09
黒真の編入から数週間が経った。変わらぬ単調な日々。黒真は新たな発見などがあり、それなりに新鮮だったが、数週もすれば、それは、いつしか慣れに変わる。
その慣れは、油断に繋がる。
それは、突然のことだった。警告音。
高らかに鳴り響くそれは、寮内を騒然とさせた。
次に、空中に表示されたメッセージ。
《――警告。この地域に、正体不明の出現を確認。総数、不明。危険度、橙から赤。非戦闘員、及び、学園生徒の中で、実技訓練未実習の生徒は、避難してください。繰り返します――》
この緊急事態に、まず動いたのは、フューゼだった。イヴリアに連絡を入れて、無事を確認してからすぐに、部屋の外へ飛び出した。
慌しくざわつく寮内に、フューゼは、この現状がどれほど危ういものかと、悟った。駆け足で、時に人波を掻き分け、時に障害物を潜り抜け、次期生徒会長候補の神楽野宮夜午の部屋へ訪れる。
「神楽野宮さん、いますか!」
かなり深刻な事態に、時間がなく、早急に解決すべく、少し乱暴なフューゼ。どんどんとドア叩いた。
「クランベリール先生!ちょうどいいところに。私、今から、討伐のために、役員候補を招集させる予定だったんですが、許可を」
「その許可を出すために来たんです。神楽野宮さん、頼みましたよ!」
そう言って、夜午の前から駆けていく。寮から、外へ出るために。
そして、寮の外は、地獄絵図だった。正確には、地獄絵図のようだった。人は、フューゼの視界には、捉えられない。見渡す限りの、怪物。魔物と表現すべきか。フューゼは、素早く忍刀を組み立てると、忍び足で、足早に、避難に遅れた人が居ないか、見て回りだす。
この地球の様々なところに、この学園の生徒会の人間が飛び回って対処しているが、これほどの量が出たことはないだろう。要の日本は、生徒会長が守っている。しかし、生徒会長は、現在、沖縄駐留。この学園に来るまでに、数時間。この量に、数時間は、耐え切れるか、微妙。今、戦えるとしたら、神楽野宮夜午と立原龍美、それと、アルス・エル・フェリエ、エル・トリアくらいだろう。それが学園首脳の意見。ただ、フューゼは、知っている、紫藤黒真を。
「きゃああああーーーー!」
そのときだった。フューゼの耳に劈くような悲鳴が届く。幼い、女の子の悲鳴のようだ。
フューゼは、駆け抜けた。並み居る化け物たちを掻き分け、貫き、小一時間ほどで、開けた場所に出た。フューゼは、周りに、怪物がいないのを不思議に思いながら、辺りを見回す。そして、少女を見つける。
「大丈夫?!」
フューゼは駆け寄った。
「うぅ、だ、だいじょうぶれす」
幼い子供だった。金髪に、深紅の瞳を持つ、齢九つくらいの女の子。その見た目は、麗しき、良家の令嬢。だが、格好は、まるで修道女のような、修道服。
「そ、それにしても、ここは、どこれしょう?」
舌が上手く回っていないのか、ちゃんと言葉を発せていない。
「ここは、学園の中庭だと思うけれど?」
フューゼの言葉に、修道女は、首をちょこんと傾げた。
「がくえん……もしかして、教場のような、教えを請う場所でしょうか?」
フューゼは、この少女が、何者なのか、いまいち分からなかったが、とりあえず、抱えて、その場を離脱することにした。
黒真は、この非常時にもかかわらず、外を眺めていた。居るのは魔物。どれも見たことのある魔物ばかり。無論、ゲルブッチャーのようなものも居る。あれは、流石に危険だろう、と黒真は思った。
アンに、「ちょっと、行ってくる」と声をかけて、黒真は、部屋から出た。まずは、状況確認のために、寮のエントランスホールへと向かう。
そして、寮のエントランスホールには、夜午や龍美を筆頭とした、次期生徒会のメンバーが集まっていた。黒真は、それを傍から見る。
「よく聞いて!従来の出現では、基本的に、十から五十程度しか現れなかった。それが、今回は、数百。本格的にまずい状況よ!だからこそ、息を合わせっ……?!」
言葉が途中で途切れたのは、少し、服の破けた状態のフューゼが、少女を抱えて寮に入ってきたからだ。皆、何事かと、息を呑んだ。黒真は、別の意味で息を呑んだ。
「あ、あら、皆さん。これから、外へ出られるんですか?」
フューゼの言葉。龍美は、フューゼに駆け寄る。
「そ、それどころじゃないですよ!だ、大丈夫なんですか、先生!」
「だ、大丈夫よ。それより、この子を」
そう言って、龍美に、少女を預けようとしたが、黒真が横から掻っ攫った。
「あっ?!」
「え?黒真君」
二人が驚きの表情をするが、黒真は、慈しむように、少女を抱きかかえた。その顔は、なぜか、懐かしむようだったことに、龍美は気づく。
「……アイナ。お前って奴は」
小さな声で、黒真は、そう言った。
「龍美、悪いんだが、コイツを、俺の部屋に寝かしてきてくれ。部屋に入らなくていい。部屋の前に、その子を寝かしといてくれれば、どうにかできる。あと、トリアとアルスを引っ張って来い。無理矢理にでも、だ」
黒真の強い声に、龍美が一瞬、後ろによろめきそうになったが、慌てて取り繕い、少女を抱えながら、走っていく。黒真は、龍美が行くのを見計らって、オリフォを出し、自室に電話を入れる。
『はい、紫藤ですが?』
「アン、俺だ。今から、俺の部屋の前に、ア……いや、女の子を寝かせておく。部屋に入れて、俺のベッドで寝かせておいてくれ」
黒真の言葉に、電話越しに、目を白黒させるアン。
『女の子……女児ですか。はあ、構いませんが』
「頼んだ」
黒真は、そう言ってから、フューゼに声をかける。
「外に居る『魔物』の数は?」
黒真は、あえて、あれを魔物と言う呼称で呼んだ。
「え?ああ、えっと、五百は越えていました」
フューゼの回答に、黒真は、深刻な顔で、考える。
(俺、トリアで、大半を片付ける。特殊な攻撃がありそうなのは、アルスの【魔力】があればいけるか)
そう考えたとき、龍美が、二人を連れてやってきた。
「来たか、バカ二人」
「なっ」
「ほぉう、相変わらずじゃな」
黒真は、手早く現状を説明する。
「見ての通り、外に、魔物がわんさかいるんだが、ゲルブッチャーとかのレベル高い奴も居る。パークスライムもいたぜ。それで、俺とお前等二人で、速攻潰す。あの面子、次期生徒会だけじゃ、対応しきれないだろうからな」
そう言っている間に、夜午たちは、【科力兵器】を持って外へ出て行ってしまう。
夜午は、かなり驚いていた。数が、桁が、大きさが、何もかもが、想像とは全然違ったからだ。
「あっ、あ、……あぁ」
声が出なかった。夜午は、もう、ダメだと悟った。もう、死ぬと思っていた。寮から、三人が出てくる、そのときまで。
「へぇ。壮観。上から見るよりもヤバく感じんな~。あれだ、グラガドンマ火山で魔物に囲まれた時の気分だ」
「我は、シュピークの森でアルベントサーベルキャットの群れに遭遇した時の気分だ」
「魔王は、城から出んのでのう。まあ、魔王に逆らう魔物は、処刑じゃな」
三人の言っていることは、その場の人間には、全く伝わってない。だが、三人の登場に、なぜか、安堵、安心ができた。
「さぁて、ぶちかまそうか、【絶対領域】!」
黒真が言葉と共に、指を鳴らす。
――バァアアアアン!!!
轟音が、耳を劈いた。
――バチャ!ベチャ!
体の内部に空間を作られ、膨張し、耐え切れなくなって破裂した魔物たちの破片が、気味の悪い音を立てながら、吹っ飛ぶ。
「雑な攻撃だな!我が、綺麗な剣捌きを見よ!」
――ズバァアアアアン!!!!!
トリアが持ってきていた木刀で巨大な魔物を一刀両断。魔物の大きな塊が、ゴロゴロ転がっていく。
「うおっ!汚ねぇ!血がベチャベチャ飛んで来てる!」
「貴様とて、四方八方に血撒き散らしてるだろうが!」
黒真とトリアは、そんな風に、軽口を叩きあいながら、簡単に、敵を制してしまう。
「なんなの?あれ、【科力】?」
「た、たぶん」
夜午と龍美が、そんなことを言っていると、魔物の一体が、不意に、口を大きく開く。
「あれは……、ディバイダルフレイム(俺命名)じゃねぇか!見るのは、久しぶりだぜ!……ってそんな場合じゃなかったな。アルス!」
黒真が、アルスに声をかける。アルスは、不敵に笑っていた。
「ふん、見せてやるのじゃ!【最硬度守護結界】!」
魔物の口からゴウゴウと音を立てて、迫り来る、不気味な炎。それが、アルスの方へ飛ぶが、アルスの前面、数メートル先で、掻き消えてしまう。
「ふん、この結界の前には、如何なる魔術、呪術、聖術も効かんのじゃ!!」
その効き目は、絶大。しかし、弱点もある。
「ぬ?どうしたのじゃ、さっき見たくパチンと殺せばよいじゃろう?」
アルスが先ほどから何もしていない黒真に声をかける。
「いや、だって、俺、お前の結界内にいるから【魔力】使えねぇし」
その通り。アルスの【最硬度守護結界】【オレイカルコスの守護結界】は、如何なる【魔力】【聖力】【科力】等の力でも無効化する。その結界に触れる、もしくは、結界内に居る状態では、誰も発動することができない。対【魔力】【科力】【聖力】などの力用【魔力】の中では、最強の部類に入る神がかり的な力だ。この力の前では、黒真の力すら、容易に無力化できる。
「じゃったら、外へ出ればよかろう!」
激昂するアルス。
「いや、だって、面倒じゃん」
「じゃったら素手じゃ、素手。って、そうじゃったな、強化されておらんのじゃった」
アルスが、ポンと手を打った。
「いや、強化されてっけど?素手でワンパンできるけどさ」
「わんぱん?あんぱんの仲間かのう?」
無駄なやり取りをしている間にも、魔物たちは、蠢いている。大分数が減ってきているが、まだ多い。
「面倒な」
黒真が溜息を吐いて、アルスに言う。
「アルス、結界を解け。俺とお前で、素手で全部殺す」
黒真の声に、トリアが、持っていた木刀を落としそうになった。
「止めるのじゃったらよいのじゃ」
「止めるに決まってんだろ」
二人で何かを言って、そして、瞬き一回。そのときには、既に、龍美、トリア、夜午ら次期生徒会の視界から二人は消えており、魔物は、全て倒し終えていた。
「え?……え?」
「は?」
「えっ?」
皆、一様に、何が起こったのか分からず、変な声を洩らした。
「さあて、こんなもんか」
突如、向こうから聞こえた黒真の声に、皆、目が点になった。
そんな中、フューゼは、二人の様子を把握していた。何があったのかも。むしろ、疑問だった。皆が、何故、分かっていないのかが。
「あれは、どう言うこと?」
フューゼの頭に、いろいろと、考えていた事が繋がっていく。
「まさか、いえ、まさか、よね」
フューゼは、呆然とした。
「そんなことが可能な【科力兵器】は、存在しないはずだし……。いえ、まさか、科力兵器売買人、彼らが協力を……」
エスサイシア科力兵器売買人。エスサイシア上層部匿秘機関員の通称で、彼らの行いは誰も知らない。ただ、多くの科力兵器を保持していて、それをエスサイシア以外に、横流ししていると言う噂もある。そのため、バッドブローカーなどと、あまりよくない呼ばれ方をすることも多々ある。
アンは、外の様子を窺い、一通り片付いたことに安堵しながら、黒真のベッドに横たわる、金髪の九つくらいの少女。アンは、少女が目を覚ましそうなのに気づいて、作っておいた料理を運び、少女の横に座る。
「……んぅ?」
少女の口から、そんな声が洩れた。そして、目が開く。その深紅の瞳は、まるで吸い込まれそうなほど深く、燃え上がる炎のように赤い。
「起きましたか?」
アンの声に、少女は、幾度か瞬きをし、目を擦る。そして、口を開く。
「は、はい。あの、ここは……?」
少女の疑問に、アンが答える。
「ここは、私の主の部屋です」
「主……」
少女は、周りを見回して、一冊の本を見つけた。
「そうですか。ここは、黒真ちゃんの部屋ですか」
黒真をちゃん付けする少女に、アンは、目を白黒させた。この少女が、何者なのか、ますます、不明だ。
「貴方は、一体?」
アンは、相手が幼いのにも関わらず「貴方」と言う呼称を用いたのは、相手が、見た目よりも年齢が高いように思えたからだ。
「イリナ。一般的に用いられる呼称です。正確には、イリューナ・キレン・フォン・ニック・エリアート・アイナ。親しい人は、アイナと呼びます。職業は、【神遣者】です」
「しんけんしゃ」
聞きなれぬ言葉に、アンは、何のことかと眉を寄せた。
「神の遣いの者、と言う意味です」
「な、なるほど」
見た目の年齢よりも遥かに大人びて見えるアイナ。アイナは、言う。
「黒真ちゃんと会ったのも、【神遣者】の仕事の一環でしたし」
懐かしむように微笑むアイナ。アンは、驚いた。とても大人びていた。見た目があの様なのに、まるで、大人の魅力溢れる妖艶な声に聞こえた。
「【魔王】・アルスを倒すために、神の代理として、黒真ちゃんを召喚して、一緒に冒険した日々は、本当に、懐かしい温かな思い出です」
アンは、引っかかりを覚えた。
(魔王を倒すために、黒真様が、戦った?)
その考えは、部屋に戻ってきた黒真に打ち切られた。
「おう、アイナ、目、覚めたのか?」
「黒真ちゃん、お久しぶり」
二人の出会いは、昔の記憶。
――黒真の、一度目の家出まで遡る。