第二話 暗雲
「おはようございます、ジョージ様」
「……おはよう」
早朝の翌朝――。
日課である見回りを一人で行うジョージにすれ違う者が気軽に挨拶をする。
今日は朝食後にロバートたちと話しをすることになっている。今のうちに出来る用事は済ませておいた方が無難だろう。
各部屋を見回り、そして王間に着くと、見張りの兵士にドアを開けてもらい中に足を踏み入れた。
視線の先には壁際に咲き乱れているヴィアイドの花がある。花壇に移植したいが、どういうわけか硬い床から伸びているため掘り返すのは困難。ブラッドも「そのままでいい」と了承しているので、ヴィアイドは城内の一部一部で花を広げたまま。
ここが一番多く咲いていて、訪れる者は「…なぜ床から花が?」と不思議がる。しかも彼方此方で咲いていて、国王が居座る壇上まで真っ直ぐ進めない。まるで、開放された室内庭園だ。
ジョージはヴィアイドに近寄ってじっと見つめていたが、向きを変えて近寄り、傍で腰を下ろした。
瑞々しい真っ白な花びら。永遠に枯れることのない花――。
「……」
ジョージは手を伸ばして、一つのヴィアイドの葉っぱに触れた。
……葉先が少し萎れている。しな、と、力無く簡単にくたびれる。
この花だけではない。よく見ると他の花も同じように元気がない。
永遠に枯れない、と、確かにブラッドが言っていたはず。この数年、肥料と呼べる物など全く与えていなかったのに元気だった。けれど、どう見てもこのまま放って置いたら枯れてしまいそうだ。
植物特有の病気にかかってしまったのか? 水が欲しいのか? さすがに床じゃ栄養が行き届かないか?
そんな事を考えながら、けれど、最近の病魔といい、天候不順といい、何か関連しているような気がして胸騒ぎがする。
ジョージは腰を上げると周辺のヴィアイドを見回し、本格的に枯れていないか目視チェックだけし、足早に見回りを再開した。
「お前もいい加減、ほんっと、……やめてくれ」
朝食を取るため、前もって呼ばれていた部屋へ向かう途中、ばったりと出会したブラッドに、挨拶抜きにギロッと睨まれた。
一言も言葉を交わすことなく歩いていくブラッドに、カーシュはため息を吐いて後を追った。
「まあ、なんて言うか……。お前がクレアを大事に思ってるって事はちゃんとわかってる。でも、俺だって同じだし、……クレアのことは、本当に大切にしていきたいんだ」
躊躇いながらも、歩き保って真面目に背中に語りかける。
「……ジョージさんに挨拶が遅れたのは反省してる。……でも、俺は真剣だから。……クレアは、俺が幸せにするから」
ブラッドは、ピタ、と、足を止めた。カーシュも合わせて足を止めて窺うと、ブラッドは不愉快げに、ゆっくりと振り返った。
「……。もういいっ」
「……、え?」
「お前らがこうなることは“わかってた”んだっ。……お前の兄貴になるなんて嫌だけど、クレアが決めたんじゃ仕方ないだろっ」
拗ねるように口走って、フンッ、とそっぽ向いて歩いていく。その背中を見て、カーシュは少し苦笑し後を追った。
「これ、なんの材料使ったんだろ?」
ジョージとロバート、そしてクレアを含めて朝食を取り終えて、腹休めで談笑していると、クレアは、食べ終わったばかりの食事に首を傾げた。
「おいしかった。作り方、教えてもらお」
「クレアちゃんは料理が得意だな」
ロバートは笑顔でジョージを窺った。
「この間、クレアちゃんに手料理をごちそうになったが、とてもおいしかった」
「……よかったですね、クレア様」
ジョージが微笑むと、クレアは「うんっ」と嬉しそうに頷いた。
「もっともっと、たくさんお料理する! カーシュに毒味してもらって大丈夫だったらジョージとブラッドにも食べてもらうからね!」
カーシュはじっとりと目を据わらせる。
ブラッドは、水で喉を潤しながら、なんでもない顔でクレアを窺った。
「あまりはしゃいでばかりいるなよ。ただでさえ、今、状況が悪いからな。……上に立つ人間が気の抜けた行動を起こせば、間違いなく、下の者からの信頼は揺らぐ」
「はーい」と、クレアは無邪気な笑顔で返事をしただけ。
ジョージはふと、「……聞いてないだろ」と目を据わらせるブラッドに目を向けた。
「……ブラッド様、ひとつ、お伺いしたいことが」
「なんだ?」
「……ヴィアイドのことです。……永遠に枯れない花だとお聞きしましたが、今朝方、確認をすると、数輪がしおれかけていたのです」
ブラッドは少し眉を動かし、顔をしかめた。
「しおれかけていた?」
「はい……。石の床だからでしょうか? 栄養が行き届かないのであれば、一度、花壇への移植を本格的に検討せねばならないかと」
深刻げな報告にブラッドは少し考え込み、顔を上げるなり頷いた。
「後で様子を見に行って確認してみる」
「……はい。わかりました」
ジョージは頷きつつも更に続ける。
「……最近の病魔といい、不吉な予感が致します。……何もなければよいのですが……」
「……、そうだな」
真顔で視線を落とすブラッドに違和感を感じ、首を傾げたカーシュが声をかけようとした時、ドアが開いてナナが入ってきた。みんなが振り返って挨拶のひとつでもかけようとしたが、彼女は表情を険しくして、挨拶もなくブラッドに足早に近寄る。
「ブラッド様」
「……どうした?」
戸惑うように声をかけ、見上げるブラッドの傍で足を止めたナナは少し息を整えてから言葉を続けた。
「……今し方、報告が上がりました。……流行病で、昨夜、二人亡くなったそうです」
真剣な声で告げるナナに、みんなの視線が止まった。
ナナは、険しく眉を寄せるブラッドに更に続ける。
「報告後、すぐに国医が駆けつけ、遺体を確認したそうなんですが……、……信じられない死に様だと、困惑しているようなんです」
「……、どういうことだ?」
「それが……、すべての水分でもなくなったかのように、全身干涸らびたように骨と皮だけになって、黒点が全身を覆い、……死後何年も経過した保存の状態のいい遺体のようだと」
ナナは、戸惑いを露わに目を泳がし、それでもなんとかブラッドを真っ直ぐ見た。
「あのっ……、他の方たちはわからないようですけど、……話しを聞いて、私、すぐに……、……アンデッドを思い出したんです……」
不安げに言った後、視線を落として目を泳がした。
「……こんなことって……あるんですか? いったい……どうしたのか……」
ブラッドは険しい表情でテーブルを見つめる。
カーシュは困惑げにみんなを窺い、そしてクレアに目を向けた。彼女も戸惑いを浮かべ、じっと俯いている――。その様子に、カーシュは間を置いて笑いかけた。
「大丈夫だって。……そういう病気なんだよ。それに、ほら」
カーシュはみんなに苦笑した。
「ものすごい熱を出していたんだろ? そりゃ……水分だってなくなって、やせ細ってしまうよ。ただ、それだけのことだって」
みんなに言い聞かせるように告げて、クレアに笑顔を向けた。
「気にするな。がんばって原因さえ突き止めればいいだけの話しなんだからさ」
元気づけようと笑いかけるカーシュに、クレアは間を置いて、「……うん」と、なんとか笑みをこぼした。
「そうだね。……だよね」
カーシュは「ああ」と、強い笑顔で頷く。
ブラッドはそんな二人から、戸惑うナナへと目を戻した。
「……遺体を城に運んでくれ。それと、至急、患者の容態の確認を」
ナナは「わかりました」と返事をして、足早に部屋を出て行く。ロバートはその背中を見送り、少し考え込んで深刻そうにブラッドに切り出した。
「ブラッド様、……そろそろお話しを」
ブラッドは顔を上げて「……そうだな」と椅子を立った。
「国務室へ行こう。……見せたいものがある」
そう誘って歩いていくブラッドの後を、みんなでついて行く。
ジョージは、元気のない様子で歩くクレアの隣に並んで頭を撫でた。
「……心配には及びませんよ、クレア様。……わたしたちがついていますから」
クレアはジョージを見上げ、「……うん」とか細い笑みで頷く。それでもまだ、いつもの笑顔は戻らない。
カーシュはクレアの様子を気にしながらも、足早に先を歩くブラッドに並んだ。
「……扉は、本当に閉じているのか?」
クレアに聞こえないように聞くカーシュに、「……さあな」と、真っ直ぐに目を向けたままでブラッドは答えただけ。カーシュはそれ以上何も聞けずに、進む足下に目を落とした。
国務室へ着くと、警備していた兵士がドアを開け、みんなで中に入った。ブラッドが足を向ける方、大きなテーブルに向かうと、そこにはベルナーガスの地図が広げられていて、それを囲むように、みんなで輪になって見下ろした。
「……この赤い点は、今回、病気が発症した者がいる場所を記している」
そう説明されて確認すると、たくさんの赤い印が示されている。
「今も患者は増え続けている。ただ、感染はしないということはわかった。患者の家族や知人、接触した者には発症しない。……もしかしたら、遺伝的なものかもしれない、そう国医が報告してきた。ただ……」
ブラッドは言葉を切った。みんなの視線が、ひとつの所に集中している。それを感じて、敢えて、隠し立てすることなくはっきりと告げた。
「迷いの森が、この病気の中心、つまり、発祥と関係していると思われる」
赤い点の中心は、誰が見てもわかる。――迷いの森だ。森を囲むように赤い点が輪を作っている。
「発症した者の特徴も、似ている。……ほとんどが二十才前後。まれに高齢もいるが、ほとんどがその年齢に偏っている。……しかも、裕福な者ばかりだ」
クレアは目を見開いて隣のカーシュを見上げた。――表情が少し強ばり、目は地図を凝視している。
ジョージは真剣な顔でカーシュを窺った。
「……発症は?」
「してないよ!」
カーシュが答える前にクレアが焦りを含めて身を乗り出し首を振った。
「カーシュには黒い斑点なんてなかった! どこにもなかったから大丈夫!!」
必死に、訴えるように何度も首を振るが、ブラッドは目を据わらせ、クレアの言葉など耳に入らないのか戸惑い訝しげに目を泳がすカーシュに顎をしゃくった。
「一度確認しろ。お前も例外じゃないんだ」
カーシュは顔を上げ、「……こっちへ」と、ジョージに誘われるまま、隣の部屋に向かった。クレアがその後をついて行こうとしたが、「駄目だ」と、ブラッドに止められ、拗ねるように口を尖らせてその場に踏み留まる。
ブラッドは深く息を吐き、じっと地図を見ているロバートへ目を向けた。
「……俺は、この世界のことについて、まだ知らないことが多い」
真顔で言葉を切り出すブラッドに、ロバートは顔を上げ、「……そうですな」と答えた。
「……わたしの知識でよろしければ、授けましょう」
「頼む。……この世界のことがわからないと、俺の考えがまとまらないんだ」
「わかりました」
ロバートは頷いて地図に目を戻し、軽く顎を撫でながら目を細めた。
「……迷いの森、ですか……」
「……やだなあ、ここ」
クレアは不愉快さを露わにじっとりとした目で地図を睨む。
「意地悪ババアが潜んでいたトコだもんなあ……。……やだなあ」
呟いて口を尖らせ呟くクレアに、ブラッドは間を置き、口を開いた。
「……なあ、クレア?」
「ん?」
「前に言ってたよな、……母さんの声が聞こえたって」
「……うん」
「止めたいけどできない、って……、他に何が聞こえた? 覚えてるか?」
「んー……」
クレアは目線を上に向けて考え込んだ。
「……みんな、幸せになりたいだけだけど……、とか。前の国王は、弱かった、とか。……よく、覚えてないや。もう、忘れちゃった」
ごめん、と言うようにしょんぼりするクレアに、ブラッドは「いいんだ」と首を振り、「……そうか」と視線を落とした。
「……幸せになりたい、……か……」
「……何かご存じなので?」
ロバートが訝しげに問うと、ブラッドは「……いや」と首を振り、隣の部屋から出てきたジョージとカーシュを振り返ってジョージに「どうだった?」と目で伺った。
ジョージはテーブルの傍で足を止め、鼻から息を吐きつつ首を振った。
「……大丈夫です。黒点はありませんでした」
ジョージの報告にクレアはホッとして、隣で洋服を引っ張り整えるカーシュを笑顔で見上げた。
「よかった! ねっ? なかったでしょっ?」
カーシュはじっとりとした横目を向けた。「頼むから大人しくしていてくれ」と言わんばかりに。
ブラッドは深く息を吐いて気持ちを改め、クレア同様に少しホッとした表情を浮かべるロバートへと間を置いて切り出した。
「……今回のことで何か知識があるなら、是非、聞かせて欲しい」
ロバートは少し視線を落としていたが、間を置き、顔を上げてカーシュに目を向けた。
「……お前は覚えてはおらんだろうな」
そういきなり言葉を切り出され、カーシュは少々慌て気味に首を傾げた。
「え? なに?」
「……事の始まりがいつだったかは、わたしにもわからん。いつしか、ウェルターの街に届いていた。……不思議なうわさ話だ」
ロバートは一息吐くと、地図を見つめて言葉を続けた。
「その頃、ベルナーガスはかつてない大不作に陥っていた。……食べ物と言えば、貯蓄していた穀類と、数少ない家畜、そして、川の水。……今と同じように、天候の悪化が続いた末路だ。……当時、前国王があらゆる手を尽くして民をお守りになろうとしたことは覚えている。近隣諸国に輸入を頼み入れ、農業を営む者には保証をし。……初めての経験だったな」
ロバートは深く息を吐いて、更に続けた。
「……しかし、それでも食糧難で多くの民が苦しんだ。……雨も降らん。川の水も次第に涸れ、井戸水には水一滴も残っておらず。……そんなとき、噂で聞いたんじゃよ。……どこかの村で、とある儀式が行われているようだ、と」
その出だしにブラッドはピクッと目蓋を震わせた。
「要は……雨乞いじゃな。……ただし、今行われている雨乞いとは訳が違う。今は、豊作を願い、雨神を奉り、奉納祭りとして続いている。しかし、その時代は違った。……雨神に奉納するのは、農作物などではない。……、命だ」
みんなが息を飲んだ。愕然としたような空気を感じながら、ロバートは目を細めて言葉を続ける。
「……最初は家畜だったようだ。……すると、不思議なことに雨が降った。数日ほどな。だが、次は降らなかった。……雨が降らなくなれば奉納した。次々と。数を増やし、種類を増やし。そして……やってはいけないことをやってしまった」
ロバートは、真顔でブラッドを見つめた。
「――人の命をかけてしまったんじゃ」
刺すような視線と共に吐き出された言葉に、ブラッドはそれでも目を逸らすこともなく、ただ、表情を険しく歪める。
「……次の日、雨が降った。……雨は、今までとは違って長く降り続いた。しばらくは、乾きからも解消された。しかし、再び雨が降らなくなり……、味を占めた者は、また、人の命を捧げた」
ロバートは視線を落とした。
「真の話しかはわからん。しかし、その噂がウェルターまで届いていたのは確かだ。……ただ偶然が重なっただけのことだろうが、恐ろしい話しだと、皆で話していたのは覚えている」
ロバートは一息吐くと、間を置いて言葉を続けた。
「……その頃からだな。……邪教と呼ばれる者たちの存在があるのだと知ったのは」
「……邪教?」
カーシュが顔をしかめて繰り返すと、ロバートは彼を真っ直ぐ見つめた。
「……道徳に反する行動で、皆を惑わした。……人の命を雨乞いとして利用したのも、この邪教集団だったと、そう記憶している。……その集団が……」
ロバートはゆっくりと地図に目を向けた。
「……いつしか迷いの森に移り住んできたのだと、話しが流れてきた」
カーシュは顔をしかめた。
「……それって、いつの話し?」
「……、お前が生まれる前の話しじゃよ」
「……。迷いの森に入っちゃいけない、って、言われていたのは……」
「……うむ」
答えるように頷いたロバートに、カーシュは顔色を変えて息を飲み、クレアは顔をしかめた。
「でも、迷いの森には意地悪ババアとピートたちしかいないよ?」
「……その数年後、奴らは忽然と姿を消したのだ。……邪心像と祭壇と、そして、呪いの言葉を残してな」
「……呪いの言葉?」
「……再び災いが大地を覆うだろう。泣き喚き、苦しみ藻掻くがいい、と――」
ブラッドは目を細めた。
「……それから、あの森での異変が続いた。……そのことを知っていた皆は、あの森には絶対に近付かなかった。……だが、月日が経ち、皆もそのことを段々と忘れていった」
ロバートは深く息を吐く。そのまま静かになり、いったん話しを切らした彼に、ジョージは眉を寄せた。
「……つまり、今流行っている病や天候は……その時の、邪教たちによる呪いだと?」
「……わたしが知りうる限りではな。……この地図を見て、確信した」
ロバートは地図に目を移した。
「……もしやとは思ったのだが……」
「……それでは、二十才前後の裕福な若者が病にかかっているのは、どのような理由で?」
ジョージが更に訝しげに問うと、ロバートは口を噤んで視線を落とした。どこか悲しげな様子にみんなは顔を見合わせ、その中、カーシュは心配げにテーブルに手を付いた。
「……ロバート?」
「……、カーシュよ」
「……、うん」
「……、……すまん……」
項垂れて、か細い声で謝るロバートに、カーシュは顔をしかめた。
「……なに? ……どうしたの?」
「……」
「ロバート?」
段々不安になって身を乗り出し聞くが、ロバートは俯いたまま、何も言わない。
「……、カーシュ」
ブラッドは、戸惑うカーシュに真顔で目を向けた。
「お前は席を離れていろ」
カーシュは顔を上げてブラッドを見ると、焦るように首を振った。
「なんでっ? だってっ……、明らかに俺に関係ありそうなっ」
「だからだ」
ブラッドは遮り見返す。
「……ロバートも困惑している。……落ち着いたら後で教えてやるから、今は席を外すんだ」
カーシュは躊躇って目を泳がした。――だが、このままじゃあ話しは進みそうにない。ロバートが自分に気遣って何も言わないのは確かだ。
少し納得いかなげに、悲しげに目を落とすカーシュに、クレアはその手を握った。そして、目が合うと彼女はにっこりと笑う。
「ボクがお話し聞いててあげる。お散歩してなよ。なんなら、暴れ回っててもいいよ? ナナに怒られるだろうけどね」
カーシュはじっとクレアを見ていたが、間を置いて深く息を吐くと、顔を上げて項垂れているロバートを見た。
「……わかった。……俺は席を外すよ……」
そう告げてカーシュは視線を落とし、国務室をトボトボと歩いた。ドアを開けてそこを閉めると、警備の兵士たちに挨拶され、微妙な笑みを浮かべつつ「……ふう」と息を吐く。そして顔を上げると「……、よしっ」と足早に歩いた。
『なんなら、暴れ回っててもいいよ? ナナに怒られるだろうけどね』
――クレアの言葉に含まれていたもの、つまり、「ナナに会え」ということだ。
そう、彼女もウェルターの人間だ。裕福ではなかったが、自分より年上だし、何か話しを知っているかもしれない。
足早に歩いて、たまにすれ違う人に「国王側近のナナは知りませんかっ?」と訊く。そして、居場所を辿ってやって来たのは、国医たちが集まる療養所だ。城の一角、広く場所を取られたこの場所で、医者と看護婦たちだろう、多くの者が慌ただしく行き来している。その中をキョロキョロとして、ようやく、壁際で紙に目を通しているナナを見つけた。
「……ナナ!」
そう声をかけて駆け寄ると、彼女は顔を上げ、カーシュに気付いて紙を下ろした。
「どうしたの? ブラッド様たちは?」
「俺一人。それよりさ」
早口に答えてナナの腕を掴み、隅っこに引っ張って彼女を真顔で窺った。
「訊きたいことがあるんだ。子どもの頃のこと」
「……子どもの頃?」
訝しげに繰り返すナナに、カーシュは頷いて続けた。
「何か知らないかっ? ……俺のことっ。誰かに何か訊いてないっ? 父さんとかっ。……あっ、迷いの森のこととかっ。変な話しを聞いてなかったっ?」
次々に問うカーシュにナナは顔をしかめていたが、壁に少し背中を付け、天井を見上げて考え込んだ。
「……カーシュのことって言われても……」
「俺たちっ……ほら、よく迷いの森にも行ってたろ? 遊んじゃいけないって言われてたけど。……怖い人が出るって」
「ん、そうね。……お化けが出るって、言われていたわね」
「他に理由とか訊いてない?」
「他……」
じっと真顔で言葉を待つカーシュに、ナナは少し視線を斜め下に向けて切り出した。
「私がパパとママに言われていたのは、……悪いけど、あなたとは遊ぶなって言われていたわ」
「……。え?」
表情をなくすカーシュに、ナナは慌てて苦笑した。
「変な意味じゃないと思うわよ? ほら、あなたのお家はとても裕福だったし。身分が釣り合わないって事だと思う」
「……、う、うん……」
「迷いの森で遊んじゃいけないっていうのは……怖いお化けが出るってことしか聞いてないと思うわよ? 森の形が変わって、迷子になるのはお化けのせいだから、とか」
「……、俺のことは? ……どう?」
ソロッと窺うカーシュに、ナナは少し考え込み、どこか躊躇うように目を向けた。
「……あなたと遊んでいて、何度か……ギルフォイルさんに言われたことがあるわ。……無茶させないでくれって」
「……、無茶?」
「……知ってる? あなたのお母さん……とても病弱な人だったって」
「ああ……知ってるよ」
「あなたもね、お母さんと一緒でとても身体が弱いから、だから、無茶な遊びはさせないで欲しいって。そう言われたことが何度かあったわ。……あ、意地悪じゃなくてね、あなたを見張っていて欲しいって、そんな感じ。私、あなたより年上だったし。だから、そう言われたんだと思う」
「……、俺が病弱?」
「全然そういう風には見えないわよね」
訝しげなカーシュにナナは苦笑した。
「でも、そう言われたことが何度かあったのよ。だから、あなたが走ったりした時、すごく心配だった。あなたの傍から離れちゃいけないんだって。見張ってなくちゃって」
笑顔で答えるナナを見ていたカーシュは、少し視線を下に向けて困惑げに考え込んだ。
……病弱だなんて話し、今まで一度も聞いたことがなかった……。
「そういえば……」
ふと、何かを思い出してナナは嫌そうな顔で呟いた。
「あの迷いの森って、変な噂があったみたいね」
「……、噂?」
「あ、これは私たち……庶民の間の下品なうわさ話だから気にしないでね」
前もって、と言わんばかりに苦笑し、ナナは続ける。
「お金を持っている人たちが、お金を使って迷いの森で悪いことをしてるって。ウェルターのお金持ちは、貴金属を持って迷いの森に入っていって、悪いことをしているんだって。お化けにお金を渡して、お化けに踊りをさせて楽しんでるって」
馬鹿馬鹿しいわよね、と言わんばかりにナナは情けなく笑っていたが、どこか愕然と固まるカーシュに気付き、吹き出し笑って首を振った。
「いやね。子どもの頃のいたずらな話しよ。だいたい、お化けにお金を払って踊らせる、なんて……そんな馬鹿な話し、あるわけないじゃない」
「……、そう、だな……」
カーシュは躊躇いながらも視線を反らす。
ナナは苦笑気味に一息吐き、持っていた紙に目を移した。
「……それよりも。……状況がひどいわ……」
彼女の深刻そうな声に、カーシュはナナの手にある紙に目を移した。どうやら患者のリストのようだ。
「今朝、また一人亡くなったんだって」
「……」
「……原因がわからないから、もう、みんな、どうしたらいいのかわからなくて。……発症して、たった二日で亡くなったみたい……」
ナナは呟くように言って、行き来している国医たちを目で追った。
「……神頼みでもしたい気分よ……ホント」
そう言った彼女に、カーシュは目を見開いて顔を上げ、ナナの腕を掴んだ。
「迷いの森に! ……迷いの森に、何かっ……祭壇とかなかったっけっ?」
途中で声を潜めて聞くカーシュに、ナナは顔をしかめた。
「祭壇って……わからないけど、何か遺跡みたいものはあったわよ。ああ、お化けを踊らせた場所って聞いたけどね」
苦笑して答えるナナに、カーシュは彼女の腕を放し、困惑げに目を泳がせた。
……何か、ひとつにつながっている気がする。……自分のことにしても。
カーシュは「……どうしたの?」と首を傾げるナナに「……邪魔してごめん」と呟くように答え、その場を後にした。
トボトボと俯き歩く彼に誰かが挨拶をするが、その声も姿も、気にかけることはなかった。ただ、ぼんやりと歩き、そして、城を出て、庭園の方まで歩いていた。
花が咲き乱れているが、太陽に見放されてしまって、しおれている――。
その花びらを指で撫で、カーシュは目を細めた。
……不安な気持ちが消えない。……なんだか……怖い――。
クレアは、話しを終えて悲しげに俯くロバートを睨むように見つめた。
「……そんなふざけた話しがあるか」
怒りを堪えるように拳を握り、震える声でクレアは続けた。
「……ボクは、そんなの信じない。……信じないぞ」
「……、調べよう」
ブラッドは険しい表情で地図を見ていた目をジョージに向けた。
「患者のリストと、ロバートが知ってる“人間”を照らし合わせてみよう。……一致していれば……本当だ」
「そんなこと言ったらカーシュが!!」
クレアが愕然と目を見開いて悲しげに身を乗り出すと、ブラッドは彼女に首を振った。
「国医たちに急いで薬を作らせる。……あいつをこのままにはしない」
「……でもっ……。お薬……効かないって……」
段々と不安げに俯き、次第に目に一杯の涙を浮かべ出す、そんなクレアにジョージは近寄って頭を撫で、腰を下ろして彼女を抱き寄せた。
「……大丈夫です。カーシュは弱い男ではありません。……クレア様を一人にはしませんから……」
クレアはポロポロと涙をこぼしてジョージの首にしがみつき、声を殺してすすり泣く。
ブラッドは気を鎮めるように深く息を吐くと、ただ悲しげに俯いているロバートに目を戻した。
「……カーシュを呼んでくる」
「……、あやつもなんらかに気付いておるだろう。……だが、そう簡単に諦めるヤツではない。……わたしは、そこに賭けてみたい。……だが……話しをしても大丈夫だろうか」
「……あいつは、そんなに柔なヤツじゃない」
「……、意地悪ババァを呼んだらっ?」
ジョージの首に腕を巻いたまま、クレアがすがるような泣き顔を上げた。
「意地悪ババァだったらどうにかなるかもしれない!」
「……冥界の王を呼ぶというのがどういうことか、わかってるだろ」
「……、わかってるよ」
呆れ気味に目を細めるブラッドに、クレアは顔を歪めて息を吸い込んだ。
「ボクが連れて行かれるならそれでいいっ。……カーシュを助けるためなら、ボク、なんだってするっ」
「馬鹿なことを言うな」
ブラッドは真顔で首を振った。
「冥界の扉は、絶対に開けさせない。……とにかく、この件は少し、俺に考えさせてくれ。……クレア、お前は余計な心配はするな。……ジョージ、傍にいてやってくれ」
ジョージは頷いたが、間を置いて問いかけた。
「……何か得策でも?」
ブラッドは少し考え込んだが、しかし、すぐに真顔で首を振った。
「俺にも何ができるかはわからない。……でも、このままにはしない」
「……わかりました」
頷いたジョージから、彼の傍でまだ息を詰まらせているクレアに目を向けた。
「……いつまでもメソメソするな。もしもの時は、お前があいつを支えなくちゃいけないんだぞ。お前がそんな弱気でどうするんだ」
吐息混じりに注意され、クレアはキョトンとし、グッと腕で涙を拭って涙を耐えた。必死に強がって口を一文字に結ぶクレアにブラッドは苦笑し、「ちょっと待っててくれ」と国務室を出て、敬礼をする警備兵たちに目を向けた。
「カーシュを探して、自室に呼んでくれないか」
「かしこまりました」
兵士が一人、すぐに足早に立ち去ると、ブラッドはそのまま自室へと向かいつつ、すれ違う誰かに挨拶をされながら、考え込んだ。
――事態は深刻かもしれない。“あの男”の呪いが消えていないのか、それとも、ロバートの言う邪教の呪いがそもそもの原因なのか。いずれにせよ、“あの声”が夢でないなら、今頃……。
ブラッドは、歩き保って視線を落とした。
ベルナーガスも、そしてフェルナゼクスも護るんだと、そう決めて立ち向かった。――力不足だったということか。
……フェルナゼクスの時間経過は、こちらと比べてかなり遅かった。……今の今まで、彼らが必死に戦っていたというのなら――
ブラッドは悔しげにグッと拳を握った。
この四年間、……俺は何してたんだ……。
確かめる術が断ち切られていたからとはいえ、後悔が押し寄せる。
どうにかしなければいけない。ベルナーガスとフェルナゼクス、その両方を行き来した自分がどうにかしなければ――
自室に入ると、広い室内、隣りの部屋に通じるドアに真っ直ぐ向かってそこを開けた。
なんの飾りも施されていない、狭い部屋。壁一面に張られた窓ガラスの前にポツンと、大きめの宝飾箱が蓋を閉じた格好で置いてある。一見見違えば、まるで王族の棺桶のようだ。
ブラッドはそこに近寄ると、足を止めてじっと見下ろした。
……自分が“持っている扉”は、恐らく、ベルナーガスとフェルナゼクスの二つ。……確認する術は、一つ――。
ブラッドは睨むように見つめていたが、意を決して、洋服の間から鍵を取り出し箱の鍵穴に差し込んで回した。カチッ、と、微かな金属音が聞こえ、鍵をそのままにグッと腕に力を入れて蓋を押し上げ、開け放たれたそこに目を向けた。
「……」
ブラッドは訝しげに眉を寄せると、目を見開き、箱の中身に向けてすぐに身を乗り出した。
愕然と見回すその目の向こうには、何もない。箱の中身が空っぽだ。
……そんなっ……。なんで!!
ここに、フェルナゼクスから持ってきたものを封じていた。着ていた洋服類やアシルナ、剣、ありとあらゆるものを。肌身離さず持っていれば、繋がりが常にでき、いつ扉を開ける切っかけを作ってしまうかわからなかったからだ。用心のため、封じていたのだが……、しかし、何も入っていない。
ブラッドは、焦りを露わに箱の中をペタペタと手で触って、確かめるように探した。
この箱の鍵は自分しか持っていない。部屋の前には常に見張りが立っている。誰かが運ぶ出すのは不可能だ。
確かにこの中にすべてを入れておいた。それがなくなってしまった、消えてしまった、ということは、つまり――
……まさか……。
ブラッドは愕然とした表情で背中を丸め、箱の縁に両手を付いて項垂れた。
『……目安になるでしょう? ……私が生きている間は、フェルナゼクスは無事です』
……まさか……、そんな……。
目を泳がし困惑していたが、ハッとした。
ヴィアイドは? ……あの花はどうだ?
「……、ブラッド?」
背後から声をかけられ、ブラッドはようやく気配に気付いた。
兵士に見つけられて呼ばれたカーシュは、部屋をノックしても出てこないブラッドを心配して許可無く入ってくると、少し離れた背後から訝しげに覗き込んだ。
「……どうした? ……ノックしても出ないから。……大丈夫か?」
心配げに問いかけるカーシュに、ブラッドは深く息を吐いて箱から手を離し、ゆっくりと背を伸ばして顔を上げた。――その時、ちょうど対面のガラス窓に自分が映った。それは当然だが、大きく目を見開く自分自身の姿の横に、いつか見たことのあるものが……。
ブラッドは息を詰まらせ、焦るように、驚きを隠せないままバッ! と振り返った。まるで怖いものと遭遇してしまったかのような、恐れ振り返ったブラッドにカーシュも少し驚き身動ぐと、戸惑いを露わに一歩後退し、自分の背後に何かいるのか? と言わんばかりに振り返って確認してブラッドに目を戻した。
「な、なんだよ? どうした? 後ろに何かいたのか?」
「……、お、……お前……」
ブラッドは愕然とした表情で唇を震わし、カーシュを凝視している。状況が理解できず、カーシュは顔をしかめたままでまた後ろを振り返り、何もいないことを確認してから首を傾げてブラッドを窺った。
「……なに? ……なにかあったのか?」
問われるが、ブラッドは息を震わせて目を見開いている。
訳がわからず、カーシュは訝しげな顔でため息を吐いた。
「……兵士に呼ばれてきたんだ。……特に用がないなら、俺……、もう帰るよ。いいだろ? ……なんか、疲れたし」
「……どういう……ことだ……」
「……、はぁ?」
震える声にカーシュは更に顔をしかめ、躊躇いを露わにうろたえるブラッドに一息吐いた。
「訳がわかんないって。……ロバートとの話しは終わったのか? ……何を言ってた?」
「……、ちょっと来い!!」
ブラッドはいきなり走り出し、すれ違いざまにカーシュの腕を掴んで引っ張った。カーシュは引っ張られるまま、抵抗することなく、それでも「お、おいっ……」と、戸惑った。
「ど、どうしたんだよっ、ブラッドっ……」
「……っ」
ブラッドは焦りながら、誰かとすれ違っても見向きしないまま王間へと走って、「開けろ!!」と、怒鳴るように見張りをしていた兵士に告げ、彼らが慌ててドアを開けるとその中にすぐに駆け込んだ。
「……、どうしたんだ、これ……」
息を切らしながら、カーシュは腕を放したブラッドの傍、腰を下ろした。目の前には、茶色くしおれたヴィアイドたちの姿がある。
カーシュは訝しげに眉間にしわを寄せ、床に倒れているヴィアイドを掬うように指に乗せて上げた。
「……なんで。……こんなにひどいことになっていたのか?」
不安げにブラッドを見上げて問うと、彼は険しい顔でじっとカーシュを見ている。まるで敵視するような目に、カーシュは顔をしかめた。
「……ブラッド?」
「……、教えてくれ」
「……何を?」
「……お前は……なんなんだ……」
険しい表情で、けれどどこか焦るような、戸惑うようなブラッドに、カーシュは顔をしかめてままで首を傾げて腰を上げた。
「だから、わかるように話してくれ。お前が何を言いたいのか、全然わからないぞ」
「……俺、……お前に会ったんだ」
「……、ああ。まあ、……そりゃ」
当然、と言わんばかりに曖昧な返事をするカーシュに、ブラッドは大きく首を振り、身を乗り出して彼の腕を掴んだ。
「違う! 俺は、フェルナゼクスでお前に会ったんだ!!」
目を見開き、戸惑いを露わに告げるブラッドに、カーシュはまた顔をしかめた。
「何言ってるんだよ? 俺がフェルナゼクスにいるわけがないだろ?」
「……違う。……そうじゃない……」
ブラッドは困惑げに小さく首を振り、カーシュを腕を掴んだまま背中を丸めて項垂れた。
「……お前を見たんだ……。……お前が……。……お前だったんだ……」
カーシュはやはり訝しげな顔をしていたが、突然、肩にズキッと痛みを感じ、「いっ……」と声を漏らして顔を歪めた。ブラッドはその震えを感じて腕を放し、顔を上げ、右肩を押さえるカーシュを焦るように窺った。
「どうしたっ?」
「……お前が腕を強く引っ張るから、肩の関節が痛くなったんだよ」
カーシュは不愉快そうに目を据わらせ、普通に、自然に戸惑うブラッドを見てため息を吐いた。
「なあ、どうしたんだよ? ……ちゃんと話してくれないとわからないだろ?」
右肩を撫でながら、どこか宥めるように、落ち着いた声で語りかけるカーシュに、ブラッドは間を置いて寂しげに目を細めた。
「……俺にも、わからないんだ」
呟くように答えて俯くブラッドに、カーシュは間を置いて肩から手を離し、苦笑した。
「じゃあ……落ち着いて、最初から整理してみたらいい。焦らなくていいからさ。……俺も力になるから」
な? と、優しい笑みを浮かべて相槌を問うカーシュに、ブラッドを視線を落とし、考え込んだ。
……窓ガラスに映った時に見たあれは、間違いなく、フェルナゼクスの、大魔女のところにあった宝玉で見たあの“男”だ。よくよくカーシュを見てみれば、確かにその面影はある。……ということは、もし、大魔女が言っていたことが本当なら、フェルナゼクスとベルナーガスを襲った呪い、前国王を乗っ取ったのは、カーシュだと言うことになる。そして、カラナになったのは――
そう考えて、ブラッドは少し目を見開いた。
「……そうか。……だからあの時……俺のことを助けてくれたのか……」
ブラッドは悲しげに眉を寄せて呟いた。
そう、一人大魔女の所を飛び出して、アンデッドたちに立ち向かった時、カラナが助けてくれた。いつも襲いかかってきていたはずのカラナが……。いや、待て。……襲いかかってきていたのか? ……もしかしたら、フェルナゼクスに飛ばされた時、助けるつもりで巻き付いてきたんじゃ? ……湖に行くと食ってかかってきたのは、何かを訴えるつもりだったんじゃ――。
ブラッドは戸惑いながら、じっと待っているだけのカーシュを、そっと見つめた。
「……もし、……もしお前が……すべてが嫌になるなら……何を切っかけに嫌になる……?」
小さく問いかけるブラッドに、カーシュは間を置いて答えた。
「そりゃ……、今は、クレアに何かあった時かな……」
「……」
ブラッドはゆっくりと視線を落とし、それに合わせて俯いた。
――そうか。……そういうことなのか……。
「……ブラッド?」
不安げにカーシュが顔を覗き込むと、ブラッドは深く息を吐いて顔を上げた。
「……話しをしよう。……クレアたちの所へ……」
そう言って、力なくぼんやりと歩いていくブラッドに、カーシュは顔をしかめ、後を追おうとしてヴィアイドを見下ろした。……今にも黒く変色してしまいそうだ。少し後ろ髪引かれる思いで、カーシュはおとなしくブラッドの後を付いた。
「……カーシュ!!」
国務室へ来ると、床に座って俯いていたクレアがすぐにカーシュに駆け寄って抱きついた。カーシュはクレアに飛び付かれて思わず後退しながらも抱き留め、胸に顔を埋めるクレアの頭を見下ろした。
「……クレア? どうした?」
訝しげに問うと、クレアは何も答えずにギュッと抱く腕に力を入れる。
ブラッドは室内にいるみんなを見回した。すでに、ピートとホリーとクラウディア、そしてスコットとティモ、そしてナナがいる。
「迷いの森に変な噂があるって聞いて。そんなところにクラウディアを生活させるわけにはいかないでしょう? だから、早々に逃げてきました」
ぐっすりと眠っているクラウディアを腕に抱いて、ため息混じりにホリーが言い終わると、スコットは真顔でブラッドに告げた。
「ロバートに頼まれていた出生記録をティモと探して、見つけました。それを届けに来たんですがね……」
「予想通り、……わたしが知っている者たち、……、やはり、病に苦しんでいるようです」
ロバートが続くと、ブラッドは「……そうか」と小さく答え、机に向かうと、紙に何かを書き記し、それを持っていったん部屋を出て外にいる兵士に「……これと同じ物がどこかにないか、大至急調べてくれ」と頼んでドアを閉めた。そして、戸惑うカーシュの傍に近寄る。
ブラッドは間を置いて、クレアにしがみつかれたまま身動きができず、みんなを窺うだけのカーシュを振り返った。
「……、カーシュ」
「……なんだよ?」
「……覚えていないかもしれないけど、……お前は一度、死んだらしい」
真顔で告げられたカーシュは表情を消した。最初に話しを聞いていなかったピートたちも。身体を抱きしめているクレアの腕が、ピクッと震えたのはわかった――。
「お前の母親が病弱だった、というのは……お前も知っているんだな? ……お前は、生まれて間もなく……死んだんだ」
「……」
「ギルフォイルは、お前をなんとか助けようと……迷いの森にいた邪教たちに救いを求めた。……生き返らせるように。……そして、お前は息を吹き返した」
「……」
「さっきの話しで……裕福な若者を中心に、病気が広まっていると言ったな。……当時、飢餓に直面していたベルナーガスでは、生まれたての子どもたちの多くが病気に苛まれ、命を落とした。子どもの命を救おうと、富豪の親は、邪教にすがりついたんだ。……その時に助かった子どもたちが今、病気にかかっている。つまり……お前も、その一人だ」
カーシュは、無表情でじっと耳を傾けている。
ブラッドは目を逸らすことなく真顔で言葉を続けた。
「まだ確定した訳じゃない。けれど……、ロバートの記憶にある、病から逃れられた子どもたちが、今、病魔に襲われていると結果が出た」
カーシュはゆっくりと、表情無くロバートを見た。
ロバートは、カーシュと目を見合わせ、悲しげに首を振った。
「……アリアの血を受け継いだお前は……普通の子どもよりも小さくて。おそらく、アリア自身、お前を身籠もっている程の体力はなかったのだろう。……お前を産んですぐに息絶え、そして生まれたお前も、また、元気ではなかった」
「……」
「……ギルフォイルは愚かな男だったが、アリアに対する気持ちだけは真っ直ぐで、……本当に愛しておったんだ。……そのアリアが残したお前を、アリアとの繋がりであるお前を失うのが耐えられんかったんだろう」
ロバートは悲しげに目を細めて首を振る。
「……富豪たちが寄って集って迷いの森に子どもを連れて行き、喜んで帰ってきた。……アリアを亡くしたばかりだったギルフォイルも、また、同じように、お前を失いたくないがために、森へとお前を抱いて走っていった……」
カーシュはゆっくりと視線を落とした。
「……わしは止めた。……もしもそれで子どもが生き延びたとしても、将来、恐ろしいことにならぬのか、と。……ギルフォイルは聞く耳を持たなかった。そして、迷いの森から帰ってきたお前は……とても心地よさそうに、ギルフォイルの腕の中で眠っていた」
「……」
「……わしは聞いた。……金だけで済んだのか、と。……ギルフォイルは答えなかった。ただ……こう言った。きっと、この子が大きくなった時には医療も発達している。いい薬も開発される。……だから問題はない、と。……しかし、お前も知っての通り、その後、ベルナーガスは前国王によって暗黒の時代を迎え、医療の発展はおろか、薬の開発も、知識を付けることもままならぬ状況になった。……そして、今を迎えた」
「……」
「当時、邪教たちがどのようにして病気を患った子どもたちに生を与えたのかはわからん。……だが、間違いなく……邪教によって救われた命が、今、脅かされている……」
ロバートはそう言って、視線を落とした。
「……生まれてすぐ、お前を死なすにはあまりにも不憫だとは思った。……アリアのことは、わしもよく知っていたからな。……あの子の分まで、お前には生きて欲しかった。……だが、……失われるべき命を、恐ろしい儀式で保っていいのか。……わしは、悩んだ。……だが、ギルフォイルは邪教へ頼る道を選んだ。……その気持ちは理解できた。……わしも、未来に賭けたんだ。……お前が生きていくだろう事を願って」
「カーシュは生きてるよ!!」
クレアがカーシュにしがみついたままで怒鳴った。
「こうして生きてるじゃないか!! ……それでいいじゃないか!!」
声を震わせ、息を詰まらせる。そのまま小さく声を上げて泣き出したクレアに、カーシュは視線を落とし、一つ大きく深呼吸をすると、軽く背中を丸めて彼女の背中を撫でた。
「……大丈夫だ、クレア」
「……っ……うっ……」
「俺、悪あがきだけは得意だから。……今までだって、何度も危ないところを助かってるんだから。……だから、……今度も大丈夫だから」
優しく言い聞かせても、クレアはしがみついたまま、胸に顔を埋めたままですすり泣いているだけ。
ナナは戸惑うように目を泳がし、同じように困惑しているティモを見た。
「……何か知ってた?」
「……、いや。……俺も子どもだったからな。……ただ、金持ち連中が、お化けを踊らせているって話しくらいしか……」
「……私と同じね……」
ナナはため息を吐いて、クレアの背中を撫でるカーシュを見て悲しげに俯いた。
「……、でもよっ」
ピートは焦るように身を乗り出してみんなを窺った。
「カーシュはまだ発症してねえんだろっ? そうなんだろっ?」
ジョージが小さく頷くと、ピートはなんとか笑顔を取り繕う。
「じゃあっ、早く薬を作らせようぜっ! 患者はたくさんいるんだ! 手当たり次第、投薬してみるとかして!」
「弱り切っている人に迂闊に薬を与えたら、それこそ、致命傷になるとも限らないでしょ」
と、スコットが目を据わらせて腕を組む。
「それに、ほとんどの治療薬は試しています。……効果があれば、すでに現れていますよ」
「……、それを言ったら、……お前……」
ピートが躊躇いを露わにすると、「大丈夫ですよ」と、カーシュはクレアの背中を撫でながらなんとか笑みをこぼした。
「黒点はまだ出てないし……。ひょっとしたら……俺は大丈夫かもしれないし。そうと決まった訳じゃないから」
「……ねえ、ちょっと」
眠っているクラウディアを起こさないように耳を傾けていたホリーが、ふと、思い出したように訝しげに眉を寄せた。
「……一度死んだカーシュが生き返ってここにいる、ってことは……、それって……クレアの時と同じで、扉が繋がってるって事じゃないの?」
戸惑うような彼女の声に、目を見開いたカーシュへとみんなの目が向いた。
「そんなのどうでもいい!!」
クレアが大声で怒鳴った。
「そんなのなんだっていい!! カーシュはここにいる!! ここにいるんだから!! ずっといるんだから!!」
泣きながらも懸命になって怒鳴るクレアに、みんなはどうにもできず、目を見合わせる。
カーシュは虚ろな目で俯き、目を細めた。
……確かに、ホリーの言うとおりだ。死んだはずの者が生きている、と言うことは、それは、以前のクレアと同じ事――。
ブラッドは、「失礼します」と、ドアが開いたのに気が付き、そこに近寄った。そして、兵士と一言二言話しをして、艶やかに光る布に包まれた何かを受け取りじっとしていたが、ドアを閉め、ゆっくりとみんなを見た。
「……カーシュについては、それだけじゃない」
クレア以外のみんなからの視線を浴びながら、ブラッドは真顔で布に包まれた何かを両手で持ち、彼らを見回した。
「……これでわかった。……すべてが繋がった」
「……、なにがですか?」
ナナが訝しげに問うと、ブラッドは持っていたものから布を巻き取り、姿を露わにした。
「……、それは――」
綺麗に宝飾を施された剣だ。ピートはそれを見て顔をしかめた。
「ブラッド様がフェルナゼクスから持ってきた剣、ですか? それが何か?」
「……違う。これは……ここにあったものだ」
「……、は?」
ピートが訝しげに眉を寄せると、ブラッドは目を細めて剣を見つめた。
「……宝物庫にあったらしい」
「……そこに仕舞われていたんですか?」
「いいや」
ブラッドは、その剣を腰に携え、みんなを見回し、少し眉を寄せているカーシュを見た。
「……フェルナゼクスから持ってきたものは、いつの間にか、すべて消え去っていた。……そして、フェルナゼクスで受け取ったはずの剣が……ここにあった。……俺はその時に聞いた。……この剣は、フェルナゼクスの前の時代で、使われていたんだと」
「……」
「ベルナーガスは、フェルナゼクスの過去だ。……フェルナゼクスは、ベルナーガスの未来だ。……俺はその未来に行き、そこで……お前に会った」
カーシュに軽く顎をしゃくるブラッドに、みんな、訳がわからずに突っ立っていた。カーシュ自身も、やはり訳がわからずに戸惑っている。
ブラッドは少し歩いて、身近な壁に背もたれて腕を組んだ。
「……みんなには、詳しく話しをしたことがなかったな。……俺がフェルナゼクスにいた時、……フェルナゼクスは何者かの呪いによって崩壊の道を辿っていたんだ」
真顔で話すブラッドに、みんなが聞き耳を立てた。
「知っての通り、フェルナゼクスではみんなが不思議な力を使えた。ギーナレスって力だ。それが、突然使えなくなった。……ギーナレスに頼っていたみんなは……生きていけない。何もできない。そこで、ギーナレスなんて元々使えず動いていた俺が頼りにされた。……フェルナゼクスを救って欲しい、って。フェルナゼクスを呪うヤツを止めて欲しいって。……俺は、セスと一緒に呪いの元凶を探した。……時代を遡って。その時は気付かなかったけど……、その時俺が訪れたのは、ベルナーガスだったんだ。そして……、カーシュ、俺はお前を見た」
カーシュは戸惑いを露わにしつつ目を逸らし、何も言えずにいる。そんな彼をじっと見てブラッドは続けた。
「フェルナゼクスには、伝説があった。……遠い昔、いろんな災いに襲われていた国に困り果てた人たちは、一番のギーナレスを持った少女になんとかできないものかと相談した。少女は国の将来を案じて、自らの意志で神の化身、カラナとして生まれ変わり、その魂を四散した。四方に聖なる湖を作って水神カラナとなり、国民のため、その身を犠牲にしてくれた。それから、国は平穏を取り戻した。……けど、この話しは表向きの話しで、実際は違った。……不運が続いていた国で、人がすがりついたのは……、生け贄」
その言葉にロバートは目を見開く。
「俺はその光景を見た。……森の中、儀式が行われたのを」
ブラッドは少し視線を反らし、また真っ直ぐな目で俯くカーシュを見た。
「災いの度に生け贄を捧げた。そして……最後に、何かしらの力を持った少女を生け贄にした。……少女は、自らの意思で生け贄になったわけじゃない。……少女の身体は刻まれ、大地に捧げられ、それから、災いは消えた。……そして、フェルナゼクスは誕生したんだ」
「……」
「その時、少女には愛する男がいた。……少女を殺された男は世界に呪いをかけた。……呪いを信じるのならば、自らがその者となり、いずれ大きな災いをこの大地に注ぎ、生きる者すべての命を絶やしてみせる。自らが災いとなって大地を焦がす。……そう言って、男は少女の後を追い、命を絶ったらしい。……その男が、ベルナーガスで前国王の身体を乗っ取った張本人だ。……そして、……それが、お前だ」
カーシュは目を見開いた。
「ち、ちょっと待ってください!」
スコットが焦るように身を乗り出した。
「それじゃあっ……つまりっ……クレア様が生け贄にされる、ということですかっ?」
ブラッドはスコットを振り返ると、悲しげに頷いた。
「……俺は、その光景も見た。……よく顔立ちは見えなかった。……でも……」
カーシュの腕の中、じっとしてるクレアの後ろ姿を目を細めて見つめた。
「……今の、キミだったんだ……」
「……じゃあ……」
ナナはオロオロと、困惑げに目を泳がせる。
「この、今の災いを収めるためにクレアちゃんが犠牲になって……、怒ったカーシュが……ベルナーガスを呪って、……それが……ブラッド様がいたフェルナゼクスに続いていた、と、いうことです、か……?」
「……信じられん……」
ピートが唖然とした表情で呟いた。
「……そりゃ……現実離れしたことが起こっていたが……、でも……、その、フェルナゼクスがベルナーガスの未来だなんて」
「……俺は、フェルナゼクスで、呪いの元凶を探して過去を旅した」
ブラッドはそう答えて、少し愕然とした表情で床を見つめてじっとしているカーシュを見た。
「……ジェラールとジュリアを知っているか?」
その問いかけにカーシュは大きく目を見開いた。彼だけじゃない。ロバートとティモと、ナナも。
「……ジュリアが殺された後、……お前は森でジェラールと話しをしたはずだ。……ジェラールは、街を離れると言った。でも……離れることはできず、彼は殺された。……違うか?」
カーシュは目を見開いたままで口を閉じている。
「どうして……そんなことを……」
ティモが戸惑いを露わに辛うじて訊くと、ブラッドは首を振った。
「……呪いの元凶を探すために過去を旅して、見たんだ。……最初俺は、呪いの元凶がジェラールだと思った。……ジュリアを亡くした、彼の思いが呪いの力になったんだって。……でも、違った」
ブラッドは少し視線を落とした。
「……呪いの元凶を見つけて、なんとか説得し、フェルナゼクスを救おうと思った。でも、元凶を探し出すことができないまま。……フェルナゼクスが崩れる前に、俺の面倒を見てくれていたみんなは、最後の力で俺をベルナーガスに返そうとしてくれた。……俺はフェルナゼクスの人間じゃないから、俺まで巻き添えを食らうことはない、って。……ベルナーガスへの道を探して、見つけてくれた時に……、こっちがやばいことになってるって、初めて知ったんだ。……そして、仮説を立てた。……俺が行き来した、繋がっている二つの世界。フェルナゼクスでの災いと、ベルナーガスの災いは同じなんじゃないか、って。……フェルナゼクスは、もう、手の打ちようがなかった。でも、ベルナーガスには、前国王の身体を乗っ取っている元凶がまだいる。……ベルナーガスで、前国王を倒せば、ベルナーガスは救われる。元凶を倒すことで、フェルナゼクスの呪いも解ける。……俺は、それに賭けてベルナーガスに戻ってきた」
ブラッドは顔を上げて言葉を続けた。
「……前国王を倒し、これで終わったと思った。……クレアも戻ってきて、もう、これで本当にすべてが元に戻ったんだ、って。……フェルナゼクスも、きっと、崩壊を免れただろう、って……」
ブラッドはどこか遠くを見つめ、またゆっくりと視線を落とした。
「……クレア、……この前、母さんの声が聞こえた、と言ったな。……、俺はその前に……セスの声を聞いた」
みんなの目が見開かれた。
「……フェルナゼクスの崩壊は、続いている、と。……止めることはできない、と。……ベルナーガスでも、注意をしろ、と」
ジョージは目を細めた。
「……あの時ですか? ……手を怪我された……」
「……ああ。……ただの夢なのか、なんなのか、俺にもわからなかった。……確認しようがない。……確認しようと思えば……その方法は一つしかないからな」
「……、扉を開けて、フェルナゼクスを訪れるしか……」
「……そうだ」
ブラッドは真顔でジョージに頷いた。
「……迷っていた。扉を開けることは許されない。でも、ロバートの話しを聞いて……決心した。……今一度、フェルナゼクスに行こう、って」
「……」
「そのための繋がり、……フェルナゼクスから持ってきたものを身につければ、きっと、誰かが感付いて、俺を呼んでくれるって思った。だから、……フェルナゼクスから持ってきたものを確認したけど……消えていた。……なくなっていた……」
視線を落として俯くブラッドに、「……まさか」とホリーが悲しげに目を見開いた。
「……もう、フェルナゼクスは……――」
ブラッドは何も答えない。しかし、間を置いて顔を上げた。
「……確かめることはできない。でも、……俺たちには、今がある」
そう言って、壁から背を離してまっすぐ立った。
「俺が見た過去がそのまま繰り返されるなら……、このまま行けば間違いなく、ベルナーガスの災いを収めるため、……クレアは何者かに連れ去られて、犠牲になる。……そして、……カーシュが大地に呪いをかける。……その呪いは、遠い未来、……フェルナゼクスに襲いかかる」
そう言って、ブラッドは真顔で腕を組んだ。
「けれど、まだわからないことがあるんだ」
「……なんですか?」
ジョージが問うと、ブラッドは目を細めて俯くカーシュに目を向けた。
「……クレアを失ったからと、本当に呪いをかけるようなヤツなのか、お前は。……それに、何故、前国王の身体を乗っ取る必要があったのか……。しかも、つまり、お前は過去に遡ってまで事を起こしてる、って事だ。そうまでして何がしたかったんだ? ベルナーガス事、すべてを消し去ろうとしたかったのか? そういう呪いだったのか? ……俺には、そこがわからないんだ」
カーシュはじっと黙している。
ブラッドは「……ただ」と、視線を斜め下に置いて考え込んだ。
「……引っかかることがある。……俺は、まだ何かを見落としてるような気もするんだ。……でも、それを追求している時間はないかもしれない。だから」
ブラッドはジョージたちを見回した。
「……恐らく、クレアを犠牲にしようと企てるものがあるとすれば、邪教によるものだろう。……そいつらの存在を調べるんだ。そして、絶対にクレアから目を離すな。……カーシュからも」
ブラッドは深刻な顔を上げているカーシュに目を戻した。
「お前は、ただの人間だ。……呪いをかけるほどの力があるとは思えない。……お前に力添えするものがあるとしたら……それは、この世界の人間じゃないだろう」
「……」
「お前が一度死んだとするなら……冥界の者。そう考えてもいいはずだ」
クレアは「グスッ」と鼻をすすると、カーシュにしがみついたまますがるようにブラッドを振り返った。
「とにかく、……お前たちは決して一人にはなるな。……お前らの行動一つで、世界が変わるぞ」
睨むように告げるブラッドに、カーシュもクレアも、ただ戸惑うだけだった――。