第一話
目的地の内蒙地区にある新大和陸軍基地が目の前に見えてきた。
大草原の中に突如として現れる市街地とそれに隣接する基地。
内地からの長旅が終わるときが来た。
私は僚機に接近し、手信号で私が先に下りることを告げる。
相手も手信号で「了解」の仕草を返す。
高度1000メートルで基地の上空を周回飛行し、近くに他の航空機がいないことを確認すると、徐々に速度を殺していく。
高度計が300メートルを指したところで着陸脚を出すとガクンという衝撃と共に計器板の赤いランプが点等した。
滑走路に進入する進路をとり、フラップを静かに開く。
速度、進入角度、風向きを考えながら操縦かんと方向舵ぺダルで機首がまっすぐに滑走路に向うように微調整。
5式戦闘機は機首かほっそりとしているので下方視界はよい。
空冷エンジンを載せる前の飛燕はもっと見やすかったらしいけれど。
速度が時速140キロまで下げて着地。
着陸脚のブレーキをかけながら操縦かんを目一杯引きつけて滑走路からはみ出ないように維持する。
機体が完全停止したことを確認し、後方を確認してから誘導に移動する。
このあたりは操縦しているのが戦闘機だろうが爆撃機だろうが輸送機だろうが変わらないから、習慣として身についている。
誘導路に入ったら停止位置まで5式戦を地上運転することになるが、ここで気が緩まないように注意しなければならない。
性能評価用にわざわざ内地から持ってきた機体を、ここで台無しにする訳にはいかないし、婦人補助飛行隊に対する偏見を助長させる訳にはいかないからだった。
誘導路の停止位置に到着すると整備員が出てきて車輪にチョークを噛ませ、燃料コックを閉めてくれた。
最後にスロットルレバアを少しだけ押し込んで回転数を上げてプラグの油を焼ききり、プロペラが完全停止することを確認しスイッチを切ると、風防を開く。
整備員が掛けてくれた梯子で地面に降りる。
ウサギ革で出来た飛行帽を脱いで長い髪を振りほどく。
例えようのない開放感。
傍らに来た整備員が動揺する様子が面白い。
「婦人補助飛行隊の風巻です。司令部に報告をしたいのですが」
僚機も無事に滑走路に降り立ったようだ。
「お姉さま、本当に楽しみですね」
私の片腕にまとわりつきながら同僚の朽木梓が言った。
実際のところ、私と彼女に血縁関係はないのだけれど、彼女は私をお姉さまと言って懐いてくる。
彼女は新大和市から汽車で3時間ほどかかるナツビン市の観光を心から楽しみにしていた。
ナツビンは大陸横断鉄道の最終駅であり、帝国と大陸連合の戦争が激化する中でも亜大陸との交易を許されており、4000キロメートル離れた土地の文物が流れ込んでいた。
度重なる大陸連合潜水艦部隊の通商破壊作戦は石油や金属といった戦略物資だけでなく、服飾業界の最新流行の流入にも重大な影響を与えていた。
私も擦り切れるまで読んだ洋服の雑誌は6年前のものだった。
ナツビンには亜大陸の最新流行のソレがある。
梓や私が所属する婦人補助飛行隊は、戦前から飛行資格を持つ婦女子を集められて作れた部隊だ。
帝国は、今回の戦争が始まるまで正面戦力の拡充に全力をささげてきた。
戦車、戦艦、戦闘機あれやこれや。
けれど、隣の大陸は帝国の工業力で何とかできるほど生易しくはなかったのだ。
帝国という狭い列島でしか戦争の経験のなかった我々は、広大な土地を利用して行われる大陸連合軍の機動防御とゲリラ戦に翻弄されていた。
点で制圧できても面で制圧できない。
都市は奪えてもそこに続く道に架かる橋が次の日には爆破される。
これは帝国軍に深刻な影響を与えていた。
広大な道路、鉄道網、海路、途方もない広さの土地を防衛する為に投入される正規軍。
大陸で連合軍との壮大な、まるで戦争絵巻に描かれる一大決戦を夢見ていた帝国の戦争計画は今や画餅そのものだった。
映画や講談で大人気の一大決戦などというものは滅多に起きない。
下らない小競り合い、兵士の士気を確実に削り取っていく不正規戦。
それは陸軍航空隊でも深刻な影響を与えていた。
輸送機や連絡機に配属されていた搭乗員が次々と戦闘機や爆撃機、攻撃機に転属されてしまった為、後方支援にあたる輸送機や連絡機、観測機の運用に深刻な影響を与えていたのだった。
その点、大陸連合は民間航空機の経験者を積極的に登用していたらしいので、帝国の無策に私は天を仰ぎたい気分だった。
白羽の矢が立ったのは、戦前に上流階級の子女に流行った飛行倶楽部の会員だった。
戦前、上流階級の子女の間で飛行機の資格を取得するのがちょっとした流行だった時期がある。
つまり、飛行資格を有する女子の航空機搭乗員はそこそこ居たことになり、彼女たちをまとめて徴用することにより、それなりの搭乗員を確保できることに繋がった。
もともと、亜大陸で飛行機の操縦は貴族の特権であったから、地上を走る内燃機関の乗り物よりも女子が資格を取ることに世間も寛容だった。
私も18歳になってうっすらと自分の人生の道程がわかっていたので、父親に懇願して飛行倶楽部の入会を許してもらったものだ。
そして、今は基地から基地へどんな航空機でも運ぶ空輸専門の搭乗員になっていたのだった。
「でも、流行の服を買ってもも何処に着ていくの?」
ここ最近、茶褐色の航空服以外を着た記憶がない。
命令されれば西の大陸、東の離島に戦闘機だけでなく輸送機や偵察機を運び、すぐに本土行きの輸送機に飛び乗って本土に戻るなんて生活を続けていた。
「もう、お姉さまったらオシャレの何たるかが分っていなんですか」
そういうと彼女は飛行服の胸をはだける。
すると、胸元に白いフリルのついたブラウスが現れる。
「アンタ、飛行服の下にこんなもの着てたの・・・」
ちなみに私は綿の丸首下着だった。
「オシャレは根性です」
なるほど、彼女にもそれなりの信念があるらしい。
司令部のある建物は本土にある基地に比べると随分とみすぼらしいレンガ造りの2階建てだった。
その秘書官は、わたしが提出した書類をロクに確認もしなかった。
「ご苦労さま、宿舎は厚生館に用意するから、しばらくそこで待機してくれるかしら」
それなりに整った顔立ちだったが、知性が先立てしまい損をする典型の女性士官が言った。
「あの、ナツビンの視察を実施したいのですが」
私がそういうと、彼女は形のいい眉毛を跳ね上げた。
「このご時勢に観光旅行をしたいの?」
「このご時勢だから、ですよ」
ハッキリ言ってしまえば、帝国本土に住む大半の人間にとってこの戦争は他人事だ。
もちろん、連日大陸連合の爆撃に晒される工業地帯の人々や長男を徴兵される家族にとってはそれなりに現実感はあるが、過去のいくつかの戦争、つまりなんとなく政治的な決着でうやむやにされてしまう国家間の戦争と大差ない。
「とにかく、ここは帝国本土とは違うの。お嬢さん2人で気楽に観光旅行ができと思ったら大間違いよ」
やれやれ、梓の落胆した表情が目に浮かぶ
「しばらくは新大和市で大人しくしていて頂戴」
いつもと同じだ。
用済みになったら輸送機に乗せられ帝国本土に戻されどこかの誰かに必要とされる飛行機をどこかに運ぶ。
その時はそう思っていた。