ダイエット
林くんが卒業したあとのお話
親父が転勤になったのを機に、俺は比与森の家で下宿する事になった。
比与森の家は広い。何しろ敷地は山一個分だ。
母屋だけでも広いので、叔母である夏美さんと正午だけでは持て余していたと言う。
正午が使っていた離れを空けてくれたので、持てるだけ荷物を持って引っ越して来た。家具や布団は業者に頼んだので午後に到着する予定だ。
正午の荷物は全て母屋に運んだのだろう、年末に来た時とは違い離れはガランとしていて淋しかった。小さな縁側の向こうに見える庭とそこに植えられた桃の木。記憶にない景色の筈だが懐かしいと感じてしまう。
障子や畳は新しくしてくれたのだろう。腰を下ろすと、青々としたイグサの匂いが心地いい。
荷物を取り出すでもなく、深呼吸をしているとジーンズのポケットに入れたスマホが微かに震える。
メール 一件
その表示を見て、声に出して「誰だ?」と呟いてしまう。
俺にだってそれなりに友達はいる。たぶん。いや、きっと。いるんだってば、本当に。
風紀の連中は連絡先を教えてあるんだから友達認定でいいんだよな……ほらな、いたよ!
心当たりを思い浮かべようとするのだが、その全てが否定されてしまう。
何かと一緒に行動していたのは森だが、連絡を受けた事は一度もない。まぁ、学校で会ってたからわざわざメールする必要がなかったとも言えるが。
他の風紀委員は何故だか俺に怯えているようなので、これまた連絡を受けた事がない。他にアドレスを知っているのは、母屋にいる夏美さんと、今は学校に行って留守の正午ぐらいか。
夏美さんも違うだろう。用があるなら離れに直接来る筈だ。そして正午も違う。
正午はメールより電話派だ。こちらの都合に構わず、気兼ねなく電話を掛けて来る。出られないなら出られないで構わないらしい。コール音は決まって三回。それ以上は鳴らさない主義なのだとか。
正午でもないとすると、残念ながら皆目見当がつかないと言うのが本音だった。
メルマガかな。
そう考え直してメールを開くと、添付ファイルが六個。何だろ、写真かな。
そのまま操作して写真を開く。
「……猫か?」
どの写真にも白い物体が写り込んでいた。疑問形になったのは、余りにも近づきすぎてピントが合っていないのと、物体の一部しか写っていないからだ。
座布団らしき物の上に広がる白い物体……たぶん猫の腹だ。次は三角の耳の生えた後頭部。これは餌でも食べているのだろう。空中にとどまる白くて細長いものは尻尾だな。
その調子で5枚目まで確認して、最後の一枚を見て漸く差出人に気が付いた。
写っていたのは、これまた猫の顔のアップ。その濡れた目に写り込んでいる影は間違いなく木村だろう。
つまり、この猫は木村の飼い猫であるリュウに違いない。
写真の真意を訊ねようと木村に連絡したら、家に誘われた。
あの面倒臭がりを外に呼び出すのは至難のわざなので、素直に従い木村が同居している森山さんの家に向かう。
ここも広い家だよな、ちょっと古いけど……玄関なんて今時珍しい引き戸だし。
そう思っていると、中から戸が開けられる。
木村か、或いは森山さんかと思ったのだが、開いた戸の向こうには誰もいない。
まさかの自動ドア?
単純に驚く俺の足元で、ニャアと声がする。
視線を下ろすと、そこには純白の毛並みをした一匹の猫がいた。
「まさか、お前が開けたとか言わないよな……?」
猫と言っても、ただの猫ではない。元は白蛇で、死んだあとに神として祀られ、挙句、木村の兄と偽って傍にいたモノだ。
でも、今は猫だ。いや、猫だって戸を開けられるのかも知れない。ドアを開ける犬とかたまにいるし。
「お久しぶりです」
喋ったー!
もうダメだ。これ猫じゃないよ、声が修司さんだよ。
「いや、あの……」
「ここでは何ですから中にどうぞ」
そう言ってヒラリと玄関に上がる。さすが猫。その身のこなしは軽く、物音一つ立てない。
戸惑ってばかりいてもしょうがない。そう覚悟を決めて白猫となった修司さんのあとをついて行く。
案内されたのは前に木村と話をした居間だった。春の陽気だと言うのにコタツが出ている。
その布団を前足でポンポンと叩き「どうぞ」とすすめて来る。
うん、まぁ入るけど。
コタツに足を突っ込むと、当たり前のように俺の膝に乗って来る。
暖かいし可愛いからいいんだけど……微妙って言うか複雑な気分だ。
そんな俺の顔を見上げて、「無事に届いたようで安心しました」と猫が言う。
「届いたって……あのメールは修司さんが?」
「今はリュウです」
うぅ、そうだった。野良猫を手懐けたと思っている木村が新しく『リュウ』って名前を付けたんだった。ややこしいなぁ。
「それで俺に何の用なんですか」
「イチを……何とかして説得して貰えないかと思って」
イチって、木村の事だよな。修一のイチらしい。
でも、説得って何を?
話の続きを待っていると、猫に似つかわしくない憂鬱そうな表情で(猫でもそんな顔できるんだな)、口を開く。
「イチの愛が重たくて」
「は、愛って……?」
木村は修司さんの事を何一つ覚えていないんだよな。それなのに愛って。しかも、それが重たいって、どういう事だ?
「お願いします。このままでは私はイチの愛の重さに死んでしまいます」
哀愁漂う空気だが、それを発しているのは猫。
雪のように真白な毛並みに、珍しい赤みを帯びた金の瞳。その顔立ちは高貴ですらある。
「死ぬって、いったいどうして?」
問いかけると、前足を俺の腹に当てて身を乗り出して来る。
「朝から晩までイチの愛が尋常ではないんです」
セリフだけ聞いていると、彼氏に夜の営みを求められる彼女のようにも思えるが、至近距離でそう語っているのは猫。
この体では夜の営みは無理だろう。
「具体的にどういう感じですか?」
質問を重ねながら、足を崩す。正座は特に苦手ではないのだが、何だか痺れて来た。
その太ももの上に尻をつけた猫が答える。
「足が痺れたでしょう?」
「はぁ」
「イチの愛の重さ故です」
「はぁ?」
俺の足が痺れるのと木村の愛にどんな関係があると言うんだ。そもそも、ここに木村はいないんだし愛が重たいと言われても意味が分からない。
「重たいでしょう、私が」
「いや、重たいって程でもないですけど」
「重たいんです。体重が10キロ超えているんですから」
猫の標準体重なんて俺は知らないけど、10キロと言えば米一袋だ。なかなかの重さなのかも知れない。
失礼と呟いて、前足の脇に手を差し込み持ち上げてみる。抵抗する事なく持ち上がったその体。
ダラんと、想像したよりもずっと伸びる。そして重い。
「二十四時間四六時中、食事を与えられるんです。食間におやつまで」
やるせないって顔(猫だけど)でそう言うけど、貰っても食べなかったらいいんじゃないのかな。
「とてもいい笑顔で、すごく期待した目で見つめて来るんです。イチにそんな顔されたら、私に断れる筈がないじゃないですか」
いや、断れよ。俺は断るし。
でも……まぁ、この猫が修司さんだったと思ったら断れない気持ちも分かるような気がする。
両親が死んで一人残された木村を育てたのは修司さんだ。兄という肩書きを名乗ってはいたが、心情的には親代わりだったんだろう。
「小さい時は『兄さん兄さん』って懐いて来る可愛い子だったんです。いつも私の傍を離れず、風呂やトイレすらも一緒に入ってました。その可愛いイチが笑顔でおやつをくれるんでしよ、食べないという選択肢がどこにあるんですか」
何歳までだったのか気になるが、それより風呂はともかくトイレまで一緒だったのか?
それは幾ら何でも普通じゃないような……いや、深く考えるのは危険だ。サラッと流せ、気持ちよくスルーだ。
でも、これだけは突っ込みたい。親代わりじゃなくて親バカそのものじゃん。




