15
廊下に出ると、既に正午の姿はなかった。
どこへ行ったのやら。
母屋から出るなと言っていたので、祠に向かった訳はないだろう。だったら、蔵か二階だな。
さて、どっちに行ったものか。
蔵へと続く廊下に顔を向けると、後ろから足音が聞こえる。階段の方だ。
二階の部屋に俺たちの荷物は置いてある。何か取りにでも行ったのか。
そう軽く考えて二階に向かおうとするが、何故か蔵の方から「司郎」と呼ばれる。
「あれ?」
振り返るが、誰もいない。でも、ハッキリと聞こえた。
「正午……?」
厭な予感がして、おそるおそる問い掛ける。それに返事はなく、廊下の奥の暗がりに白い手が浮かび上がる。まるで俺を招くように、それが小さく上下に揺れる。
いや、小さいのは手そのものだ。
幾ら離れていると言っても、揺れる手は正午のものにしては小さいし、何より位置が低過ぎる。あれじゃ、子供だ。
その考えにギクッとする。
座敷にいた大学生たちが言っていたではないか。
ワンピース姿の子供、『死ね』という声。
そして俺自身、この家に子供の幽霊がいてもおかしくないと思った。
「嘘だろ、」
勘弁してくれ。
花子さんで少しは耐性が出来たけど、やっぱり俺は幽霊が怖いんだよ。
しかも、相手は何故か俺の名前を呼んだ。その上、おいでおいでしてるんだぞ。これが怖くない訳ないじゃないか!
助けて、誰か。正午……いや、この際、花子さんでもいい。助けてくれ!
「この阿呆めが」
階段を降りる足音と共に凛とした声が聞こえたと思ったら、廊下の暗がりに浮かんでいた手がフッと音もなく消える。
た、助かったぁー!
ホッとして膝が崩れそうになるが、先ほどの蔑むような言葉が誰のものなのかと振り返り唖然とする。
階段の途中に立っていたのは、二階で寝ている筈の池水だったのだ。
あれ……池水が俺の事「阿呆」って言ったのか?
訳が分からず呆然と見つめていると、やけにゆっくりと階段を降りて来た池水が困ったように苦笑を浮かべる。
「分かりませぬか」
何が?
って言うか、口調が随分渋いんだな。普段そんなに喋った事ないから知らなかった……って、そんな訳あるかいっ!
「お前、もしかして……白尾か?」
信じられない思いで訊ねると、答える代わりにニッコリと笑う。
顔立ちは整っているが、いつだって能面のように無表情なのだ。そんな池水の笑顔はやけに色っぽい。
「……何をしているんですか」
訳が分からずオドオドしていると、トイレにでも行っていたのか正午が手を拭きながらやって来る。
そして池水を見て、心底面倒臭そうに溜め息をつく。
「好ましいとは言えませんが、この状況では最善ですね」
「どういう事なんだ」
同じ学校の顔見知りの様子が変なんだ。それを良かったなんて言える訳ないだろ。
「部屋で狸寝入りしてて下さい」
俺の質問に答えず、白尾に言う。無視ですか。
「面白い童子よ、我に狸になれと申すか」
何が可笑しいのか、言葉の通りクスクス笑う。
やっぱり白尾なのか……幽霊も喋るんだな、なんて感心して「待て待て」と考え直す。
見た目は池水なのだ。表情筋が死滅してるんじゃないかと噂される生徒会の副会長。
幾ら白尾が狐だからって池水に化けたという訳ではないだろう。そんな事しても何の得にもならないし、そもそも化けられるなら日常的にそうしていた筈だ。
つまり……池水の中に白尾が入ってる。身体を乗っ取った。
「え、まさか取り憑いてるのか?」
ヤバいでしょ。ひと様の身体を乗っ取るなんて、そんな子に育てた覚えはありません!早く出て来なさい!
アワアワしていると、正午がウンザリとした口調で言う。
「説明しますから落ち着いて下さい」
あ、はい。
余りに投げやりな口調だったんで、つい頷いてしまう。だって、騒いだら本気で見捨てられそうだったんだよ。
人目のない所と言う事になり、池水を寝かせていた二階へと向かう。
白尾が入った池水が当然のように布団の上に正座する。仕方ないので、その向かいに正午と並んで座る。
「普段の池水さんはどんな人ですか」
落ち着く間もなく正午が質問して来る。
「どんなって……生徒会の副会長やってるぐらいだから頭いいんじゃないか?」
「親交はないんですか」
風紀と生徒会で連絡を取り合う事は多い。でも、会長の木村に連絡してたからなぁ。俺が近づくと、何故か女子が逃げてしまうんだよ。そんで離れた所から俺を見てヒソヒソやってるんだ。感じ悪い。
池水はそういう女子とはタイプが違っていたけど、表情が余りないから怖いんだよ。何考えてるか分からないって言うか、近寄り難いって感じ。
「感情の起伏が少なく、いつも無表情。でも与えられた職務には忠実」
正午の言葉に、その通りだと頷く。
能面のように無表情な池水だが、仕事は早い。風紀に回って来る書類の大半は池水のサインがしてある。
「思った通りです。彼女は霊媒体質なんだと思います」
「へ?」
唐突に告げられた言葉にキョトンとする。
「感情に乏しいけど能力的には高いんですよね。これは彼女の中身が極めて少ないからだと思います」
「中身って……どういう事だ?」
「人間には自我というものがあります。これは、己と他者を分けるものです。興味のない話を延々されるとウンザリするでしょう?それは相手の主張を受け入れられないからだと僕は思います。つまり自我が邪魔をしている状態です」
そういう事もあるだろう。実際、バスで会った男の話を聞いた時は俺もウンザリした。
「そして池水さんはその自我が弱い。普通なら、ただ言いくるめられてしまうだけなのですが、困った事に池水さんは霊感が強かったんですね。だから他者との区別が上手くされず、すんなりと受け入れて、憑依されてしまうんです」
え、こんな近くに霊感少女がいたのか。
もっと早く知っていたら、いろいろ相談していたのに。
霊感があっても正午みたいに追い払える訳じゃないと知っている。拝み屋と言うのは持って生まれた才能だけでなれるものではない。努力も必要なのだ。
だから池水が霊感少女だとしても俺を守ってくれる訳ではないと分かっている。それでも何て言うか、ほら……怖がるにも仲間がいた方が心強いじゃないか。一人より二人の方が安心出来るんだよ。小心者の何が悪い。
惜しい事した……いやいや、今からでも遅くない。池水と仲良くなればいいんじゃないか?
そんな俺の考えを読んだように、正午が白けた目を向けて来る。ヤベ……慌てて咳払いして誤摩化す。
「だからって白尾が取り憑いたら意味ないんじゃないのか?」
「確かに意味はないでしょうね。普通の人なら取り憑かれただけで体力を奪われますけど、池水さんの場合はそれもないようですから」
「どうしてだ」
「普通の人には確固たる自我があるからです。そこに他のものが入り込もうとしたら、当然ながら抵抗します。だから体力気力共に奪われてしまうんですが、池水さんは抵抗するほどの自我がない。他と自己の区別がないんですから」
「だったら取りあえずは害がないって事か?」
「友人などの人間関係に問題はあるでしょうけども」
それはそうかも知れない。取り憑かれる度に性格から口調から変わってしまうようなのだ。時代掛かった口調の池水はかなり不気味だった。
「この場合、他のものに憑依されるよりは狐の方が幾らかマシですしね」
その言葉に思い出す。




