるように教室を出た。
逃げる必要なんてまったくないのに、思わず逃げてしまった。
「おーい、都倉さん。自転車の鍵落としてるぞ」
後ろから声をかけてきた。振り返ると、プラプラと鍵を見せてくる。
「あっ」
あわてて戻り、受け取ろうとしたら上に腕を伸ばしている。
彼の身長と私の身長の差を考えれば、取れるはずがない。
「これを返す交換条件知りたい?」
「知りたくないです!」
「そう。外、暗いけど気をつけてね」
そう言うが、鍵は返さないらしい。私の手が届かない場所に自転車の鍵がある。
思わず跳んでとろうとするが、届かない。
「先生なのに、その態度でいいんですか?」
「態度か。態度ねー。ここクビになったら困るしねぇ」
と思ってもいないだろう事を、軽く言う。
「じゃぁ、クビになってください」
「言うねぇ。26歳の再就職って結構厳しいもんがあるんだぞ」
この余裕さが気に入らない。
教室でタバコ吸ったことだって、保健室の先生と間違えたことだって、クビになる材料ではないかもしれない。
しかし、こんな先生がうちの学校にいていいのか!
良いはずはない。
「鍵。返してください」
「夜遅いし、送るよ」
「いいです」
「遠慮しなくていいよ。口止め料だから」
「結構です」
断っているのにも関わらず、スタスタと廊下を歩いていく。
「ちょっと、自転車の鍵!」
迷惑だ。とても迷惑だ。
職員室前につくと、くるりとこちらを振り返った。
「ちょっと待ってて」
職員室に入っていく。……本当に先生だったんだ。
新任? でも時期的に違うような気がするんだけど……。
「あぁ、俺、産休とった先生の代わりね」
職員室からいつのまにか出てきていた。
「えっ?」
「ところで都倉さん。思考がもろ顔に出てるよ」
「ほっといてください! ってなんで、なっ名前!」
当たり前のように呼んできた。そういえば鍵のときも呼んでいた。
「あぁ、明日から副担任だから」
副担任?
あれ、前の副担任って誰だったけ?
だからって、どうして私の名前わかるの?
もしかして……辞書取るとき?
……教室で名前覚えていたってこと?
まさかね。
……この先は考えないでおこう。
それに、最低であることは間違いない。最低な教師であることは!
前を見るといつのまにか、駐輪場に来ていた。
「後ろどうぞ」
人の自転車にまたがり、当たり前のように言ってくる。
駐輪場には一台しかなかったので分かったみたいだ。
「自転車の二人乗りは法的に認められてません」
「かわいいね」
思いっきり笑顔で言ってきた。
「なっ!」
「そんなに俺と長い時間一緒にいたいって?」
「おかしいんじゃないですか!」
「あぁ、照れなくていいよ。じゃぁ、歩いて帰るか」
ずれている。というかわざとだから、余計に腹が立つ。
「教師失格です!」
「あぁ、それは知ってる」
何を言っても無駄なのか。笑顔を崩さない。
仕方なく後ろに乗る。
「じゃぁ、行くぞ」
「って、家、知ってるんですが?」
「あぁ。さっき職員室で見てきた」
前の背中を見る。誰かの自転車の後ろに乗せてもらったのは久しぶりだからだろうか、心臓の鼓動がすごい音を立てている。
私を老けていると言った、ものすごく失礼な奴なのに――。
これは何? ――きっと驚いたからよ!
こんな教師がいて良い理由がない。
これは私がなんとかしないと。
なんとかしないと!