episode1-2
一曲目のダンスが終わると、ライオネルは周囲を気にするように見回した。
「なに?」
「いやぁ……」
歯切れの悪い返事に、セシリアは眉を潜める。でも、気になったものを見過ごせるセシリアではない。ずいっと、身を寄せてライオネルを睨みつける。
「言いなさいよ」
「……」
「ライオネル」
フロアーではすぐに二曲目の曲がはじまる。立ったまま動かない二人に回りが怪訝な目を向け始めた。痺れを切らしたセシリアは、そのまま、ぐいとライオネルの衣装の裾を引き、部屋の隅へ連れ出してしまった。
「シシィは、相変わらず強引だ」
苦笑したライオネルをセシリアは睨めつける。
「言わないライオネルが悪いの。で?何なの?」
「仕事だよ」
「作家の?貿易の?」
カントリーハウスに引きこもっていた頃からの数少ない友人のライオネルは、紀行作家として各地を旅する生活を送っている。父親同士が貿易商人仲間で子どもの頃からの家族ぐるみでの付き合いだった。貿易商人であるベイツ家の船に乗船することもあり、深い付き合いをしているのだが、その人当たりの良い外見に反して得体の知れない部分を持っている。
へらりと笑うその顔が胡散臭いのだ、とセシリアは思う。
「物書きの方だよ。次の地域が少しやっかいでね。その手引きをしてもらいたいんだ」
「誰に?」
「誰って――」
ライオネルが口を開きかけた瞬間、背後で賑やかな声が上がった。
「ルカスとお会いになられたの!!」
飛び出した語句に思わず振り返ってしまう。先には数人の淑女たちと一人の男の一団があった。
「おや?私の活躍話よりもルカスにご興味がおありですか?」
「もちろんあなたのご活躍にも興味はありましてよ。でも、ルカスのお話も伺いたいわ」
賑やかな室内でも一際大きな声で話す一団の会話は簡単に聞き取れた。
「私がこれほどご婦人方の心を動かすことに苦労しているというのに、まったくルカスはこうも容易くあなた方の心を攫ってしまうのですね!本当に彼の所業と同じだ!」
大袈裟なリアクションを取る背中が人影の間に見えた。
「だって彼は美しいもの」
「おや?彼を見たことがおありで?」
「いいえ、でもそうだと決まってますわ」
「ええ、屋根を舞う燕尾服を着た星色の髪の紳士で、お困りのご婦人の下へ現れるの」
「満月の夜に願い事をすれば、星月夜に彼がそれを叶えてくれるのよ」
素敵よね、と口々に賞賛の言葉を並べる彼女たちに、男はまいったと大袈裟に片手をその額に当てて天を仰いでみせた。
「はぁ……ここにも奴の被害者がいたとは。警察隊はなにをしているのだろうか!奴は犯罪者です。上流階級ばかりを狙った怪盗ですよ。あなた方も被害者の話を聞いたことがあるでしょう?」
「もちろんよ。去年の新月の晩に侵入を許したメイソン伯爵は懐中時計のコレクションを奪われたらしいわよ」
「私は、オルコット家のコインコレクションを」
「まぁ、私はバグ家のランプの話を知っているわ」
口々に話題を提供しようと躍起になる彼女たちを男は差し出した両手でなだめ、そして違った問いを投げかけた。
「それでは、彼に助けられたご婦人の話はありましたか?」
聞かれた貴婦人たちは首を捻りながら口を開いた。
「そうね」
「ないわ」
「私もなくってよ」
「ほら、奴がご婦人を助けた例などないのです!」
「……でも、ルカスは」
「そもそも、本来ルカスは月夜に現れるカラスの意味から付けられた名です。それがなぜか昨年から新月に現れるようになったのです。おかしいと思いませんか?」
「え?」
「彼は本当にルカスなのでしょうか。月夜のルカスが消えて……彼の威を借った偽者なのでは、と思いませんか?」
そんな――と淑女たちは悲しげに言葉を失くす。
「なぁに、あれ?」
ルカスの話題に、つい耳が拾ってしまったが、ルカスを否定する内容に眉をしかめた。
――何にも知らないのに、好き放題言って――
「・・・・・・」
なぜかライオネルはセシリアの言葉には答えず、じっと一団を見つめていた。
それにしても、とセシリアは考え込んでしまう。
ルカスに会ったというやけに事情に詳しい男。
じっとどこか見覚えがあるその後ろ姿を見つめていたところ、不意に振り返った男と視線が瞬間交わった。ぱっと視線を逸らす。
それだけで十分だった。
目が覚めるようなスカイブルーの瞳は忘れようもない。
「いた」
押し黙っていたライオネルがタイミングよく口を開いた。
「ライオネル?」
呟きに、首を傾げれば柔らかな笑顔が返ってくる。
「シシィ。ちょっとあそこに行ってきてよ」
笑顔でライオネルが示したのは、例の男がいる集団。
「はぁ!?嫌よ!!」
一体何を言い出すのか。すぐさま拒否する。
「即答だねぇ。でも、僕は行って欲しいんだよ。・・・・・・ほら、君のところにこのあいだ持っていったよね、アレ。結構手に入れるの大変だったんだよねー」
「そ、それを今持ち出すの!」
諸国を旅するライオネルは珍しい品を見つける目も肥えている。それに、商人でもなかなか手に入れにくいものでも、なぜかライオネルに頼めばすんなりと入手してくるのだ。
アレは確かに役に立った……。
ライオネルはただ微笑んでいる。やっぱり、この笑顔が曲者なのだ。どんな秘境でもこの胡散臭い笑顔ひとつで渡っているに違いない。
と、いっても簡単に負けてしまうほどセシリアも素直な性格ではない。
「でも別に、私はお願いなんてしてないわよ。あればいいなーって呟いてたら、あなたが勝手に持ってきたのよ。それに、あなたも面白がっていたでしょう?もくもくと煙を吹かせる小枝の話を聞いて」
一瞬、驚きにライオネルの瞳が大きくなる。そして、また微笑んだ。お互いに微笑み合う二人なのに、不穏な空気がその間には漂う。
「セシリアさま」
おずおずとした声にセシリアが振り返るとマリーが立っていた。
「マ――」
「マリーじゃないか!?そうだよ、シシィがいるなら君もいるに決まっているな!いや、僕としたことが大切なことを失念していたよ!どうだい、元気に……いって!」
ライオネルの足をセシリアが踏みつける。細いヒールの攻撃がよほど痛かったのか、ライオネルは眼にうっすらと涙を浮かべて恨みがましくセシリアを見た。
「ライオネル。マリーはわ・た・し・の侍女なの。気安く話しかけないでくれる?」
美しいマリーに近付こうと企む者は多い。ライオネルもその内のひとりだ。当然の報いよとシシィは鼻で笑う。
「マリー、ありがとう」
困ったように眉を寄せるマリーにセシリアはそっと身を寄せた。
「(確認は全て終わりました)」
「(わかったわ)」
微かな囁きを交わす。これで、今日の仕事は終わりだ。後は、さっさと帰ってグレア家の屋敷の見取り図を図面におこすだけだ。
「ライオネル、私そろそろ帰るわ」
「え!もう?・・・・・・僕には協力してくらないのか?」
「何のこと?あなたも一人前の紳士なら自分のことは自分で出来るでしょう?」
「お願いだよ、シシィ~」
ライオネルが余裕のある笑みを捨てる姿なんて滅多に見れない。よっぽどあの男との繋がりが欲しいらしい。なんだか面白くなって、くすくすとセシリアは笑っていた。
「――美しいお嬢さん、ダンスを願えませんか?」
不意に別の方向から声をかけられた。相手を確認するために振り返って、驚く。
スカイブルーの瞳がそこには立っていた。
「美しいあなたに、心を奪われてしまいました。是非――」
そう言って男は
――マリーの手を取ってみせた。
「は?」
思わず間の抜けた声が零れた。いや、だって、ねぇ……。普通。いや、別にいいんだけども。
思いがけぬ展開に固まるうちに、男はマリーの腕を引いて行く。
「ま、待ちなさい」
「何か?」
悪びれた様子もなく振り返った男の瞳は感情を映していない。奇妙さに怯みかけた気持ちを隠してセシリアは声を上げる。
「マリーは私の侍女よ」
「レディメイド?」
男は器用に片眉をあげる。
「おかしいかしら?」
「侍女とは淑女に付くものだと記憶していたのでね。お嬢さん」
かっと頭に血が昇る。
社交界にデビューしたてならまだしも、セシリアはもう淑女の扱いを受けるに相応しい年頃だ。
侍女を従えるには確かに早いが、セシリアの事情(病)からいえばあり得ることだった。
今さら子ども扱いを受けるとは思いも寄らないことで
「あなたっ――あなたどこの家のものなの!失礼にも程があるわ!」
感情を見せたセシリアに、にやりと相手が笑った。
「名を聞くのかい?……なんだ、きみは私と踊りたいんだね?そうならそうと早く行ってくれないと、さぁもうワルツにはいってしまう」
「違うわ!ちょ、なにするのよ!触らないで!」
こちらの話にまったく聞く耳を持たず、さっさと手を取りダンスフロアーへと引き連れようとする。しっかりと握られた手はどうもがこうが解けない。
流石のマリーも冷い仮面を溶かし、不安げに眉を寄せている。
最終手段が脳裏を掠めた。
「彼女はダメだよ。一曲踊るのが精一杯なんだ」
「ライオネル!」
「誰だいきみは?」
「彼女の保護者代理ってとこかな?戯れなら他をあたってやってくれ、彼女には向かない。それほど身体が丈夫でないからね」
微笑みを浮かべつつきっぱりと述べる。
男は冷めた視線をライオネルに向けていた。
この場で、騒ぎが大きくなるのは男の本意でないのだろう。こちらを振り返り、あっさりと手を解放した。
「失礼を、レディ」
戻ってきた自分の手をさすり、男を無言で睨む。
「さ、セシリアそろそろ帰りなさい」
見えたのはライオネルの胡散臭い微笑み。
感謝の気持ちが一気に吹っ飛んだ。こいつ、私をダシにしたわね。
でも、助かったのは本当のところだった。
「……失礼するわ」
わざとらしくライオネルにだけ礼をして、男へは視線も向けずにセシリアはエントランスへと向かった。
「よく我慢なさいましたね」
窓の外は月明かりに照らされて、石造りの道が白く光っていた。視線を前に向けるとマリーの微笑みがそこにあった。
「あ、やっぱり気付いてた?」
「はい」
「あれなら簡単に突けたでしょうね」
「でも、あそこで気を失われては困りますよ」
「そうね」
夜のガラスに映った瞳は闇色がかってブルーにも見える。誰かの色を想起させるブルー。
「……ダメ!ほんっとに腹が立つわ!!あのタレ目の半目の三白眼が!!!」
「ぷっ」
「あ、言い得てるでしょ?」
「ええ」
くすくすと思い出して笑い声を立てるマリーにつられ、セシリアも息が苦しくなるほど笑っていた。