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それは突然だった。
俺の意思とは関係なく、からだが微かに震える。何事かと慌てる俺の目の前に大きな黒い犬が立っていた。
犬は唸り声を上げて、俺の横に立つ何かを睨みつけている。
半目になったその瞳、紫色をしたそれを見て漸く犬の正体に気付く。
シロウだ。
祖母さんから受け取った時には子供でも抱えられるほどの子犬だったのに、いつの間にか大きくなったらしい。四つ足なのだが、机よりも上に頭がある。
唸り声を上げる口元には鋭い牙が覗いているし、これじゃ犬と言うより狼だ。
そんな事を思っていたら、堰を切ったようにシロウが吠え出す。
威嚇ではなく、今にも飛びついて相手の喉を噛み砕いてしまいそうな声だ。傍で聞いている俺ですらゾッとする。
釘を打ち込んでいた動物の動きが止まる。
シロウはそれに姿勢を低くさせ、もう一度吠える。
途端に教室の空気が軽くなる。胸の痛みも消えて、俺はそのまま机に突っ伏す。
何とか呼吸を整えて起き上がると、既にシロウの姿は消えていた。どうやら元の場所に戻ったらしい。
元の場所って……まぁ、俺の中なんだろうけど。
テストが回収され、呆然としたまま授業を終える。
祖母さんが誰かを呪い殺した所為で、孫の俺が呪われている。それはきっと一族全員が死ぬまで続くのだろう。
この場合、親父はそこに含まれないと思っていい。
母さんが死んで、いとこの女の子が死んだ。そして次が俺。どう考えても戸籍云々ではなく血の繋がりだ。
俺が死んだら終わるのか?
いや、違う。もう一人いる。死んだ女の子には兄がいたはずだ。
放課後になる頃には何とか落ち着いて来た。
だが、さすがに今日は校舎の見回りまで出来そうにない。何とか森にそう連絡して先に帰ろうと思ったのだが、廊下で足立を見かけて足が止まる。
欠席していた筈なのに、どうして。
俺としては当然の疑問なのだが、足立にはそうじゃないらしい。
怒ったような顔でズンズン近づいて来る。
そのまま息が掛かりそうなほど距離を詰めると、俺の顔を凝視して来る。何でだ。
呆気に取られて黙って見つめ返して、足立が何を見ているのか漸く理解する。
俺の右目を見ているらしい。
暫くそうして納得したのか満足したのか、小さな溜め息をつきながら離れる。
「色が違ってますよ」
そう言って小さな手鏡を差し出して来る。
何の事だろうかと受け取ったそれを覗き込んで、息を飲む。
光の加減なのかどうか、右目の色がいつもと違う。
黒と言われたら黒く見えるのだが、暗い紫色のようにも見える。
「どうして」
「一時的だとは思いますが、シロウが使っているんでしょうね」
シロウ、紫狼。
名前の由来は目の色だったな、そう言えば。
でも、俺の目を使うってどういう事だ。
「何があったのか教えて下さい」
そう請われたので、帰宅途中にある公園で全部話す。
それを聞き終えた足立は複雑そうに顔を顰めて無言になる。
これまで散々な目にあわされたけど、反応ない方がヤバい気がする。ギャグ言って辺りが静まり返った時のような恐怖……これは幽霊に対するものとは違う。より切羽詰まった恐怖だ。
俺の話に笑う所なんか微塵もなかったんだから足立が笑わないのは別にいい。俺だってお笑い芸人目指してる訳じゃないし。でも、全くリアクションなしと言うのは気まずい。ヒジョーに居たたまれない。
お願いだから何か言って!
「……何でもありませんよ」
俺がハラハラしてるのに気付いたのか、足立が呆れたようにそう笑う。
今の間が何でもないわけないんだけど、どう問い返せばいいのか分からない。結局、オロオロするしかないんだな。
「花子さんの件を解決してしまいましょう」
困ったように口元に手を当てて足立が話を変える。
俺も敢えて深く突っ込まずに、これまでに分かった事を言う。
その全てを聞き終えて足立が一つ頷く。
「花子さんを殺したのは教頭、その根拠は佐倉小花を駅で目撃したと証言したのが教頭の娘だから。こういう事ですよね」
簡単にまとめたらそうなる。
頭がこんがらがりそうになるのは、花子さんと佐倉小花の二人ともが旧校舎に幽霊として出現したからだ。
どうやっても幽霊という現象なしには今回の事は説明できない。そうと分かっているのに、頭のどこかで幽霊を否定したい気持ちがあるから混乱してしまうのだ。
「たぶん、それで決まりでしょうね」
アッサリと納得した足立を見て、ちょっとした疑問が浮かぶ。
「佐倉小花を殺したのは花子さん殺害に関する何かを見られたから。そう考えていいとして、どうして花子さんを殺したんだ?」
花子さんは学生。そして教頭は年齢からして当時も教師だった筈だ。
接点があることはあるのだが、それが親密だったとも思えない。
「花子さんは自殺した幽霊って噂されてるんですよね」
足立の質問に頷き返す。
確かに森はそう言っていた。森が嘘をつく理由もないので、信じていいだろう。
「でも、実際は殺されていた。だったら、自殺の動機も違っていたとは考えられませんか」
男に振られて自殺した。それが嘘だったと言うなら……殺された理由は何だ。
「別れ話を切り出して、逆上した男に殺された」
そうか、それなら全てに矛盾しない。
花子さんはあの日、急いで男に会いに行ってた。俺はてっきり男を引き止める為なのかと思ったが、その反対だったんだ。
花子さんが振られたのではなく、犯人の方が振られた。
別れ話を持ち出された男は頭に血がのぼり、花子さんを殺した。でも、足を切り落とす理由は何だ。花子さんの事をそこまで恨んでいたのか?
「逃げられないようにしたんじゃないですか」
「え……」
「花子さんは首を切られていましたけど、それが致命傷だったかどうか分かりません。もしかしたら息があったのかも。もし、意識もあったとしたら目の前にいる犯人から逃げようとしますよね、普通。だから犯人は花子さんの足を切った」
「逃げられないようにって……でも、結局死んでしまったのに」
「死んだあとも自分のもとから逃げられないようにしたかったんじゃないですか」
そこまで執着していたのか。既婚者の癖にとか、教育者の癖にとか。
色々と思うところはあるのだが、死んだあとまで逃亡を許さない教頭の執着心にゾッとする。
これまで散々、幽霊を怖がっていた俺だけど、もしかしたら生きてる人間の方が恐ろしいのかも知れない。




