16
足立の話によると、俺はどうやら誰かに呪われているらしい。
右目にいる奴はそれから守ってくれている。だから、無理に追い払ったら俺は死ぬって事らしいのだが、釈然としない。
何故かって。
俺は呪われる覚えなんか、これっぽっちもないからだ。
「きっと先輩個人に対する呪いではないと思います」
「じゃ、誰だよ」
「家じゃないでしょうか」
家って言われても、うちは何度も引っ越してるからなぁ。
そんな考えが顔に出たのか、足立が「土地の事じゃありませんよ」と言う。
「ご先祖……と言っても、そう古くはないでしょう。二代か三代、それぐらいですかね」
そんな事言われてもやっぱり心当たりはない。
物心付いた頃には親父と二人だったんだ。製薬会社勤めの親父はかなりの仕事人間で家に殆どいないし、親戚の方はいるのかいないのか俺は知らない。
そう告げると、呆れたように足立が鼻を鳴らす。
ごめんなさいね、何も知らなくて。
「お母さんはいないんですか」
「いないな、俺が小さい時に死んだって聞いたけど」
思い返してみると、変な話だ。
死んだと言われてそれ以上、母親について詮索した事はなかったのだから。
それを聞いたのがいつなのか分からないが、どんな人だったのか気になるのが普通のような気がする。それなのに俺は足立に質問されるまで母親って存在そのものを忘れていたような感じなのだ。
考え込む俺を見て何と思ったのか、足立が立ち上がり近づいて来る。
「もう一回目を閉じて下さい」
厭だよ!
お前には分からないだろうけど、メチャクチャ痛かったんだぞ!
「少し探るだけです」
そう言って俺の目に手のひらを乗せて来る。
「呼吸をあわせて、いいですか」
有無を言わせぬ口調に思わず従ってしまう。
強制的に目を閉ざされた所為か、足立の息遣いがハッキリと聞こえる。それに意識を集中させると、静かに沈んで行くような錯覚を覚える。
シロウちゃんはいい子だね。
そう言って俺の頭を撫でる優しい手。
そっと目を開くと木目の浮き出た天井が見える。
撫でて来る手の持ち主は逆光になって黒い影のように見えた。
僅かに身じろぎする。どうやら俺は畳の上に敷かれた布団に仰向けで寝ているらしい。
ここはどこだろうか。
親父と一緒に何度も引っ越しをした。そのどこにも和室はなかったように思う。
開け放した障子の向こうでは葬儀が行われているらしい。
喪服姿の男女が次々とやって来てはどこかへと消えて行く。
ああ、そうか。
今日は二つ年下のいとこの葬式だ。
ある日突然やって来た二人のいとこ。上が男で下は女の子だった。
その女の子が風邪をこじらせ、肺炎にかかって死んだのだ。
俺も本当なら葬儀に遺族として参列するべきなのだろう。だが、こうして臥せっている。
そう言えばと思い出す。今でこそデカくなったが、小さい頃は周りの子供に比べて背が小さく病気がちでもあった。
特にどこか悪かったと言うのではない。きっと虚弱体質だったのだろう。
季節の変わり目には必ずと言っていいほど体調を崩して寝込んでいた。
風が吹いているわね。
その声に目を向ければ、枕元に祖母が座っていた。さっき頭を撫でてくれたのはこの祖母だったらしい。
障子から外を眺め、困ったように溜め息をつく。そして、どこから取り出したのかモコモコとした黒いものを布団の上に乗せる。
子犬だった。
濡れたように艶やかな黒い毛並み。警戒しているのか、俺を見て頭を低くさせている。
この子はね、シロウちゃんと同じ名前なのよ。
その声に促されてそっと頭を撫でる。すると、意外なほど大人しくしているのでこわごわ抱き上げる。警戒を解いたのか、子犬らしく俺の顔をペロリと舐める。
どうして同じ名前なの?
どうしてかしらね、でも、漢字は違うのよ。その子の目を見てごらんなさい。
言われて犬の顔を覗き込む。すると、子犬も俺をキョトンと見上げて来る。
不思議な色をしているでしょう。だから、その子は紫の狼と書いて『シロウ』なのよ。
「んぁっ!」
急な覚醒に付いて行けず、変な声を上げてしまう。
何だったんだ、今の。
そして、どうして急に醒めたんだ。
オドオドと目を走らせると、すぐ傍で足立が難しい顔をして立っていた。
「シロウ?」
そう小さく呟く声で足立も俺と同じものを見ていたのだと分かる。でも、違うんだ。
さっきのが夢だったのか過去の記憶なのか、俺には分からない。でも現実と違う事だけは分かる。
俺には祖母さんなんていなかったし、犬を飼った事もない。
親父と一緒に転々と引っ越しばかりしてたんだから、ペットを飼うなんて不可能なのだ。
だったら、さっきのは何なんだ。夢だとしても、整合性がなさ過ぎる。
それだと言うのに何故なんだ。
足立に名を呼ばれた途端、途方もない嬉しさがこみ上げて来た。
鳩尾がカァッと熱くなってジッとしてられない。何だ、これ。