追放された私を抱き上げたのは温和な王太子様……のはずが、「逃がさないよ」と逃げ場ゼロ&執着全開で溺愛されています
眩いシャンデリアの光が降り注ぐ王宮の舞踏会。
その華やかな中央で、リゼットは人生最大の不条理に晒されていた。
「お前のような無能で魔力の低い偽物聖女との婚約は、今日ここで破棄させてもらう! 代わりに、真の聖女の力を持つマリアを我が妻に迎えることをここに宣言する! 今夜中に荷物をまとめて出ていくことだ。明日以降、我が領地への立ち入りも一切認めん!」
目の前で声を荒げているのは、リゼットの婚約者――伯爵ガイウスだった。
その隣には、彼の腕にしなだれかかるようにして、男爵令嬢のマリアがピタリと寄り添っている。
「まぁ、明日まで猶予をくださるなんて、ガイウス様は本当にお優しいわ」
マリアはわざわざ周囲の貴族たちに聞こえる声でそう呟き、リゼットにだけ見えるように意地汚い笑みを浮かべた。
周囲の観客からは、「なんと、マリア様こそが真の聖女だったのか」「確かに、マリア様の方がずっとお美しいですからな」と、品のない嘲笑やヒソヒソ声が波のように押し寄せてくる。
――はあ。
リゼットは、心の中で深く、盛大にため息をついた。
(無能? 真の聖女? よくもまあ、ここまで厚かましく嘘を並べ立てられるものね……)
リゼットは、幼い頃に両親を亡くした孤児だった。
それをいいことに、ガイウスの父親である伯爵に「聖女としての素質がある」と拾われ、実質的な労働力として囲い込まれたのだ。
以来、リゼットは、ガイウスの領地で毎日のように魔力を搾り取られ、膨大な呪具の浄化をこなし、さらには、本来ガイウスが請け負うべき事務仕事の山をも押しつけられていた。
当然、労働の対価など一銭も支払われたことはない。
聖女の看板を掲げさせられながら、本来リゼットが手にするはずの私財はガイウスの管理下に置かれ、そのすべてはマリアのドレス代や遊興費として、綺麗さっぱり吸い上げられていたのだ。
(つまり私は、使い捨ての道具のように搾り取られた挙句、一文無しで路頭に迷えと言われている……と)
遠回しな追放、あるいは処刑のようなものだった。
ガイウスは勝ち誇った笑みを浮かべている。
だが、リゼットが泣いて情けを乞うなど、あり得なかった。
(むしろ、こんな腐った縁、今この場で合法的に断ち切れるのなら万々歳)
「承知いたしました。ではこの縁、この場で切らせていただきます」
リゼットは泣くこともなければ、怒りに震えることもなかった。
むしろ清々しいほどの冷徹さを孕んだ瞳でガイウスを見据え、緩やかに微笑んですらいた。そうして、周囲が息を呑むほどに優雅に、そして冷ややかに一礼してみせた。
「今までお世話になりました。どうぞ、お二人で末永くお幸せに」
ガイウスの「なっ……!?」という間抜けな絶句を背に受けながら、リゼットは一度も振り返ることなく、堂々とした足取りで喧騒の舞踏会をあとにしたのだった。
◆
眩い灯りと貴族たちの喧騒を背に、リゼットは王宮の回廊を抜け、静まり返った庭園へと足を踏み出していた。
夜風が、ドレスの裾をかすかに揺らす。
一人になった途端、現実の冷たさがじわりと肌に染み込んできた。
一文無し。行くあてなし。
今夜一晩の宿すらないというのは、なかなかにスリリングな状況だ。
(さて、どうしたものかしら……)
どこか他人事のように思考を巡らせながら、リゼットが石造りのベンチの脇で小さく息をついた――その時だった。
「――誰かそこにいるのかい」
突然、夜の闇に溶け込むような、滑らかで甘美な声が降ってきた。
びくりと背筋を跳ね上げ、リゼットが振り返る。
そこにいたのは――漆黒の夜の闇よりもなお深い、美しい黒髪を揺らす青年だった。
整いすぎた容貌に、夜会服を完璧に着こなした長身。
胸元には、最高位の王族を示す宝飾品が静かに輝いている。
この国の第一王太子、アルセェル。
常に穏やかな微笑みを絶やさず、「温和な聖人」と称される次代の王だった。
「……っ。アルセェル殿下」
「君は……ああ、リゼット」
リゼットは立ち上がり、居住まいを正そうとするが、アルセェルはそれを優しく制した。
「宮廷の魔力査察の折に、何度か言葉を交わしたことがあるんだけれど、覚えている?」
「忘れるはずもございません」
アルセェルは柔らかく目を細めた。
しかし、リゼットの姿を改めて視認した途端、彼の穏やかな顔つきにふっと微かな影が差す。
「浮かない顔をしている……何かあったのかい?」
「実は、今しがた屋敷を追い出されまして。婚約もご破算です」
「それは――都合がいいね」
「え」
意表を突かれたリゼットが、ぱちくりと瞬きをしてアルセェルを見上げる。
彼の瞳には、慈愛の色は浮かんでいる。
しかし、同時にそこには、長く冷たい地下牢でじっと獲物を待ち続けていた肉食獣が、ようやく目の前に現れた獲物を捉えた瞬間のような、狂気的なまでの熱と執着が宿っていた。
息を呑むリゼットに気づかぬ素振りで、アルセェルは音もなく歩み寄ってきた。
距離がゼロになり、逃げ場を塞がれた瞬間、アルセェルの長い指がリゼットの細い手首をふわりと、けれど絶対に外れない鉄の枷のような力で掴んだ。
「殿下……?」
「離さないよ。やっと、君が自由になったんだから」
アルセェルは美しく歪んだ笑みを浮かべ、リゼットの耳元に唇を寄せる。
「君がガイウスとかいう愚か者のために、どれほど理不尽に搾取され、裏でどれだけ傷つきながらも健気に耐えていたか……僕は、ずっと前から知っていたよ」
「どうして、それを……」
艶やかな声音とは裏腹に、アルセェルの手首を掴む指先には一切の容赦がない。
恐ろしいほどの執着と、けれどこれ以上ないほどの甘い蜜の気配が、リゼットの全身を包み込んでいく。
「あんな家に捨てられて、行き場を失ったのは、むしろ幸運だったね」
「それは……正直、私もそう思いますけれど」
「私の城においで」
「え……?」
「――永遠に、私だけのものとして甘やかしてあげるから」
「っ……!?」
アルセェルは、すらりとした長身でありながら、リゼットを軽々と抱き上げた。
「ま、待ってください、私は元々、ただの孤児ですし……っ」
「知っているよ。けれど、それが何だと言うのだろう」
庭園の影から滑り出してきたのは、王家専用の最高級の漆黒の馬車だった。
扉が開き、有無を言わせぬ強制力と、溺れるほどの熱を持った腕に抱かれたまま、リゼットは暗い馬車のなかへと押し込まれる。
窓の外へ遠ざかる王宮の夜景を見つめながら、リゼットは、あまりの展開に目を白黒させるばかりだった。
◆
リゼットを追い出してから、わずか数日。
ガイウスの執務室は、早くも崩壊の危機に瀕していた。
「ガイウス様! 結界の魔力が維持できず、魔獣が領内に侵入している模様です!」
「わかっている!! ああ、くそ! こっちの書類の山も片付かん! 一体、どうなっている!」
ガイウスが青い顔をして、山積みの未処理書類と、魔力切れで明滅する結界盤を見つめて叫ぶ。
それもそのはず、これまで伯爵領の広大な結界の維持、農作物の育成に必要な魔力供給、そして領地経営の膨大な事務仕事のすべては、リゼットの圧倒的な魔力と事務処理能力によって回されていたのだ。
彼女という最大の歯車が抜けた今、領地は一瞬で機能不全に陥っていた。
「おい、マリア! どうにかしろ!」
「そんなこと、私に言われても困りますわ、ガイウス様!」
その隣で、新しく「聖女」として祭り上げられたマリアが、ヒステリックに甲高い声を上げていた。
確かにマリアは、貴族令嬢として、それなりの魔力自体は持っている。
しかし――。
「私を誰だと思っているのかしら! こんな泥臭い領地の管理や、書類仕事なんて私のやる仕事ではありませんわ! ガイウス様は、もっと私を優雅にもてなしてくださるべきですのに!」
――彼女にあったのは「チヤホヤされたい」「楽をしたい」という我儘な我欲だけであり、聖女として最も不可欠な「他者を思いやる心」や「地道な献身」の精神など、欠片も持ち合わせていなかった。
「なっ……! マリア、お前、先ほどまで『私が領地を救ってみせる』と言ったではないか!」
「そんなこと言っていませんわ! 嘘つき呼ばわりしないでちょうだい!」
「嘘つきとは言っていないだろう!」
過熱する言い争いの末、マリアは高級なティーカップを床に叩きつけると、すべての責務を放棄し、自室へ引きこもってしまった。
「真の聖女」と持ち上げられていたはずのマリアの正体は、ただの我儘で他人の痛みが分からない、「勘違い聖女」だったのだ。
領民たちはすぐさま気づいた。
――優しく慈悲深く、文句の一つも言わずに生活を支えてくれていた「本物の聖女」リゼットを、ガイウスたちが追い出し、代わりに、ただ綺麗に着飾っているだけの我が儘娘でしかない「偽の聖女」マリアを招き入れてしまったのだと。
領民の怒りは一気に爆発し、伯爵邸には連日のように抗議の群衆が押し寄せた。
慌てたガイウスが「リゼットを探せ!」と命じようとしたその瞬間――まるでこの時を待っていたかのように、王家の使者が伯爵邸を訪れた。
彼らが手にしていたのは、リゼットへのこれまでの不当な搾取、給金の不払い、そして領地資金を個人的な遊興費に流用していた等の、数々の不正を暴いた完璧な告発状だった。
背後でこの致命的な証拠をすべて集め、法的な一撃を準備していたのはもちろん、愛しいリゼットを傷つけた者たちを決して許さない、第一王太子アルセェルに他ならない。
ガイウスとマリアは、弁明の余地すら与えられることなく、一瞬にして爵位剥奪、全財産の没収――これまで不正に吸い上げていた資金もすべて回収され、文字通り一文無しへと叩き落とされるのだった。
奇しくも、ガイウスとマリアは、彼らがリゼットに言い渡した事実上の「追放」を、自ら味わう形となった。
◆
王宮の奥深く、第一王太子直轄の離宮。
その一室で、リゼットはふかふかのソファに沈み込みながら、途方に暮れていた。
(……やることが、ない)
ガイウスの領地を追い出され、アルセェルの馬車に押し込まれてから数週間。
リゼットの生活は、劇的な変化を遂げていた。
朝は心地よい陽光と共に目覚め、清潔な衣服に袖を通せば、温かく栄養満点の食事が運ばれてくる。魔力を搾り取られる結界の維持も、深夜まで続く書類の山も、理不尽な怒声もない。
あるのはただ、すり減った心身を癒やすための、呆れるほど穏やかで満ち足りた時間だけだった。
穏やかな日々ではある。けれど、
「殿下、何か私にできることは……」
幼い頃から労働の対価としてしか自分の価値を見出せなかったリゼットにとって、何もしなくていい状況は逆に落ち着かない。
「『アルセェル』だよ」
「――アルセェル様、私にお仕事をください」
「今の君の仕事は、私に愛されて、ただ健やかに笑っていることだけで十分」
何度目かの懇願も、部屋を訪れたアルセェルの甘い微笑みと、有無を言わさぬ抱擁によってあっさりと却下された。
「ですが、このままでは私は駄目になってしまいます」
「駄目になっちゃってくれた方が、都合がいい」
「え」
「私なしでは生きられないくらいに駄目になって欲しいな。たっぷり甘やかしてあげるから、ね?」
リゼットの腰を抱き寄せる腕の力は強く、逃げ出せる隙は微塵もない。
アルセェルはリゼットの髪にそっと口付けを落とすと、甘く低い声で囁いた。
「ですが……」
「不満?」
「率直に言って、暇です」
「リゼットらしい」
アルセェルは満足げに笑った。
一通り笑い終えると、少しだけ目を鋭くし、窓の外に目を向けた。
「ガイウスたちの処遇が決まったよ」
そうして、彼らの末路を聞かされたリゼットは、少しだけ目を丸くした。
「彼らを恨んでいる? もし、君が復讐をしたいと言うなら――」
「いいえ、恨んでなどおりません。けれど、同情の余地もございません」
彼らのやり方を、肯定することはできない。然るべき処置だろうとリゼットは目を伏せた。
淡々と返したリゼットに、アルセェルは心底嬉しそうに、ゾクッとするほど艶やかな笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱり君は最高だね、リゼット」
「……どういう意味でしょう?」
「君のその慈悲深さと、同じだけある冷静さ。私はそれに惹かれてやまないんだ」
アルセェルはリゼットをさらに強く抱きしめ、その体温を独占するように深く息を吸い込む。
「そんなに暇を持て余していると言うなら……私の執務室に、君の席を用意しようか。もちろん、私の『未来の妃』としてね」
「えっ……き、妃、ですか?」
「ああ。勘違いしないでほしいのだけれど、私が欲しいのは君の能力なんかじゃない、君自身だよ。君が何もできなくても、一生甘やかして囲うつもりだったからね」
「……」
「けれど、愛しい君がどうしても働きたいと言うなら、仕方ない。私の隣で公務を手伝ってもらおうか。……私の目の届く、この腕の中から決して出ないという条件付きだけれどね」
「腕の中にいては、お仕事ができません」
「いくらでもやりようはある」
耳元で囁かれる、執着に満ちた愛の言葉と、待ち望んでいた「やりがい」の提示。
かつての底冷えするような日々に比べれば、この重すぎる愛情すら、ひだまりのように温かかった。
(まあ、これだけの愛を注がれるのも、悪くない……かも)
逃げ道など、最初から用意されていない。
リゼットは観念したように小さく息をつき、自らを甘く縛り付ける美しい猛獣の背中に、そっと腕を回した。
◆
これまでの過酷な日々の疲労と、彼から伝わる心地よい体温にあてられたのだろう。
程なくして、安心しきったようにリゼットが規則正しい寝息を立て始めた。
彼女の髪を撫でながら、アルセェルは甘い声で呟いた。
「責任感の強い君のことだ。あんなふうに理不尽に捨てられでもしない限り、決して自分から領地を見捨てなかっただろう? ……だからこそ、すべてを失い、私の腕の中にしか居場所がなくなるこの瞬間を、ずっと待ちわびていたんだ」
その口元には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
「絶対に、逃がさないからね。リゼット」
【2026/8/31追記】
結末部分に、アルセェルの真意(なぜすぐに助けなかったのか)に関する描写を数行加筆しました。




