対外的に宜しくない男への嫌悪感
前回の『対外的にイイ男への苦悩』の続きになります。
見てなくても読めなくはないですが、読んで頂けると関係性が分かり易いと思います。
困った。
藤緒は手に持ったコップを眺める。
そこにはそこそこの量を注がれたビールが入っている。
会社の飲み会で押し付けられたビール。
「・・・・」
見た目では判らないらしく、藤緒はアルコール類が大嫌いだった。
ビールは苦い。ワインは舌が痺れる。カクテルもよほど甘い味以外は全部アルコールの苦みが先立って飲めない。
なので飲み会は程々遠慮し、どうしてもと言う時は飲んだ振りをして事情を知る友人に押し付けていたのだが。
ちらっと隣を見る。
そこにあるのは壁。
反対側を見る。
そこにいるのは藤緒が告白をお断りした先輩。
正面にはその先輩の同期が並んでいる。
嵌められた、としか言いようのない配置。
激しくウザい、と藤緒は顔をしかめながらビールをちびりと飲む。
これのどこがおいしいのかさっぱり判らない。
藤緒は甘い辛いの好みは甘いに傾く。
中でも一番好きなのはプリンだ。
とろとろふわふわのプリンを差し出されたら一にもなく飛びつく自信がある。
差し出す人間によるけれども。
「どうした?袴。全然進んでないけど」
そう言いながら彼の手の中のビールは既に残り少ない。
中ジョッキでグイグイ飲んでいる男の顔はやや酔いが回っているのか、赤くなっている上に、ミエミエの下心まで透けている。
冗談ではない。
「いえ・・・お腹が減ってるのにお酒を入れるのは好きじゃないので」
よし、と思いながら藤緒はビールをテーブルに置いて、取り皿と割り箸へ手を伸ばす。
それを何故か横から奪われた。
「じゃあ、俺が取ってやるよ。何が良い?」
激しく余計なお世話だ。
気配りが出来る男をアピールしたいのか、と藤緒は心底うんざりしてきた。
会社内で見ている時は爽やかな好青年に見えたが、外ではそうではないのか、と勉強になる。
押し付けられた親切はただ迷惑なだけだな、と。
結構あからさまに表情に出しているのだが、周りを囲んでいる男性陣は酔っぱらっているのか気が付いていない。
その向こう側にいる、同じ部署の女性社員達は藤緒の表情に気が付いて苦笑している。
―――笑ってるなら助けてくれても良いのに。
恐らく、妙な根回しがされているのか上から圧力を掛けたのか。
いつも近くにいる友人は遠ざけられ、さほど仲の良いとは言い難い人間ばっかりが同じテーブルにいる。
苦痛すぎる。
「いえ、自分でとりますから・・・・」
子供じゃないんだから、自分でやるわよ。
言外に辛辣な本音を含ませたが、酔っぱらいには通じない。
恐らく男の中では勝手な藤緒像が出来上がっているのだろう。
それを深く探るのも嫌になる。
「いいって。そう言えばお前サラダとか好きだよな」
お前呼ばわりかよ。
段々馴れ馴れしくなる男から少しでも離れたくて壁の方へと少しずつ移動する。
しかしその距離を男はじわじわと詰めてくる。
心底鬱陶しい。酒臭いから近寄らないで欲しい。
「はぁ・・・」
酔いながらもてきぱきと藤緒の意見を聞かずに男が皿の上に色々な料理を載乗せていく。
そんなにいらないってば、と思う程乗せられて帰ってきた皿と割り箸を受け取り、藤緒はため息を付く。
そう言う意味では、幸村は自分を判っていたなぁ、と思わず比べてしまう。
幸村 透。
評価最悪まで下げた幼なじみという名の野獣だ。
今一番売れている俳優で、藤緒を勝手に許嫁にしたあの男は長い付き合いなだけあって藤緒の好き嫌いを理解している。
勿論その逆もそうだ。
藤緒も幸村の好き嫌いを把握している。
なのであんな事があるまでは幸村の傍は居心地が良かった。
今はそんな事を言える訳もなく、言うはずもなく。
「・・・・・・でさ、今度の休みなんだけど、映画の試写会のはがきが当たったんだ。一緒に行かないか?」
映画のタイトルを聞くと、運が悪いことにそれは幸村が出ている映画だった。
主役ではないが、キーパーソンになる役で出ている。
「いえ・・・・」
薄っぺらい前評判を喋る男の言葉が頭に留まらず上滑りしていく。
そんな事聞かなくても、本人からもう聞いたけどなぁ、とぼんやりと皿を突く。
「なあ、袴・・・・」
全く話しを聞いていない藤緒に男が肩に手を掛ける。
ぞわっとした悪寒が背筋を走る。
「っ!すいません、ちょっと席を外します!」
その手を振り払い、藤緒は席を立ってお手洗いへと向かった。
「気持ちわるいっ!あー・・・・嫌だ」
冷たい水で手を洗い、冷えた手で顔を覆う。
判る下心を抱えた男の手がひたすら気持ち悪くて、酒の所為ではなく本当に気持ち悪くなった。
あれ以来、藤緒は男性に触れられない様に立ち回っていたので忘れていたが、幸村の無理矢理の行為は藤緒に傷を残した。
怖いと言うよりも、気持ち悪い。
自分を異性として好いている、もしくは藤緒に肉体的に下心があると気が付いてしまった男性の手が自分に触れるのが。
「・・・・・痴漢にでも遭えば、その場で吐きそう・・・」
生憎、そんな事は会っていない上にそもそも電車通勤ではないので縁はない。
どうでも良いことで現実逃避をしているのにも時間に限度がある。
戻らねば、と思うと藤緒の身体は鉛で重しを付けられた様に動きが鈍くなる。
「・・・・はぁ」
声に出してため息を吐くが、全く楽にはならない。
もうこれで具合が悪いからと言って帰ろう。
そう決めて振り返ると、トイレの扉が開いた。
どこの飲み屋もそうだが、大体男女別に別れている。
それが藤緒の油断だった。
「・・・・先輩」
入って来たのは男であるはずのあの男。
「なあ、藤緒」
下の名前を呼び捨てにして、近づいてくる男の目には酔いと何か違う物が宿っている。
「先輩、ここは女子トイレです。男性用はあちらですよ」
と扉の向こう、向かい側を指さす。
しかし男は取り合わずに藤緒にゆっくりと近づいてくる。
「お前、付き合ってる奴いないんだろ?」
「・・・・いませんが、それは先輩には関係ない話です」
なんとか距離を稼ごうとすれば、藤緒は後ろに下がるしかない。
そんな藤緒にお構いなしに男は近づいてくる。
「関係なく、ないだろ。俺、お前に告白したんだぜ?」
だから何だというのだ。と藤緒は睨み付ける。
アルコールによる酔いで男の理性はやや緩んでいるらしい。
じりじり寄ってくる男の手を何とか掴まれない様に躱すが、後ろが突き当たりになり、逃げ口がなくなる。
「離して下さい」
「なあ、お前も俺の事嫌いとは思ってないなら、考えてくれよ」
「嫌です。お断りします」
藤緒の言葉に、男の表情が歪んだ。
言い過ぎたか、と思いながらも藤緒は何とか男の手を引き剥がし、背後へ回る事に成功する。
そのまま走って扉へと逃げるが、男の方が早かった。
腕を引き寄せて、抱き付かれる。
「いや・・・っ!」
「なあ、俺本当にお前が好きなんだよ!」
「しりませんっ!離して下さい!!」
胸の奥からせり上がってくる胃液と、不快感が藤緒の全てを縛ろうとする。
男のアルコールの匂いも体臭も気持ち悪い。
「はな・・・・っ、離して下さい!」
「藤緒・・・っ!」
そう言いながら男の手が藤緒の背中をなぞり、スーツの上から下着の線を探る。
絶叫したいぐらいの嫌悪感が瞬発的に藤緒の口から漏れた。
「触らないでっ!!」
じたばたと暴れる藤緒に男が段々といらつき始め、扉の横の壁に叩き付けられた。
じんと痺れた肩に気を取られ、藤緒の力が一瞬緩む。
その隙に男が藤緒の顔を掴んで、顔をぶつけてきた。
触れた唇から感じる体温が気持ち悪い。
「いやあっ!」
「大人しくしろよ!」
冗談ではない、と藤緒は思いっきり男の股間を蹴り上げる。
無理矢理の攻撃で藤緒は足を挫いたが、男の手が離れた瞬間に扉から外へ逃げる。
自分の居た席へと走って戻ると、そこにいた全員が驚いた表情で藤緒を見る。
「藤緒?!」
「ごめん・・・頼子・・・私帰るから」
慌てて近寄ってきた友人に、藤緒は財布から万札を取り出してその手に押し付ける。
そこへ前を押さえながらよろよろ戻ってきた男を、頼子と呼んだ友人がもの凄い目つきで睨み付ける。
「先輩・・・・藤緒に何したんですか」
友人の言葉を聞きながら、藤緒はその場を飛び出し、店から逃げる。
挫いた足は痛かったが、とにかく離れたい一心で足を動かす。
ボロボロの格好をしている藤緒を道行く人は不思議そうに見ていたがそれどころじゃない。
とにかく、と考えていてただ前だけを見ていた藤緒の後ろから肩を掴まれた。
「ひっ!!」
「藤緒?!」
相手を見ずに肩に乗せられた手を振り払った藤緒に、振り払われた相手は驚いて声を上げる。
その声に藤緒は逃げようとした身体を相手の方へ向ける。
そこにいたのは元凶である幸村だった。
「お前・・・・何その格好」
「と・・・・おる・・・・」
「何があった」
呆然としている藤緒の手を掴んで幸村がきつい口調で問い質す。
怒っている表情を見て、藤緒は初めて自分の格好に気が付いた。
肩からずり下がったジャケットに、いつの間にか裾からブラウスは引き出され、髪も暴れたのでぼさぼさに乱れている。
未遂ですが襲われました、と見本があれば間違いなく選ばれそうな姿。
「ひ・・・・」
説明出来る訳もなく、藤緒は恐怖に顔を歪める。
ほろりと目から涙が零れ、余りの異常な状態に幸村は舌打ちをして藤緒を隠す様に抱き込む。
「もう少し歩けるか?」
耳元から聞こえる幸村の声に、藤緒は壊れた様に頷く。
それにほっとしながら幸村は通りの入り口で止まっているタクシーの窓を叩く。
だるそうにしていたタクシーの運転手がドアを開けた所を、抱き込んだまま乗り込む。
「いたっ」
「悪い」
ぶつかった藤緒の足を車内へ引き入れ、運転手に行き先を告げる。
バックミラーで幸村の顔を見られると、サービストークなのか「あんた幸村透にそっくりだねえ」と言われる。
本人です、と言う訳に行かない幸村が笑いながらよく言われます、と常套句で返す。
その笑った振動が藤緒の頭にも響く。
「足、大丈夫か?」
「いたいよ・・・」
挫いた足を無理矢理動かした上から更に打ち付けて痛くないはずがない。
しかし藤緒はその痛みよりも、ただ襲われかけた気持ち悪さと恐怖が先立っていた。
あれで逃げられなかったら。
ぞっとする背筋を、幸村の手が緩やかに撫でていく。
「・・・・何で、あそこにいたの?」
「ああ・・・・・お前が会社の飲み会だって聞いたから」
なぬ、と藤緒が顔を上げる。
意外と近くにあった幸村の顔に、藤緒が驚く。
「あそこにいて良かった」
「・・・・・何で」
確かに藤緒的にも助かった。
あの先輩に捕まる事はなかったかもしれないが、足の痛みと恐怖で自分でタクシーに乗れたか怪しい所だった。
下手すると歩いて帰ろうとしていたかもしれない。
「店が見つからなかったから、あそこで会えて良かった」
「・・・普通、こういう時って危険な状況に颯爽と現れて助けてくれるのがお約束なんじゃないの・・・?」
「現実がそんな上手くいくか」
それはそうか、と藤緒は呟くと、幸村が藤緒の肩を抱き寄せる。
アルコールの匂いも、あの気持ち悪いと思った体臭もしない。
それどころか、慣れた幸村の微かな香水の匂いに息をつく。
しかしそこまで考えて藤緒は自分が今どういう状況にいるのか気が付いた。
「ちょ・・・!ちょっと?!」
「何?」
「離れてよ」
「嫌だ」
「嫌だじゃなくって!」
「怖い目に会った時ぐらい、普段傍にいないんだから頼れよ」
拗ねた様な口調のまま、幸村が抱き込む力を更に強くする。
しかし、それは雰囲気がどうとかよりも藤緒が拘束されて息苦しくなるだけだ。
「苦しいってっ!プロレスじゃないんだからね!?」
ぺちぺちと幸村の腕を叩いて力を緩める様に要求すると、少し力が弱まった。
ふう、と息をつくと、今更足の痛みが走った。
ズキズキとする足首に、藤緒が足を動かす。
ストッキングから透けて見える足首は赤く腫れていた。
「家に帰ったら冷やさないとな」
「自分でやるわよ」
「いい。俺がやってやるから、その間に何があったのか話せ」
聞くのか、と藤緒は心底嫌な表情で幸村を見上げる。
その視線を受けながら、にやりと笑う。
「どうせあの男が悪いんだろうけどな」
何で知ってる!と藤緒が叫びそうになるのを幸村の手で防がれた。
もごもご言う藤緒の額にちゅ、とキスをする。
「お前は良い友達を持ったよな」
にやにや笑う幸村の服のポケットから出てきたのは携帯電話。
最新型のそれは、幸村が先月からCMで出演しているスマートフォンだった。
片手で操作したのはメールソフト。
事務所や俳優仲間からの中に、藤緒も良く知っている名前があった。
「な・・・・っ」
「逐一報告してくれるんだよな」
あの裏切り者・・・っ!と名前の主の顔を思い出す。
脳内で再生されたのは高笑いしているその人物だ。
「今日の飲み会の場所までは聞いてなかったけどな」
「あ・・・そう・・・」
がっくり脱力して、幸村の膝の上に崩れる。
膝枕をしてもらっている状態で、藤緒はあれ?と幸村を見上げる。
先ほどから触られたりどころか抱き込まれたにも関わらず、吐き気も嫌悪感もない。
「・・・いやだ、慣らされてる」
「何が?」
軽快な音が幸村の携帯から流れてくるのを、片手で操作しながら藤緒の言葉に返事をする。
なんでもない、と痛む足を抑えながら藤緒は今の状況を余り考えない様に目を閉じる。
取りあえずの安全と幸村の体温の居心地の良さを無意識に安堵しながら。
幸村の携帯をiPho◯eかどうしようか迷ったんですがスマートフォンの表記だけにしときました。何を使ってるかは皆さんのお好きな想像でどうぞ。