24
三人を森に任せて振り返ると、血だらけの座敷に花子さんが立っていた。
その足元には絶命している沢渡。衝撃にか驚愕にか、死体の口は大きく開き、目玉はこぼれ落ちそうだ。傷口から流れる血は赤と言うより黒に近い。
それを見下ろす花子さんは恐ろしいほどの無表情だった。
何を考えているのか、さっぱり分からない。普段の花子さんからは想像もつかない。
その所為なのか、酷く現実離れした光景に思えてしまう。
だが、クッと。
花子さんの形のいい唇が吊り上がる。
クククッと堪えていたが、すぐに腹を抱えて爆笑し出す。
どうして。何が面白いんだ。
非業の死を遂げた花子さんだが、普段はそんなこと微塵も感じさせないのだ。好き勝手に動き回り、何を見ても楽しそうにニコニコしていた。
それが何故。
血まみれの死体を見て、笑っているんだ。
ゾッとして一歩後ろに下がってしまう。しかし、それを許さない正午の声が飛ぶ。
「花子さんを呼んで下さい」
「え、でも……」
あれを傍に呼べと言うのか?あんな恐ろしい物を。
尻込みする俺に正午が舌打ちをする。
「司郎に憑いているんですから来いと念じれば来る筈です、早く!」
クソ……呼べと言うなら呼ぶけど、どうなっても知らないからな!
「花子さん、来い!」
念じろと言われたが、声に出して呼ぶ。すると、花子さんはピタリと笑いを引っ込め、首を巡らせて俺を見る。
表情の消えたその目は酷く虚ろで気味が悪い。幽霊だと分かっているが、心のどこかで気を許してもいた。しかし、その花子さんは俺の作った幻だったのかも知れない。
白い顔に赤い唇、何も見ていないような花子さん。このまま放って置いたらダメだ。
何か悪い物になってしまう気がする。
「花子さん!!」
叫びながら手を伸ばす。その指先に何か引っ掛かっているのに気付いて、無意識にギュッと握り込む。
フッと、部屋の中から花子さんの姿が消える。
その一瞬を見逃さず、正午が襖を閉め手を合わせる。
「うぁ!」
右目が熱い。目の奥で何かがモゾモゾと蠢いている感覚がする。熱い、痛い、痛い。
堪らず右目を押さえてしゃがみ込む。
パン、パンと。
手を打ち鳴らす音が二回して、フッと身体が軽くなる。
「イッテェ……何だ、今の」
「持ち札が足りないと言ったでしょう。仕方ないので、この部屋の見張りにシロウを使いました」
落ち着いた声に顔を上げると、背中を向けたままの正午と心配そうにこちらを覗き込んでいる花子さんの姿。
「うぉ!」
思わぬ至近距離から見つめられ、驚いて尻餅をつく。
花子さん……どうしてここに。
唖然とするが、先ほどのような恐ろしさはない。いつも通りに戻っている。
「死者は穢れの影響を受けやすいんです。だからお守りを渡したんですが、役に立って良かった……」
ホッとしたように正午がそう呟く。言われて握り込んだ手のひらを開くと、そこには花子さんに渡した筈の守り袋があった。
「これか……あのまま放って置いたらどうなってたんだ?」
「周囲の邪気を呼び寄せ吸い取り……新しい怪談になっていたかも知れません」
その言葉にヒヤッとする。
花子さんは幽霊だ。でも、見た目が同年代だから俺はどこか親近感を抱いていた。無邪気な幽霊、そう思っていたんだ。
でも、実際は物凄く危うい存在だったのだ。人の死や感情……きっと悪意などに晒されたら本人の意思に関係なく、容易く変容してしまう。
それは物凄く怖い事だと思う。
ただでさえ花子さんは殺されたのに、死んだ後まで辛い目に遭うなんて可哀想だ。
「何とかならないのか……?」
「満足したら成仏しますよ、たぶん」
歯切れ悪く返され、思わず花子さんを見る。
俺が無事だと分かったのか、こちらが脱力してしまいそうなニコニコ笑顔だ。
満足って言われても特に不満はなさそうなんだが。
「どうしたらいいんだ?」
「……女の子が興味ある事をすればいいんじゃないですか」
そっぽを向いて、物凄く言い難そうに言い返される。
女子が興味あるものって何だ。俺の身近にいる女子は森だけだ。でも、森が一般的な女子とは違うと言うのも分かっている。見本にはならないだろう。
「お洒落したり甘い物を食べに行ったり……そういう日常の楽しさを味わえば満足すると思いますよ」
どこか残念そうに正午が言う。
うん、そうだな。俺も残念だ。
女子のお洒落なんて俺には不可能だ。頑張ればファッション誌を買うぐらいは出来るかも知れない。でも、それを誰かに見られたら変な噂になるのは必至だ。その上、服や化粧品を求められたらどうしろと?
通販という便利な物もあるが、親父が帰って来た時に隠す場所がないし、隠してて見つかった時に言い訳のしようがない。寧ろ隠していた分だけ後ろめたさが倍増する。
無理だ、無理無理。
辛うじて叶えられるのは甘味だが、花子さんは食べられないのだ。それだと、目の前で俺が食うと言う、単なる嫌がらせにしかならないだ、それ。余計、恨まれそうな気がする。
焦点を遠くに飛ばして聞かなかった事にする。
だけど、すぐにそんな場合じゃないと首を振る。
「楠本マナミを捕まえないと」
「何故?」
俺としては当然の事を言ったつもりなのだが、正午が潔いまでにキッパリと問い返して来る。
「何故って、二人も殺したんだぞ。このまま見過ごす訳には行かないだろ」
どうして楠本マナミが二人を殺したのか、理由が分かっていないんだ。残っている三人の大学生も狙われるかも知れない。
「祭が終るまで龍神の結界から抜け出す事はできませんよ」
「だからって」
「それに楠本マナミはもう誰も殺さないと思います」
俺の話を遮るように正午が続けて言う。その根拠が分からず、キョトンとすると疲れた溜め息と共に説明をしてくれる。
「双子を共犯だと脅して口止めはしたようですが、目の前で人が殺されて黙っていられる筈がないと楠本マナミにも分かっていたでしょう。それに、この状況で消えたら自分が犯人だと言っているようなものです。それでも逃げ出したと言う事は時間を稼ぎたかっただけじゃないでしょうか」
「キャンプ場に戻って車で逃げるとか」
そう口を挟むと、いつの間に持ち出したのかリュックの口を開ける。
「楠本マナミの物です」
言いながら長財布を取り出し、カードの類いを改める。確かに正午の言う通り、楠本マナミと書かれた学生証が出て来た。
「これを置いて行ったからには、逃亡するつもりなどないと言う事でしょう……」
そこで言葉を切ると、首を傾げて動きを止める。
どうしたのだろうかと見守るが、すぐに再び動き出し全てのカードを取り出して改める。
「そうか……彼女が子供の幽霊を恐れなかったのは石井真美と同じ誤解をしたからだったんですよ」
「どういう事だ?」
「彼女は二月生まれで、現在二十一才。でも、ここには三年生と書かれています」
頭の中でザッと計算してみる。現役合格したのなら、四年生の筈だ。
「浪人したとか」
「ないとは言いませんが、留年した可能性の方が高いと思います」
「どうして」
そう思う理由が分からない。
俺の質問を無視して楠本マナミの鞄を漁っていた正午の手がふと止まる。
何かあったのだろうか。
近づいて、その手元を覗き込む。俺でも知っている、有名なチョコレート店の缶。
正午が軽く振ると、カラカラと乾いた音が中でする。チョコレートではないだろう。何とも言えない、不安になる音だった。
「何だ、それ」
鞄を放り出して、正午が両手を使って缶を開ける。
薄い花柄のハンカチに包まれていたようだが、振った拍子に飛び出してしまったであろうそれを黙って見つめる。
僅かに黄色みを帯びた白いもの。
「まさか……骨か?」
震える声で問い掛けると、正午が豆粒のように小さいそれを摘まみ上げる。
「恐らく。小さい子供ですね、生まれて間もない乳児の可能性が高いと思います」
「人か?でも、どうして」
更に問い掛けるが、正午は何も言わず丁寧に缶の蓋を閉める。
「誰なんだよ。どうして楠本マナミが赤ん坊の骨を持っているんだ?」
訳が分からない。楠本マナミが二人の男と殺した事と何か関係があるのだろうか。
考えが追いつかず呆然としていると、正午が缶を手にしたまま俺を振り返る。
「石井姉妹に話を聞きましょう」




