12
よかった、花子さんじゃない。また血を流しながら這い回っているのを見たら今度こそ気絶しそうだった。
でも、そうすると泣いているのは佐倉小花と言うことになる。
嗚咽を漏らし、苦しそうに辛そうに泣いている。
「痛い、痛いよぅ……お母さん、助けて……誰か、」
しゃくり上げながらそう声を漏らす。見ていられずに近づく。
すると、白いブラウスがどす黒く染まっていた。血だろうか。
「痛い、帰りたい……痛いの、助けて……」
左肩、鎖骨の辺りから血が流れ出している。黒く変色した血が、佐倉小花が押さえる指の隙間からドクドクと流れ出している。一目見て、ナイフか何かで刺されたのだろうと分かる。
目の前にいるのは幽霊だが、血を流して痛がっている。放って置く訳には行かない。
佐倉小花の傍に膝をついて、手をどけさせる。ブラウスの前を少し開き確認すると、思った通り鋭い刃物で付けられたと思しき傷が付いている。
ハンカチを取り出し、押し当てる。可能な限り力を入れて圧迫する。
「だ、れ……?」
泣きながら佐倉小花が問い掛けて来る。それに「風紀だ」と答える。
「大丈夫だ、こうしてれば血は止まる。すぐに救急車を呼ぶから大丈夫、安心しろ」
「本当……?」
「ああ。治療して貰ったら家まで送る。痛いのなんてすぐに終わるから、それまで頑張れ」
言い聞かせるように顔を見つめる。泣きながらもコクンと小さく頷く。
「家まで絶対に連れてってやるから、あと少しだ」
押し付けてるハンカチがみるみる黒く染まって行く。こんなに血を流して生きている筈はない。そもそも五年前に行方不明になっている。もう死んでいるのだろう。
だからと言って怪我の手当をしなくていいとは思えない。目の前で泣いていたら放って置けないだろ、普通は。
「家……帰れるの……?」
「ああ。だから、それまで頑張れ」
誰が何と言おうとそうしてやる。大きく頷くと、それまで黙っていた足立が「佐倉さん」と声を掛ける。
「今、どこにいますか」
おかしな質問だった。
佐倉小花は俺の目の前で血を流して座り込んでいる。足立だって声を掛けた。それなのに、どこにいるのか分からないのか?
「二階……奥の教材室、」
佐倉小花の返事に小さく頷き、足立がパーカーのポケットから数珠を取り出す。それを傷口に押しあて優しい声で話し掛ける。
「痛みはすぐに引きます、落ち着いて。そう、目を閉じて深呼吸して下さい」
戸惑ったように佐倉小花の目が俺を見る。俺だって何だかよく分からない。でも、足立がそう言うならその通りにした方がいいのだろう。
頷いて見せると、それに安心したのか佐倉小花がゆっくりと目蓋を閉じる。それを待っていたように足立が口の中で何やら呟き出す。独特なリズムと抑揚、お経のように聞こえるが何となく違うような気もする。
「あ……」
不思議そうに佐倉小花が短く声を上げる。
「見えましたね、その光に意識を集中させて下さい」
コクンと頷いた佐倉小花が「ありがとう」と言う。それと同時に流れていた血が止まり、黒く濡れていた筈のハンカチが乾いている事に気付く。
「……あぁ」
成仏、したのだろうか。
痛いと言って泣いていた少女は消えていた。
暗い廊下にいるのは、不自然な姿勢で座り込んだ俺とその横に立つ足立だけだった。
「何で、」
呆気に取られる俺に肩を竦める。
「幽霊の傷の手当をする人なんて始めて見ました」
「いや、だって放って置けないだろ」
幽霊だろうが何だろうが、痛いって泣いていたんだ。何とかしてやりたいと思って当然じゃないか。
「お人好しですね……まぁ、そのおかげで佐倉小花は成仏できたようですけど」
やっぱり成仏したのか。何だ、そっか。
ホッとして脱力してしまう。
……怖かったっ!全力で怖かったぞ!!
恐怖が去った安心感に思う存分、身を委ねる。
そんな俺を無視して足立が口を開く。
「じゃ、あと一仕事しますか」
「は?」
「家に連れて帰るって約束したじゃないですか、それを果たさないと」
疲れたようにそう言って奥にある教材室に向かう。