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グラウンドから運動部の掛け声が聞こえて来る。サッカー部かどっかがランニングしているようだ。更に耳を澄ませば、吹奏楽部の練習音も聞こえる。
時刻は午後五時。
下校にはまだ時間があるので、部活動や補習で残っている生徒が大勢いても何らおかしくない。
持ち出したままにしてある鍵を使って旧校舎の中に入る。
特に人目を避けなくてもいいと言われたが、これじゃすぐに教頭が来るだろ。旧校舎を監視してるみたいなんだし。
そうは思うものの、逆らうこともできず黙って廊下を歩く。
締め切った空間特有の淀んだ空気、それに慣れつつある自分が悲しい。
目的の二階に到着すると、足立が持っていた細長い袋の口を開ける。出て来たのは、紛うことなくバールだった。
それを無言で渡される。はいはい、開けろってご命令ですね。小柄な足立よりも俺の方が力あるしな。
逆らわず、音楽室のドアの隙間に押し込む。
メキメキと小さな音がする。それに勢いを得て、壁に足を掛けてドアをこじ開ける。
バキン、と。
鍵が壊れたのか、急に軽くなって勢いを殺せず仰向けにひっくり返る。
「いってぇ、」
バールを杖にして立ち上がると、足立はそんな俺に構う事なく音楽室の中を凝視している。
「何かあったか?」
声を掛けながら隣に並び、言葉を失う。
ここで花子さんは殺されたのだろうとは予測していた。もしかしたら、その痕跡があるんじゃないかとは思っていた。
だからこそ、ドアを壊したのだ。
しかし、ここまでとは思っていなかった。
床に残る夥しい血痕、床や天井にも血しぶきのあとがある。
教頭はここで花子さんの足を切り落としたのか?
閉鎖されているとは言え、いつ誰が来るか分からない旧校舎で生徒を殺して、更に足を切ったと言うのか……狂ってるとしか思えない。
その根拠となるものが音楽室の真ん中に置かれている。
ボロボロだし変色しているけど、セーラー服が一着。それを着ていたと思わしき人物の白骨……長い黒髪に覆われた頭蓋骨。
花子さんだ。
どうして犯人は隠さなかったのか。これじゃ音楽室に入ったらすぐ目に付いてしまう。
足立がポケットから紙切れを取り出し、それを手に何やら呟きながら花子さんへと近づいて行く。
俺は音楽室の入り口に呆然と突っ立ったまま動けない。
呪文のようなものを唱え終えると同時に足立が花子さんの右手を開く。そこには俺が渡したお守りが握りしめられていた。
それを無表情のまま拾いあげ、俺に向かって投げて来る。
咄嗟に受け取りはしたが、助かったとか思う余裕はまだない。
怖いとか何とかじゃなくて、脳の処理が追いつかないのだ。
そんな俺の背中を誰かが突き飛ばして来る。
足立は目の前にいるので、他の誰かだ。
思わずよろけて音楽室の床に手をついてしまう。
誰に押されたのか?
そんなの教頭以外にいないじゃないか。おおかた、俺たちが旧校舎に入るのを見かけて追い掛けて来たんだろ。だからイヤだったのに、くそぅ。
振り返ると、案の定、そこには教頭が立っていた。
ここで鬼の形相とか目が血走ってたりとかしてたら、まだよかった。
でも、教頭はいつもと同じように神経質そうに眼鏡を押し上げて俺を見下ろしている。
その余りにも普段通りなところが心底怖い。気味が悪いし、生理的嫌悪すら感じる。
心のどこかで花子さんと佐倉小花を殺した教頭を俺は自分とは別の生き物だと思っていた。狂気に取り憑かれた末の犯行だと思っていたんだ。
それなのに、教頭はいつもと何ら変わらず、平然とした様子で俺を見下ろしている。
狂気と正気の境目がない。
その事に俺は吐き気を覚えた。
手と足を使って何とか距離と取ろうと逃げ惑う。情けない事に、腰が抜けたようで立ち上がれなかった。
「これ……教頭が、佐倉小花も……」
何が言いたいのか自分でも分からないどもりっぷりだ。だが、それに対して自己嫌悪しているヒマはない。
「おや、矢張り死体を見つけたのは君だったのか」
教頭が感心したとでも言うように眼鏡の奥で目を細くさせる。
全くもって褒められた気がしないんだけど。それどころか、ゾワッと全身に鳥肌が立つ。
これで決まりだ。
花子さんを殺して、佐倉小花を殺したのは教頭だ。
殺害現場をそのままにして置いて、それどころか遺体すらここに置いてあったんだ。見つかっても構わないと思っていたのだろうか。
見つかったら……相手を殺してしまえばいい、と。
だったら、俺も殺されるのか?
どうする……幸いなのかどうか、俺に手にはまだバールが握られている。反撃してここから逃げ出すか……でも、これで殴り掛かったら教頭の頭かち割りそうなんだよな。返り血とか浴びたくないし、だいたいからして正当防衛が認められるかどうか。
よし、頭じゃなくて足だ。足を狙おう。
そんな決断を下して教頭を見ると、何故かサバイバルナイフなんか持ってるんですけど!
どうして、どこで手に入れたの、それ!
「昔、生徒から没収したものなんだが、なかなか便利でね。前に使った時はまだ慣れていなかったから手が滑ったけど、大丈夫。ちゃんと一回で首を切ってあげるから」
その言葉に、それが佐倉小花を殺した凶器だと分かる。
大丈夫って言われても全然安心できない。むしろ危機感が強まった。
そのおかげで何とか立ち上がることができる。
人間どころか動物すら殺した事がない俺と、二人も殺した教頭では気迫の面で勝負にならない。
どうしたらいい。誰か助けてー!
そう思って、ふと閃く。
足立はどうしたんだ?
教頭との距離を保ったまま、何とかチラリと後ろを見るともぬけの殻だった。
嘘だろ、さっきまでそこにいたじゃん!
どこ行ったのー!!




